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2005年02月23日
愛子さんのスキー
『3ない運動、テレビゲーム、暴走族』として、完成度の低い意見を書きつづったら、『小林ゆきBIKE blog』できちんと検証をしてくださった。とてもうれしい。ありがとうございます。
「事故を起こした」のか「事故にあった」のかは大きなちがいがある。ぼくの日記は、なんにも検証しないで書いてます。たんへんもうしわけない。
これについてはふたつ思うことがあります。本題とは関係ないけど(この日記に“本題”なんてあるのか)。
3ない運動は、オートバイに接触することそのものがいけないこととされていました。今の若者が3ない運動すら知らないのは、それほどオートバイと若者が無縁になったという点で、運動の成果だったのかもしれない。「オートバイ事故」が、歩いててオートバイにはねられたのでもなければ、もらい事故でも後ろに乗ってて事故られたのでも、3ない運動的には同じなんだろうと思います。現に、ぼくもそういう見方をしてしまったわけです。
もうひとつは、事故についての考えです。「おまえが飛び出したから転んじゃっただろ」という言い方、よくします。特に賠償の支払い問題がからんでくると、一歩もひけません。でもぼくは、事故のほとんどは自分で防げると思っている。サハラ砂漠で、あると信じて走った道が突然なくなって落っこちて以来、自分の安全を守れないのはどんな状況下であれ自分のコントロール不足なのだと思って生きてます(思うだけは、そう思ってるのよ、一応)。インドネシアのジャングルの夜には、キャメルトロフィーの親分の言うままに作業してウインチを壊したのは誰がいけないのかという問題で、自分たちの道具を壊したぼくらの問題だと主張するぼくと、親分の指示に従わないわけにはいかないと主張する日本チームの宮田知孝で、険悪な論争が行われたっけ。
あー、ぜんぜん関係ない話になっちゃった。
ほかにも『小林ゆきBIKE blog』では、さらに興味深い考察(『先生はエライ』)もあった。そのとーりだ。
まったく他人事ではない。雑誌屋なんて、人のあれこれを書くのが商売だから、ほめるか、けなすか、どっちかにするのが簡単です。自分で検証して自分の意見を発表することもできるけれど、それはたいへんだし、ある意味、メディアを占有することにもなるので、称賛と批判と自分の意見は、きちんと使いわけなきゃいけないと思っている(一応、思ってはいるのだ)。自分の意見をまとめるのがめんどくさかったら、ほめるかけなしておけば、記事としてはまとまるわけです。一般論として。
告白します。
RTL250F(COTA 4RT)がトライアル場に出回ってきて、あちこちで「うるさい」という話を聞きます。音について、ぼくらもはっきり「うるさい」と書いた自信がない。遠慮したのかもしれないし、音の好みは人それぞれだし、ほんとにうるさいのか確証がなかったというのもある。
でも、まちがいなくうるさいようだ。規制値はクリアしてるんだろうから、半分は感覚の問題なんでしょう(規制値なんて、一定の回転数で計るのだから、常用回転数でどんな音がするかは、また別の問題だ)。
雑誌的には「○○は●●だけど許容の範囲で問題はない」なんて表現がよくあるけど、これは「○○は●●だと思うんだけど、そう書くとつきあいが悪くなるから書けないんだよねー」という意味だ。RTL(COTA)の排気音は「アイドリングではびっくりするくらい静かで、乗っていればそんなにうるさく感じない場合もあるけど、人が乗っている横にいると、排気音は大きい。特に開けはじめがすごい。街の中を自走しようというには、ちょっとつらい音量と音質」と書くのが正しかったかもしれません。サードパーティが、排気音を抑えるサイレンサーを作ってくれることを期待しましょう。noburin7 BLOGのFIM MEETINGにもあるように、4ストロークマシンの排気音問題は、本質的にはメーカーを含めて考えるべき問題だけど。
またまた話がそれちゃった。
「オートバイがテレビゲームにも劣る」というぼくの主張は、いたって未完成ででたらめなものでしたが、危険なもの、不良の始まりといわれてメディアに取り上げられた時代が過ぎ去って、あぶなくもない、といってなんにもないからメディアが取り上げないという時代になったら、おサムイ話です。
スキー場が軒並み閉鎖になって、スキー場開発の親分も凋落の末に任意事情聴取らしいけど、皇太子一家がスキーしている姿を見ると、庶民のわたくしはスキーは高貴なスポーツだ、文化だなぁ、と思ってしまう。
愛子さんにトライアルをさせるのはたいへんかもしれないけど、愛子さんがトライアルをはじめても困らないような、そんなトライアルを作っておかなければいけないんじゃないかと、ニュースを見ながら思った(またまた関係ないかもしれないけど、愛子さんがスキーを教えてもらっている様子は、「二輪こども塾」でこどもたちがオートバイを教えてもらっている様子に似ている。これが“教え方”ってもんかなぁと思った)。
「トライアルを文化にしなかったやつらが悪い」ってのは簡単だけど、そうじゃないんだよね。文化なんて、誰かに作ってもらうもんじゃない(堤一族に作られたスキー“文化”は崩壊の危機だし)。ぼくら自身が高貴になって、文化的にモータースポーツを楽しむことはできるはずだ。それがはじめられるのは、ぼくら自身だ。
(あぁ、また未完成なものを書いてしまった)
三ない運動については
静岡県公立高等学校PTA連絡協議会
海上保安庁政策懇談会」委員発言要旨
などで、意味がないばかりか逆効果だと報告されているけど、一方
自動車学校の一職員から見る自動二輪
こんなのもあるから、なくなってはいないようです。
投稿者 nishimaki : 12:36
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2005年02月21日
なにはともあれ
ただいま締め切り中。
昼飯食べながら、ちょいとワイドショーを見てみたら、森昌子の入院顛末会見をやってた。森昌子とぼくは同世代だけど、森昌子ったら「中学3年生」だからね、更年期障害なんかになってほしくないなぁ。しょうがないけど。
ま、そんなことはどうでもよいのだった。これで、NHKの深夜番組「今夜は恋人気分」の主題歌が、森夫婦の歌だってことを知った。調べる気になれば簡単に調べられるんだけど、それほどまでして知りたいもんじゃなかったんだね。でも、いい歌だなぁとは思ってたんでさっそくネットで探して試聴もしてみました。もうちょっとで、ダウンロード購入しちゃうところだった。
更年期障害の記者会見を見てCDがほしくなってしまうのはぼくだけかもしれないけど、どんな場面であれ、きちんとアピールするってことは、大事なんだなぁとあらためて思い知りました。自然山なんて、およそ世間にアピールするチャンスとは無縁に活動してるけど、チャンスがあったら、どんどん自然山の存在とトライアルをアピールすることにしようっと。
しかし森昌子は、やっぱり歌がうまいなぁ。
投稿者 nishimaki : 22:39
2005年02月20日
3ない運動、テレビゲーム、暴走族
去年、デ・ナシオンに参加した高橋摩耶は、埼玉県の19歳。ついこの前まで高校生ライダーだった。埼玉県というところは厳しい3ない運動で有名なところで、高橋家も学校に直談判に出かけたが快い返事はちょうだいできず、トライアル以外の場で苦労があったようだ。
という話をつい最近も聞かされたばかりだから、小林ゆきBIKE blogで「最近は3ない運動を知らない人が多い」ってのを読んだときにはちょっとびっくり。
3ない運動がどんな経緯で、どんな経過で広がっていったのかはわかんないけど、目的と手段をまったくまちがえている制度だから、知らない人が多い=機能していないということだったらうれしい限り。
うちの娘は小学生で埼玉県の学校へ通っているけど、学校の先生には「この前のお休みにはオートバイに乗ってきた」と報告してるらしいし(別に報告義務はない)先生も楽しそうに話しにつきあってくれるらしい。ときどきは「遠くまでオートバイ遊びに出かけるから、月曜日はお休みします」なんて届けも出している。高校生の3ない運動と小学生がオートバイに乗るのとは、教育者サイドから見ると、また話がちがうんでしょうね。
ところで学校の先生が刺し殺された寝屋川市の事件。この17歳の少年は、親に買ってもらったオートバイで事故を起こして大けが(単なる骨折くらいで、いわゆるオートバイ乗りからするとかすり傷だけど)をしたことがあるらしい。ところが、今やワイドショーでも(あんまり見ちゃいないけど)オートバイ事故のことが事件の原因と関連付けられることはほとんどなくて、少年がゲーム三昧だったことのほうが重要事項として取り上げられている。
オートバイに乗っていて、事故を起こすような乗り方をしていて、しかも人を刺し殺しちゃっても、オートバイのことはぜーんぜん取り上げられないのだ。なんだかさびしいではないか。ぼくの時代のオートバイ原体験は「イージーライダー」だから、オートバイはアウトローの乗り物として光り輝いているものなんだが、そのアウトローの象徴が、テレビゲームに負けちゃうのだ。ご時世なのかなぁ。
これでふと思ってみた。モータースポーツがはやらないのは、暴走族が暴れ回るからだという説がある。ぼくが高校生の頃は、確かにオートバイは暴走族に直結していて、非行のはじまりだったのかもしれない。あの時代(Z2に乗っていれば、そこらの番長よりもえらそうに見えた)は、それでも今のうるさいだけの連中と比べると、もうちょいちゃんとしたオートバイ乗りだったように思えるが、そんな比較はどうでもいいや。これからは非行の始まりはオートバイじゃない。テレビゲームなのだ。となると、モータースポーツがはやらないのも、まんざら暴走族のせいにばっかりしていられないかもしれない。
酔っぱらって勢いで書いちゃおう。オートバイメーカーも、MFJその他のモータースポーツ普及機関も、そしてぼくら雑誌屋も、オートバイが受け入れられないのを、なんとなーく暴走族のせいにしてきた。これ、逆説的にいうと、とってもらくちんだったんだよね。そんなものを免罪符にしていないで、そろそろ本気で考えないといけませんね。
投稿者 nishimaki : 16:22
2005年02月17日
おもしろいぞサッカー
締め切りに向けて仕事(をするふりを)しつつ、ふとテレビをつけたら、オールスター特別チャリティーマッチ「世界選抜×ヨーロッパ選抜」なんてサッカーをやっていた。なんとなくのんびりした試合運びだったけど、3分見てたら、目が離せなくなった。これはすごいや。
世界のトップクラスの選手が勢ぞろいで、勝ち負けとは異質のゲームを演じている。勝負がかかっていないから手を抜いているかというと、ぜんぜん逆で、これがサッカーなら、いつもテレビで観ているサッカーは格闘技みたいだ。
倒した、倒されたでホイッスルが吹かれることもなくて、ボールがコート内にある限りは、ゲームが続いている。この人たちの足は、どんな構造になってるんだろう、ボールさばきが抜群。敵陣のまっただ中で、ライバルに囲まれても、ボールをキープしつづけて、ぽんと敵陣のスキを縫ってパスが味方に通っていく。この人たちったら、ほんとにサッカーが上手なんだね。あったり前だけど。
人が倒れてペナルティでボールの権利が移って点が入るんじゃなくて、技術の積み重ねで得点されるサッカーは、迫力はないけど、おもしろくて、スピーディで、楽しかった。
気がついたら、90分、すっかり見入ってしまったではないか。このサッカー、スマトラ津波の救援イベントということで、スタジアムも選手もボランティアだそうだけど、スマトラ沖被災地には、これ一発でざっと14億円が集められて送られるんだそうだ。技術も寄付金額も、桁がちがうわ。
*追伸(17日書きたし)
本日のネットニュースを閲覧してみると、この慈善サッカーについての記事も、何対何でどっちが勝ったとか、中田が得点にアシストしたとか、そんな内容でしかない。うまいこと相手の裏をかいて得点した選手が、入れられてしまったゴールキーパーとハイタッチをするシーンなんか、いつもは見られないいいシーンだったと思うけど(いつもこれだと、緊張感が足りないかもしれないけど)、そういうのは、報道にとって大事な部分じゃないのかなぁ。
と、報道人のはしくれとして、少し考えさせられたりもしたのでした。
投稿者 nishimaki : 00:25
2005年02月11日
いいのか牛丼
今日1日だけ、吉野家が牛丼を復活させたらしい。吉野家にはすごい行列だし、テレビも大騒ぎだ。なんだってんだろう?
世の中で一番まずいとか、吉野家の牛丼はいろいろいわれることがあるけど、ぼくは好きだった。
だけど、今日の牛丼の肉って、輸入禁止になった時代の昔の肉だ。国産牛にBSEが出たとき「アメリカ牛は安全です」とキャンペーンを張った吉野家が、安全かどうかはっきりしないままの、しかも1年以上も前の肉を食わせるというんだから、すごいよなぁ。
冷凍技術はしっかりしているから、1年前の肉でもいいんだろうし、実質、BSEもたいして危険じゃないのかもしれないけど、吉野家も、牛丼復活を報じるテレビも、そのことについてはなーんにも言わない。
ほんとにあぶないのかどうかというのは、むずかしい問題だから置いておくとして、世の中がそういうことになーんにも疑問を持たないって、すごい危険だと思うんだけど、ちがうかなぁ。
いいのか?、ニッポン。
投稿者 nishimaki : 16:56
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ガストン・ライエが亡くなった
つい先日プロヴィーニの訃報を受け取ったばかりだけど、また、ぼくらは偉大なチャンピオンを失った。
ガストン・ライエ。1975年〜1977年、3年連続モトクロス125cc世界チャンピオン。ベルギー人。享年58歳だった。
ガストンは、日本になじみの深い人だ。まず、スズキの契約ライダーであったこと。マシンのテストで来日したガストンは、スズキのライダーたちに大きな影響を与えていった。今、HRCのトライアル担当となっている増田耕二さんも、この時代にガストンと親睦を深めた一人だ。
日本人にとっては忘れてはいけない1978年、渡辺明が世界チャンピオンになった。ガストンにすれば、自分のタイトルを奪っていったのが、渡辺明である。彼らはチームメイトだった。いわば、ドギー・ランプキンと藤波貴久の関係だ。ふたりはライバルだったけど、よい先輩後輩でもあった。ずっとあとになって、渡辺明がパリダカに出場することになったのも、ひとつにはガストンの強い勧めがあってのことだ。砂漠でのガストンは「アキラを連れて来い」としきりと言ってたのだ。
モトクロスを引退したガストンは、BMWをひっさげて、砂漠に進出した。はじめて参加したパリダカールラリーは悲惨な成績だったけど、翌年から勝ち続けた。「リトルジャイアント」の異名はモトクロス時代に付けられたものだったけど、単気筒が全盛だったパリダカールで、BMWの2気筒はひときわ大きな存在だった。それにうちまたがるガストンは、170cmに欠ける短躯。しかも、彼は足が悪くて、ちょっと足が曲がっているから、見た目は160cmそこそこに見える。とても小さい。
ぼくはモトクロス時代のガストンを知らない。ガストンの思い出は、全部砂漠の思い出になる。
パリダカの取材に出かけたぼくは、日本レーシングマネージメントの菅原さんにおんぶに抱っこだった(今でも、レイドに出かける人は、少なからず菅原さんのお世話になっている)。そして菅原さんとガストンは、大の仲良しだった。菅原さんがパリで拠点にしているのは、ガストン・ライエ・レーシングチームの小さなガレージだった(と思う)。
1986年、ぼくはスズキ・フランスからオートバイをお借りしてパリダカールの取材をした(今から思えば、パリダカの取材をオートバイでおこなうなんてあんまりにも非現実的な話だった。山田周生氏にだまされたのだ。わはは)。スズキチームには藤田さんという日本のスタッフがついていたけど、彼もまた、砂漠でのガストンとの再会を大喜びしていた。
1987年、ぼくがファラオラリーに出場したとき、ガストンはDRZでスズキとの活動を再開していた。レイドでは、成績のいいものからスタートしていくことが多い。ぼくがとことこ砂漠を走っていると、ガストンが止まっていた。こういうときのガストンはちょっとヒステリックでおっかないから、見て見ぬふりをして通過する(どのみち、助けてあげられるわけもない)。ガソリンの変わりに水を入れられたといっていたけど、その何十分後か、ぼくはどえらい勢いでガストンにぶち抜かれた。あのときの砂煙は、いまでもなつかしい思い出だ。
ガストンは、ライダーであると同時にチームオーナーでもあった。チームには、いろんなチームがあるんだけど、それぞれ個性があっておもしろい。
概して、フランスのチームはしっかりしている。ホンダのメインチーム、ヤマハのメインチーム、そして三菱も、ベースはフランスだ。彼らはファッショナブルだし、仕事もきちんとしているように見える。
お隣の国なのに、ぜーんぜんちがうのがイタリアチーム。イタリアといえばファッションセンスは抜群のはずなのに、砂漠のイタリア人はファッションにはこだわっていな様子で、ぼろぼろの格好をしているチームメンバーが多かった。イタリアホンダもイタリアヤマハも、カジバも、その点は似たようなものだった。イタリアヤマハは、フランスのヤマハよりもイタリアのホンダの人たちと仲良しだった。
イタリアチームの大きな特徴は、アシスタントトラックからは、いくらでもスパゲッティが出てくることだ。そのかわり、大事なパーツが乗っていなかったりもする。パーツよりもスパゲッティを載せろと言う命令が、イタリアチームには敷かれているにちがいなかった。
ガストンはベルギー人である。フランスともイタリアともちょっとちがう。とてもじゃないが、パーツをおろしてスパゲッティを積むなんて英断は、ガストンにはできない。万全を期して、パーツは山のように積まれていた。
だから、ガストンチームのトラックは、重かった。取材でがたがたのパジェロを走らせていると、イタリアホンダやカジバのアシスタントトラックが、まずぼくらを追い抜く。彼らはいわば救急車で、そんなに重いものを持ってはいないから、速いのだ。そのあと、フランスホンダやフランスヤマハと続いて、その次くらいに、イタリアホンダやカジバの、大きなトラックがやって来る。あらかたのトラックに抜かれた頃、ガストンのチームのトラックが追いついてくる。荷台を右に左に揺らしながら走っていることが多かった。いかにも重そう。荷物を減らして、到着時間を短縮したほうが、よりよい戦い方ができるんじゃないかなぁと思ったりもしたけど、ガストンにはガストンの考え方があるんだろう。
チームオーナーとしてのガストンは、そんな印象から、ちょいと神経質であんまり上司にしたくないタイプだったけど、一方、ガストンには根強い協力者がいっぱいいたし、ガストンを慕う人も多かった。
ぼくは1988年以降、砂漠のイベントとは離れてしまったけど、その後、ガストンは日本にもたびたび来日して、オフロードファンといっしょに走ったりもしている。そこに映るガストン像は、チームオーナーとしての現役の時代とは少しちがったものだったけど、ガストン個人の人となりは、そっちのほうが本当の姿だったのだろう。
砂漠にはうとくなっているから、ガストンが死の床についているなんて知らなかった。
日本人を見ると、日本語で話しかけてくる人は多いけれど「世界チャンピオン」の名誉を持つ人の中では、そういう気さくさを持つ人は、まだまだ多くない。日本のオフロードに、常に光を与えてくれたガストン・ライエさん、ありがとう。
ガストンにメッセージを。SSERのサイト
投稿者 nishimaki : 09:13
2005年02月08日
ここんところのわたくし
ちょっと日記をさぼっちゃった。2月号の締め切りを終えてから、あちこちうろうろしてきたので、ご報告します。
●2月2日●
モンテッサ・コタ4RTが届いた。自然山通信は、新しいマシンが出ると、つい買ってしまうくせがあるクラッチやミッションに新機構を採用したガスガスに、TY-S125F、そしてこの4RT。新しいマシンを走らせて、みんなに情報提供したいという正義感もあるんだけど、新しいのに乗ってみたいのであります。
みなさんといっしょで、頼んでからお金どうしようと悩んだり(ちゃんと大枚はたいて買ってます)、実は今も悩んでるんだけど、でもこの箱を見たら、そういう悩みもどこかにぶっ飛んだ。うひひ。マシンについてのあれこれは、そのうち、ゆっくり。
●2月2日●
やぼ用にて、東京駅八重洲口のホンダ八重洲ビルにお出かけ。今じゃ、ここにホンダのビルがあることを知ってる人も少ないんじゃないかな。ホンダ本社は、長らくここにあって、現在でも顧問室なんかはここにあるし、鈴鹿サーキットランドやツインリンクもてぎもこのビルの中にいる。
東京駅からホンダ八重洲ビルまではほんの数分だけど、途中に八重洲ブックセンターがあるので、誘惑に負けて中に入ってしまうと、2時間くらい出てこれなくなる。近くて遠い、ホンダ八重洲ビルと東京駅なのであった。
本田宗一郎さんの昔話なんかを見ると、八重洲に出勤するシーンが出てきますが、それはこのビルのことですね。右腕の藤沢武男さんは、着流しで出勤して、銀座をぶらぶらしながらお帰りになったらしい。藤沢さんの著書だと「
経営に終わりはない」が有名。八重洲ブックセンターに在庫があるかどうかは未調査。
本田宗一郎さんといえば、かつていろいろお世話になった亀山清隆さんが「
本田宗一郎に学んだホンダのヒトづくり・モノづくり」という本を書いてます。亀山さんは多彩な人で、こんなふうにおもしろい本も書くけど、四輪レースでも速いし、オートバイもとっても上手。ぼくは25年ばかり前、桶川で同業者が集まって開催したモトクロスでカメさんと競り合って、ハンドルがからまったまんまジャンプしてしまって、ふたりまるごと地面にたたきつけられたことがありました。ぼくのマシンはブレーキが根本からなくなっていてリタイヤ。くやしがっていたら、カメさんは肋骨を折っていた。その節はすいませんでした。
●2月4日●
相模川河川敷で、
バックオフの瀬戸さんと誌面のロケ。瀬戸さんがトライアルを学ぶという企画だったですが、瀬戸さんよりも、写真をとってくれたカメラマンの河合(宏介)さんがどんどんじょうずになってしまいました。
庶民のトライアルは楽しければ上手にならなくてもいいんだけど、上手になるのが楽しさだったりもするので、ニワトリと卵の関係のようなものかなぁ。
トライアル技術はともかく、TY-S125Fは、バックオフの読者のみなさんが、ぼこぼこと山道を散歩するのにぴったりのマシンだから、もっともっとそういう使われ方をしてもらったらいいなぁと思います。みんな、トライアル=トライアル競技という構造に、ものすごい距離感を感じているらしいです。
バックオフの瀬戸さんと河合さんのこのコンビは、こう見えてもふたりとも海外ツーリングのベテランなんだよね。河合さんは、バックオフ誌上で世界一周ツーリングのレポートを連載しています。含蓄のある読み物だから、そっち方面に興味のある方は、ぜひご覧ください。ほんとは、海外ツーリング前にトライアルをお勉強しておけば、もっと奥地まで入り込めたかもしれないけど、人生はそんなものかもしれません。
●2月5日●
ど・ビギナートライアルの新年会で、栃木へ行く。栃木は主催者萩原信一さんの地元である。新年会なんだから、飲みに行くのだ。だから、帰れない。今回泊まったのは「ホテル鯉保」。山口智子さんの実家なんだとさ。
ロビーには、山口智子のポスターばっかりだし、この写真も、ビールの宣伝なのか、コレクションの一環なのか、よくわかんない。ファンだったら一度はお泊まりあれ。老舗ホテルということで、今後はもうちょい経営努力をしたほうがいいと思うんだけど、まぁそれはそれだ。テレフォンカードも売ってます。各部屋にも山口智子のポスターが待っているかと思ったら、それはなかった。どうせなら、それくらい思い切ってくれたほうが楽しいのにな。
これを書くんで調べたら、山口智子って、もう40歳なのね。ふふーん。
ど・ビギナーの新年会は、自然山とど・ビギナートライアルが結託して、ツインリンクもてぎでど・ビギナートライアルを開催することになった頃から出席しています。ニシマキなんざ、みなさんのキャリアからすると吹けば飛ぶようなもんですが、なんとか仲間に入れてもらってます。
ど・ビギナートライアルは、今年もツインリンクもてぎと白井トライアルパークとマカベトライアルランドの3ヶ所で4回開催されます。マカベと白井は、ご存知の通り会場がそもそもむずかしめで、トライアルはじめてなんて人が参加すると、びびってしまうことが多いみたいだけど(こわいラインはないんで、はじめてじゃない初心者だったら、たいていは大丈夫のはず)、逆にもてぎには岩がないので、トライアルはじめたばっかりの人にはぴったりの地形。だんだん、白井とマカベは初心者から上級者まで(ずいぶん幅が広いな)、もてぎははじめての人から中級者くらいまでと、守備範囲が決まってきた感じです。
NB〜IBライダーのための祭典としては、GC大会が用意されているけど、ツインリンクのど・ビギナーは、まさに初心者の祭典として定着していったら楽しいなと思います。
ほんとは、ツインリンクでももっといろんな大会ができればいいんだけど、今のところはいろんな制約があって、ツインリンクで開催されているトライアルイベントは、世界選手権とど・ビギナーだけってことになっている。これもすごい話ですね。
写真は、午前0時をわずかに回って「乾杯」を歌う萩原さんと高橋摩耶親子。摩耶ちゃん以外は酔っぱらいにつき、うつろな視線で歌ってます。摩耶ちゃんのお母さんの飲みっぷりが、摩耶ちゃんの乗りっぷりに匹敵する堂々たるものだったというのが、本日の収穫でした。
投稿者 nishimaki : 18:29
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