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2006年03月31日
ちんちん電車2
全日本九州大会に取材で、熊本へ出かけた。
九州大会には、ずいぶん前に杉谷が出場するってんでふたりでいったことがあったけど、最近はぼくひとりででかけるのが定例になっちゃった。二人で行くなら自動車に乗って、会場で自然山の出店をすることになるんだろうが、世界選手権の開幕があったり本誌の締め切りがあったりして、二人揃ってくるまで九州ツアーをするのは無理ってのが現状です。残念。最近は試合の速報をするお仕事もあって、日曜日の晩はどこかのホテルで朝までお仕事というのがパターン。お値段が安いのと全室インターネット接続可能というのが気に入って、ぼくらは東横インを愛用してます。この冬、東横インは大失策があって世間のバッシングを受けているけど、失敗はぼちぼち改めていただくとしましょう。今回泊まったのは数日前に開店したばかりのところで、オープン記念で宿代は3950円だった。
ホテルまでは、亜路欧の黒田くんに送ってもらった。実は今回は、東京から亜路欧さんのグランビアに乗っけてきてもらった。すっかりお世話になりました。ありがとうございました。
で、大会が終わったら、今度はホテルまで送ってもらった。会場からホテルまでの間にリザルトを整理して、ホテルに入ったら速報原稿を書いて、全部仕上がったらおしまいなんだけど、そうそうさっさか原稿が書けるものでもないので、全日本の夜は、ベッドを使うことがほとんどない。もったいない。
それでも部屋にベッドがあるってのはおおいなる誘惑で、10分だけ寝ようとか思って横になってしまう。10分だけ寝られるわけが内じゃないか。で、1時間ほど寝てしまう。なぜか1時間で目が覚めるあたり、最低限の責任感があるんでしょうね。
動きっぱなしになっているコンピュータに座ってみると、杉谷から「起きてるかー」というメッセージが届いていた。すいません、寝てました。全日本の速報と同時に自然山通信4月号の締め切りでもあるので、まぁなかなかせっぱ詰まった一晩でもあるのでした。
ひょっとして、このままもう一泊して、本誌を完全に仕上げてから帰るという手もあったのだけど、チェックアウトぎりぎりまで仕事して、ふらふらと街へ出る。ホテルから熊本駅までは、市電に乗っていくのが便利なんだそうで、またもちんちん電車のお世話になった。世田谷線よりずいぶん古い車両で、こちらは床が木製だった。
全日本の会場は標高が高くてちょっと寒かったし、きのうは夜だったので気がつかなかったけど、街の中では、けっこう桜がいい感じに花を開いている。あー、こりゃ、こっちで仕事を仕上げてもう一泊して、花見でもして帰ろうかなと思ってみたけど、よく考えてみたら水曜日にはスペインに向けて出発するので、花見をしていると飛行機に乗れないことがわかった。で、なくなく帰る。
帰りの新幹線の中でも仕事をしようと、3人席の一番前を指定する。ここにはおそうじ用のコンセントがあるのだ。コンセントを使いたいから、とちゃんとお断りして、熊本駅のお兄さんもコンピュータ使うんですねと調べてくれた。で、ちゃんとコンセントのある席を確保できたのだけど、なんと、このコンセントは形状が特殊だった。そういえば、新幹線のこの席を愛用している吉村誠也氏が、アダプターを持ち歩いている話を聞いたことがあった。残念。
でも、最近のバッテリーは長持ちするし、かつこちらもそんなに熱心に仕事をしているわけじゃなかったので(弁当を食べた雑誌を読んだり、トイレにいったり、それなりにすることはあり)博多から新横浜まで、結局バッテリーはもってしまった。
新幹線にしろ飛行機にしろ、こうやって移動すると熊本もあっという間で、なんか、つまんない。
ということで、写真はとても楽しいちんちん電車、熊本版。
投稿者 nishimaki : 01:51
ちんちん電車その1
パスポートをとった。
これまで持っていたパスポートは、10年パスポートができてすぐにとったものだったんだけど、あれから10年経ったんだなぁ。当時のぼくは、パリダカの取材なんかは一段落していたけど、僻地専門家(僻地のみなさん、ごめんなさい。具体的には、タンザニアとかブルンジとかグアテマラとかエクアドルとかそういう国々)だったから、10年パスポートにしたらページがあっという間になくなるぞと脅かされていたもんだ。
アフリカの国々とかへいくと、まず行く前にビザで1ページ消費する。入国するときに、まずスタンプが捺される。それだけじゃなくて、村から村へ移動する時には、村にはいるたびに入国審査みたいなのが必要になって、1カ国を恥から端まで走ると、パスポートは数ページ消費されちゃうのだ。
パリダカールラリーに取材を1回すると、ビザだけで5カ国くらい必要になるから、全部で10ページくらいは必要になる。アフリカ以外でも、ロシアもビザに1ページを使ってくれたし、ネパールも同じ。記念のスタンプ帳だと思うと楽しいけど、パスポートはノートにしては高価なものだから、むだに消費していくのはつらい。
けど、結局ページは余った。ぼくの商売が僻地屋から自然山になって、渡航先がヨーロッパ中心になったからだ。EUになって、ヨーロッパではパスポートにスタンプを捺す習慣がなくなった。飛行機で入国した時以外は、ヨーロッパの国境はフリーパス。国境すらない場合もある。スタンプ帳としての仕事を奪われたパスポートは、これから文字通り、国境通過のチケットとして機能していくのかもしれない。そういえば、ぼくが申請に行った数日後には、ICパスポートの申請が始まった。なにが変わるのかよくわかんないけど、将来的にはパスポートもSUICAとかみたいにカードになって、国境で読み取り機にかざすだけで通過できるようになるのかもしれない。
で、パスポートの申請だけど、ぼくのパスポートは1月に切れていたから、申請には住民票と戸籍謄本が必要だった。住民票は近くの区役所へ行けばもらえるんだけど、ぼくの戸籍は、ぼくがずっと育った世田谷区にある。戸籍謄本をもらうには、そこまででかけなけりゃいけないのだった。
今はもうほとんど縁がない世田谷区役所に出向くには、三軒茶屋から松陰神社まで世田谷線に乗っていく必要がある。松陰神社ってのは、吉田松陰先生ゆかりの地、三軒茶屋は、ガスガス輸入元亜路欧本社のあるところだ。
世田谷線は、ぼくは高校に通うのに乗ってたけど、当時の世田谷線は玉川線開業の頃の車両がまだ現役で、車体には木が多用されていた。発車のときには「ちんちん」と車掌が運転士に合図するクラシックなシステム。ちなみに玉川線ってのは二子玉川から渋谷まで、多摩川の砂利を運びだすために作られた線路で、国道246号線上を走る路面電車だった。交通渋滞の発生とともに60年代末期には廃線となったけど、三軒茶屋から下高井戸までは全線専用軌道だったんで、廃止にはならずに今もとことこと運行されている。途中、環状7号線と交差するんだけど、ここは環7の信号に合わせて、電車のほうが信号待ちをする。信号が青になると、人といっしょに電車が環7を渡っていく。東京都にあって、三丁目の夕日時代を、世田谷線はちょっとだけ味わさせてくれる。
そんで三軒茶屋だが、三軒茶屋は、いまや若い妻夫木と柴崎がデートしたりするらしいおしゃれな街になった。それに合わせて世田谷線も車両が一新された。床は木製じゃないし車掌さんもいなくなった。ぼくなんかは、いっそ古いまんまの電車を使い続けていたほうが話題になったんじゃないかと思うんだけど、新しいのにしたほうが、世の中的には納得しやすいんでしょうね。
この前世田谷線に乗ったのは、三軒茶屋で30年ぶりの小学校の同窓会をやった時だった。次はいつ乗るんだろう?
ということで、写真は世田谷線。松陰神社駅にて。
投稿者 nishimaki : 00:59
2006年03月28日
セサールと寺井君
セサール・カニャスと寺井一希、バイクトライアルの頂点の二人を撮影してきた。バイクトライアル連盟のお仕事だったのだけど、寺井くんとは久しぶり。セサールとはちゃんとお話したこともなかったので、今回はちょっと楽しみなお仕事でした。
神門くんに迎えにきてもらって、八王子のホテルにセサールを迎えに行く。今回サセールは「第2回徳光&所の世界記録工場」に出演、ハードルジャンプでのバイクトライアル世界記録に挑戦するのだが、その前日にお仕事してもらおうという魂胆。8回の世界チャンピオンにそんな強行軍をさせていいのかと思うけど、セサールはにこにこ顔だ。世界記録の審判を務めるマイクさんも同行した。
ホテルのフロントで出会ったセサールは、もうずいぶん髪の毛も薄くなっていた。オット・ピの髪の毛のなくなり方は貫録ものだったけど、サセールはオットよりも身長も低いこともあって、気のいい兄ちゃんという印象。ライダーの多くがそうであるように、チャンピオンの風格はかけらもない。クロークに預けておいた彼の自転車をクルマまで運ぶ大役を仰せつかったが(なんとなく、転がしてっちゃいけないような気がして、かかえて持っていきました)、セサール本人よりも自転車のほうが存在感があった。
目的地は奥多摩の渓流。フリーロッククライミングを楽しんでいる人たちもいて、あっちはあっちで黙々と岩に取り組んでいる。こっちもやっぱり岩に取り組んでいるんだが、なんせスペイン人だから空気が明るい(スペイン人1名、日本人4名、カナダ人1名がこちらの勢力)。
セサールは押しも押されぬバイクトライアル・キングだし、そのセサールも一目置くのが日本の寺井一希。結果表を見ると「まだまだだなぁ」なんて思うかもしれないけど、かつての藤波とランプキンと同じく、結果表だけでは語れないものは多い。セサールの持っているもので寺井が持っていないものはまだあるけれど、世界中で寺井だけしか使えないテクニックがあるのも確かなのだ。
まぁこんなふたりの共演だから、撮影がうまくいかないわけがない。一番素人なのがぼくってわけで、ちょっと緊張しました。こういう緊張は、トップライダーを取材する時にはいつも感じるべきことなんだろうけど、慣れってのは恐ろしい。こういう時に、新鮮な感情を持てるのはうれしい。
しかしてスペイン人は、こんな撮影に緊張感なんかかけらも感じていない様子。では手抜きかといえばそんなことはなくて、朝ホテルのフロントで出会った人と同一人物かと思うほど、ヘルメットをかぶったセサールにはピリリとした緊張感が漂っていた。近寄りがたいのはライディング中で、それ以外はいたってフレンドリーなのがスペイン人のメンタリティ。気持ちの切り替えが苦手なワタクシメだと、緊張していようと思うと朝から晩まで緊張していないといけない。人種がちがうのかなぁと痛感するひとときだった。
撮影は2時間ほど続いた。日本人わりとしつこいタイプなので、あれやこれやとネタを見つけて撮影を続けようとする(ぼくもしつこいタイプだけど、コーディネーター役の神之門くんがもっとしつこかった)。するってーとスペイン人は、その緊張感はどこへやら「今日はもういろんなシーンを撮ったし、よい瞬間も撮れた。そろそろ終わりにしてもいいんじゃないか」と言い出した。熱しやすく、冷めやすいタイプっていうんだろうか。こちら日本人勢はスロースターターでしつこいわけなんで、水と油だった。水と油のわりには、本日の撮影はうまくいったほうだった。
思うに、熱しやすく冷めやすいスペイン人が、トライアルのスタートからゴールまで、ポイントをきちんと抑えて緊張感を維持しているのは、そのメンタリティを考えるとすごい偉業だ。1日中集中し続けていることはないんだろうけど、集中のし方、手の抜き方、気の抜き方は、彼らに学ぶことはまだまだ多い気がする。少なくともぼくは、多いに学びたいものなのでありました。
写真は珍しく本文と関係のあるセサール・カニャス(上)と寺井一希(下)。たくさん撮影した中で、一番パンチのない1枚
投稿者 nishimaki : 11:01