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2003年09月30日
ヨーロッパ放浪も今日が最後
アニエーゼの家からマリオに連れられてトーレ・ペリーチェに移動。マリオのお友達のデザイナー宅、めし、マリオの所属するクラブのミーティングとはしごして、夜まではお仕事。マリオも原稿を書いていた。
クラブのミーティングって、何を話すの?と聞くと、来年のスケジュール、予算、この前の大会の反省、それから、世界選手権やデナシオンの話をみんな聞きたがるのさ、とのこと。ぼくも、来年の選手の移動について、あることないことを話してあげた。まだまだあやしい話だから、日本語では書けないけど、まぁたいしたことじゃない。
そのあと、やっぱり女のこの話をしていたようだ。ずいぶん若いクラブメンバーがいて、そいつが美人の彼女を連れてきていたのだけど、ミーティングしたバー(喫茶店)を出てからは、そいつの前の彼女の話でマリオはひとしきり笑っていた。
イタリアのオートバイクラブも、日本のクラブと本質的には変わらない。
今日は屋根裏オフィスで最後の仕事をして、午後トリノまで電車で移動、明日の朝、空港行きのバス乗り場まで送ってもらって、ぼくのこの秋のヨーロッパ放浪は終わります。
ご清聴、ありがとうございました。
投稿者 nishimaki : 02:05 | コメント (0)
2003年09月29日
アニエーゼのお母さんとお昼ご飯

トリノ市街へ、お母さんの見舞いにいくというマリオがでかけていった。ぼくはひとりで仕事をしてるよというと、マリオが「だったらアニエーゼのお母さんに、お昼ご飯を作ってもらうように頼んであげる」と言う。
アニエーゼは杉谷と同い年ぐらいだから、そのお母さんもおおむねぼくの母親と同じくらい。「あたしはフランス語ならちょっとしゃべれるんだけどね」というくらいは通じたけど、こちとら、フランス語だってままならん。「しーしー」と返事しているうちに、昼間っからワインをいただき、気持ちよくなってベランダで読書していたら、眠くなったのでベランダに大の字になって寝てしまった。気がついたらマリオが帰ってきていて「おまえさんはなにをしておるんだ」と笑われてしまった。
仕事もしたんだけどね。
投稿者 nishimaki : 02:03 | コメント (0)
2003年09月28日
デナシオン・男性部門
泥君が西さんが借りたモンテッサに乗ることになったので、今日はひとりで走る。
いつものとおり飯を食ってホテルを出てきたら、Bクラスの早い連中はもうスタートしていた。日本のライダーは、まだモーターホームから出てこない。
1日くたくたに走り回って取材完了。電話攻撃していたので、特に速報などを送る必要もなし、マリオが帰るという時間に、そのままいっしょに帰る。
昼飯も食ってなかったので、途中のサービスエリアで飯を食う。マリオはトライアルパンツのまま飯を食っていた。帰りに藤波家と会う。マリオの(アニエーゼの)クルマはアルファロメオだけど、藤波家のモーターホームに追いつかれてしまったわけだ。
12時ちょうど、トリノのアニエーゼのお城に帰着。
投稿者 nishimaki : 02:01 | コメント (0)
2003年09月27日
デナシオンに向けて
泥君と、スクーターに二人乗りして取材する。
今回目についたのはドイツの3人め(クラマー姉妹じゃないやつ)のあやしげなうまさ、フランスの統制のとれたうまさ(まだレベルは少し低い)、意外に小粒なイギリスの上達ぶりなど。
晩飯は、またマウリさん中心のディナー。マウリさんはジャーナリストだが、今回のイベントの広報活動を一手に引き受けていて、この晩餐は、その方面の人たちの集いだった。移動アナウンサーが、イタリアの小話を披露して盛り上がるが、いっさいわからず。どうやら、ホモセクシャル関係の話らしかった。
投稿者 nishimaki : 01:59 | コメント (0)
2003年09月26日
デナシオンに向けて
木曜日のお昼ごろに会場についたら、太一親子、西、伴、稲垣のレディースチームが先着していた。でも彼らは、マシンがまだ到着していなくて、待ちぼうけ。
木曜日はパドックの設営をして、飯を食って、とりあえずの宿をとっただけで1日が終わった。
金曜日は、プレスルームにいってマウリさんに宿の手配の確認をして(今度はマリオからの連絡が通っていた)、モンテッサに移動用のスクーターをお借りして、取材の段取りは完了した。プレスルームは電話回線がひとつしかなくて、とりあいになりそうだ。
投稿者 nishimaki : 01:57 | コメント (0)
2003年09月24日
モンテッサ4ストロークに乗る

23日に突貫工事で自然山通信の10月号原稿を送って、お昼からご近所に4ストロークマシンのテストにでかける。このあやしいマシンの紹介は、次号にて。
テストしたのはぼくじゃなくて、マウリノという、世界選手権でようやくポイントをとったイタリアの若いライダーだ。
そのあと、恰幅のいいそのマシンのコンストラクターやマリオに見送られて、バスと電車を乗り継いでサボナへ。サボナのサービスエリアで藤波号と合流して、マリオより一足早くデナシオンへいこうと思ったのだけど、ほんのちょっと事件があっただけで、おおむね順調にヒッチハイクが完了した。ふぅ。
藤波家のみなさま、ジョセップさま、たいへんおじゃまいたしました。
投稿者 nishimaki : 01:53 | コメント (0)
2003年09月22日
しめきり
レンタカーを返して、マリオのPhotoTrialの印刷所交渉につきあい、トリノに仕事にでかけていくマリオと別れて、バスに乗って帰ってくる。
その後はマリオの屋根裏部屋でずっと原稿書き。世界選手権のレポートや、なぜか全日本の結果表などを作成する。
投稿者 nishimaki : 01:51 | コメント (0)
2003年09月21日
ヨーロッパ選手権へ
よく晴れた一日。トップライダー以外の走りを見るのはめったにチャンスがないから、楽しかった。トップライダー以外といっても、イタリアのトップやトニー・ボウであるわけで、充分うまいんだけど。
大会が終わってから、ウィロビーさんをつかまえてお話。ビールをご馳走になる。
そのあとマリオの家に帰るも、トリノの料金所渋滞(工事していたんだと思う)で帰りは3時になった。
投稿者 nishimaki : 01:50 | コメント (0)
2003年09月20日
ヨーロッパ選手権へ
アニエーゼ(マリオの彼女)の家を早朝出発して、ヨーロッパ選手権の会場、バルマレンコへ。高速道路をジャンクションを2回まちがえたけど、すぐ気がついたので大きな遅れにはならず。でもコモ湖のあたりが観光渋滞しはじめていて、現地についたのはお昼近くだった。ユース(子ども)の大会はすでに始まっていた。プレスオフィスへいって「ポンニチのニシマキっていいますけど、マリオに宿を頼んであるから聞いてみろって言われてきたんですけど」ってでかけていくと「マリオからはなんにも聞いてないけど、宿はあるよ」と紹介してくれた。
投稿者 nishimaki : 01:49 | コメント (0)
2003年09月19日
藤波貴久家訪問の巻
プレスルームを離れると、ぼくには携帯電話しか通信手段がない。てなわけで、なんとなく日記をサボっておりました。
最終戦が終わってから、藤波選手の自宅に行ってきました。例によって、ぜんぜん下調べをしないもんだから、ジローナから30分といわれて、バルセロナとジローナは隣だと聞いてたんで、バルセロナからは近いんだなと思っちゃったんだけど、ジローナはバルセロナから100kmあった。
藤波家では取材をしたり近所を散歩したり、カベスタニーが得意だというゲームをしたり(2戦2敗しました。くやしい)海の街にお食事にでたりしました。写真は、ガソリンスタンドでご主人さまが給油している間に、愛車のオペルを使って記念写真におさまるご主人さま以外の4人。カメラ持ってるやつが一番お呼びでないですね。
藤波家からの帰り、バルセロナあと35kmのところでタイヤがバースト。操縦性がぜんぜん変わらず、すごい音がしてきたもんで、エンジンにでも穴があいたのかと思った。
原付き免許をとって以来、パンクなんて数えるほどしかないのに、ここんところ百発百中でパンクさせている。なにかいいことがある前兆かな(と、ナオちゃんのとびっきりのプラス思考をまねしてみました。ナオちゃんのプラス思考には、藤波貴久もびっくりなのだ)。
投稿者 nishimaki : 01:46 | コメント (0)
2003年09月12日
スペインにて
10日お昼前、イタリアのアリタリヤ航空の飛行機で成田を出て、ローマ経由でマドリッドへ。成田からローマへいく飛行機は日本人だらけだったけど(圧倒的につがいの旅が多かった。新婚旅行という感じでもなし。日本人は裕福だなぁ)ローマ-マドリッドは日本人はぼく一人だった。こうなって、ようやく外国へ来た感じがしてくる。
会場のハラマサーキットへいく。高速道路を一つ行きすぎて、帰るのに一般道を通ってみたら、快適なダート。つい楽しくなって走っていたら、小石にフロントタイヤをヒットさせてしまった。そのあとハンドルに振動が出たのでチェックしたら、リムが曲がってホイールかバーがなくなっていた。もう遊ぶのはやめよう。しかもその後、このリムはエアもれが始まっているのが発覚して、会場へついての初仕事はレンタカーのタイヤ交換になった。
でハラマサーキット。ロードレースで有名なサーキットだけど、ゲートを入ると、けっこうな高級住宅街じゃないか。こんなところでけたたましいレースをやっているんだねぇ。高速道路の案内板には「RACE」と書いてあった。わかりやすい。でもぼくは、あまりに単刀直入なこの案内に、まさか「レース」という意味じゃないだろうと思って通過して、ダート道を走ることになっちゃったのだ。
ところがハラマサーキットは、会場じゃなかった。自然山通信にはハラマサーキットとなっているし、チャーリー・デマシューのイベント案内にもハラマになっていたから、信じて疑わなかったけど、サーキットにはだれもいない。あせりました。住所録ひっくり返したら藤波パパの携帯電話の番号で出てきたので、聞いてみる。藤波選手の電話にかけるのはなんとなく遠慮したのだけど、電話に出たのは貴久本人だった。「ハラマじゃないですよ。変わったんですよ」と道を教えられ、なんとか到着する。藤波選手の電話番号を知らないで自然山通信を信じてハラマサーキットへ行ってしまった人がいらっしゃったら、ごめんなさい。
でも、本当の会場へついてみたら、黒山チームもハラマサーキットへ行ったらしい。彼らはゲートのガードマンに教えてもらったそうだけど、ぼくはプレスパスを見せて入っちゃったから素通りだったのだ。黒山チームが知らないのだから、ぼくが知らなくてもしょうがないかと、少し納得しております。
投稿者 nishimaki : 01:41 | コメント (0)
2003年09月08日
本日のTY-S
テールランプが切れるので、ヘッドライトのワット数をあげて、テールランプに流れる電気をセーブしようとしたのですが、ブドリを走ったらまた切れてしまっていました。ネリを走っている分には、だいじょうぶだった。
ブドリの終盤、リヤフェンダーがばたばたいうと思ったら、フェンダーを止めているネジが1本なくなっていた。このネジは、これで3本なくしました。よくゆるむってことですね。
今日、郵便局へ行って、向かいの証明写真の自動販売機(とはいわないだろうけど、なんていえばいいんだろう)で国際免許用の写真を撮って出てきたら、TY-Sをしげしげとながめていらっしゃる方がいた。「こんなところで、このマシンを注目する人がいるのかいな」と思って声をかけると、読者の方だった。ご近所なのは双方ともに知ってたけど、少なくともぼくはその方のお顔は存じあげていなかったから、TY-Sがなければただすれちがってしまっていたかもしれない。
考えてみたら、世の中のトライアルライダーは、トライアルをしているとき以外はごくふつうのかっこをして仕事に励んでいる。トライアルライダーが、みんなTY-Sで通勤をはじめたら、「なんだこの人もトライアルライダーだったのかぁ」という発見ができるんじゃないだろうか、なんて思った郵便局前の事件でした。
週末には、道志の森キャンプ場にでかけました。ぷらりとでかけていって、途中でガソリンを入れて走り回って、帰りにまたガソリンを入れて帰ってきました。
行きも帰りも道中は渋滞していたから、やっぱりオートバイってのは便利だなぁと実感しました。
ということで、ぼく、あさってからヨーロッパへ行ってきます。支度をしなきゃいけないんだけど、眠くなっちゃったから、寝ちゃおうかな。
投稿者 nishimaki : 01:38 | コメント (0)
2003年09月03日
イーハトーブのTY-Sとホンダの230

ごぶさたしました。イーハトーブトライアルにでかけたまま、あっちこっち放浪していて、今は浜松を目指して木曽路を走ってます。
ということで、イーハトーブには、ぽつりぽつりとTY-Sが参加していました。みんなを見ていたわけじゃないけど、TY-Sだから、125だから、4ストロークだからってことはなくて、ライダーの実力通りの結果が出ていたように思います。少なくともぼくはそうだった。
テクニカルなお話ではトレックとーちゃんに「おまえはわかっとらん」と怒られた。ぼくがローしか使ってないって件。このエンジンは2速の下を使うのがおいしいのに、なんでローを使うかねってわけだ。
ぼくは根が素直だから、それからはずっと2速にしてみました。
「こりゃいいや」って印象もなきにしもあらずだたけど、ぼくはへそ曲がりだから、手放しで2速がいいとは言わないことにします。
4ストロークエンジンの高回転域はけっこうグリップがいいはずだから、1速で発見できることはまだまだ多いと思います。でも2速のグリップもおおいに魅力。少なくてもこれからは、1速と2速で悩むことにします。

ところで、イーハトーブ・ネリにはホンダのへんなバイクが走ってました。FTRのエンジンをRTLのジオメトリーに押し込んだもので、スチール製のフレームはワンオフ。小さなバッテリーをシートの下(ショックの後ろ)に入れてのセル始動。やっぱりセル始動は快適だった。
さすがにエンジンが重いんで(RTLプラス10kg)、TY-Sみたいな軽快感はありまぜん。ものすごく早い足とあいまって、印象的にはTLR250って感じ。でもパワーフィーリングとかは、TY-Sより力強くていい感じです。当然だけど。
乗ったのは丸山隆さん。この人、TLR200のデザインを担当した人。イーハトーブは20年ぶりだそうです。
このマシンの今後は、まだなんとも言いようがないですが、来月号までに予想記事書きますんで、それまでみなさんも想像ふくらませてください。
投稿者 nishimaki : 01:35 | コメント (0)

