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2006年08月31日
ベルドン・終わりました
最終日は、延々と山のてっぺんまで行くコース(まさに絶景)。この日は茅沼兄さんを含めて、全員きれいにスタートした。最終日だし、この日は山のてっぺんまでイクから、格別なのだ。マリオもようやくスコルパSYに慣れてきて、楽しそう。
とりあえず結果報告をすると(結果なんかどうでもいいという話もあるけど、これはコンペティションなんで、結果が出るのだ)、ぼくらのベテランVというクラスの優勝は43点だった。例のTLRのイギリス人のおっさんはきわどいところで勝てなかった。彼は2位。
並木さんがぼくらの中では最上位で116点、14位。クリーン40、1点29、2点6、3点15、5点6。ぼくと斉藤さんのし烈な争いは、ぼくが1点差で最終日に逃げ切った。いやー、神経戦をやっちゃった。おかげでとっても充実したコンペティションができました。ニシマキの減点は162点21位。クリーン37、1点12、2点13、3点23、5点11。斉藤さんは163点23位(間に斉藤さんと同点でクリーンが多いフランス人がはいってる)、クリーン33、1点15、2点12、3点28、5点8。斉藤さんとの勝負はおもしろかった。斉藤さんはくやしがっているけど、5日間走って1点差というのはすごい。
でもぼくはベルドン2回目だし、ヨーロッパ経験はたくさんあるし、何もかも初めての(なんとツートラをまともに完走したこともないらしい)斉藤さんは、よくまぁ5日間走ったもんだと思う。くせになってしまって、ぜひもう一度来ると誓いを立てているようであります。
マシンを壊してセクション不通過がたくさんあるマリオは27位。減点は174点だけどクリーンは57もあるし、セクション不通過分の減点が120点もある。ほんとだったら表彰台をねらえたのに、お気の毒でした。でもマシンが壊れて別のマシンに乗り換えてもリザルトにはそのままのっかってるというところがフランス的だ。
七海さんは31位。減点211クリーン23、1点15、2点8、3点36、5点14、タイムペナルティらしき減点が2点ある(どういう減点なのかは不明)。
茅沼完治さんはスタートだけしてゴールまで直行した日などあったけど、39位でリザルトにのっている。減点821点。クリーンは10(5日目の最終セクションはクリーンなすった。ニシマキは1点ついてしまいました)。セクション不通過減点は670点になってます。
茅沼保文(兄さん)は1日目を走ったあとクラスを変更して黒ゼッケン(セクションがやさしくてセクション数も少ない。ただしコースは同一)になった。順位はついてなくて、減点414点。クリーン2、セクション不通過減点は320点となった。
とまぁそんなわけで、その他もろもろ、いろんな話があるけど、それはまたおいおい。
完治さんは足の打撲が痛くて、並木さんはあばらが痛い(たぶんクラックくらいは入ってるだろう)。七海さんは膝がもう限界ということで、人車ともに無事だったのはぼくと斉藤さんだけだったけど、まぁみんなおおむね無事に5日間をすごすことができました。
表彰式で「今度はもっとたくさんの日本の友だちを連れてきます」なんて言っちゃってウケちゃったから、また来なくちゃいけなくなった。今回の5人のメンバーによれば、トライアルやってるなら、ベルドンを走らなきゃ損だ、ということです。そう、ヨーロッパのトライアルは、うんとうんとおもしろいのですよ。
写真は、山の上の上まで登っていく途中の一コマ。こういう草原ばかりかと思いきや、片側が絶壁のところなんかも走るんで、この景色にだけ憧れてベルドンに来ようとは思わないほうがいいです。でもおっかないだけで、たいしてむずかしくはないんだけど。
投稿者 nishimaki : 06:31
2006年08月30日
ベルドン・3日目&4日目その2
4日目は、茅沼兄弟は二人とも走らないということになった。でも、茅沼兄さんはジョーカーを使い果たしているし、ゴールすればおみやげをもらえるし、どうせオートバイはゴール地点まで運ばなければいけないので、ふたりともとりあえずスタートする。完治さんは足が痛くて歩けない。ヤスフミさんはケガはないけどベルドンのコースはなかなかしんどいようだ。
スタートからゴールまでセクションをひとつも走らないので、セクションの減点は全部20点。日本では、セクション不通過は10点ということになっているけど、これは日本のローカルルールです。FIMの規定では不通過は20点。トライアルはセクションをまわりながら全コースを走るという主旨からすると、不通過20点くらいがちょうどいい気はする。
茅沼兄弟以外の4人はおおむね順調。並木さんは、マッドでぽてんと転んだときに脇を強打して、笑うと痛い。こりゃあばらにダメージを折っているねということになったけど、どうしようもないので笑いをこらえていただく。でも並木さん本人が笑いをとっているので、自業自得だ。
この日4日目、マリオがマシンを壊した。ホイールベアリングがご臨終したそうだ。昼休みに出会ったマリオは、さっそくスコルパにマシンを借りる交渉をして、見事125Fをゲットした。油圧クラッチがついてるから日本だったら175のはずだけど、詳細は不明(排気量、確かめておいでとマリオに確認とらせたら、150ccだったと帰ってきた)。途中でマシンを交換するというでたらめが通っちゃうのもすごいが、でもマリオは午前中にいくつかのセクションをパスしているので、午前中だけで100点以上になっている。表彰台は不可能だし、いまやマリオのライバルはぼくになった。
4日目はぼくはわりと快調。対して斉藤さんがきのうのぼく状態でコントロールが利かないらしい。齋藤さんとそういう話をしたのがお昼のときで、斉藤さんは3日目までの11点のアドバンテージがなくなっているにちがいないと心配している。
で午後。最初のセクションではぼくは予定通りに足をついてマシンを回して1点で抜けた。マリオも1点だっていうし、これは最善。斉藤さんのトライを見ていたら、順調に1点で出てきたと思ったら、最後のマーカーを無視してアウトしようとしている。オブザーバーと二人で「そっちじゃないぞー」と叫んだら、1回足をついてちゃんとマーカーを抜けてきた。2点。ほんとはもう1回着いたように見えたし、本人も3回足をついた気がするといってるんだけど、採点は2点。こういうラッキーはあるもんだ。
ぼくはちょっと後悔。ここで齋藤さんを5点に陥れておけば、逆転の可能性はでっかくなったのになぁって。そんなこんなで、午後のセクションはぼくと斉藤さんの神経戦ではじまった。ものすごい低レベルの神経戦だ。
その次のセクション、登り口が少しいやらしい。斉藤さんを先に行かせて様子を見たら、やっぱり登りで足をついて、その先の下りでも足をついている。あっという間に3点になった。それを見て、ぼくは登り口のラインを変えてトライして、そしたら万事うまくいってクリーンした。なんだかほんとの神経戦をやっているような気になってきた。
で到着したのが、だらだら登っていくだけのセクション。途中、ちょっといやらしいターンがある。マリオが1回足をついて登っていった。フロントを岩の上にのせればうまくいけるのではないかと策を練ってトライ。ここでは斉藤さんにクリーンを見せて動揺させる作戦に出た。ところが、フロントを乗せる岩のはるか手前の、たった5cmばかりの切り株(太さ2cm)にフロントをつまずかせて、あっという間に転倒した。いやー、まいった。オブザーバーのおばさんに照れ笑いをして、パンチャーのおねーちゃんにも笑われて悲しくなった。インでは斉藤さんが大喜びしている。
ところがその直後、斉藤さんがまったく同じところでまったく同じ転倒をしているではないか。今度はぼくが大喜びをする番だった。いやー、トライアルは楽しい。ぼくと斉藤さんは、この転倒で親友の契りを交わしたのだった。
この日、午後の8セクション目(午後は10セクションの予定だった)を終わったあと、全員が道に迷った。というより、コースマーカー(テープがぶら下がっている)通りに走ったら、断崖絶壁に到着したという。どうも、何者かがテープを移動させたのではないかといううわさだが、真相は不明。第9セクションをキャンセルして、そのままゴールの10セクションに移動することになった。平民ライダーから赤マーカーのでたらめにうまいやつまで、都合50〜60人が一気に大移動。道から谷に降りるところでは、ムーの大移動みたいだった。
おかげで10セクションは大渋滞。今日はスタートが早かったから、ほとんど渋滞らしい渋滞もなくきたのに、最後になってとんだことだ。でも、ジャン・ミッシェル・バイルやステファン・ペテランセルのトライを見られたから、それは大きな収穫だった。ペテランセルは、動いてるマシンをコントロールするのはさすがにうまかった。
バイルは、今は自動車レースをやってるんだってね。フランス選手権らしいけど「それもチャンピオンになるの?」と聞くと「たぶん、なる」とのお答え。なかなかのチャンピオンコレクターです。
4日目は、厳しかった3日目と一転して、けっこうらくちんだった。これなら、茅沼兄さんも走りきれたんじゃないかと思うけど、そういうのは結果論だ。その他のトラブルとしては、七海さんがチェーンテンショナーをなくした。パーツを探そうかということになったけど、めんどくさいからいいやということで、5日目はテンショナーなしで走る。七海さんはセクションをでると、いきなり生き生きと走り始める。ベルドンはものすごく楽しいイベントだから、もっとみんな来るべきだということでした。
本日朝、フランスのトライアルマガジンの編集者のチャーリーが手首を骨折してリタイヤしたらしい。イタリアのジャーナリストはマシンを壊すしフランスのジャーナリストはケガをしてしまうし、最終日は日本人ジャーナリストの番じゃないかと実はドキドキしながら、この日記を書いてます。
そうそう、2日目に地元新聞にインタビューを受けたのが、今日の朝刊に載ってた。カメラマンは日本人全員の記念写真を撮りたかったらしいけど、斉藤さんと並木さんのゴールが遅くなって、チャンスを逃した。ご本人たちも残念そうでした。
ということで、5日目は順番が回って一番最後のスタートになる。夜はたっぷりあるんだけど、午後9時半には、みんなぐっすりお休み。晩飯は部屋で買い置きしてあるハムとパンでとったらしい。ぼくと斉藤さんは、マリオとディナー。斉藤さんも、最後にはこっくりしていた。
さぁ、明日は最終日だ。
写真は昼休みにお昼寝をする並木さん。主催者マヤの飼い犬があやしいポンニチがいるぞとちぇっくしている。この犬は棒を投げてやると大喜びでとりにいく。フェイントをかけたら、それからはやつもフェイントをかけるようになって、地面に棒を置いて投げろというから棒をとろうとすると「ちがうもんねー」とまた棒をくわえて逃げていったりする。このときの並木さんはぐっすり眠っちゃっていたので、並木さんの足下に棒を投げてやったら、犬に襲われたと思った並木さんは飛び起きてきた。わはは
投稿者 nishimaki : 06:14
ベルドン・3日目&4日目その1
3日目は、とてもとても1日が長くて、日記を書いているひまもなかった。だからこれは、4日目が終わってからまとめて書いてます。3日目は、スタートの地点のディーニュからニース街道のサン・アンドレまで一気に走る。2年前は途中の町で一泊していたから、距離の長さもなかなか。今回は、そこにはお昼を食べるだけの立ち寄りだった。
「今日はセクションも厳しいなぁ」とマリオにこぼしたら「3日目はいつもそんなもんだというお答えだった。
ぼくらチーム日本人「七人のサムライ」のゼッケンは137番(茅沼兄さん)〜142番(ニシマキ)と143番(マリオ)。初日はゼッケン1番(マルク・コロメ)からスタートし、2日目はゼッケン40のブルーノ・カモッジ、3日目はゼッケン80のジェローム・ベチューンからスタートする。コースの長い3日目はぼくらのスタートは早い部類だったから、ラッキーだった。
茅沼兄さんは午前中だけ走って、予定通り午後はダイレクトに次の宿泊地に向かうことになった。お昼を食べたバレムという町からゴールのサン・アンドレまでは、舗装路を走るとたった13kmしかない。なのにコースは山の中をうねうねと50kmも走るのだ。午前中だけで、茅沼兄さんはおなかいっぱいという感じ。もともと初日から、セクションの多くを「5点ください」とお願いして走っていなかったから、厳しいのはあんまり変わんないみたい。
ベルドンでは、1日だけ休みがとれる「ジョーカー」というシステムがある。ジョーカーを使えばコンペティションから除外されないというシステムなんだけど、リザルト的には上位に入れるわけもないし、どういうシステムなんだかよくわかんない。でも一応ルールに準じてやるだけやってみようということで、2日目にジョーカーを使ってしまっていた茅沼兄さんは、この日は午前中だけ走って、午後はすべてセクション不通過ということにしようという作戦にした。そんな作戦を考えなくても「成績表には載らなくていいから明日も走りたい」といえば、それはそれでOKみたいなんだけど、茅沼さんたちは心配性なんで、こういう策を講じておいたほうがいい(2年前には、小林千春さんが初日と最終日だけ走っている)。
今日の給油は4回。満タンで3リットルくらい入るから、だいたい10リットルくらい燃料を使ったことになる。とてもとても長い日になった。午前と午後の持ち時間を足したら、9時間以上になった。舗装路はほとんどなく、自動車の走れる林道もあんまりない。ほとんど9時間の間、トライアルフィールドにいたわけだ。たいへんぜいたくな時間をすごさせてもらったけど、いささか疲れました。ぱさぱさに乾いた岩盤を思いきり登って、森の中をタイトターンの連続で降りてくる。登っているときには太ももがぱんぱんになってきて泣きそうになるし、下り坂では両手が悲鳴をあげる。でもそれが楽しくてきてるんだから、うきうきなのだ。
この日、ぼくらのホテルはサン・アンドレに移った。ホテルではステファン・ペテランセルやジル・ピカール、マルク・コロメ(スコルパ軍団)といっしょだった。ホテルのコンピュータでコロメがネットサーフィンをしていたので「今日はえらく長くてしんどかったよ」とお話すると「おらも疲れた」と答えてくれた。あんたほどのライダーがほんとに疲れたのかいなとも思ったけど、ぼくらよりうんと厳しいセクションを走っているし、そういえば2年前に野崎史くんが2日目のコースを走り終わって「しんどい」と言ってたことがあったから、ほんとにしんどかったのかもしれない。いずれにしても、元世界チャンピオンのコロメが疲れるコースを走れたということで、トーシロライダーとしてはちょっと満足なのである。
でもね、同じようなことをペテランセルに聞いてみた。そしたら「今日は長かったけど、まだまだ足りない」と言ってた。彼の1日ってのは砂漠を1000kmに渡って走るんだから、たかだか100kmのコースじゃ短いんでしょうね。
午後に入ってすぐ、茅沼完治さんが足が痛いので直接ゴールに向かうことになった。どこかの岩にヒットしたらしい。ちょうどそこではベン・ヘミングウェイ(2005年、ドギー・ランプキンのマインダーを務めていた)がセクションでクラッシュして、鼻を折るケガを負っていた。兄貴のダン・ヘミングウェイ(兄弟でベルドンに参戦している)がつきそって介抱していたけど、ヘミングウェイ兄弟も茅沼兄弟も手負いでお気の毒です。
ベンのケガは、翌日の4日目に本人に会ったけど、何針か縫った跡があったけど、包帯もせずに歩いてた。
「クラッシュしたときは鼻が曲がっちゃってたけど、ドクターがえいやとなおしてくれた。ただ、出血がひどくてまいった。痛くはないんだ。今は頭ががんがんしてるけどね」
とのことでした。赤マーカーセクションは、鼻を折るリスクのあるところを走っているということだ。見たところ、国際A級スーパークラスよりも、少し厳し目。しかしそんなところを、スコルパのベンジャマンはそれなりにそつなく走っている(もちろん減点は多い)。ベンジャマンはSSDTにも参戦しているけど、けっこううまいんだなぁとあらためて感心した。
2日目は、ぼくは斉藤さんに4点差をつけられていた。3日目も4点差。3日間を終わって、斉藤さんとは11点差になった(日々の減点を足し算すると計算が合わないような気がするけど、そういう細かいことはどうでもいい。あとでゆっくり計算しなおします)。斉藤さんはヘロヘロでお疲れなんだけど、足は出さない。その根性が、すごい。
セクションは、ぼくにとってもがんばればクリーンセクションばかりなんだけど、長いコースを走っているとそうもいかないのだ。今回もっとも腕の立つ並木さんが19点。マリオは9点でこの日4位につけた。マリオはブルークラスにエントリーしていたこともあるけど、グリーンで楽しく優勝争いをしたほうがいいと主旨替えをしたみたいだ。並木さんによると「ふだんはブルークラスくらいの練習をしてるんだけど、このイベントにでるならグリーンクラスがちょうどいい」とのこと。マリオはグリーンクラスで優勝したことがあるんだが、ヨーロッパ慣れのないふつうの日本人にとっては、グリーンクラスで優勝するのはけっこうたいへんそう。国内B級クラスのライダーは、ちょっと挑戦してみる価値はあるかと思います。
しかしそれでも、いくつかのセクションでは、マリオが1点着いたところをぼくがクリーンしていたりして、そういうのを目撃するととてもうれしい。簡単なセクションでも、ほんのちょっとした気持ちの持ち具合で足をついたりするところが、トライアルのおもしろいところだ。
この日のニシマキは、しかしとんとハンドリングが定まりませんでした。行きたくないほうにばっかりマシンが走っていく。斉藤さんとどたばた争いをしながらセクションを抜けていく。それでもなにかのまちがいで、ぼくがどたばた3点のところを齋藤さんがクリーンしたりするので、油断できない。ほんのちょっとのメンタルの問題だと思うんだけど、そのメンタルを支える体力やテクニックがぼくらには欠けているから、メンタル面の問題とわかっていても、どうにもならないんですね。くやしいけど、笑うしかない。
メンタルの話といえば、昼飯のときに、ヘミングウェイ兄弟とマリオとカタルニア(スペインの一部だけど、おれたちのことをスペイン人と言うなよと言ってた)からのライダーとわいわいお話しをしていて、ドギー・ランプキンの話になった。
ヘミングウェイ兄弟がドギーとゴルフに行きました。当然お遊びのゴルフだ。ゴルフはあんまりうまくないドギーに「リラックスしなさい、これはほんの遊びなんだから」とヘミングウェイがいっしょけんめいアドバイスするも、ドギーは目をつりあげてボールと対峙していたそうな。ぜんぜん笑わない。それを見てヘミングウェイは大笑い。ゴルフもトライアルも、ドギー・ランプキンはいつも変わらずというお話を聞けた、貴重な昼飯タイムでした。ベンが鼻を骨折したのは、その1時間後のことだった。
3日目がたいへんだったのは、ゴールしたあとにも続いた。ぼくらのクルマは、スタート地点のディーニュにある。ディーニュまで、主催者がバスを出してくれるんだけど、ぼくらがゴールした直後にバスが出てしまって、次は1時間30分後だという。マリオと相談して、ヒッチハイクすることにした。マリオの車と合わせて、全部で3台。茅沼兄さんとマリオと3人でヒッチハイクを企てる。
ようやく止まってくれたのはマルセイユに帰るという参加者だった。3人は乗れないので、ぼくと茅沼さんだけ荷室に潜り込んでディーニュへ(ひとりだけならヒッチハイクもやりやすいからとのこと。事実、マリオは直後に1台拾ったらしい)。4日目5日目はマルセイユから遠くなるんで、もう帰るということだ。5日間トライアルを完走しなくても、それなりの楽しみがあるわけだ。彼は06年型シェルコを持っていたが、タイヤはIRCだった。フランス人が日本製タイヤを使っていて、日本人がフランス製のミシュランを使っているのだから、おもしろいもんだ。その後気をつけてみてみたら、IRCタイヤはけっこうフランスライダーには人気みたい。日本人がミシュランを使い、フランス人が日本製タイヤを使うというところもおもしろい。
その彼は(ゼッケン207番だった。あとで名前を調べよう)ガスガス50ボーイを持っていて、子どもと遊んでいるらしい。うちの芙海も50ボーイのライダーだったってことで、共通項があった。やつはマルセイユから35kmくらいのところに住んでいるらしいけど、近所にでっかいパークがあって、1日中遊んでるから、今年になってタイヤも3セット目だという。息子は10歳らしいけど、子どもはすぐうまくなってびっくりするというところで意見が一致した。でもやつの息子にはよいコーチがいるらしい。「よいコーチはよい成長のためにとっても重要だよ」というのが彼のサゼスチョンでした。
という道中を経てホテルに預けた荷物と2台の車をピックアップして新しいホテルへ到着し、夜の10時に晩ご飯を食べたというわけでした。
ここまでが3日目。いやー、長い1日だった。
写真はサン・アンドレのスタート。ぼくのマシンが立て掛けてあるのは、前の晩に催されたスタジアムトライアルのセクション。トップライダーは山の中を一日中走ったあと、夜は夜でショーをやる。たいへんな重労働だ。左が七海さん、オレンジ色のウインドブレーカーが並木さん、その隣が齋藤さん。朝は寒いので、みんなウインドブレーカーを着てます。
投稿者 nishimaki : 05:32
2006年08月28日
ベルドン・2日目
2日目、茅沼兄さんをのぞいた日本人5人とマリオ(部屋が同室なので、マリオは“7人のサムライ”と呼んで喜んでいる)がスタート。ぼくらにはあんまりピンとこないけど、日本人が7人集まれば(ひとりはイタリア人だけど)ヨーロッパのひとにはするりと黒沢映画のタイトルが思い浮かぶんだろう。
マリオはトップ争いをしているので、けっこうシリアス。簡単なセクションが多いので苦悩な感じだけど、セクションが簡単なのはぼくにはうれしい。マリオも、マリオにとってよいセクションが、多くの参加者にとってよい設定とは限らないというのはわかっている。
マリオのライバルはイギリス人。話しかけられたけど、イギリス南部出身だという彼の英語はとてもわかりにくかった。ぼくらにとっては、アメリカ人やイギリス人の英語より、フランス人やイタリア人の英語のほうがわかりやすい。
本日の成績、並木さんが好成績で13位、トータルで16位につける。もちろんこれはベテランVという「おっさん平民クラス」での順位。マーカーは緑。このうえに青があって赤がある。赤はさしずめスーパークラスで、コロメとかカモッジが走るんだけど、若手ライダーもこれに加わる。下見をしていても、どこからオートバイが飛んでくるかわからないので、スリリングだ。茅沼さんによると、こんなうまい人たちといっしょに走れるなんて、なんて感動なんだ、ということだけど、すいません、世界のトライアルずれしているニシマキには、そういう感動は気がつきませんでした。
午後になって、ぼくはパンク。常々「パンクしたらめんどくさいからリタイヤします」と宣言していたけど、茅沼さんと七海さんに助けてもらった。ありがとうございます。でもその時はパンク穴は発見できずフランスで買ったボンベで空気を入れただけで(ボンベは日本からは持っていけない)、パドックに帰ってからちゃんとなおすことになった。
ガスガスには「なにかあったらカモッジに頼め」と言われていたけど、きのうはカモッジはそんな感じではなかった。ところがもしかするとカモッジがこの日記を読んだのか、今日はちょっとだけ親切にぼくのマシンの様子を伺ってくれた。舗装路で倒れたときに折れたレバーの交換をしていたら、カモッジがスパナを持って交換を手伝ってもくれた。
すぐ横がスコルパのパドックで、それを見ていたグレッグ(野崎のマインダーをやっていたこともあるスコルパのメカニック)が「カモッジがアシスタンスをしている!」とびっくりしていたから、これはきっとトピックスなのだろう。
でも「パンクもしてるんだよね」とおねだりしたら、ぐるりとタイヤをながめて「穴が見つからないから、時々空気を入れなさい」という診断になった。でもそれでは1時間も持たないというのがわかっているから、主催者のコンプレッサーでエアをぱんぱんに入れたら、ちゃんと穴が開いているのが発見された。またまた茅沼さんに助けてもらって修理は完了しました。
さてトライアル的勝負のほうは、ぼくは斉藤さんにてんで勝てないでいる。日々の成績は数ポイント差なのだけど、勝てません。斉藤さんはツーリングトライアルにはほとんど出たことがないというし、オートバイはトライアルしか乗ったことがないということで、いろんな意味で経験が浅い。ベルドン2度目のニシマキとしては負けてたまるかと思ったけど、もうあきらめた。
茅沼兄さんはあした、黒クラスを走る。マリオが兄さんの様子を見ていて、黒クラスへの変更を提案してきたので、厳しいのはコースだから、どこまで効果があるかなぁと思いつつも、提案を受け入れることにした。黒は新しくできたクラスだから、どんな印象だか、報告が楽しみ。
ぼくに圧勝している斉藤さんは、今ぼくがこの日記を書いている横で、足がつって苦しんでいる。そんなら、昼間もっと減点してくれればぼくはハッピーなのに、昼間は大和魂でがんばっちゃうんですね、これが。
夜、リザルトを見に本部まで歩こうということになったのだけど、いざ出発となったらマリオとぼくとしかいなかった。ほかの5人はみんなお疲れだ。「ぼくらは今回の最年少なんだ」とあらためて気がついて、ぼくとマリオは大笑いしながら、リザルトを見に本部までお散歩したのだった。
実はお散歩は、晩飯を食べ過ぎたので、健康のためという理由が大きい。マリオはたらふく飯を食ったあと、食べ過ぎたからちょっと運動しようといってよく散歩する。
そうそう、今日はステファン・ベテランセルとジル・ピカールに会ってちょっとだけお話をした。ペテランセルはご存知、2輪と4輪でパリダカを制覇したビッグネーム。ピカールはぼくがパリダカ取材をしていた頃にカジバで走っていたライダーだ。こういう畑違いの人とで再会できるのは、ヨーロッパの楽しみでもあります。日本では、トライアルの人はトライアル専門だけど、ヨーロッパでは、いろんな横のつながりがあるんですね。このクロスオーバーぶりが、ぼくは好きだ。
写真は、ぼくらのクラスのトップ争いをしているイギリス人のマシン。美しいTLR。
投稿者 nishimaki : 06:30
2006年08月27日
ベルドン・初日
2年前のベルドンと今回、いくつかちがうところがあった。主催者と密に連絡がとれればもうちょっと詳細がわかるはずだけど、まぁこんなもんだ。ヨーロッパというところは、事前に文書のやりとりとかではなかなか全容がつかめないことが多い。文書による情報伝達が徹底している日本との大きなちがいだ。
ひとつは、スコアカードを各自が持つようになったこと。今までは、スコアはオブザーバーのノートにつけられていて、セクションはただ通過すればよかった。
スタート前のパレードがなかった。スタート前のランチもなくて、朝からズルズル受け付けと車検をやって(ぼくらはきのう済ませているからやることなし)そのまま12時になったら第1ライダーのマルク・コロメがスタートしていった。ゼッケン2はスコルパのベンジャミン。ふたりはもちろんSY250Fだ。その後ろにパリダカ優勝者のステファン・ペテランセルがいたけど、そのときはまだ気がついていなかった。ペテランセルはSY250Rで走っていた。
「マシンはだんだんよくなっているけど、なにもかも初めてのマシンだからやることが多くてたいへん。でも、とても有意義で楽しい仕事だ」とコロメは言ってた。
ぼくらにとって2年前と大きなちがいは、これは大会とは関係がないけど、サポート隊が皆無ってことだ。前回は試合後にぼくらのマシンを受け取るバイクショップ「HORIZON」がマシンのメインテナンスを全部担当してくれたけど、今回ぼくらの担当はガスガスのフランスインポーターのフィリップ・ベラティエだった(多摩テックのスタジアムトライアルに来たことがある名ライダー)。しかしベラティエは車検が終わったらさっさと帰ってしまった。サポートはブルーノ・カモッジがやるからということだったけど、カモッジは自分が走るのに忙しい。ぼくらには、いっさいのサポートがないってことになった。
結局エアクリーナーのお掃除だけ、スコルパのファクトリートラックにお願いして、軒を借りてやらせてもらった。今回、スコルパは唯一ファクトリーのトラックがベルドンにやってきている。マリオとぼくの相談では、次の機会はマシンはスコルパにしようということになっている。やっぱり、フランスのイベントはフランスのメーカーが心強い、のかもしれない。前回の体制は、想定外に素晴らしいものだったのだと、改めて痛感した。
もうひとつ、緑のクラスの下に、黒のクラスができた。セクションはぼくらが15に対して、黒は6つしかない。といってもコースはおんなじだから、トライアルをそこそこかじっていないと走れないと思う。それでも、セクションを走る疲労はないし、とにかくこの雄大なコースだけ走りたいという人には素晴らしいクラスとなった。
さて1日目は、12時(第1ライダー)スタートの半日コース。ガソリン1回給油で6リットルをフルに使っての移動だから、なかなかタフだ。前半はクリーンセクションが続いて、そのうち手ごわいのも出てきた。
我々日本人部屋(イタリア人ひとり含む)の7人は全員が同じクラス。トップはマリオで10点。4位。イギリス人が二人5点でトップに並んでいる。マリオは表彰台をねらっているので、悪くはないが今後の奮起が必要な展開だ。
次は並木さんで18位。斉藤さんは前半からだいぶお疲れの様子で、ぼくは斉藤さんに会うたび、「点数にこだわらずに気楽に行きなさい」だの「マイペースが大事ですぞ」だのと、アドバイスをしたり足を引っ張ったりしていたのだけど、終わってみたらぼくが28点で斉藤さんが27点で1点負けてしまいました。でもまぁ、齋藤さんはなんとか1日目を無事にクリアしたし、ぼくにとってもそれなりに満足いくコンペティションだった。齋藤さんが申告5点で通過していったところを延々と待って5点になったのは痛かったけど、そういうのはあとの祭り。齋藤さんによると、この申告5点でだいぶ楽になったのだということだった。
茅沼兄さんは、やっぱりコースがきつかったようだ。茅沼完治さんと七海さんといっしょに走っていたけど、だいぶ遅れてゴールしてきた。でも今日はタイムオーバー減点がついてないから(なぜかは不明)、その点はラッキー。並木さん、斉藤さん、ぼくの3人(3人のゴールは同時だった)も20分くらいタイムオーバーしていたはずなんだけどな。マリオは「タイムがきわどかったから、最後は一生懸命早く走ったのに、結局タイムオーバー減点はないじゃないか。でもまぁ、これがフランス人風、ベルドン風、マヤ風なんだけどね」とちょっとぶすっとしていた。マヤってのは主催者の名前だ。マリオはイタリア人だから、こういうことがあっても、あっという間に忘れちゃうんだけどね。
コースもセクションも、2年前と変わらなかった。簡単だけど厳しい。だけどとってもおもしろい。
並木さんは、走っているときにはぼくに勝負を仕向けていたけど、成績が出たら、標的をマリオに変更したらしい。どう考えても、並木さんはぼくの相手ではないのだ。
茅沼兄さんは、とりあえず2日目は走らずに休息をとることになった。ベルドンには「ジョーカー」というシステムがあって、1日は競技を休んでもリザルトから消えないでいられるようになっている。その権利をいきなり使うことになった。
ゴール後、軽食パーティが催されて、そこで日本人6人が前に引っ張り出されて紹介された。なんと紹介されたのかはフランス語だからわかんない。でも、みんなに拍手されたので、悪い気はしないのであった。
写真はブルーノ・カモッジ(右)とモトクロスのスーパーチャンピオン(125、250、500のクラスの世界チャンピオンとスーパークロスチャンピオン)にしてロードレースライダーであり、原点はトライアルライダーというジャン・ミシェル・バイル(フランス人)
投稿者 nishimaki : 13:52
2006年08月26日
ベルドン・車検
金曜日、本日は車検。といっても、ぼくらはまずマシンを受け取るところからお仕事が始まる。今回は、ガスガスからマシンをお借りした。スペインのガスガス本社と連絡をとって、6人分のマシンを貸してちょうだいなとお願いするところから、ニシマキのベルドン計画は始まった。
スタートを翌日に控えて、朝の車検場近辺は、いまだひっそりしていた。インドアの会場セットも、ようやく始まったところ。日本だったら、前々から準備に準備を重ねてということになるが、こちらはぎりぎりになって突然準備が始まって、とどこおりなく行事が進行する。
木曜日に、ためしに車検場(と、夜のインドアトライアルショーがある)に行ってみたけど、インドア用の資材を運び込んでいるだけで、トライアルが始まる気配はほとんどなかった。金曜日の朝ものんびりしていた。ヨーロッパ時間は、始まる直前までぜんぜん気配がなくて、始まるとなると突然始まるところが、すごい。
この朝マリオに電話してみたら「今家を出たから、5時間か6時間かかるかなぁ」という。遠路はるばるご苦労様ですと思ったけど、ぼくらははるか彼方から来ているのだから、イタリアからフランスに数時間でこれるのだったら、遠くない。
のんびり昼飯を食べてから会場へ向かうと、スペインからぼくらのガスガスが届いていた。カモッジが乗るTXT300の07モデルといっしょに届いた。280が2台、250が4台だ。みんな250がご希望なので、280は並木さんとぼくが担当することになった。
「慣らしはしてある」というけど、マシンによってはすでにどこかの大会を走った形跡もある。「新車じゃないのか」と思う一方、実積のあるマシンだから安心という考え方もあり。
茅沼さん兄弟と七海さんはクラッチにワッシャをいれてタッチを軽くする改造。そんなこんなもあっという間に作業は終わってしまって、だらだらと受け付けをまつことになる。なかなか始まらないんだなぁ。結局始まったのは午後6時だったけど、たった20人くらいの列が消化されるのに1時間半もかかった。
マシンの登録証(ガスガスからコピーを受け取っていた)とライセンス(MFJの国内B級ライセンスでなぜかOK)を見せて番号を控えて、ライセンスを預けて書類受け付けは完了。七海さんがライセンスを忘れてきて青くなったけど、47ユーロで1大会限りのライセンスを作ってもらって事無きを得た。あとでマリオにその話をしたら「イタリアのライセンスは使わないから、オレも来年からそれにしようかな」と言ってた。日本人も、そうしたほうがいいかもしれない。ただし七海さんはMFJライセンスも持っているから、単純に47ユーロの出費がかさんだわけです。
車検は騒音検査までしっかりやりなさった。06のテーパーハンドルにはバーパッドがないけど、パーパッドがないと車検はパスしませんといわれて、あわててパーパッドを製作する。茅沼兄さんはチューブを巻き付けてあってOK。それをまねして、タオル、眼鏡ケース、財布などいろんなものがハンドルに巻き付けられた。茅沼完治さんが受け付けの階段の下で拾ったガムテープが威力を発揮した。おかげで、無事に全員車検をパスした。
ゼッケンは137(茅沼兄さん)、138(完治さん)、139(七海さん)、140(並木さん)、141(斉藤さん)、142(ニシマキ)、143(マリオ)。マリオは七人のサムライだと喜んでいる。
車検が終わってぼくらが宿に帰ってきたのは9時半をすぎていた。パンク修理に時間を費やしたマリオは、金曜日には車検を受けられずに11時半頃宿に帰ってきた。ちなみに宿は、日本人6人とイタリア人がいっしょに暮らす雑居房である。日本人6人といっしょに寝てやろうというマリオの神経もすごい。
投稿者 nishimaki : 16:39
2006年08月22日
観客が応援できないトライアル大会!?
トライアルは、マシンとライダーの信頼性を競う競技であると、古い文献にも書かれている。そして今も、そういった性格は、トライアルに根強い。
06年6月のトライアル委員会で、ライダーに対する援助について、再確認がおこなわれ、その通達が公布された。つまり外部からの援助は認められないという当たり前のことが、当たり前に確認されたのだ。
当たり前のことが当たり前に確認されただけだから、対応も当たり前にやりすごすべきなんだろうけど、その解釈に悩んでいる。まずは委員会の報告をお読みください。
3.コース上における登録メカニック意外の補助について
登録メカニック以外の補助行為は特定のライダーに有利になる行為であることから、関係者に啓蒙を促すとともに、イエローカード提示も視野に入れ、当該セクションオブザーバーが注意する。また、判例集にある外部からの援助を受けた場合の失格について全日本特別規則として明記し、来年度より判例集からペナルティの項目に追記することが確認された。
(6月30日平成18年度第1回トライアル委員会報告MFJライディング誌より
外部からの援助というのは、パドック以外でメカニック以外の者がおこなうサポート行為のすべてをさす。トラブルの修理をはじめ、一切合切だ。その作業によって、ライダーが有利になると思われる行為は、すべてやっちゃいけないというのが、この規則の真意だ。
かつてトライアルは、主要パーツのほとんどに、マーキングがされた。エンジンやクランクケースはもとより、ホイールもマーキングされていたから、今みたいにパンクしたからといってマインダー(メカニック)のマシンとホイールごと交換するわけにはいかなかった。しかもメカニックという要因はいなかったから、ライダーが時間に追われながらタイヤ交換、パンク修理に汗するしかなかったのだ。
今は、そういったシーンはなくなった。コース上ではメカニックが作業をおこなうことが許されている。パドックに帰れば、さらに多くの手を投入することができる。そしてセクションの入り口では、マシンを支えて立っている専用スタッフもいる。ライダーに水や食料を手渡すスタッフもいる。
委員会の報告を読むと、これらのほとんどがペナルティの対象となる。そして全日本選手権第5戦の北海道大会では、メカニック以外の人物がセクションでの時計読みをするのが禁止行為となって注意を受けていた。
トップライダーは、セクションの持ち時間いっぱいを使ってセクションを走破する。持ち時間は1分しかないから、残り時間をコールしてもらえば、セクションの組み立てがしやすい。ライダーを助けるメカニックがこの任につくことが多いが、セクション中を駆け回るメカニックだけではこの仕事がおろそかになることがある。そのため、メカニック以外にタイムを読み上げるスタッフが同行することも多い。メカニックはライダーひとりに1名と決まっているから、タイムの読み上げ係は扱いとしてはお客さんである。チームウェアなどを着ていることもあるし、関係者パスを持っている可能性もあるが、メカニックが必要に応じて許されるセクションへの立ち入りはもちろんできないし、ぼくら取材陣が入れるエンクロージャーエリアへの立ち入りもできない。扱いは、観客と同じである。
北海道大会では、タイムの読み上げをおこなっている“お客さん”に、オブザーバーや大会スタッフが注意をしていた。彼らの多くは委員会の通達を知らなかったので、試合開始直後は大会スタッフとの間で多少の問答があったけれども、大会スタッフの説明に納得したチームクルーは、以後タイムの読み上げは自粛することになった。
とはいえ、チームクルーも、勝利を目指して戦う一員だから、だめだと言われてはいそうですかというわけにもなかなかいかない。勝利は勝負に対する執念から生まれるから、そんなにあきらめのいいことではチームクルーの仕事も務まらない。
委員会の示すことの意味はよくわかる。けれど、この規則の運用には、いくつもの腑に落ちない点がある。
まず、スタッフがお客さんに対して「ペナルティの対象になることがあるぞ」という注意をすることだ。お客さんはトライアルのプロではないから、隣のお客さんが注意を受けていれば「トライアルとは、ゴルフみたいに、声援を送ってはいけない競技なのか」と納得してしまうのではないだろうか。ふつうのお客さんと一部のお客さんはちがうのだというのは、関係者としては理解はできるけれど、それがお客さんみんなに通じるものだろうか?
もうひとつ、公平を求めてペナルティの運用をするなら、その運用もまた公平であってほしい。スタッフが目を光らせているライダーとそうでないライダーがいるのは(もちろんスタッフがくっついているライダーは、その疑いがあるからなのだが)どうなのだろう。
トライアルは、犯罪者と警察の戦いではないのだから、本来の目的にそって、より現実的で平和な解決策は求められないものだろうか。
まず今問題となっているのは、セクションでの経過タイムの読み上げだ。この“サポート”はエンクロージャーに入らずとも、大きな声が出さえすれば誰でもできる(お客さんでもできる)サポートだ。逆に言えば、わざわざサポートスタッフがおこなうことではないのではないか。
自転車トライアルでは、セクションの通過タイムが設定されて以来、オブザーバーが残り時間を読み上げることになっている。オートバイでは、なぜこれができないのか。
人手が足りないという理由もあると思う。しかし、手が足りないから本来必要なことを(本来必要なサポートかどうかは議論の余地があるとしても)禁止して、気まぐれにペナルティを与えるのが大会側の仕事だとしたら、ぼくはそんなトライアル大会は見たくないなぁ。
写真はそんなこととはまったく関係なく、のんびり泳ぐ旭山動物園のペンギンさん
投稿者 nishimaki : 12:04
2006年08月20日
難産、今年のデ・ナシオン
今年のTDNがむずかしい状況に置かれているのはちょっと前に書いた。しかし今年が特にむずかしいわけではなくて、いつもむずかしいのだ。いつも、むずかいけど、みんながそれぞれ努力したり苦労したり泣いたりしながら、やってきた。TDNはこうあるべきという意見には、いろんなものがある。そして、どれも正解のように思える一方、どれも現実的でない。なんとなく、日本の国防議論にも似ている。日本人は、国としてまとまるのが、とんとへたになっちゃったのかもしれない(これ以上の話はややこしいので省略)。
自然山通信では、いまだにTDN代表選手を発表できていない。だって、まだ決まってないんだもの。憶測や予想で発表することもできるけど、半端な情報が独り歩きするのは、あんまりいいことじゃない。
選考が難航するのは、ひとつには選考基準があるようでないようだってことだ。TDNの代表選手は、選考委員会で候補選手が決められ、各選手の意向を聞いたうえで代表選手決定に至る。選考委員会にはトライアル委員会、トライアル選手会、トライアル関係の報道機関などからそれぞれ代表が出席して構成される。選考は、その年の(今なら06年)の世界選手権、全日本選手権、MFJ公認大会などの成績を基準とすることになっている。でも実際には、世界ランキング10位と全日本ランキング3位はどっちが上位なのかとか、悩んでも結果が出ないことが多い。そしてびっくりしたのは、規則書に06年の実積と書いてあるから、05年の実積は選考基準にはならないってことだ。萩原真理子と西村亜弥は世界選手権のポイントランカーだが、彼女たちはこの栄誉を持って代表選手に選ばれるわけではない。あくまで06年の結果によって、なんだそうである。そうはいっても、女性部門の世界選手権は、06年はまだ開催されていない。この件については、規則のほうが柔軟に対応したほうがいいと思うけどね。
とまれ、こんなわけで、選考は悩ましい。過去何回か選考が難航したことがあったけど、だいたいこんな理由だ。
こうやって候補選手が決まると「出てくれますか?」とMFJが各選手に打診する。ここで「ガッテン、喜んで参加させていただきます」と即答する人もいれば「ヨーロッパは食い物があわないから行きたくないなぁ」と駄々をこねる人とか(事実とは異なります)いろいろいる。ライダーとメーカーの契約にもTDN参戦は入っていない。選ばれるかどうかわかんないんだから、契約に入れようがない。世界選手権ではライダー個人とマシンメーカーにタイトルを争う権利があるが、TDNではエントラントはお国(MFJ)になる。しかしてお国が「なにがなんでも出ろ」と強制するわけにもいかない。現状では、遠征費用などについて、選手の持ち出しがかなり高額になるからだ。
「全部持ってやりゃいいじゃないか」
と言うは易し。海外旅行すれば、まぁ50万円くらいはかかる。最近はユーロも高いし燃料費高騰で飛行機代も高いし、自然山取材旅行相場でけちっても、30〜40万円にはなる。これが人間ひとり分の渡航費だ。オートバイを借り(マシンがはいるレンタカーは高い)、タイヤやパーツ、工具にマインダーなどを揃えて試合に出るとなると、体制も大きくなる。それだけお金がかかる。
去年までは、世界選手権を活動の中心としているライダーが3人(藤波貴久、黒山健一、野崎史高)いた。今年は藤波と、イタリアのチームに拠点を間借りしている小川毅士のふたり。小川は、自分で移動する術も持っていない。
TDNは4人1組である。4人のうち、セクションごとのいいほうの3人の減点が成績として加算される。だから3人でもチームは組めるが、この場合目チームプレーのうま味がない。失敗したら失敗したまま結果になる。
ヨーロッパに常駐するライダーが3人いれば、日本組はひとりいけばよかった。ところが今年は、ヨーロッパ組は藤波ひとり。当初、代表選手の候補に挙げられた中には小川毅士は含まれていなかったから、3人の日本組がヨーロッパに遠征しなければいけない。
これがまた、時期的にもつらい。TDNは世界選手権の最終戦が終わって一段落したときに開催されるが、日本では全日本選手権の真っ最中だ。トップ争いをする選手にしてみれば、体調もおかしくなるし、自分のマシンを持っていく必要だって出てくる。
黒山健一と小川友幸はTDN参加を辞退した(これも公式発表はない。本人から取材しました)が、しかし理由は全日本でのトップ争いを重視したからではない。黒山の場合は、肩の脱臼癖がどうにもならなくなっている。ほんとなら、すぐにでも手術をしたいくらいだ。一方小川は、ようやく自分のお気に入りのマシンができあがった。TDNに参加するなら、ぜひこのお気に入りのマシンで出場したい。というより、これ以外のマシンでは走れない。だからTDNにもこのマシンを持っていくことになる。ところが全日本とのスケジュールがタイトだ。ふつうの飛行機便では間に合わない。マシンを手持ちで運ばないと、全日本に出られないかもしれない。「出られますか?」と聞かれても、そうそう簡単に答えも出ない。でも出場するかどうかの答えはすぐに出さなければいけない。と悩んでいるうち、流れは辞退になっていたという。
ただのヨーロッパ旅行だって、行くかどうか決めるにはそれなりの覚悟がいる。でもTDN代表に選ばれたら、即決が必要。しかも遠征費用も負担しなければいけない。金策も含めて、あらかじめ準備していなければいけないってことだ。準備しても、選ばれなかったらそれでおしまい。
ライダーとしては、なんともつらい状況に置かれるのが、TDNだ。現状、ひとりが「行けない」となると、次点ライダーが参加することになるが「ぜひあなたに代表として参加してほしい」という思い入れが感じられないという声もある。簡単に替わりを立てられるような仕事には気合いがはいらないという気持ちは、わからなくもない。
現在のTDNは、遠征資金の多くをライダー個人が負担している。トライアル選手会(小谷徹代表)はこの負担を減らすべく募金活動などをおこなっている。募金活動は広くトライアルファンにお願いしていて、自然山通信などでもおこなっている。
2003年、最初に募金活動をおこなったときには、とても多くの人のご協力を得た。ぼくらも、ことあるごとに募金箱を持って、全国のイベントに出かけた。ところがその後は、活動がちょっと沈静化している。募金箱を持ってあちこちのイベントに出かけていくと、ぼくの姿を見ると逃げる人が現れる。お金がなかったりTDNに対する理解がないのなら断っていただいていいのだけど、心優しい人が多いから、募金してくれる人は何度もお金を払うことになる。ちょっとうっとうしい。そういうみんなの気持ちがなんとなくわかってしまうから、こちらもだんだん募金箱を持ち歩かなくなった。そうやって活動を消極化させると、募金額も激減した。募金活動をさぼっているという呵責もあるけど、どういう募金活動が、いろんな人にとってやりやすいのか、結論は出ない。2003年に募金活動をするにあたって「動き始めなきゃはじまらない」と背中を押してくれる人がいた。「動き始めたら止めるわけにはいかない」と再考を促す人もいた。今はどちらの意見も届かない。みんなTDNのことを忘れてしまったのではないかという心配もある。大騒ぎし続けないと気がついてくれないのでは、世の中どんどん大騒ぎだらけになってしまうのだ。
募金をする人は「募金したんだからがんばれ」という気持ちがあると思う。そういう気持ちが、もっともっと大きなものになればいいと思う一方、現状、ライダーの持ち出しがなければ成立しない資金調達状況では、がんばれと言われてもがんばりきれない現実もある。
犠牲を払ってでかける選手にすれば、もっと多くの応援がほしいし、もっと多くの注目が集まってほしいことだろう。応援をしたファンにしてみれば、誰が代表選手になるのか、もっとスピーディに情報がほしいし、試合についてももっと情報がほしいと思うにちがいない。
選手とファンをつなぐ選手会や関係者からすれば、選手とファンが、同じ方向に向いていてくれればまとまりがたやすいと願う。
今、トライアルにはいろんな考え方の人がいて、みんなが少しずつちがう方向を向いている。けっしてばらばらのほうを向いているわけではないから、TDNには参加し続けるべきという大前提では一致している。
この数年、とにかくその大前提が守られているのは大きな実積だと思う。まずこの大前提が今後も続けていけること、そしてその目的がなんなのか、選手もファンも、関係者もMFJも、みんなが考えて、共通の認識を導いていけないものか。
なにがなんでも勝利が必要なのか、ただ参加していることが重要なのか、それともTDNは、世界に出ていきたい日本人選手の踏み台となるべきか。選手は少なからずの犠牲(自己負担)を持って参加すべきなのか、日本代表となった見返りは、ひたすら名誉だけでよいのか。
間もなく2006年のTDN参加選手が発表される。そして10月には日本チームの結果も明らかになる。結果が明らかになる前に、みんなで考えてみたいものなんだけど、それはむずかしいことなんだろうか……。
写真は、選手と選手会、MFJトライアル担当との間でミーティングがおこなわれた北海道大会(の会場の近くの動物園でのどかに歩くペンギン)
投稿者 nishimaki : 06:41
2006年08月18日
献血
ベルドンに行くんで、国際免許を取ってきた。交付まで2週間かかるけど、近くの警察でも国際免許をもらえるってのは、今回初めて知った。次からはそうしよう。今回は、指折り数えたら交付が出発のあとになっちゃうので、しょうがない。試験場まで出かけてきた。
試験場では、毎度のことながら献血の呼びかけ。ぼくは注射がきらいなので、なるべくなら献血は避けて通りたいのだけど、なぜか国際免許を取りに来ると、献血したくなる症候群。財布に押し込まれていた献血手帳は、去年の6月、スコルパSY250Fが発表された世界選手権のフランス大会にいくんで国際免許をとったときに献血した記録があった。
前回は、担当がおねーさんたちだったので、ちょっと楽しかった。今回はかつて美少女だった方たちがご担当。それじゃまたにしますとは言いません。
前回はおねーさんにほめられたけど、今回もかつての美少女は「いい血管ですねー」と職業柄特殊なほめ方をしてくれる。採血も、先にはじめた人を追い越し、あっという間に400cc吸い取られて完了。採血する前の血圧が120/71、使用後は117/72。血が少なくなると、やっぱり血圧も落ちるんだね。
少しおなかが減ったと主張してビスケットをもらい、アジノモトのアミノバイタル(ぼくはこの手のアイソトニック飲料がきらいだけど、これは甘くないので悪くない)と午後の紅茶をたてつづけにいただく。
おみやげは1年前と同じくハンドソープ。宗教上の理由から、手は必要がなければ極力洗わないので、去年のやつがまだ残ってるんだけど、おとなしくもらって帰る。
ところで写真は、献血広場にあった呼び込みの看板。400ccはピンチなのに、200ccは安心だそうだ。ワンカップは大量在庫があるけど一升瓶は在庫がないみたいなもんか? 受け付け中によそ見して、呼び込みのお兄さんに聞いてみる。
「200ccは、病院があんまり使ってくれないんですよ。輸血を受ける立場になるとわかっていただけると思うんですけど、他人の血をもらうわけで、どんな人の血かわからないし、お恥ずかしい話ですが、検査をすり抜けてしまったよくない血が混ざっていることもありますから、できるだけ輸血する血は、特定の人のほうがいいわけです」
なるほど。今日体調が悪かったら200cc。そのかわり1週間後にまた200ccとってもらえばいいと思ってたけど、そういうもんじゃないんだね。そしたら、健康な人からは600ccでも800ccでもとればいいのに。一度くらいは800cc抜いてもらって、いったいどうなるか試してみたい気もする。ぶっ倒れるのかな。800cc献血したら、ビスケットじゃなくてステーキくらいご馳走してほしいなぁ。
投稿者 nishimaki : 12:08
2006年08月16日
ここ数日のニシマキ
夏。夏を感じるには、あんまり暑すぎてはいけないような気がする。暑くて頭がもうろうとしていると、夏を感じる余裕もない。だから、避暑に出かけた先があんまりにも寒いと、うれしくもあり、ちょっと腹立たしくもある。
ほどよい暑さを満喫するのが、気持ちのいい夏の過ごし方みたいですね。どうも。
この夏は、珍しくオートバイと離れて、オートバイも積まずに知人を訪ね歩きました。
●11日
自然山通信のふたりは、経理の管理がぜんぜんできない。あんまり自慢になることじゃないから大きな声で言うべきことじゃないけど、公然の秘密だからしょうがない。
自然山通信が使っている経理の管理データベースは、同時に商品の発送や請求なども管理しているのだけど、これがまた創刊以来ちょっとずつ改良して使い続けているもので、基本設計をしたのがニシマキだもんだから、まともなものではない。
それで困っていたところ、データベースシステム作成のお手伝いをしてくださるという方に出会い、その方のおうちに杉谷とお邪魔してきた。おうちは長野県諏訪郡。
トライアルについてはほとんど門外漢で(この場合、そんなことはまったく問題ではない)お庭に池があってイワナが養殖されている。杉谷は海釣りの約束があって途中で伊豆へ向かっちゃったけど、ぼくはイワナをごちそうになって、ツァイスレンズとライカレンズと日本製レンズのちがいについてとか、犬はなぜ散歩のときまでうんちやオシッコを我慢できるのかとか、有意義ないろんな話をさせていただいた。
かつての本業は半導体技術者だったということで、体育館くらいの広さの図面でおこなう半導体の設計の話も楽しかった。
●12日
ゆっくり寝かせていただいて7時半に目が覚める。おうちには調理用と暖房用の薪ストーブがあるのだけど、冬には何トンもの薪を使うから、まき割りだけでも重労働。薪割り機があるからまだ楽なのだけど(手で割れば1トンのところ、機械なら4トンは割れるという)なかなか時間がないという。だったら手ごろな労働力があるのでご紹介しますと約束してお世話になったおうちを辞する。
手ごろな労働力はそこからごくご近所の宮田知孝。ジャングルで知りあった泥んこ仲間。今はこつこつと自分の家を作っている。この前来たときには庭の木を抜いているところだったけど、今回はコンクリートの基礎が半分できていた。薪割りの話は双方にとっておいしい話だったので、うまく折り合いがつきそうだ。宮田はこの冬、ひとの家の分まで薪割りをしてあげることになるのだけど、それでもいつもの半分の時間で作業が終了するというスピードを得ることになった。
でも、薪割りはやっぱり斧を使うのがかっこいいと、厳冬の地で生活したことがない門外漢は思います。
この日はコンクリートの基礎に防水加工をほどこす作業を手伝い、夕方6時から近所の美術館に河童の大道芸を見に行く。老門一郎さんという旅する河童(頭のてっぺんをそりあげて河童を名乗って芸をする)。宮田ともども、あんまり乗り気ではなかったのだけど(だってどんなものなんだか、さっぱりわかんないんだもん)見てみたらおもしろかった。
夜、河童さんを招いた画家の庭でこじんまりとした宴会がおこなわれるというので、飛び入りで出席させてもらう。河童さんは日本全国はもちろん世界を旅しながら芸をしていて、その間にはハイチでクーデターに遭遇して軟禁されてメキシコ政府専用機で救出されたとか、アルプスの山中で野犬の群れと対峙して恐怖の時間をすごしたなど、話題はつきない。気がついたら朝の5時まで宴は続いた。河童さんは翌日は一宮で大道芸を演じ、その翌日はまた小諸に戻るという。飛行機か新幹線で移動するかと思えば、青春十八切符を買っての旅である由。すごい。久々に、感動の人物に出会った。
●13日
すっかり朝寝坊して、9時半頃起きる。泊めていただいたので、もう少し宮田の家を造る作業を手伝おうとするも、暑くてパワーが出ない。排水パイプを埋めるため、幅30cm長さ1m50深さ1mの穴を掘るのに、ふたりで1時間を費やした。
もっとも主役は宮田で、ぼくはスコップをふるっているだけ。それでも、やっていないよりやっていたほうが作業の進展に貢献するだろうと、ちょいちょいと手を出して穴掘りを進める。スコップ持って穴を掘るなんて、キャメルトロフィーの取材をしていた頃以来だから、10年ぶりくらいかもしれない。薪割りといっしょで、こういう作業は重機でやれば一発だけど、しこしこ手作業でやると、少しだけ地球と語らえるような気がして、うれしい。
資材が足りなくなったのでホームセンターに買い物。ついでに旧知の知り合いの別荘を訪ねると、ちょうど今着いたところだという。10年ぶりくらいにおじゃましたけど、建物も人間も変わっていなくて(ただしお父さんはおじいちゃんになっていて、娘には娘ができて人口が増えていた)安心しながら、近況報告などをしながらいつの間にか焼酎をいただいてお話。
たぬき先生と呼ばれる東京の小児科先生なんだけど、きのうは河童、今日はタヌキと、お盆だけに、もしかすると毎晩化かされてしまっているのかもしれない。
●14日
1歳8ヶ月の娘つきおかあさんとそのお友だちと小娘のおばあさんとで沢遊びに出かける。八ケ岳の麓なんざ、沢なんかどこにでもあるだろうと思ったけど、結局宮田に聞く羽目になった。「ひとのふんどしで相撲を取る・能書きと言い訳と受け売りを商売にしている」とぼくの職業をあめためて説明するも、そんなことは先刻ご承知の様子。
なんせぼくはこのおうちには高校生の頃からお世話になっていて、ここの別荘を建てたときには、布団やら電気用品やらを運ぶんで、ずいぶん運転手をやらされたもんだった。別荘には家が建った頃からの日記が残されていて、その最初のページからぼくが登場している。自分が歴史上の人物になったような気もしたけど、ここの人たちは、誰もそんなふうには思っていない。
●15日
小泉さんが靖国神社にいったというのは午後になって聞いた。夜になって帰り際、空を見上げたら、天の川がきれいに見えた。でも空もずいぶん明るくなっている。満点の空を眺めるというのは、今のご時世、ずいぶんぜいたくなことなんだなぁと思う。クルマが多いながらも流れのよい中央高速を突っ走って2時間ちょっとで東京へ。
投稿者 nishimaki : 11:26
2006年08月07日
旭山動物園
人が多いところきらい、行列並ぶのなんてまっぴらごめんなんだけど、つい今はやりの旭山動物園に来てしまいました。
ペンギンはかわいかったなぁ。杉谷と二人ってのがなんとも色気がないんだけど、久しぶりに動物園でるんるんしてしまいました。
旭山動物園は、動物の見せ方に工夫があるんだけど、シロクマとかアザラシとかペンギンとか、そういうところはやっぱり混んでいらっしゃる。ペンギン館は30分待ちと言われたけど、来ちゃったんだら並んでみる。10分で中に入れた。館の中ではおばちゃんが「止まらないで、先に進んで」と叫び続けている。ご苦労さま。必要なアナウンスではあるのだろうけど、おばさんの絶叫はあんまり聞きたくないな。
北極グマは、最初見たときにはぐでーっと寝ていたけど、しばししたら、プールでざふざぶ泳ぎ始めた。行列に並んで特別製の館に入らなくても、ふつうの動物園みたいに外からでも見物できる。そんなふうに見るのだったら、旭山動物園じゃなくてふつうの動物園でもいっしょじゃないかと思っちゃうけど、そうでもない。ここの動物たちは元気だ。ペンギンはガラスごしに見物してる子どもたちを興味深そうに眺めている。動物たちが、みんな好奇心にあふれていて、きょろきょろとこっちを見て楽しんでいるように見える。テレビなんかで伝えられている施設の工夫の豊かさより、それぞれの動物が生き生きと動いているのが素晴らしかった。敵も、ぞろぞろ並んで歩いている人間どもを観察するのがおもしろいのかもしれない。ペンギンのプールを外から見ると、中にチューブが通っていてその中を見物客が歩いている。上から見ると、妙な水中生物がうろうろしているようにも見える。ペンギンも、きっとそんなふうに人間たちを観察しているにちがいない。さらに、ここんちは、えさをやるんでも意地悪をするもんだから、サルなんてえさ箱からえさを出すべく延々と格闘している。キリンはえさを食べるのに、お客さんのほうまで首を伸ばす必要がある。動物はえさを食べるのに一生懸命だけど、人間としてはそれがまたおもしろい。
入場者数で上野動物園を抜いたらしいけど、こんなに敷地が狭くてもお客さんたくさん来るってのは、やっぱりアイデアだなぁ。と同時に、こんな小さい動物園に全国から人を運んでしまうんだから、メディアの威力ってすごい。
きのうの全日本のレポートもまだ書いてないのに、動物園三昧で申し訳ないっす。
投稿者 nishimaki : 16:38
2006年08月03日
相模川の最近
急な話で申しわけないけど、今度の日曜日、8月6日には相模川の河川敷で、ちょっと大規模な清掃活動がおこなわれる。お気持ちとお暇のある方は、ぜひお出かけください。2時間くらいで終了しますから、遊びかたがたでけっこうです。
さらにもーしわけないことに、当日はぼくらは全日本選手権の取材で、北海道大会に出かけています。旭山動物園で白熊を見たいんだけど、今度はかなうか。って、そういう話がしたいのではないのだ。
ここ最近、相模川の河川敷では、ふたつの事件があった。ひとつは、子どもたちが遊んでいるモトクロスコースのパドック(というか平地だけど)に、でっかいステージができあがっちゃって、解体された現在も、廃材が放置されている。これは、モトクロス連中がいやな思いをしながらチェックしているので、今度の清掃の日にきれいさっぱり処理されるでしょう。
もうひとつは、ぼくらがトライアル大会をやってる拠点である座架依橋の下に、なんと家ができちゃった。ブルーシートも板もなにも、全部新品で組まれた小屋。いったい、誰がなんのために作ったのか、さっぱりわからない。小屋の中からはコードがでていて、発電機をつなげば中で文化的生活も送れるようになっているようだ。ホームレスにしては、お金がありそうだ。
それにしても、クリーンアップトライアルなんて名前のイベントをやっている横にそんなものがあったんじゃかっこ悪いというか示しがつかないというか、とにかく目障りなので、さっそく行政(相模川総合整備事務所)に電話してみた。もしかしたら、行政が工事用とか監視用に立てたものかもしれないとも思ったし。
もちろんそんなことはなくて、行政が関知しないものだった。最初に電話したときは行政もまったく知らなくて「うちが建てたものじゃないのは確かですけど、どんなものですか?」なんて逆質問されたりした。
電話番号も聞かれて、ちゃんと翌日にはお返事がきて「確かに確認した。行政としてはでてってねとお願いしてく」という連絡をいただいた。いきなりぶっ壊しちゃえばいいのにとも思うけど、世の中、そういうワイルド7みたいな暴力的正義は認められないんだよねー。
左はその後、小屋に貼り付けられた行政からの「小屋を始末せよ」の指示書。犯人は吉田さんなんだね。こういう紙は何枚も貼られていたから、行政と吉田さんは何回か話し合いを持ったのかもしれなかった。
行政がもっとちゃんとやってくれれば、というような愚痴はいろんなところで聞くけれど、行政は行政で、やるべきことをちゃんとやっている。それが仕事ってもんだ。民間人のぼくらは、やるときは思い立ってだだだとやるけど、やらなくなると知らん顔してしまうことが多い。で、自分が一生懸命動いているときは行政の動きの悪さが気になっちゃうんだよね。以上、余談。
その後、小屋は無事なくなった。でも、こんなところに勝手に建てる吉田さんだから、始末も勝手だ。小屋をぶち壊して、そのへんで燃やしちゃったらしい。今、現場には大量の燃えかすが放置してある。ちょっと離れたところには畳もある。小屋の中身だったのかどうかは、よくわかんない。
こうやってゴミが散らかっていると、ゴミを捨てるのになんの抵抗もなくなる。一晩ごとに、花火の燃えかすが増えていくけど、畳や建材が大量に捨ててあるのに、花火を放置していくこぞうたちをとっちめているひまもない気がする。
しかしそうはいっても、相模川のゴミは確実に減った。ゴミの大規模清掃を前に、先週はこのあたりをひとまわりしてみた(その大半は遊んでいた)だけど、ゴミはあんまり見あたらなくなっていた。ただし夏草が元気に育っているから、その草に覆われてゴミが隠れているのかもしれない。それでも全体には、きれいなところにはゴミは捨てられず、ゴミはゴミのあるところに捨てられるという法則がある。
ゴミを捨てる人はあとを絶たないけれど、ゴミを始末することでゴミは確実に減っていく。
ペットボトルや缶のゴミは餅帰って自分ちで捨てていただき、ベッドやバッテリーや自動車やスクーターは、捨ててある場所をチェックしておいて一斉清掃のときに行政に持っていっていただく。
相模川の河川敷では、こんなことをしながら、ちょっとずつオートバイの市民権を認めてもらえないかなぁ、なんて活動をしているのでした。
*写真は、相模川クリーンアップトライアルを手伝ってくれている栗原さんが撮ってきてくれたものでした。
投稿者 nishimaki : 14:15
