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2006年06月13日
三宅島にまつわる複雑な思い
噴煙を吹き上げる三宅島。ここでTTレースをやろうとぶち上げた人がいる。石原慎太郎さん、東京都知事だ。
そのニュースを知ったのは1月末のことだったけど、それから半年、ふたたびそのニュースは、悲しい知らせとともにやってきた。
なにが書きたいのか、自分でもよくわかっていないので、読んでいただいても混乱するかもしれないけど、書いておこうと思いました。
最初のニュースはこれ。ちょっと前の朝日新聞のWEB記事。元ネタが消滅しているので、引用させていただきます。
三宅島復興へ村が二輪レース構想 提案は石原都知事
2006年01月28日22時40分噴火による全島避難が解除されて2月1日で1年を迎える東京都三宅村が、島の復興策として、世界に通用するオートバイレースの開催を検討している。平野祐康村長は「帰島直後は余裕がなかったが、今年こそ海外のレースを視察して参考にしたい」と話し、夢の実現に向けて一歩を踏み出した。
きっかけは、1年前の石原慎太郎都知事の言葉だった。知事は村長に対し、世界的イベントのオートバイレースで知られる英領マン島を例に挙げて、「三宅島は起伏に富んでおり、腕に自信のあるライダーにとっては魅力のある場所」と提案。村は1年間、夢を温め、来年度予算案でマン島への視察費を計上した。
平野村長は27日に石原知事と会い、応援を要請。石原知事は「レース開催は吸引力になる」と改めて勧め、「三宅島でやらなきゃ八丈島がやると言っている」と村長の背中を押したという。
http://www.asahi.com/national/update/0128/TKY200601280272.html
実はこれを見てすぐ、ぼくは三宅島の村長にメールをした。メールの内容は「三宅島はマン島にもなれるかもしれないけど、その前に魅力的なトライアルフィールドで、トライアル大会なら今すぐできる。コース整備にかかる費用もゼロに近い。ロードレースとちがって、広い年齢層を受け入れられる。ロードレースもいいけど、とりあえずトライアルを検討しててみちゃくれないだろうか。日本全国には、見本となるようなトライアルイベントがいっぱいあるよ」というものだった。ここだけの話、少しお酒飲んでて気持ちが大きくなって書いたメールだったけど、書きながら、メールじゃパンチがないから、あらためて資料とともに郵便を送ろうと思いつつ、ぼくの悪いくせでそのままになってしまった。
そしてマン島TTの季節になった。なんと石原慎太郎が三宅島の村長とともに視察にいくという。これにはMFJ会長の鈴木さんも同行されていた。東京都でTTレースを開催するとなったら、MFJが出ていかないわけにはいかないよね。
マン島TTに毎年取材にいっている小林ゆきさんの報告によれば、鈴木会長は石原知事に“他のカテゴリー”の説明もしたけど、知事はロードレースにご執心だったとのこと(ほかのモータースポーツを知らないんじゃないのかな、とは思ってても言ってはいけない)。知事がそういうことなら、三宅島村長も、トライアルは却下だったのだろうなぁと、そのときはニュースを読み飛ばしてしまった。こういうおいしいネタが転がっているのに、自分を含めて、トライアルは本当にもったいない。おいしいネタを、次から次へと見逃している。
石原慎太郎のマン島視察はテレビのニュースにも登場した。テレビはマン島については(たぶん)どうでもよくて、石原慎太郎と三宅島の将来という視点で報道をまとめていたけど(当然だ)、そこにはひとりの日本人ライダーが映っていた。前田淳。彼はぼくがまだロードレースに足しげく通っていたふつうのモータースポーツジャーナリストだった時代、新進気鋭の若手ライダーだった。鈴鹿4時間耐久でも優勝したことがあったような気がしていたんだけど、調べたら北川圭一(耐久世界選手権世界チャンピオン)と組んで2位になったことはあるが、優勝はみあたらなかった。優勝が本命視されながら勝てなかったのかもしれない。
NSR使いのシャープなライディングをするライダーという印象があったから、マン島に出場するというニュース(最初は97年のことだったという。ちょうど、黒山健一が世界選手権で初優勝した頃だ)を聞いた時には、ちょっとミスマッチな感じがしたものだ。
マン島ってところは、今やおそろしくリスキーで、ノスタルジックで、しかし牧歌的なサーキットだ。サーキットという言い方は正しくないけど、サーキットの中に人が住み、サーキットとともに人々の人生がある。今現在マン島で暮らす多くの人々にとって、マン島TTは自分が生まれる前からそこにあったものであって、日本人が軽々しく「伝統の」とか「歴史ある」なんて言ってはいけないような神々しさがある。そのへんは、同じく長い歴史を持つ(言ってしまった)SSDTと共通したものがある。
ぼくがはじめて海外のモータースポーツに触れたのが、実はマン島TTだった。まだ22歳だったなぁ。そこにはひとりのおじさんカメラマンがいて、英語がほとんどしゃべれないぼくに、いろいろと教えてくれたものだった。25年たって、今ぼくはそのおじさんと数々のトライアル場でいっしょに崖を登り、よくわからない冗談を言い合っている。エリック・キッチンさんというんだけど、キッチンさんとはライディングスポーツ時代に写真を提供してもらったこともあったし、ちょっとした関係なのだけど、本人に25年前のマン島のことを話すと「覚えてないなー」と言う。まぁ当然でしょうね。そういえば、おととしだったか、エリックがもてぎの日本GPに来日する来、カメラのチャージャーを忘れてきたことがあった。現地から(人づてに)連絡をもらって、ぼくは町田のヨドバシカメラまでチャージャーを買いにいきましたよ。70歳をすぎて、ぼくらといっしょにトライアル取材をするのだから、ものすごい元気だ。「チャージャーを忘れなかった?」と聞いたら「今回はFIMのプレスゼッケンを忘れた。この前は撮影しようと思ったら、メモリーカードを家においてきてしまったことに気がついて青くなった」と忘れ物談義。忘れ物ではぼくも負けてはいないのでね。
いけない。エリックの話ではなかった。しかしそうやって、エリックと友だちになってみると、イギリスという国の歴史や文化の大きさに、あらためて圧倒される。エリックはお父さんの代からスコットランドに通い続けている。マン島のコースを見ても、一家でコースマーシャルをやっている風景をよく見た。旗を振るお父さんの横で、お母さんが赤ちゃんにおっぱいをあげていたりするのだ。あの赤ちゃんも、今年あたりはいっぱしのコースマーシャルとなって旗を振っているにちがいない。そういう壮大な時間の流れが、この島にはある。
前田淳は、だから最初は、一見さんの外様ライダーだったのだと思う。だけど彼ははまってしまった。そのあたりの経緯は、彼のレポート(http://www.mmbc.jp/mmbc/jun/)に詳しい。Webで拝見する彼最近の横顔は、マン島の歴史に根付いてきたように見えた。
さて、テレビで石原慎太郎と前田淳の姿を見た数日後、前田淳クラッシュ重症というニュースを知った。骨盤骨折ということだったからたいへん重症だけど、ロードレースではよくある骨折なのだと、その時は思っていた。それが5月29日。
ところが6月5日になって、彼は亡くなった。今度は一般紙でも取り上げられて、ぼくは杉谷からその情報を聞いて、びっくりした(前田淳死去を伝える前述小林ゆきさんのエントリー)。「誰か死んだらしいよ」という杉谷の他人事の言い方が悲しかったけど、杉谷には本当に他人なのだから、しょうがない。
前田淳は、スタートしてわりとすぐのユニオン・ミルズというコーナーの先でスロー走行していて他車に追突されたらしい。ユニオン・ミルズは、かの昔、高橋国光が生死をさまよう大クラッシュをしたところだ。あれから50年近くたって、奇跡は2度起きなかった。
これから、三宅島のロードレース計画がどういうふうに進むのか、ぼくにはさっぱりわからない。石原慎太郎と三宅島村長が「ロードレースはやっぱりあぶないですね」という結論になっちゃったら、それは絶対に前田淳にとっては本望ではないはずだが、こればっかりはどうすることもできない。
そして同時に「トライアルだったら安全ですよ」とトライアルを売り込もうとしていたぼくも、なんとなーく自己嫌悪に陥っているのだった。
安全だからトライアルを勧めるのではない。トライアルが魅力あるスポーツで、三宅島にとってよい材料となるからお勧めする。しっかりそういう気持ちになってから、三宅島に、もう一度お手紙を書いてみたいなと思う。できればそのときには、三宅島でロードレースが開催されていてほしい。それが前田淳の遺志でもあるのだから。
投稿者 nishimaki : 12:23 | コメント (5)
2006年06月12日
デ・ナシオン募金
日本GPが終わって、本当は個人の日記のネタではないんだけど、みなさまにお礼です。
今年も、デ・ナシオン募金へのご厚意、たいへんありがとうございました。選手会のTシャツ販売・募金箱(選手会は小谷徹さん代表。小谷さんのブースに間借りしていました)とあわせて、ボランティアの方々が募金箱を持って会場を回ってくれました。
両日合わせて、4万円弱をいただきました。
トライアル・デ・ナシオンについては自然山通信TDNページ(http://www.shizenyama.com/archives/tdn/)をご覧ください。ここに、これまで自然山通信に募金いただいた方のご厚意も一覧しています。お名前を出した方がうれしい方もお名前を公表することなく募金されたい方もいらっしゃるので、募金一覧ではイニシャルで表示させていただいています。
あらためてページを見てみたら、募金活動は2003年から始まってるんですね。今年で、4年目になる。初年度は、あちこちに募金箱を持って出かけたりして、ニシマキも熱心だった。実は、最近デ・ナシオン募金についてはあんまり活動的には動いておりません。それでも、日本GPのときに志のある方が募金活動を買って出てくれたり、あるいは自然山通信の商品を買ってくれた時に「釣りはいらねー、募金しておくれ」と100円とか200円とか、何千円とかごくまれに1万円とかご提供いただく方がいて、感謝です。
正直なところ、自然山通信としては自分ちの商品をせっせと売らなければいけないわけで、それすら商売っ気がないと怒られているというのに、募金活動に精を出すのも限界がございました。ニシマキの募金パワーが力尽きてしまっても、みなさんから着々とお気持ちが集まっているのは、うれしい限りです。
そんな中、こんなサイトが誕生しました。ISDE Team Japan(http://www.isde-japan.jp/)。2006年から、MFJが正式にナショナルチームを認定することになったISDE(インターナショナルシックスデイズエンデューロ。SSDTと雰囲気が似ている名称ですが、もともとSSDTとISDEは兄弟。30年くらい前まではISDTと呼ばれていて、さらに兄弟感が強かった)ですが、MFJからは遠征費用の援助が一銭もない。ナショナルチームを認定しておいて一銭も出ないというのもすごい話だなぁとは思うんだけど、エンデューロ界においては認定ナショナルチームの誕生は悲願だったから、まずは大きな前進なのだ(トシ西山さんが出場して以来、ISDEに出場する日本人は、すべて個人参加であって、国別対抗が基本となっているISDEにあっては、いわばおみそのような存在だ)。
で、ISDE派遣のための遠征費用を、有志によって集めようという動きが高まってこのサイトの誕生となった。あいさつ文を書いているのはMFJ エンデューロ部会長の神保一哉さん。日高2Daysエンデューロの主催者でもある。日高2Daysエンデューロのページ(http://www.hidakanet.jp/)もかっこいいけど、このISDEページもかっこいい。考えてみれば、自然山通信のTDN(トライアル・デ・ナシオン)募金ページは、4年前にとにかく作らなきゃいけないと思って作ったきり、なんの化粧もお色直しもしていない。やられたなーと思ったのが、本日の日記を書くきっかけでした。ISDE募金にあたっては、関係者の方などから「募金てのはどんなもんかいな」という問い合わせを受けて、あーだこーだと先輩面して語らせていただいたのだけど、今となってはお恥ずかしい限りです。
ともあれ、今年のTDNは、実はちょっと厳しい。TDN派遣には、ヨーロッパに拠点を持っているライダーもそうでないライダーも、一律同じ派遣援助がされているのだけど、当然ヨーロッパに拠点を持っていないライダーには財政的に厳しいことになる。たとえば去年だったら、藤波、黒山、野崎はヨーロッパに拠点があり、渋谷と女子チームの萩原、西村、高橋は拠点がない。ところが一転して今年、ヨーロッパに拠点があるのは藤波だけになってしまったではないか。7人の代表選手中、(藤波が選ばれるとして)6人が日本から出向いていかなければいけないことになる。
ニシマキが募金箱持って会場を回させていただいた当時は、各大会ごとにけっこうまとまった額をいただいたこともあったのだけど、あんまりたびたび募金箱を持っていると、なんとなく避けて通っていく人もいたりして、具合が悪いかなと思うことも多かった。
いいんですよ、募金なんですから。自分の気持ちがある時に、余裕がある分だけいただければいいの。顔見たからって、入れなきゃ許さんとは申しませんし、実際、今回は許してねと笑顔で目前を通りすぎていく人もいました。そんなスタンスでいいんだと思うんです。
でも、忘れないでください。たぶん、ほうっておくとみんな忘れちゃうから、赤い羽根とか、1年に1度、思い出したように募金イベントが展開されるんでしょうね。これみよがしに赤い羽根をつけないでも、必要なら1年中いつでも募金すればいいわけなんだけど、赤い羽根より対象者が少ないトライアルでは、もしかしたら毎日イベントをやってかないと、必要な派遣費用は集まらないのかもしれません。
ISDEページはすごいなーということを書きたかったのだけど、最後は愚痴っぽくなっちゃった。どうぞ、よろしくお願いします。
写真は、やはり本文とはぜんぜん関係なくて、ポルトガルの海辺の街の壁画と犬。
投稿者 nishimaki : 07:13
2006年06月02日
スパム
もー、まったく。
MX-ingをやってる木田くんから「ニシマキさんところはスパムの対処はどうしてるんですか?」と聞かれて、あれやこれやと得意げに解説をしたのは、ほんの24時間ほど前のことだった。その24時間後、今度はこっちがやられた。
スパムを発信している人には会ったことがないので、彼らがどんなメカニズムでスパムをまき散らしているのかはわからない。だからこっちは想像するしかないんだけど、これまでもスパムはたびたびあった。でもちょいとした策を講じてやったら、スパムは姿を消した。しめしめ、こいつらもかわいいやつじゃないか、みたいな感じだったのだ。ナメクジが、塩をまかれてしおしおのパーになっちゃうみたいだと思った。
でも今度は、そんなんじゃぜーんぜんおかまいなしだった。こっちを消せばあっち、あっちを消せばこっち、次から次へと現れる。癌細胞が全身に転移してしまったとか、多臓器不全みたいな感じ。
根拠のないやつあたりかもしれないけど、掲示板に2chのリンクが貼られた。そしたらいきなり、スパムがやってきた。木田くんのところは、前から2chにはいろいろ書かれたりしていたから、どうも2chデビューをすると、こういうことになるらしい。
ちなみに、2chには、なんのうらみもない。なにか情報を探す時には、狙いを定めて話題を探したりする。トライアル関係の板には自然山通信のリンクも貼ってもらっているから、自然山読者の方も2chにはたくさんいらっしゃるのだと思う。そこに書き込んだり、書き込まれたものを読むのを楽しむのは、ぜんぜん否定するもんじゃない。だけどさ。
ぼくが2chを読む時は、なんつーか、刑事が変装しておばさんたちの井戸端会議に潜入して聞き耳を立てるような感じ。あそこの奥さんは浮気してるのか、ここの旦那は最近朝帰りが多いらしいな……なんてね。でも刑事だから、それで奥さんを逮捕はできない。おばさんたちの井戸端会議なんて、への証拠にもなりゃしないからだ。ここで情報を収集しても、情報を自分のものにするには、結局証拠を集め直さないといけない。つまり、参考になるような気はするけど、結局は見ても見なくてもおんなじということが多い。伊東美咲は美人だけれども、2chというところはまぁそんなところだと思ってる。
でも世の中には、活字に弱い人が多いようだ。インターネット情報は一応活字っぽいから、ネットで流れた情報は、井戸端会議みたいに無視できない人が多いみたい。お気の毒だ。
そういえば、最近知り合いが中古でTY-S125Fを買った。ぴかぴか。35万円。タイヤにはまだヒゲが生えている。しかも油圧クラッチがついててアンダーガードも交換してある。トライアルは1回もやったことがないという。トライアルやらないのなら、アンダーガードなんかいらないじゃないか(ぼくのアンダーガードはノーマルだ。ちぇ)。油圧クラッチだって、まったく必要ない。だけど情報収集をすると、TY-Sはノーマルじゃ乗れたもんじゃないぞ、みたいなのがあっちこっちから出てくるんだろうね。実際他のトライアルマシンに比べると、手の入れがいのあるマシンであることは確かだ。でも成田匠が全日本を走った仕様にしないとトライアルができないというわけじゃないんだけど、みんな、あやしい情報に弱いんだなぁ。
というわけで、今日は愚痴です。日本の人は昔っから、デマに弱い。気をつけましょう。ぼくもあなたも。
写真は、世界選手権開幕戦の開催されたあたりの大西洋
投稿者 nishimaki : 19:21
2006年06月01日
相模川の看板
実は、もう1ヶ月以上前のお話なんですが、相模川(猿が島)の河川敷に看板が立ちました。
看板は、利用者連絡会という相模川に集うみんなが意見を持ちよってまとめたものです。最終的に看板を立てる作業は、モトクロスの子どもたちがせっせと地面を掘り、杭を立ててくれました。
この看板を立てる費用は、自然山通信主催の相模川クリーンアップトライアルのエントリーフィーを貯金した中から捻出させていただきました。参加者のみなさん、あらためてありがとう。
猿が島利用者連絡会は、相模川のこのあたりで遊んでいる人たち、すべての人たちが集まって構成されている(もちろんすべてのカテゴリーとはいっても、存在を知らない人もいるし、知ってても無視している人もいる。強制はできません。しょうがない)。
看板になにが書いてあるのかは看板を見てほしいんだけど、地形的に相模川と関係ない人にも、相模川のことはちょっと知っておいてほしいから、ざっと書き並べてみます。
まずこのエリアの特殊事情というのがあって、河川敷にたくさんの地主さんが存在します。民間の地主さんと県が管理しているエリアとが混在していて、ことは複雑になってます。びっくりなことに、中には川底の土地を所有している地主さんもいらっしゃる。川の流れが変わっちゃってるから、こういうこともあるわけですね。だから、地主さんから土地を買いあげようという動きが仮に(あくまでも仮に)あったとしても、買ってもらえる地主さんと買ってもらえない(川底は買えないなー)地主さんとがいて、足並みは揃わない。むずかしいわけです。
地主さんの話とは別に、一級河川は国民の広い利用を促進するというのが、お国の見解だ。その広い利用というのが、このあたりのエリアのように利用者の自主性にまかせるのか、税金を使って公園を建設するのかは、それぞれの行政の採択にまかせれているんだろうけど、このエリアは地主さんの問題もあって、あっさり公園建設をすることもできないという背景がある。
こんなあんばいなので、ここでオートバイを楽しむ人たちが排除されることは原則としてないのだが、一方、人としてやってはいけないことがある。他人を傷つけること、他人に迷惑をかけること、ゴミを捨てていくこと、地形を変化させること、河川敷を占有使用すること、などだ。占有使用や地形の変化は、河川法という法律があるから、法律違反に問われる可能性もある。もちろん、オートバイで全開走行をして人にぶつかったりしたら、これまた困ったでは済まされない。
それでもまぁ、一応利用者は良識のある皆さんというのを前提に、しかし文面にしておかないと気がつかないこともあるだろうというのが、看板設置の発端だ。たとえば河川敷にある水門の周辺は、行政が予算を投入して整備したものだ。ところが整備された土手は、初心者が登ったり降りたりするのに最適な練習場に見えてしまう。走れば、土手は崩れる。これをまた予算を組んで補修しないといけないから、行政は損害賠償したいくらいだとおっしゃる。でも今となっては、土手はすっかり荒れてしまったので、ここが走ってはいけない場所だというのは、かなりの想像力のある人でないと気がつかない。だからせめて入り口の看板にそのことを明記しておくことにした。
もうひとつは、ゴミの不法投棄はやめましょうという、当然のことだ。モータースポーツ愛好者は、不法投棄をする人と自分たちは別人種だと信じている。しかし現実には、ゴミ処理運動をおこなうと、自動車関連のものが大量に出てくる。古タイヤやバッテリーは業者による投棄かもしれないけど、レース用のショックアブソーバーやオイル缶、モトクロスタイヤやトライアルハンドルなんてのは、その筋の人が捨てたとしか思えない。ぼくらの仲間が捨てたものだ。
「捨てたのはおれじゃないよ」という言い逃れをするのも可能かもしれないけど、そんなのはよそさまにはわからないから、ゴミを捨てるような人たちはここで遊ぶのを遠慮せよということになったら、ぼくらはゴミを捨てる仲間にくくられるしかない。だから、ゴミを捨てないだけじゃだめで「オートバイが走ったあとは、なんだかそのへんがきれいになったような気がするなぁ」とみんなに思ってもらうことが大事なんじゃないかと思う。実際、釣りの愛好者で「おらぁオートバイはうるさくてきらいだけど、熱心にゴミを拾っている姿を見ると、仲間として認めなきゃいけないという気になってくる」とはっきり言ってくれる人もいる。
本来、こういう看板は行政が立ててくれればいいと思ったんだけど、行政はいろんな立場があって、なかなかややこしいらしい。だから利用者連絡会が立てることにした。行政に頼まれたわけではないのだけど、行政がやらないからといって、やってはいけないのか、やらないでいいのかというのはまた別の話だ。このあたりは、ややこしい話も多いので、今日のところはここまで。
さてこの看板の設置に、ぼくは参加することができなかった。看板立ては、主にモトクロスを楽しむ子どもたちがやってくれた。子どもたちが、にこにこしながら看板を立てる穴を掘る写真は、いろんな意味で考えさせられることが多い、いいシーンだと思う。山積みの問題はぜんぜん解決してないし、こういう活動が新たな問題を含むことも考えられるのだけど、いずれにしても、知らんぷりしていると、どんどん遊び場が減っていく。きちんと活動して、オートバイ遊びを裏社会の文化から、ちゃんとした表の社会に引っ張り出そうというのが、連絡会の(オートバイ関係者の)願いです。
投稿者 nishimaki : 07:49
