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2007年05月31日
再び引っ越の巻
つい最近引っ越してばかりだけど、導火線に火をつけておいたプロジェクトが急転直下ころころと進みはじめて、引っ越していかないわけにはいかなくなった。詳しくは落ち着いてから解説させていただきますが、とりあえず引っ越ししたぞという報告だけしておきたいと思います。
ネタのために引っ越してるわけでもないんですけどね。
今度の引っ越し先は、廃校になった小学校です。福島県。
廃校がほしいなぁと思いはじめたのはもう5年も10年も前だけど、話がつながっていよいよ自分が廃校に赴くことになるとは思わなかった。このへんの話は次回詳しく。
いよいよ活動が始まろうというときになってチェックしたら、学校は雨漏りがしていた。2年間放置しちゃったから(その2年間、ぼくらはせっせと学校利用についての提案をしていた)傷みも激しいわけだ。話は決まっているけど、具体的な貸借契約とかも結ばれていない(このへんの順序がひっくり返るのは、まぁ、田舎だからなんでしょう)。
それで、とりあえず空き家を探して、そこに荷物を入れて住みはじめることにした。学校を、ぼくらは「ひとの駅」と名づけた。福島県川内村ってところにあるので「ひとの駅川内」がフルネーム。駅だから、住むとなると宿直ってことになるわけで、となるとプライバシーは内。もともとぼくにプライバシーなんて(あんまり)ないけど、今後のことを考えると、駅(がっこう)とは別に住み家があってもいいのかなとは思ってもいた。
このへんの段取りは、全部地元の遠藤さんがやってくれた。といっても、遠藤さんはいっぱいいる。この場合の遠藤さんは隆之さん。たいへん親切な人だが、それ以上に、たいへんなポテンシャルを持っている。隆之さんの他に、川内村村長さんも遠藤さん。川内村には、遠藤さんと秋元さんと井出さんが幅を利かせている。じゃ、ファーストネームで呼ぼうかと思ったら、ひとの駅の入り口にある鈴木商店の鈴木さんは孝幸さんだった。人の名前が覚えられないニシマキには、しばらくは苦行が続きそうです。
遠藤さんが借りてきてくれたのは、おばあさんが一人暮らしになったので村をでて常磐線沿いの町に引っ越したあとの空き家。写真を見せてもらったら、趣があって、ここにすみたいと思う人は少なくないんじゃないかと思われるようないい感じ。
両神の家は、例によって引っ越しするというのにぜんぜん片づいていない。富士宮で小説家になろうとしている前田くんを呼びつけて、ついでに東京からは弟(一応、ニシマキにも家族がいる)を呼びだし、さらに地元のKさんが仕事をさぼって手伝いに来てくれた。みなさんのおかげで、ニシマキは生かされています。
お昼に2トンのレンタカーを借りてきて、積み込みが完了したのは夕方5時だった。なかなかのウルトラC。実は、前回と同じく、今回も引っ越し屋さんに全部おまかせしようと思ったんだけど、荷造りを全部こっちがやって、トラックに来てもらうだけなのに前回と同じくらいの見積もりだった。高い。それでレンタカーを借りてきて、人力で作業することにした。忙しいさなかだから、綱渡りになっちゃった。いつもこんな調子だけど。
積み込みが終わって、そのまま、ぼくと前田くんは福島に向かう。途中、有料道路の入り口を間違えて逆戻りしてしまうなど失態を演じながら、高速代をけちって武蔵・上州を縦断して東北道をめざし、途中から山越えをして川内村入りする道程。
途中から、遠藤さんに電話する。今日は家に着くだけついて、その家で寝てしまおうと思い、そういう予定であることをお話する。
「うーん、今日はうちの直売所の厨房に泊まりなよ」
電話の向こうの遠藤さんは、なんとなく含みがある言い方。家にいったらなにかまずいことがあるのかなぁと思いつつ、1年間は地元の人に全面的に従うというモットーなので、おことばに甘えて山菜直売所の厨房に寝かせてもらった。川内に到着したのは0時半。
遠藤さんの山菜直売所にはツリーハウスが建っている。朝、さっそくチェックに行く。前田くんは、ツリーハウスの中から天井を見上げて喜んでいる。家のど真ん中に、生きている樹木が通ってるのはなかなか乙なもんだ。
翌朝、さっそく家に向かう。電気屋さんが電気の配線を工事中。電気はもちろん止められていたので、新たに契約しなおさないといけない。その工事をしてくれているのだ。今日は東京電力の検査が来る日なんだそうだ。
電気屋さんが作業している横で、まずお家のチェックをする。がらがらと玄関を開け……、まぁ、開かない。家が歪んでますからね。えっちらおっちら開けないといけないのだった。
あがると、こたつがでている。え? ここって、誰かが住んでるんじゃないの? 押し入れを開けると、布団や着物も入ってる。
隆之さんがやってきた。これ、ほんとに空き家なんですか?
「そうそう。おばあちゃんがでていったままなの。部屋の中のものは、全部自由に使っていいそうだよ」
ちょっとと頭を抱えるニシマキ。前田くんは、横で大喜びをしている。しかも前田くんは、部屋の片隅の床が、今にも抜けそうだというのを発見して、また大喜びだ。
おばあちゃんの荷物をどうやって使わせていただくか、あるいは使わないのかはあとで考えることにして、とりあえず床がしっかりしていそうなところに荷物を運び込むことにした。余り荷物を優先的に運び込むと、人間が生活するスペースがなくなるから、バランスも考えないといけない。
ざっと40個〜50個の段ボールを降ろして一段落。たいして荷物を持ってないつもりなんだけど、写真とか本とかコーステープとか、へんなもので荷物がふくれている。シンプルな生活がしたいなぁ。
次は学校へ向かう。本棚や机は、学校で使うことのほうが多いだろうというのと、本棚に本を入れたら、いよいよ床が抜けそうだからだ。途中、遠回りをして佐藤校長先生の山小屋へ寄る。先生は小学校の最後から二人目の校長先生だった。今は引退して、子どもたち(と大人)相手の自然学校をやっている。ラジコン飛行機もやるしカヌーもやる。アマチュア無線もやるしサキソフォンも吹いている。パワフルなじいさんだ。
「このうえ山バイクも覚えなくちゃいけないから、たいへんだよ」と、ぼくが新しい趣味を持ち込んできたことにうれしい悲鳴を上げている。工作場は、木工工具がずらりと並んでいた。今回はごあいさつと、前田くんに佐藤先生の存在を見せてあげるのが主な目的だった。先生は、庭に窯を作っていた。パンやビザを焼くんだそうだ。
そして学校へ。入り口の鈴木商店でご挨拶して、机ひとつと本棚3つを職員室に入れさせてもらう。前田くんは老化に寝っ転がったり体育館に寝っ転がったりして写真を撮っていた。
荷物を全部下ろしたので、温泉に。かわうちの湯。正直なところ、両神の温泉のほうが、お湯はいい。両神の温泉はかけ流しで、いかにも温泉というかおりがたっぷり。かわうちのほうは循環だから消毒処理がしてあるんだ。ただサウナや露天風呂もあるから、楽しさはこっちのほうが勝っている。年間2万円払うと、1回100円になる。両神は町民が半額だった。いろいろシュミレーションすると、川内のほうがうんとお得だ。
これでミッションは完了したので、レンタカーを返しに秩父へ向かう。当初お昼までに返す予定だったけど、荷物を下ろし終わったら2時になっていた。レンタカー屋さんに延長の電話はしておいたけど、営業時間が翌8時までだから、それまでに帰りたい。お風呂に入ってご飯を食べたら、午後3時。ぎりぎり。
役場の前を通ったら、村長さんが執務をしているのが見えたので、お行儀悪く、窓の外からごあいさつする。村長さんは「あれ? 村営住宅に住むんじゃなかったっけ?」と、一応ぼくの動向を把握してくれている。村営住宅は、申し込みに来たんだけど、家族持ちに限るとかいろいろ条件があって、ぼくには権利がなかったのだ。だから素直にあきらめた。今日は荷物を運びに来ただけで、世界選手権のあと(実はそのあとも、少し予定がある)本格的にこっちへきますとあいさつして、川内を離れる。
帰りは常磐道から外環、関越道と高速道路の大盤振る舞いで帰る。燃料を入れてレンタカー屋さんには午後8時ぎりぎりに滑り込んだ。
杉谷からはどこに引っ越したのか教えろと連絡があったけど、さて、ぼくはどこに引っ越したのかな。住民票をどこに移すのか、などは、少し様子を見ながら考えます。
今回はカメラがどこにしまいこまれたかわかんないので、珍しく携帯電話のカメラで撮影したみた。
○写真1枚目:荷物運び完了。レンタカーの2トントラックと学校
○写真2枚目:隆之さんの趣味のツリーハウスをのぞかせてもらった。寝転がって天井を撮影する前田くん
○写真3枚目:ツリーハウスの外観はこんな感じ。このツリーハウスは樹木がストレスメンバーにはなっていない
○写真4枚目:2トンのトラックの中身はこんなことになっています。ぎっちり詰め込んだから、荷崩れはほとんどしていない。
○写真5枚目:体育館で、寝っ転がってステージをとる前田くん。
投稿者 nishimaki : 18:38 | コメント (2) | トラックバック
2007年05月17日
ネジは古いのか
ペンタックスが、HOYAとのTOBを受け入れて子会社になったらしい。ペンタックスは、カメラ事業へのこだわりが大きかったらしい。ぼくにとっても、ペンタックスはカメラだ。生まれて初めて使った35ミリ一眼レフは、アサヒペンタックスKという1958年型だった。今でもポケットカメラはペンタックスの防水を使っている。
でも本日は、日本経済やカメラ史について語りたいわけじゃないんだ。ネジを締めるという古典的なアクションについて考えてみたというお話。
今はもうちがうけど、ペンタックスといえば(正確にはアサヒペンタックスと称してました)、M42プラクチカスクリューマウントだ。アサヒペンタックスは日本で最初に一眼レフを市販した会社で、世界で初めてクィックリターンミラーを一眼レフに取り入れた会社でもある。クィックリターンじゃない一眼レフというのは、いまでもハッセルブラッド(女の子のヌードとか撮るときにはこういうカメラが幅を利かせる)とかはそうなんだけど、写真を1枚撮ると、ファインダーから像が消えてしまう。悲しい。画像を見るには、巻き上げをして、シャッターをチャージしてミラーを元の位置に戻さないといけなかったんだ。クィックリターンミラーが開発されたあとも、レンズの絞りは自分でセットしなければいけなかった。今みたいに、いつでもレンズの最大口径でプレビューが見られて、写真を撮るときにだけ絞りが絞られるシステムは、またもうちょっとあとのことだった。調べたら、自動絞りを製品化したのもペンタックスだった。ペンタックスえらい。
あれ? すっかりカメラ史になってる。もうちょっと続けちゃおう。
で、この古きよき時代のペンタックスが採用していたスクリューマウントってのは、レンズを交換するとき、レンズをぐるぐる回してねじ込みでボディに固定するってやり方だった。キヤノンKissとかニコンD40とか使っている人は、ためしにレンズをはずしてみてください(ほこりのないところでやってね)。ボタンひとつ、レンズをくぃっと1/4回転ほど回すと、レンズとボディがばらばらになるはずです。それに対してスクリューマウントは、ぐるぐるぐるぐる。何回回すのかは、調べがつかなかった。ぼくの昔のカメラは、あるとき大事に使ってくれそうな人に無期限に貸してしまったから、今手元になくて検証ができない。残念。
中学校のときに、当時ペンタックス最上級機種のSPってのを買った。その時説明書にこんなことが書いてあった。スクリューマウントについての記述だ(もちろんうろ覚えにつき、正確ではない)。
「スクリューマウントはネジが摩耗してもさらにぐるぐる締め込めば規定位置にセットできるので、常にきれいな写真が撮れます。機構が摩耗するとなにが写るかわかんないバヨネットマウントとかより優秀です」
これは負け犬の遠吠えなんじゃないかなぁと思ったんだけど、確かに、バヨネットマウント(ニコンなどが採用。ニコンは一眼レフ開発当時から今にいたるまで、基本マウントを変えない唯一の会社になった)とかスピゴットマウント(キヤノンFDのマウント。ぼくはこのマウントと、この時代のキヤノンが好きだ)では、ガタがでるとレンズそのものがガタガタしてくるリスクがある。スピゴットはそれでもレンズを締めつけるメカがあるからいいんだけど、キヤノンもバヨネットに未練があったらしく、FD後期型ではスピゴットをバヨネット風に改変してしまい、EOSになって完全にバヨネットにしてしまった。いや、バヨネットがいけないわけじゃないんだけどね。
だからカメラ史ではないといっているのにだ。実は今日インスタントコーヒーを飲もうと思って、ふと気がついたわけです。この前まで飲んでいたのは、フタをくるくる回して開け閉めしていた。今飲んでるのは、フタを1/4ほど回すと開け閉めできる。バヨネットなんだね。
ただ、なんだか頼りないの。ほんとに締まったのかな、不意に開いてしまわないのかなって。いっしょに使っているクリームのビンはスクリューマウントだから、ぐるぐるぐるぐる。でも確実だし、軽くクルクルっと回せば、あっという間に開け閉めできる。
スクリューマウントがバヨネットマウントに取って代わったのは脱着が簡単で確実だったからなんだけど、ほんとに締まってるのかなと何度か確認するより、ネジを一発で確実に締めたほうが早いんじゃないかって、コーヒー飲みながら(今もそのコーヒーを飲んでいる)考えたわけだ。
そういえば、レンズのフードがあるでしょ。レンズの前につけるよけいな光線を遮るやつ。あれも、昔はネジで締まっていたんだけど、最近のはほとんど全部バヨネットだ。最近のは丸くないから、ぐるぐる回して方向がちがっちゃうと困るという技術的理由もあるんだろうけど、でもぼくはバヨネットのフードがきらいだ。だって、すぐに落っことすんだもの。
バヨネットだから、少しきつく締まっているとはいえ、1/4回転もするとはずれてしまう。山を駆け回ったりしていると、ぜんぜん気がつかない。これがねじ込みだったら、ネジが完全に外れるまで、ぐるぐるぐる、くらいはしないといけないので、発見するまでに猶予がある。バヨネットフタのコーヒー瓶をひっくり返してコーヒーをこぼしたことはまだないけど、レンズのフードはもういくつもなくした。
1秒コンマ1秒を争うレースの世界では、車輪の脱着にクィックリリースってのを使っている。耐久レースでクィックリリースが登場してきたときには革命だったなぁ。でも、車輪の脱着をバヨネットにしているレース屋さんはない。どう考えてもあぶない。
そういえば、トライアルマシンの燃料キャップは、いまだにぐるぐる回すやつが多いですね。簡単に開くということは、開いてほしくないときにも簡単に開くということだ。トライアルメーカーは、とことんユーザにやさしくないから、ワンタッチでガソリンキャップが開くようにしようなんて、これから先もそうそう考えないにちがいない。
簡単にくっつくというのは、簡単にはずれることである。ネジの起源は、確かな記録が残っていないらしい。昔の人が大事に育てた技術は、やっぱり大事にしていかないといけないなぁと思った初夏の物思いなのでした。
写真は、お気に入りの散歩道。この先、いい感じで湿っていて、ほとんど人が通らないから、あっという間にコケがびっしり。オートバイなんかで走ったらあっという間に壊れてしまう微妙な自然だけど、オートバイならずとも、人間ひとりが歩くのも、なかなか気をつかう散歩道なのだった。
投稿者 nishimaki : 16:35 | コメント (4) | トラックバック
2007年05月09日
三宅島はどこへいく?
石原慎太郎都知事が、三宅島を舞台にマン島TT(ツーリストトロフィー)みたいなことをやろうとしているのはすでに世の中の常識的ニュースだけど、これを三宅島が断念しかけているというニュースが、ちょっと前にあった。石原さん、三宅島、レース界、メーカー、いろんなところの思惑がからみあっていて、外野から見たらおもしろい。
三宅島でモータースポーツ、という動きについては、ざっと1年前に書いたことがある。そのニシマキ日記はこちら。
でも、案の定というか、今は話が大きくしまって、出て行くにくい状況ではある。
三宅島1周レース断念のニュースは、朝日新聞などに出ていた。今検索してみたら、件の記事は消えていたので、キャッシュサービスのリンクを紹介しておきます。
三宅島1周レース断念 都、滑走路の利用など検討
2007年04月27日03時23分
要約すると、11月に石原慎太郎の肝いりでぶち上げた三宅島1周30kmをつかったオートバイのレースは、二輪メーカー各社の安全面での懸念が強く、代替案を検討することになったというものだ。1周3km程度の短いコース、閉鎖中の三宅島空港の滑走路を使う、島の斜面でのオフロード競技、ツーリングイベント、などがまな板に登っているという。都としては、レースの開催に二輪メーカーの協力は不可欠として検討を重ねていたが、メーカーの協力が得られないため、代替案の検討にはいったという。
反応はふたつある。「ロードレースなんてあぶないもんをやるなんて、無理に決まってるじゃないの。断念は賢明だよ」という大人の意見と「せっかく石原さんが英断を下したのだから、二輪界は総出でこのイベントを盛り上げるべきだ、なんで協力できないのだ」というもの。どっちもごもっともだと思う。
この件について、畑がちがうからあんまり聞き回ることもしなかったんだけど、この前ふととあるメーカーでモータースポーツの普及に従事している方とお話ができた。三宅島の件については、やっばりそうだよなぁ、というお話が聞けたから、かいつまんでご紹介しておきます。
まず、今回のニュースは三宅島公道レース断念ではなくて、当初案について修正動議がかかったというとらえ方だ。三宅島でのオートバイイベント自体は歓迎すべきことであり、メーカーも応援をしていくという姿勢らしい。
ただし、応援するといっても無条件というわけにはいかない。まずはやっぱり安全性だ。石原さんがマン島に視察にいったときに、不幸にも前田淳選手が事故に遭って、のちに亡くなった。ふつうなら「こりゃあぶないからやっぱりやめよう」ということになりそうなんだが、石原さんはモータースポーツはけっして安全なものではないということをよく理解しておられる。前田選手の事故死も、石原さんの信念を変えることはなかった。前田選手の遺志を考えても、よかったと思う。
でも、世の中の声はどうなのか。前田選手の事故の報道は比較的ひっそりしていて、三宅島でのイベントと直接関連づけているものはなかった。いざ三宅島でレースをやって事故が起こったときに「こんなあぶないことをやりやがって」と叩かれるのがオチではないかというのが、メーカーのたいへんもっともな心配だ。
三宅島にはフェリーがつけられない。人とオートバイ、レース機材をどうやって運ぶのかについても解決ができていない。スタッフだっていない。都はマン島の例を出して、コースオフィシャルは島民に、と提案してきたことがあるらしいけど、マン島の島民は、生まれたときからコースオフィシャルをやっている。今日本でコースオフィシャルをやっているどんなベテランよりも、経験豊富な人たちだということを忘れてはいけない。
そもそもマン島自体が、世界のレース界から一線を引かれているイベントだ。かつてイギリスGPといえばマン島だったけど、今はモトGPが開催されるなんて話はついぞない。だからといって、マン島の魅力は絶大なものがあるんだけど、それはやっぱり100年の歴史(1907年に始まっているけど戦争で中断があるから100回はやっていないはず)の賜で、今からマン島をコピーするのは不可能なんじゃないかと思う。
と、こんなふうに懸念はいっぱいあって、だから懸念を解消していって、地元のためになるようなモーターサイクルイベントを構築しましょうというのがメーカー側の提案らしい。これに対して、都や三宅島は、どうやら石原慎太郎さんの提案が大事なようで、島一周のロードレースにこだわっちゃっていたみたいなのだ。
レースの開催には二輪メーカーの協力が不可欠という考え方も、日本独特だ。もちろんマン島だってスポンサーはいろいろ受けているけど、日本で開催されるレースのように、日本のメーカーが全面的にバックアップをしているということはない。100年の歴史を誇るマン島を手本にするといいながら、お金の出所だけは日本のレースの常識を踏襲するのは、ずるいと思っちゃったりする。マン島TT、SSDT、伝統的イベントは、メーカーにお金の無心なんかせず(多少はしてると思うけど)開催している。だってメーカーよりも、ずっと息長く続けているイベントなのだ。イベントが、高性能なオートバイを作ったという自負だってあるだろう。メーカーがなければ開催できないなんて思うわけがない。マン島とSSDTがなければ今の二輪メーカーはなかったと思っているイギリス人は少なくないはずだ。
100年のマン島の向こうを張ろうと思わず、その歴史30年のイーハトーブトライアルあたりからノウハウを学んでいったら、もう少し軟着陸ができたんじゃないかと思うんだけど、石原慎太郎御大の鶴の一声で始まっちゃったから、トライアルなどというわけのわかんないモータースポーツでお茶を濁すことはできないのかもしれない。「村の財政は脆弱なので、メーカーの協力がないと開催できない」と愚痴る平野村長の発言は、なさけないのと同時に、同情に値するものでもある。これについて、件のメーカー氏は「協力するったって、メーカーはそんなにお金を出す気は最初からないですよ」とのこと。当然だよなと思う人、冷たいなと思う人、いろいろいるだろうと思うけど、そういうことらしい。
文化というものは、よその国から突然輸入してきたり権力あの人の鶴の一声で決まるものではなくて、長い歴史と土地の人々の努力から生まれるものだと思う。
そういった意味で、日本のトライアルはたかだか40年弱の歴史しかないけれども、40年分の文化を育んでこれたかどうか、三宅島がどんな決着を見せるかはわかんないけれども、他人のフリ見て我が身を正していきたいとは思います。いえ、けっして三宅島がだめって言ってるわけじゃないんだけどね。
*写真は例によって本文とはまったくなんの関係もなくて、今住まわせてもらっている両神の家のお隣。おじいさんみたいだけど、意味もなくこのへんをふらふら散歩するのが、すっかりお気に入りの日課になりました。
投稿者 nishimaki : 16:22 | トラックバック
2007年05月03日
ギャロップを見る
連休いろいろその2はギャロップの巻。
福島県双葉郡川内村。前の日にロードレースの舞台に中にいたぼくは、一夜を置いて山深い村にやってきた。福島県といっても、茨城県に近い、東北圏内にあっては、関東地方にもっとも近い位置にあるんだけど、そうはいっても、やっぱり近くはない。
現地では、ようやく桜が散りはじめた頃だった。
川内のエンデューロは、今回で5年目だか6年目。今回やったのは初心者向けのやつで、秋にはうまい人たちが飛んでいく上級者向けのやつもある。
牧草地の跡地や山林をコースにしていていて、気持ちがいい。たぶん走ったらとても気持ちがいいと思う。でもぼくはまだ、ここを走ったことがない。
というのも、ここはレース開催日以外は、オートバイの走行を厳禁しているからだ。ふつうの大会だったら、レースの準備かなんかをやるときには、スタッフはオートバイを足に使って、それなりにオートバイ遊びも楽しむもんだけど、ここではオートバイが走っていいとお許しをもらっている日以外はこれっぽっちも走らない。そこまでしなくてもと思わんでもないけれども、けじめというのは破りはじめたらきりがないんだろうなぁ。
もうひとつ、山をオートバイで走ると、少なからず荒れてしまう。坂の途中でスタックしたりして、脱出にもがけばもがくほど、わだちは深くなる。こういうのを放置しておくと、山の地形ががらりと変わってしまってものすごいことになる。このエンデューロは、イベントが終わったあと、ボランティアを募って、コースの改修をやっている。一部のツーリングトライアルでは、すでに当然のようにやっているし、エンデューロでも今はどこもやっているのかもしれないけど、オートバイ好きが山林に集まって、でもオートバイには乗らずに(改修をする日にはオートバイを走るお許しはもらってませんから)スコップを片手にのしのし歩いている姿は、珍しい光景ではある。
広いコースは重機がはいれるから作業は簡単なのだが、山の奥は手作業しかできない。人間の手が、まだまだ必要とされている場面は多いのである。
前置きが長くなっちゃったけど、今回のレースは、初めての人や女の人なんかを集めて、全部で216名の参加があったらしい。最初にちょっと速い初心者、次ぎにふつうの初心者、ミニ、初心者中の初心者、女の人たち(男組に混ざって走る人だってもちろんいる)、今日が初めての人たちといろんなクラスに分かれて、それぞれが一斉にスタートする。
レース時間は3時間。トライアルは5〜6時間やっているから、それに比べるとあっという間かもしれないけど、ライダーはずっと走っているから、どっちがたいへんなのかは比較の問題ではないんだろう。1周は、今回は10km。速い人で15分。ふつうの人で20分。初めての人とか、途中でへこたれた人は1時間近くかかって回ってくることもある。平和だ。
森の中へいくと、10cmばかりの丸太を越えられずに地面を掘り続けている人とか、木の根っこが出てくるたびに転んでいる人とか、ほほ笑ましい人がいっぱいいた。こういう人が、トライアルやモトクロスの底辺を支えているのだと、ぼくはいつも思う。トップライダーばかりでは、世界は成り立たない。トライアルには、本物のライダーが(相対的に)多すぎるんじゃないか。だもんで、トップの数人のライダーを、ランキング10位くらいのライダーが支えるというみたいな、小さな世界になってしまうのではないかしらん。
と、そんなことを考えながら、森の中でレースを眺める。森の中には、妖精が住んでいる。妖精とお話していると、向こうの方からかすかに排気音が聞こえてきて、そのうち目の前を通過する。さっそうと走り去っているつもりの人、できれば助けてほしい、見たいな顔をしている人、いろいろ。平和だ。
それでも、このレースはきっちりすべきときころはきっちりしている。レースが終わったら、自分の個別のタイムが発表されたりする。エンデューロやモトクロスでは当然のことかもしれないけど、車検もちゃんとおこなわれる。車検ってのはめんどくさいし、壊れるようなバイクを持ってきてクラッシュしても、それは自己責任なのだけど、競技となると、いらぬ迷惑を他人にかけることになるから、やっぱり必要な儀式なんだろう。草トライアルに車検が必要なのかはともかく、なんとなく最近のトライアルは、けじめがなくなっている気がしないでもない。気のせいかな?
レースを最後まで見ていたかったけど、夕方遅くなって新潟のパドックに到着するのも具合が悪いなと思い、スタートして1時間ちょっとしたところで現場をあとにする。太平洋側から日本海側までの移動。磐越自動車道はほとんど一車線で、フルコースコーションがでたままのインディレースのようだ。高速道路は追い越しがスムーズにできるからこそ高速道路なのだと思うのだけど、日本の高速道路は、そもそもの設計もおかしいし、そこを走る運転者の常識もおかしいから、なぜか追い越し車線から混んでくる。こんな走り方をしていたらドイツだったら殺されても文句はいえないんだけど、そもそも片側一車線の高速道路を見せたら、ドイツ人はどんな反応を示すだろうか。
なんて、ぜんぜん関係ないことを思いつつたどりついた、全日本会場の新潟県阿賀野市大日が原も、まだ桜のシーズンだった。
投稿者 nishimaki : 11:37 | コメント (3) | トラックバック
2007年05月02日
連休いろいろその1。DE耐
ゴールデンウィークの前半。たまたまなんだけど、土曜日にロードレース、日曜日にエンデューロ、月曜日にトライアルというこれぞまさにモータースポーツ三昧という週末を送った。ロードレースはツインリンクもてぎで開催されたDE耐。エンデューロは福島県川内村で開催されたギャロップF。トライアルは、もちろん全日本トライアル第3戦だ。
ほんとは、全日本トライアル以外のふたつには、参加しちゃいたいなと思ったんだけど、その時期は自然山通信の締め切りから発送にかかるあたりで、忙しいうえにはずせない。それに、さすがに全日本トライアルの前日にレースに出て遊んでました、というのもパドックで世間体が悪いから(一応世間体を気にしたりすることもあります、これでも)、土曜日と日曜日は見るだけだ。
DE耐は、小さなバイクで大きなお祭りってキャッチフレーズで、100cc以下の4ストロークのバイクを使った7時間耐久レース。今回は100ccをベースに125ccまでスケールアップしていいクラスができて、これにぼくが今住んでいる小鹿野町の仲間が出場するんで、応援に行ったというわけです。奥ゆかしい仲間たちだから、小鹿野レーシングじゃなくて、自分たちの集落である泉田レーシングを名乗っている。でも、町長からお祭りのハッピを借りてきて、チームメンバーは全員ハッピを着てパドックを徘徊した。ぼくもハッピを着せられた。
このレースがおもしろいのは、まず参加ライダーが10人まで登録できるってところだ。7時間走るんだから、ライダーが10人いたら、ひとりあたりの走行は40分1回。効率が悪いと思われるけど、みんなで楽しもうという趣旨のチームは、オートバイ1台に10人のライダーが群がる。
もうひとつは、これは重要だ。ガソリン補給は、一度に3リットルしか入れられない。しかも一度ガソリン補給をしたら、10分間は再スタートできない。加えて、スタートのときにも3リットルきっかりしかガソリンを入れさせてもらえない。
コースはツインリンクもてぎのロードコース。MOTO GPを開催するのとおんなじコース。スタートは50台ずつのル・マン式スタートで、スタート順はくじ引きだった。我がチームは101番目を引いたから、最後のグループのポールポジションだった。1コーナーの手前まではトップ(3番目のグループの)を走ったのが、今回のレースの華だった。
ぼくは今のロードレースの、ピットがみんなプロモーションブースになってしまった雰囲気がどうも苦手だ。ぼくがサーキットに行きはじめたとき、パドックでは雑誌で拝見するビッグネームがパンツ一丁で後輩にレースの心得を語ったりしていた。そんな雰囲気が好きです。そしてぼくがトライアルを好きなのは、そういう雰囲気が残っているというのも理由だ(ロードレースみたいに潤沢な資金がないだけじゃないか、というつっこみはなしにしてね)。
ふとまわりを見れば、けっこう知り合いがいた。ライダーにもピットクルーにも。最近の知り合いもいるし、30年来の知り合いもいる。“駆け出し”時代に阿部さんから怒られた以前の知人もいっぱいいた。みんな、オートバイとレースが好きなんだよね。
阿部さんといえば、五味淵安彦さんのチームのマシンには、1980年代の阿部さんのステッカーが貼られていた。村井真さんが描いたかわいいイラストだ。たまたま出てきたので、弔い合戦だと思って貼ったんだそうだ。いい話だなぁと思って聞いていたけど、阿部さんだったら「五味淵よー、おまえんちのライダー、だいじょうぶか? おれを貼り付けたままころばねーだろーなー」とずっとぶつぶつ言ってるだろうなとあとで思った。レースが終わってから結果を聞きにいったら、ひとり転んじゃったんだそうだ。転ばず、速く走らず、亀さんみたいに周回数を稼ぐ予定だった五味さんも不満そうだったけど、阿部ちゃんも怒ってるだろうなと、ぼくは内心笑ってしまいました。
ピットサインを介してのライダーとのやりとりとか、久しぶりにやらせてもらって、楽しかったしなつかしかった。
このレースがすばらしいのは、マシンのベースがそのへんを走っているふつうのマシンということがひとつ。そういえば、ぼくがサーキット通いをはじめたときにはミニバイクレースが旬で、モンキーとかXE75とかミニトレとかが大きな顔をしてサーキットを走っていた。きっちりしたレーシングマシンは性能的には天下一品だけど、どうしても気軽さがなくなってしまう。天下一品の性能のマシンしか持っていないトライアルから見ると、とってもうらやましい。
しかも、そのマシンが1台あれば、10人までライダーとして楽しめる。トライアルは、個人競技という性格が強いから、1台のマシンをみんなで乗るという発想はまずない。1台を禍根でみんなで記念撮影って、そういえばトライアルでは見かけないシーンだ。
もうひとつは、冗長なピットストップだ。こいつのおかげで、うんと速いひととうんと遅いひとの差が目立たなくなる。速いばっかりでガソリンをまき散らしながら走るようだと、結局効率が悪くて勝てもしないわけだ。効率よく、燃費もよろしく、それでいて速く走ったチームが勝つ。
こういうレースだと、どれくらいのペースでどんな配分で走ったらいいかを、きっちり計算しないといけない。だから走るばっかりのチームじゃまとまらなくて、たいていチームにはひとり博士くんみたいな計算係がいたりする。いろんな能力が力を合わせられるというところもうらやましい。
エンジョイライセンスを持っていれば参加できるというお気軽さもいい。とはいえ、ヘルメットも革つなぎも公認品でなければいけなくて、ヘルメットをかぶるときにはヘルメットリムーバー(意識不明になったライダーから無理なくヘルメットを外すしかけ)も使わないといけない。車検も厳しい。小さくても、本物のロードレースだ。しっかりするところはしっかりして、気軽な部分は気軽にやる。よく遊べ、よく学べ、ってやつだ。トライアルは、学ぶところを学んで、遊ぶところを遊んでいるだろうか。ちょっと心配になりました。
DE耐のまねをして、単純にトライアルで耐久レースをやったっておもしろくもないけれど、このレースのエッセンスをトライアルに生かして、みんなでわいわいできる試合はできないもんかなぁ。
その晩、ぼくはもてぎから福島県川内村に向かった。もてぎから、そのまま新潟に向かうのが正しいんだけど、ぼくら近い将来、川内村にお世話になることになっているけど、そこで開催されている参加者数日本一というエンデューロを、まだ一度も見たことがなかった。で、寄り道をすることにしたのでした。
つづく
投稿者 nishimaki : 14:13 | コメント (0) | トラックバック
