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2006年10月30日
藤巻くんを見て思う
お引っ越しして、寄居トライアルパーク(金勝山)が近所になったので、どれくらい近所なのか、出かけてみた。これまでは、横浜から東京を抜けて関越自動車道にはいり、東松山かなんかで降りて国道を突っ走るという行き方で、距離の割りには時間がかかる行程だった。この日、寄居トライアルパークでは、関東選手権東京大会が開催されていた。10月初めのことだから、ちょっと昔話になってしまいましたけど。
埼玉県寄居なのに東京大会とはこれいかに。まぁかたいことは言いっこなし。主催が東京都トライアル委員会だから東京大会。F1のサンマリノ大会はイタリアのイモラサーキットで開催される。成田空港のことを新東京国際空港というのだって、似たようなもんだ。
久しぶりの関東選手権は、ずいぶん若いライダーが増えている気がした。世界選手権の競技長もやっている永田さんは、この程度じゃぜんぜんご満足ではないみたいだけど、5年前よりはずいぶん若い子が増えていると思う。平均年齢は、高齢者が毎年ひとつずつ歳を取るから、若い子が増えてもなかなか若返りするものではないけど、悪い傾向でないのは確かだ。
こんな中にあって、やっぱり目が止まるのは藤巻耕太くんだった。自転車トライアルの04年全日本ベンジャミンチャンピオン、同年世界ランキング2位。最近、オートバイに乗りはじめて、今年は国内A級で戦っている。14歳。
ちょっと前に、小川友幸選手と若いライダーについてお話しした。若手の注目株は藤巻くん、と小川くんは断言した。三重の小川くんが群馬の藤巻くんを知っているのは、藤巻くんが小川くんのGATTIスクールにでかけていったからだ(逆に言えば、小川くんの知らないところに、まだまだ逸材が隠れている可能性はあり)。
藤巻くんは、バランスのいい子だ。自転車トライアルあがりだからか天性のものか、スタンディングがどこででもぴたりと決まる。このガンとしたバランス感覚は、世界のトップ(世界選手権のみならず、ジュニアやユースも含めて)に通じるものだ。小川くんは、こういう子を、若いうちにさっさと輸出して、スペイン人の中でもませれば、次の世代の日本人チャンピオン誕生につながると力説する。ぼくらも、世界のトライアルを見るにつけ、日本のトライアルが世界と大きく隔たりを持っているのを痛感している。藤波ら、世界のトップに君臨する日本人ライダーは、日本の環境が生み出したのではなく、彼らが日本を飛び出したことによって生まれたものだ。日本でいくらトライアルをやっていても、世界に通じるライダーは絶対に育たない。藤巻くんみたいな逸材を見ると、それがまたくやしくて、ぼくらは人知れず涙します。
この日、藤巻くんは国内A級クラスでぶっちぎりの優勝を飾った。ガスガス125に乗っての勝利だった。藤巻くんの技量だったら当然とみるか、オールクリーンでないのがなさけないとみるか、その評価もいろいろあると思う。でも125に乗る海の向こうの若い連中がどんなセクションに挑んでいるのかを考えるとき、藤巻くんをこのレベルのセクションを走らせておいていいのかという焦りを感じる。もちろん、本人が楽しいんだったらそれはそれですよ。世界一になりたいとか思わず、日曜日に健康な汗をかきたいという程度だったら、地方選手権のセクションレベルはとてもよい設定だと思う。でもいい年をしたおっさんではない。まだまだ、無限の可能性が広がる若手なんだから、目指すは世界チャンピオンがいい。で、それを目指すんだったら、今ここを走っている場合じゃないと思うのだった。
まず、125という排気量がひとつのキーワード。世界の少年たちは、18歳以下は125cc以上に乗れないという免許制度から、こぞって125ccに乗っている。でも同時に、125に乗る彼らは、少ないパワーを思いきり絞り出す訓練を受けているということでもある。日本では、125ccは入門者のためのものという印象があるけど、ヨーロッパでは、125ccはムチやスパルタの代名詞だ。そのムチたるや、へたをすると国際A級スーパークラスのセクションを走らされたりするくらいの強烈なものだ(少なくともA級レベルではあると思う)。こういうのは、125で走る仲間がいないと、成長にはつながらない。行けるかどうかわかんない、もしかしたらマシンの限界で、絶対走破不可能なセクションなんて、練習したくもないじゃないの。ところが才能のあるやつが何人か集まると、誰かがするりと走り抜けたりする。そうすると他の連中も、我も我もと技術を盗み、結局全員いけるようになっちゃういとうのがヨーロッパのトライアル構造である。ただむずかしいセクションを走らせているだけでもない、ヨーロッパには、ヨーロッパでしか得られないものがある。
とはいっても、ぼくは藤巻くんにどうしろとも言えない。日本の規則(世界の規則でもあるんだけど)では、国際大会への参加は、国際ライセンスを持っている者に限られる。藤巻くんがユースクラスに参加したいと思ったら、まず国際A級にならなければいけないってことになる。それには、最短でも2年かかる。ちょうどユースクラスへの参加年齢に達するから、それでも間に合うかといえば、これが絶対に間に合わない。
大学受験をしようという人が、小学校へ通うべきではない。そしてまた、将来フランスで仕事をしようと思うなら、日本でフランス語のうまい日本人にフランス語を習っているより、一刻も早くフランスでホンモノのフランス語に接した方がいい。
問題は、そのためにはちょっとばかりお金がかかるってことで、お金がかかることは、いくら正しいことでも、実行するにはなかなか勇気がいる。
日本のトライアルは、渋谷勲という世界でも類を見ない天才を、ついに世界の舞台に送り出せなかった。協会やメーカーや雑誌屋や友人や家族という個々の問題ではなく、日本のトライアル全体の団体責任なんだと思う。
藤巻くんの小気味よいトライをみていたら、この才能を生かすも殺すも、環境如何なのだよなぁと思って、ちょっとおそろしくなった。
投稿者 nishimaki : 08:17
2006年10月15日
ディープ・インパクト
TDN(トライアル・デ・ナシオン)が終わって、月曜日の夜にパリへ移動し、火曜日の午前中の飛行機でロンドンへ、トランジットで成田へ向かう。
ふつう、日本人は、日本行きの飛行機乗り場に来ると、いきなり増える。ヨーロッパからヨーロッパへ移動する便では、なぜか日本人はとっても少ない。ところがあなた、パリからロンドン行きの飛行機は、そらもう、日本人だらけじゃないか。びっくり。
おたずねしてみたところ、どうやらディープインパクトを見に行った人が多いらしい。みんな他人なのに、ディープインパクトつながりでみんな仲がよさそうなのだ。一応解説しておくと(世の中の大半の人は知ってるだろうけど、杉谷とかは知らないかもしれないから)、ディープインパクトってのは日本の競馬馬で、こいつがフランスの凱旋門杯に出場した。本命中の本命だったんだけど、結果は惜しくも3位だった。で、ディープインパクトの応援に、日本人がこぞって海を渡ったというわけだ。
パリ・ロンドンでは、横一列6人のうち、4人が競馬帰りだった。ぼくと、もうひとり、ドイツから帰国のビジネスマン風の二人が、お馬さんとは関係ない客だった。そのビジネスマンは、ロンドン行きの飛行機が日本人だらけなのを見ておたおたとし「な、なにかあったんですか?」と聞いてきた。ぼくにも日本人が多いのはなぞだったんだけど、その質問を聞きつけた窓際のご婦人が得意そうに解説してくれた。実はぼくも、凱旋門杯に日本人が終結して、無料のパンフレットをとりあう大騒ぎをしているというニュースを読んではいたんだけど、ご婦人の解説を聞いて初めて、ディープインパクトと機内の状況がつながった。
そういわれてみれば、日本人が大い割にはツアー客って感じじゃなくて、リュックかかえた若者みたいなのも多かった。こういう旅慣れた感じの日本人は、一便に多くて数人程度だもんだけど、今回はみんながみんなこんな感じだから、そりゃドイツ帰りのビジネスマンもびっくりだ。
ロンドンから成田へのBA007便(カムチャッカで撃墜されたKAL機が確か007便だったけど、まるで関係ない)も、やっぱりディープインパクトファンばっかりだった。隣のお兄さんは、レース展開や騎手(武豊だったらしい)のこと、勝てるチャンスも大いにあったこと、日本人がみんなディープインパクトを買ったので大本命となり、しかもフランスの本命馬も低迷したため、けっこうな高配当になったこと、などを教えてくれた。そのお兄さんはフランスは初めてだそうだけど、スペインには何度か行ったことがあるという。ぼくがトライアル帰りだというところからバルセロナの話になった。スペイン、それもバルセロナがお気に入りなのは、その街の建築ゆえらしい。
とまぁ、飛行機の中はこんな感じで日本人だらけだったけど、とても乗客の半分が日本人だなんて思えなかった。あんまり日本人の悪口を書くのも気分がいいもんじゃないけど、ヨーロッパの秩序を乱すのは、国籍が日本だからではなくて、日本のツアーだからなんだなとあらためて思いました。みなさん、ツアーで旅をするのはやめましょう。結局外国のことがちっともわかんなくてつまんないからね。
しかしまぁ、ディープインパクトがどれほどかわいい馬かは知らないけど、これだけオッカケが日本からきてくれるなんて、なんと幸せな馬だろう。TDNの会場では「なんで今年の日本チームは3人なんだ?」「なんで女性陣は世界選手権に1戦しかでないんだ?」なんてことをよく聞かれる。顔なじみのジャーナリストはまずぼくに聞いてくる。「ヨーロッパまで来るのは高いし、お休みをとるのもむずかしいしね」。でも、そういう答えじゃ納得できないらしくて、藤波にも聞いている。答えはいっしょだ。だってそれが真実なんだから。
でも飛行機の中の様子を見ていたら、日本人は日本の競馬馬の応援に、こんなにたくさんの人がフランスまでやってくる国民性を持っているわけだ。お金がないなんて信じられないし、休みがとれないなんてのも、信じられない。ディープインパクトが日本チームの一員になってTDNを走るとなったら、きっとTDNの会場は日本人だらけになるにちがいない。
このギャップは、いかなりや。今回は、愛知の松下一家が応援に来てくれた。お母さんはプレスゼッケンをつけて写真を撮ってたけど、TDNに日本からの応援がくるなんて、5年ぶりくらいじゃないだろうか。ほかには、今はドイツに赴任しているMFJ東京の高橋延治さん。日本の応援団は、たったこれだけ。
今までTDNにくるたびに、海の向こうのイギリスからやってくる応援団の数の多さをうらやましくてしょうがなかったんだけど、今回はイギリスよりも、ディープインパクトがうらやましくてしかたがなかった。
写真は、ベルギーの空港のチョコレート売り場と、信号待ちの車内から見たフランスのレンヌの街の中。
どちらも意味もなく並べてみました。
投稿者 nishimaki : 06:01
2006年10月13日
モン・サン・ミッシェル
デ・ナシオンの帰りに、モン・サン・ミッシェルへ行ってきた。杉谷に、あそこは行かなきゃだめだよと言われて、そんなもんかいなとでかけてきた。
中世以来、カトリックの聖地として多くの巡礼者を集めてきたランスで最も人気の観光スポットの一つ、なんだそうだ。「江ノ島みたいなものかな」なんて評価もあって、さて、どんなもんなんだか。例によって、事前の知識は江ノ島以外にはなにもなく、出かけてみる。
日曜日の朝まで、早起きしてせっせと会場に出かけていたんだけど、日曜日の晩にフロントのおばちゃん(おねーさんかもしれない)に「明日の朝は早い? 朝ご飯は何時?」と聞かれて「あしたは起きないかもしれないから、ゆーっくりでいいです(なんて流ちょうにしゃべったわけじゃなくて、Tomorrow, no schedule. no problem for breakfast.と言っただけ)」とお返事したとおり、のんびり起きて朝ご飯をゆっくり食べて(ショコラを3杯お替わり)、それから荷物をまとめて出てきた。レンヌからモン・サン・ミッシェルまでは高速道路でほぼ一本で、ざっと1時間の距離。それでも、到着したらもうお昼だった。
丘の頂上をすぎると、目の前に大西洋(正しくはサン・マロ湾)が広がり、沖あいにお城が浮かんでいる。それが目指すモン・サン・ミッシェルだった。
クルマを止めるのに4ユーロ。そこからてくてくと歩いていくと、高橋摩耶親子に出会った。彼らはもう見物が終わって、これから昼飯を食べてビスケットを買ってTGVに乗ってパリへ帰るという。立ち話している間にも、観光バスが続々と到着して、日本人観光客を吐き出していく。日本人ばっかりじゃなくて、ドイツ人やアメリカ人も多いんだけど、日本人は観光バス以外ではまずやってこない。今日は、ぼくと高橋親子以外にも、たぶん松下一家や萩原一家もやってきたはずだから、例外的な日だったはず。
中はおみやげ屋さんとかレストランとかがあって、寺院はさらに上ったところにある。Mont-Saint-Michelって名前の通り、ここは山なんだね。「ミッシェル寺院山」。自然山もフランス語でいうとMont Natureでしょうか。
で、ぼくのへそ曲がりも対したもんで、ここまできたってのに、お寺がぜんぜん見たくなくなった。だいたいぼくは、名所旧跡をみても、感激したことがないんだ。実はそれよりも、来るときに通ってきた、海を望める丘のほうが興味がある。たぶん、観光客がうじゃうじゃいるってところがだめなんだね。今さらぼくが見なくたっていいんじゃないかって気がしてしまう。あぁ、我ながらなんというへそ曲がりなんだろう。
で、山の上から浜に降りて、浜づたいに一周してみた。潮の満ち引きが激しいらしいから、この浜は、満潮時にはすっかり水没してしまうそうな。で、遊んでたひとが海に飲まれたりもするんだそうな。そういうことは帰ってきていろんな人のサイトを見て初めて知った。大西洋の藻くずとならなくてよかった。
島の周囲は砂浜だから、海水を含んでいてずぼずぼと埋まってしまうなコンディションだったけど、けっこうな数の人があるいているらしく、人が歩いたあとはわりと締まってかたくなっている。長年の積み重ねかと思ってたけど、毎日水没してるみたいだから、毎日たくさんの人が歩いているのかもしれない。人には会わないけど、実はぼくみたいなへそ曲がりも少なからずいるのだなと思うと、それはそれでちょっとうれしい。
と、階段を上がって岩の向こうにでたら、男がひとり慌てている。と、さらに岩の陰から女がひとり立ち上がった。どうやら岩の陰で女性が作業中だったらしい。なにをやってるんだろうと思ったけど、通り過ぎてから気がついた。いい年のカップルだったから、興味もなく通り過ぎてしまいました。実はぼくも、さっき岩から大西洋に向かっておしっこをしたところだ。ロカ岬でもおしっこさせていただいた。これは儀式だ。
島の一回りは、あっという間に終わっちゃった。けっこう小さな島なのだな。さて、もう一度中を見るかどうかと3秒悩んで、取って返してやっぱり丘に向かうことにした。
丘には唐突に風車があって、寺院を見下ろしている。お天気があんまりよくなかったので、モン・サン・ミッシェルは霞の中に浮かんでいるんだけど、これくらいの距離から眺めた方が、この寺院は存在感があって、迫力がある。そうそう、丘を越えて、最初に寺院を見たときには、やっぱり「おぉー」と思っちゃった。その感動は、中に入っちゃったら見えなくなっちゃうのかもしれない。
昼飯を食おうとメインストリートを走ったけど、このへんはいかにも観光地観光地したレストランが多くて、入るのに躊躇。道を変えて、パリ方向に進路をとった田舎道にでて、そちらで昼飯を食った。BMWのサイドカーのご夫婦といっしょにパーキングにはいる。彼らは今日はお泊まりらしい。
お昼ご飯「本日のお皿」はムール貝の白ワイン蒸し。10ユーロで、ベジタブルスープに山ほどのムール貝とフリッツ(フライドポテト)。窓の外では、ときどき激しく雨が降っている。部屋の中にいると、雨もいいもんだと思えるときがあるから、勝手なもんだ。
投稿者 nishimaki : 16:23
2006年10月11日
お引っ越し
急に、というわけでもないんだけど、引っ越しをすることにした。本日は、その引っ越しの顛末。
考えてみたら、これまで何度か引っ越しをしてきたけれど、引っ越し屋さんというのをお願いしたことがない。友だちにトランスポーターを出してもらったりして、えいやと荷物を積み込めば、おおむね荷物の移動は完了する。荷物のいっさいがっさいを持って知床半島とか沖永良部島とかに移住するんじゃなければ、引っ越しくらいは自分でなんとかできようと思ってました。
でも、結局こんなどたばたになっちまったというお話。
なんだかおれ、もともとそうなんだけど、近年、どんどんめんどくさがり屋になっていっている。困ったもんだ。ふだん右のものを左にも動かさないやつが、すべての荷物を梱包するなんてまめなことができるわけもない。と気がついたのは、荷物をあらかた部屋にばらまいてからだった。
さらにね、こんなことは1年も前から決まっていることだけど、ぼくが引っ越しをしようという日程は、ベルドン参加とアンドラ取材から帰ってきて、ベルギーの最終戦とデ・ナシオン取材に出かける、そのまっただ中だった。しかもその間に、自然山通信10月号を仕上げなければいけない。
最近、ぼけっとしているときと突貫工事をしているときのコントラストが激しすぎて、どの程度の仕事なら可能なのか、さっぱりわかんなくなっている。こりゃできないわとようやく悟ったのは、ベルギーに出発する1週間前くらいだった。そういえば、ベルギーに行く前にお食事をご馳走します、なんて約束をさるご婦人からいただいていたのだけど(オートバイ関係ではなくて、お役所関係の方。詳細は省きます)、そういう約束があったのを今になって思い出した。とてもじゃないけど、お食事なんていただいている場合ではなかった。
そんで、おたおたと引っ越しの段取りをはじめた。引っ越しってのは、いったいどうやってやるもんかね。と思ったら、引っ越し見積もり専用サイトがあるではないか。ざっとこっちの条件を入れたら、数社から返答がきた。でも、よくわかんない。どこも、自分が安いってことしか大きな声では言わないからね。で、小さな声でこれとこれは別途申し受けます、なんていって、結局同じ金額になるわけだ。めんどくさくなって(最初からわかっているのに)、鉛筆倒して決めたのが、引っ越しのサカイだった。徳井優のファンではないんだけど、あんまり考えている時間はないのだ。
「もしもし、引っ越しをしたいんだけど、引っ越し準備をはじめたところで急に(うそつけ)海外出張にいくことになって、荷物がばらばらなんですけど、とにかく期日までに部屋を開けなきゃいけないので、なにからなにまでいっさいお願いできますか」
まぁ、そんなこんなで、少々お高かったけど、そりゃ、ぼくはなんにもしないという条件で、しかも現状が、かつてないほどにとっ散らかっているんだから、これでも安いくらいだと思って話を進める。見積もりには営業マンがひとりやってきた。お米のおみやげ付。なぜお米なのかよよくわかんないけど、まぁありがたくいただく。しかも、残り日数を数えたら、もうあと数日もなくて、その貴重な週末にお出かけしたりしたもんだから(このお話も書いてない顛末のひとつ)、引っ越しできる日はたった2日だった。
その日の朝、まず営業マンが二人やってきて、段ボールを大量に置いていった。ネクタイ締めたその方々は、それきりさよならだ。それから30分後、今度は肝っ玉かーさんみたいなおばちゃんと、ちょいと非力そうなおばちゃんがふたり、セットになって現れた。で、片っ端から荷物を段ボールに放り込んでいく。もちろん、紙にくるんだりして、道中破損がないように気を使って梱包してくれてるんだけど、まぁ、中にはどう考えてもゴミみたいなものがいっぱいあるので、ぼく的にはそのままブルドーザーかなんかで全部まるごとコンテナに詰めて持ってってもらってもいいんだけど、お引っ越し屋さんとしてはやっぱりそうもいかないわけだ。それはどうでもいいです、それはゴミです、とか指示を出しているときりがないし、そんなことができるくらいだったらとっととやってるわいというわけで、おばちゃんふたりが梱包作業をしている気配を背中に感じながら、仕事する。
ふと振り返ってみると、あらまー、きれいさっぱり、部屋の中のゴミが全部段ボールに吸い込まれている。素晴らしい!
ちょうど、お菓子をいただいたところだったので、休憩のときにでも食べてねと置いておいたのだけど、目を離した隙にもうひとりのおばちゃんがさっさと梱包しちゃった。この場合、お菓子を食べそこねたおばちゃんたちもお気の毒だが、そのおかしをくさらないうちに食べなければいけないという使命が生じたぼくも、ちょっとお気の毒なのだ。
おばちゃんの仕事は、2時間ちょっとだった。すばやい。でも非力そうな方のおばちゃんは、ごほごほ咳してかわいそうだった。部屋に積もったほこりをすったんだよね、きっと。ほこりが積もった部屋は、思いきって掃除するか、そのままそっとしておくか、どっちかが、平和だ。今日は部屋の空気を思いきりかき回したから、ほこりも久々に自由に動き回っているにちがいない。
こんなになる前にもうちょっと片づけておけよ、と言いたくなりませんか? と聞いてみる。おばちゃん、お困りの様子。ということは、やっぱりそう思ってるんだよ。当然だ。
そろそろお仕事やめていただいて……、という声で振り向いたら、以前の部屋の面影を残しているのはぼくの周囲1メートルだけで、あとはすっかり段ボールだけになっていた。
こうしておばちゃんたちは去って行った。冷蔵庫、机、コンピュータはそのまんま。こういうのは、この次の舞台が担当するらしい。で、やってきたのが2トントラックとお兄ちゃん二人だった。
なんだか、サンダーバードの国際救助隊みたい。最初にサンダーバード1号がやってきて、次から次へと工作部隊が現場を訪れ、最後に巨大なサンダーバード2号がやってきて、すべてを解決して去っていく。できれば、ペネロープさんみたいなのがロールスロイスに乗って現れてくれるとうきうきだったけど、まぁぜいたくは言うまい。
トラックへの積み込みは、ほんの1時間ほどで終わった。入れ替わり立ち替わり、半日で部屋の中の荷物はきれいさっぱりなくなった。残ったのは、ヨーロッパ行きのスーツケースがひとつと、クルマに放り込んでおけるだけの荷物が少々。これだけあれば、仕事も生活もできるのに、なんでこんなに荷物が増えちゃうかな。せっせとゴミを捨てればいいのかな。世の中って、いかにゴミを製造しているかっていう証ですね、きっと。といいつつ、自然山通信もどこかできっとゴミになっているから、あんまり大きなことをいうのはやめようッと。
横浜から秩父の先までは意外に遠いということで、その日のうちに移動するのはやめて、サンダーバード2号はぼくの荷物を積み込んだまま、トレーシー島へ帰っていった。翌朝、現地で待ち合わせだ。9時頃でいいですか? と聞かれたので、何時でもよければ10時ってことにしましょう。起きる自信がないからと少しひよる。
で翌日。途中ほんのちょっと寝てしまって、約束に10分くらい遅刻していく。
「そうですか、落ちてしまいましたか」
と眼鏡のトレーシーくんは笑ってた。作業が始まるや、ぼくもまだ1度しか立ち入ったことがない家の中に、どんどん荷物を入れていく。あっという間に段ボールの箱だらけになって、お兄さんたちは帰っていった。
うちの前には、温泉施設がある。しばらく片づけをして外をのぞいた見たら、まだサカイのトラックが止まってた。飯でも食ってたのかな。それとも、あの日は暑かったから、ひとっ風呂浴びていたのかな。いずれにしても、ご苦労さまでした。
オプションメニューには、荷ほどきなんてのもあったけど、荷物をほどいてもらっても、格納する場所がない。もとのままにされたら、また部屋中が荷物だらけになってしまうだけだから、これはご遠慮申し上げました。
そして、横浜に取って返し、スーツケースとコンピュータを持って、翌朝杉谷を迎えに行って成田空港へ。ヨーロッパ取材を終えたあと、今度は横浜でやり残したことをやって、一路秩父へ。
それで気がついたのだ。今回は時差ボケがまったくなかった。いつも、時差ボケは外国へいくときよりも帰ってくるときのほうがひどい。太陽と反対方向に飛行機が飛ぶからだとか、いろんな説があってどれも納得できるけれども、ここではひとつ、緊張と安心説を唱えてみる。
外国へ行くときってのは、たいてい未知のところへ出かけていく。なにが待っているかわかんない。緊張する。時差ボケなんかしているヒマが(あんまり)ない。ところが日本に帰ってくるときには、安心材料が多い。無事に帰ってきた、ようやくたくわんの漬け物でお茶漬けが食べられる、日本語のラジオが聴ける、左側通行で道が走れる……。安心するから、疲れにまかせて眠ることができる。昼間っから、つい寝てしまう。これがいかん。
今回は、旅先から、旅先へ帰ってきてしまったようなもんだ。しかも、段ボールを解凍して、必要なほんの少々の荷物を探り当てるという宝探しの仕事が待っていた。悠長に時差ボケなんかしているヒマはないのだった。
おばちゃんたちの仕事はなかなか几帳面で、すべての段ボール箱には、荷物があった場所と、中身の概要が書いてある。「仕事場の押し入れ・本」なんて感じ。最初の2〜3箱は、そのとおりに目安がついて、これは当面いらないから奥にしまっちゃえ、なんてことをやっていた。しかして、ずらっと並んだ箱を見てがく然としちゃいました。ほとんどすべての箱に「床の上」って書いてある。足の踏み場がなかった部屋で荷造りをしてもらうと、こういうことになるんだね。盲点でした。
歯ブラシが出てきたのに歯磨きがない。コーヒーが出てきたのにコーヒーカップがない。今、部屋の中は5種類くらいのジグゾーパズルがばらばらにばらまかれたような状態で、まずその分類からちまちまとはじめているのだけど、うーむ、次に引っ越しするのがいつになるかはわかんないけど、きっとまた「まるごと全部運んでちょうだい」とお願いすることになるのかなぁ。
写真は、ちょっとだけ感傷にひたって、こどもの国の駐車場をバックに走るこどもの国線と、こどもの国で遊んで帰りの電車を待つ子どもたちの写真など見つけてきた。こういうの、住んでるときにはいつでも撮れると思ってるけど、いつでもできると思ってることって、結局いつまでもできないことが多い。
投稿者 nishimaki : 22:27
2006年10月08日
小鹿野町の住民となる
突然ですが、引っ越ししました。埼玉県小鹿野町。役場から、さらに5kmくらい走ったところの古民家を借りました(古い家だからこう書いちゃったけど、小民家というほどおしゃれじゃないです。大家さん、ごめんなさい)。
今回ヨーロッパから帰ってきて、そのままこっちに移ってきた。荷物はいっさいがっさいこっちに運んであったんだけど、すべて段ボールの中だから、なにをするんでも段ボールを開けるところから仕事が始まる。しばらくは宝探しが毎日の日課だ。
家の中でも宝探しなんだけど、それはぼくの不徳のいたすところで、ぼくはこの町に、もっと大きな宝探しをしにやってきた、はずなんだ。まだ、どうなるか、さっぱりわかんないけども。
さて、日本に帰ってきてからこっち、この国はお天気がそうとうに荒れ模様。今日、ようやく晴れ上がった。あんまりいいお天気だったから、こっそりオートバイを走らせてみた。いやなに、誰が見張ってるわけでもないし、悪いことしてるわけではないのだから、こっそりする必要なんてなにもない。
まず、一番近所の角を曲がってみる。すぐに菖蒲の庭園があった。お気の毒に、イノシシの被害が多いらしくて、まりわを電線で囲われている。今日は、一日中山のほうから鉄砲の音がしていたけど、あれはイノシシを撃つ音なのかな? 鉄砲の音を聞きながらすごすのはあんまりよい気分とはいえないけど、里に降りてひとのものを荒らさざるをえなくなった(であろう)イノシシもかわいそうだ。
「オートバイで山の中走り回るのもいいけど、熊もでるからな。気をつけろよ。あと、鉄砲撃ちに撃たれたりするなよ」
今回の移転のお世話になった(そしてこれからもお世話になる)Kさんは、こんなふうに言っている。熊のでるような山の中には、いきたくないよ。鉄砲にも、撃たれたくない。
うちの近所のエリアは、山の上のほうまで、きちんと整備されていて美しかった。山の上までいったら、ガス欠だ。このマシンは、イーハトーブを走ったままだったんだね。山の上からエンジン止めて下り降り、町の給油所で給油。帰りに、別の方角に向いてみた。
椎茸を収穫する(盗んでるともいう)自動車も入っているような道だけど、ここもきちんと整備されていた。要所要所にベンチがあったりする。このあたりは山登りのメッカだから、山歩きをする人たちへの配慮は手慣れたものなのかなと思いつつ、今日のところはこのへんでかんべんしてやる。
この町でぼくがなにをするのか、実はぼく自身もよくわかっていないので、あんまり急がないで、これからゆっくり考える。
山の上からは、山が見えた。武甲山から両神山まで。小賀野の町は、けっこう立派な町でした。
帰ったら、スペインのペップからSKYPEでメッセージが届く。
「えらい山奥に引っ越したそうじゃないの」
「そうよ。家からオートバイで走りはじめたらすぐ山だよ。アンドラの、セント・ジュリアの町みたいなもんだ」
「そりゃいいねー。でも日本のその町にはハモンもおいしいワインもなかろうに」
「かまうもんか。おいしい酒があるし、それにぴりっときいたワサビもあるぞ」
ペップは日本に来たとき寿司屋につれて行かれて、ワサビでしこたま涙をながして苦い経験をお持ちだ。もちろん、犯人はぼくらだけど。
「ひぇー、ではおいしい日本酒とワサビをとんとご賞味あれ」
ペップは、そんな山の中にいたら、あんた、さぞトライアルがうまくなるだろうと言ってたけど、そういう目的ではないからね。ま、うまくなるに越したことはないけど。
今日は、スペインのペップさんのリクエストにお答えして、日記を書いてみました。
Hi Pep! There are my new field!
(最近は、敵も翻訳にかけて読んでたりするから、日本語で悪口をかいてもわかっちゃったりするみたい。気をつけよう)
投稿者 nishimaki : 00:41
2006年10月06日
順不同日記その1TDN最後の夜
順番にのっとって書こうとすると、最初のを書きあぐねているうちに日記を書きそびれるという前例が多々あるので、思いついたところから書くことにします。今思いついたのは、デ・ナシオン(TDNと略すと、文字数が減って入力が楽です)の最終日のことでした。
大会が終わったプレスルームは、取材陣の仕事場となる。終わらなくても仕事場なんだけど、終わるまでは休憩室で、忙しい(ほんとか?)プレスがつかの間の休息をとるための部屋なんだけど、大会が終わったら、こりゃもう真剣勝負。トライアルの試合を走っているアダム・ラガの半分くらいは真剣に仕事している(なんとも微妙な表現。例が藤波貴久でないところに意をくんでほしい)。
仕事が少ない人、仕事がいいかげんな人(それが誰だかは不問)は終わるのが早い。仕事が多い人、仕事が熱心な人、そしてぐずな人はいつまでもプレスルームにいる。
今、プレスルームは大会が終わると忙しくなると書いたけど、実はプレスルームが忙しくなるのは、試合の途中からだ。効率のいい仕事をするプレスは、1ラップにしっかり写真を撮って、2ラップ目に入ると猛然と原稿を書き始める。そして2ラップ目の終盤、近所のセクションで追加の写真を撮って表彰式の風景を押さえて仕事を終える。なるほどね。こうすれば仕事はさっさと終わるし、晩ご飯はちゃんと食べられる。
モンテッサやホンダの速報、はたまたドギー・ランプキンのレポートやジェイムス・ダビル、アレックス・ウィグと、イギリス人の個人リリースを一手に引き受けいてるイギリス人のジェイク・ミラーは、今、トライアルプレス界できちんとビジネス仕事をしている希有な存在のひとりだ。やつのコンピュータのかたわらには、仕事リストがプリントアウトしてあって、ひとつ仕事が終わるたびにチェックを入れて、すべてにチェックが入ると、やつは荷物をまとめてプレスルームを去っていく。彼はほかにもFIMのプレス事務局も兼任しているから、誰かが取材の申し込みをしにきたりすると、ほいほいと受け付けをしてゼッケンを渡したりパスを渡したりしている。ベルギーの最終戦では、国際A級の門永くんが来ていたので、プレスゼッケンをもらってあげようと思って、ジェイクに「ゼッケン1枚ちょうだい」とお願いしたら「いやなこった」と言われた。最近少し仲よくなったので、こういう冗談を言われるようになった。でも、イギリス人の冗談は、あんまり冗談に聞こえないことがある。
TDNでは、ジェイクの仕事が終わる頃、ドギー・ランプキンがプレスルームにやってきた。ジェイクとなんだかんだとことばを交わしたあと、ジェイクのスーツケース(やつは仕事道具だけでスーツケースをふたつも持っている。水色で、雲の模様の入った似合わないスーツケース)をひとつひきずって去っていった。その15分後、再びドギーがやってきて、今度は揃って帰っていった。
「あの人はおまえの運転手か?」と聞いたら「ちょっとギャラが高いけどね」とのことだった。たぶん、同じレンタカーに乗ってきて、同じ飛行機でイギリスに帰るんだろう。
ジェイクの前には、イタリアのジュリオ・マウリとマリオ・カンデローネ(と奥さまのアニエーゼ)は、ジェイクの前に帰っていった。マウリはアルパインスターの広報官もやっていて、ライダーとの契約代行に走り回ったりもしている。マリオはふつうのジャーナリストだけど、世界選手権(女性の)を開催したりもするから、やっぱりただ者ではない。みんな、ふつうじゃない人ばっかりだ。
さて、こうしてあとに残されたのは、まぁ、いつものメンバーなんだけど、ぼくと、藤田秀二さんと、ソロモトのチリ(ちゃんとした名前はあるんだけど、愛称が簡単なんで、覚えられない)。原稿を書く連中は、おしなべてみんな遅い。おもしろかったのは、藤秀とチリにはそれぞれ相棒がいたことだ。藤秀は、トライアルのCS放送といえばこの人、生野涼介さんが旅の相棒。そしてチリの旅の相棒は、FIMの映像を記録しているインターゾーンのロベルトだ。ビデオ屋さんは試合が終わったらあとはやることがないので、相棒の仕事が終わるのをじっと待っている。ベルギーでは、チリの仕事をまっているロベルトが、ビデオ映像をチェックしながら「こんなおもしろい映像を撮ったぞ」と見せてくれて、なかなか仕事のじゃまになった。おもしろかったけど。
今回、ロベルトの姿が見えないと思ったら、どうやらホテルに帰ってシャワーを浴びてきたらしい。さっぱりしてプレスルームに現れた。で、チリが片づけをはじめる頃、ちょうどぼくも仕事が終わった(実はひとつ忘れていたことがあったのだけど、ジェイクとちがって、ぼくはチェックリストを持ってないので、飛行機に乗る頃になって“しまった”と気がつくわけだ。なさけない)。時、夜の9時を回っている。こんな時間に晩ご飯を食べるのは、なかなか手間がかかる。だもんで、すぐ人に頼るニシマキは、やつらといっしょに飯を食うことにした。思い出せば、ちょうど1年前、イタリアのセントリエーレのTDNでも、日曜日の晩はやつらといっしょに飯を食ったのだった。
まず、ホテルにカメラを置いて、それからメシにでることにする。ぼくのホテルは街の手前にあるから、先に寄らせてねとぼくのホテルに直行。ほんとはシャワーも浴びたかったけど、荷物を置くだけと約束したから、汚れたかっこうのまんま出てきた。そしたら、彼らのホテルはぼくのホテルの道の反対側だった。なんだ、こんな近くに生息してやがったのか。
ホテルがすぐ近くだったので、ぼくが彼らの車に便乗して、いっしょに街へでることにする。ロベルトはすでにシャワーを浴びてすっきりしているけど、チリは泥だらけのままだ。荷物を置いてくるとホテルに入ったチリがなかなか出てこない。「チリ、シャワー浴びてるんじゃないの?」とロベルトに聞いてみたら「そんなこたぁない。チリはいつも遅いんだ。着替えるのも荷物をまとめるのも、歩くのも、なんでもかんでも」とのことだった。だからというか、そんなチリはパドックではけっこう愛されている。そうそう、ついでに、仕事も早くない。
今回はもうひとりスペイン人がいた。モトチクリスモの仕事でやってきたマルコくん。トライアルの取材は初めてのようで、雨の中よれよれで憔悴しきってプレスルームに帰ってきていた。初対面の者同士だけど、同じスペイン人だからか、3日間同じ取材をしているうちに、すっかり仲よくなっていたらしい。チリが仕事しているソロモトはモトチクリスモとはライバル関係にある。仕事上はライバルだけど、メシはいっしょに食えるってわけだ。もちろんみんな割り勘。
スペイン人3人と日本人ひとりだから、会話はどうしてもスペイン語になって、ぼくはちょっとつまんない。こういうとき、ラテン系のことばがしゃべればいいなぁと思う。彼らはどうせカタルニア語をしゃべっているだろうけど、カタルニア語とイタリア語はけっこう似ている。ポルトガル語とも似ている。もちろんスペイン語ともフランス語とも別物ではないから、ひとつ知っていれば、応用は利く。日本語はほとんど完全に孤立した言語で、英語もかなり孤立している。ラテン系のことばは、みんな仲良しだ。うらやましい。
ぼくはフランス語のメニューがさっぱりわかんない。やつらにメニューの通訳をお願いする。ロベルトが得意そうに解説してくれた。「これが肉、これが鳥、これが魚だな。魚にするの? それぞれ10種類ずつくらいあるけど、どのメニューがどんな魚だかは、おれにもわかんない」。肉と鶏と魚の中から種類だけ選んで、あとはてきとうに決めるしかないわけだ。
「キミらは、フランス語はしゃべるの?」と聞けば、チリが「ちょっとだけ。勉強はしたんだ。今も、ソロモトで週に1回お勉強している。ぼくらにとって、フランス語はそんなにむずかしくないんだけど、でも使う機会がないから、忘れちゃうんだなぁ」とたいへん理解しやすいお返事をしてくれた。ロベルトが横から「おまえ、フランス人は好きか?」と聞いてくる。なんとなく話の展開が読めたので「あんまり好きじゃない。ちょっと理解できないところがある」と言ってみると、やつらのツボだったらしく、わが意を得たりという感じだった。でも、ときにフランス人が理解できないのは、うそじゃない。
その後、スペイン人3人の会話が盛り上がる。英語をちょっとだけ話せるだけじゃつまんないなぁと思いながら、彼らの会話をながめていると、チリが通訳してくれた。
「今ぼくらは、プレイステイションとかのテレビゲームについて話をしている。テレビゲームはぼくらの国でも大人気だけど、どうしてあんなに高いんだろう。日本じゃ、もう少し安いらしいじゃないか」
うーむ。やつらはプレイステイション世代かもしれないけど、ぼくはあんまり興味がない(脳の老化を防ぐソフトがあるらしいので、それは必要かもしれない)。正直値段のことはわからない。まぁそのー、とお茶を濁しつつ、こう答えた。
「それはさ、日本でガスガスやシェルコを買う方が、スペインで買うより高いのとおんなじじゃないかな」
3人のうち半分は(割り切れないけど)納得し、残りの半分は「でも日本人とぼくらじゃ、給与水準がちがうぞ」と反論してきた。めんどくさいから「じゃ、今度プレイステイションを持ってきてやるよ」と外交辞令をして話を丸くおさめた。金で方をつけようとするのは日本人の悪いくせだ。そしたらチリが「だったら、日本に帰るときにはガスガスを渡すよ」ときた。くれるのはなんでもうれしいけど、オートバイなんか持って帰るのはいやだよー。外交は、なかなかうまくいかない。
マルコは街の中にホテルをとっているようで、そのままさよなら。やつはKTMでスーパーモタードに参加するライダーでもあるらしい。トライアルはやんないの?と聞くと、自転車トライアルをやってるらしい。
ロベルトとチリは、翌朝早い飛行機で、バルセロナに帰るという。
「また来年会おうね」とさよなら。
やつらはカベスタニーやラガの世代で、ぼくとはヘタをしたら年齢差が倍もあるけど、どうやら年齢ってのは外国では関係ないみたいね。気の張らない、いい仕事仲間たちである。
写真は、土曜日の女性トライアル・デ・ナシオンの取材中のニシマキ。イギリスのtrialcentralってサイトをやっているアンディが、プレスルームで「おもしろいのが撮れた」と大喜びしていたのはしってたけど、全世界に発信されているとは知らなかった。
投稿者 nishimaki : 19:46
2006年10月04日
イギリス脱出
杉谷に脅かされていたわりには、イギリスはふつうに脱出できた。杉谷から脅かされたときには、帰るのが憂鬱になって、このままイタリアかスペインにでもいっちゃおうかなと思ったんだけど、帰ってきた。日曜日にバルセロナに帰るチリとロベルトともうひとり、この日に友田に担ったマルコと3人でディナーをして分かれ、そこからは日本へ向かってイギリスに突進する。
1週間前にベルギーから日本に帰った杉谷は、ヒースローのトランジットでものすごいセキュリティチェック渋滞に出会い、時間ぎりぎり、飛行機のゲートが閉まっていたというお気の毒な自体に遭遇していた。もちろん荷物チェックも厳しいから、ビデオカメラやヘルメット、カメラにコンピュータに各種充電器と、つまんないものを山ほど持っている身としては、たいへんめんどくさくなったものだったけど、まぁそろそろうな丼も食べてみたくなったので、日本に帰ることにしたのだ(ほんとは、ヨーロッパにい続けるなんて勇気はこれっぽっちもない)。
杉谷はベルギーからのフライトで、ぼくはフランスからというちがいもあったのかもしれない。さらにぼくは、なぜかパリで東京までのチェックインをしてもらえず「ロンドンからのボーディングパスはロンドンでもらってね」と言われてしまった。しかも乗り継ぎは1時間ちょっとしかないもんだから、最初から大慌てで、飛行機を降りたところで係員に「おらー、急いでいるぞ」と申告して荷物チェックも真っ先に済ませた。
荷物チェックは2ヶ所あって、その都度コンピュータをカバンから出さなきゃいけないめんどうはあったけど(複雑な形のビデオカメラとコンピュータをザックに放り込んだので、コンピュータは出したら二度と入らない)、2回とも待ち時間なしでチェックを受けられたし、たいへんスムーズでした。
人から得る情報も大事だけれども、自分のことは、自分で体験するまでわからないという教訓でした。
写真は、朝一番でシャルル・ドゴール空港に駆けつけたのに、ターミナルがちがうといわれてターミナル移動のバス待ちで1時間近く待たされて、とほほになっていたときのバスがいつも止まっているあたりの舗装路面。わかりにくいだろうけど、素人のトライアル大会に使えそうなくらいに路面が波打っている。成田空港だったら絶対に許してもらえなさそうな品質。成田だったら、シャトルが1時間もこないなんてことも内だろう。でも、そのいいかげんさゆえに、なんとなく成り立っている分かがあるような気がしてしょうがない。
投稿者 nishimaki : 17:57
