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2007年07月24日
旧友より沙汰あり
奥村裕(敬称略)から、電話がかかってきた。阿部さんについて書いた日記を読んでくれたらしい。
奥村は、その昔々、今は亡き高井幾次郎率いる名古屋のプレイメイトレーシングの秘蔵っ子で、幾さんに育てられた世代の中では末っ子の部類に属する。そして、オクが走り始めた頃、サーキットに通いはじめたぺーぺーカメラマンが、ぼくだった。撮影するほうと走るほうと、お互いに駆け出しだった。
その頃のぼくは少しマメだったから、ライダーにパネルをあげたりしていたのだけど、先輩ライダーがそんなパネルをもらうのを見て「いつかおれももらってやる」と思ったという話は、ずいぶんあとになってから聞いた。うかうかしている間に写真を撮らせることがお仕事のプロフェショナルライダーになっちゃったけど、一時期、そういうふうに思ってくれたというのは、感慨深い。人は、どこでなんの役に立っているか、わかんないね。
電話の主な内容は「おまえはいったいどこでなにをしておるのだ」という近況についての事情聴取と「近々遊びに来い、飲みにこい、モトクロスもやろう」というお誘いと、そうそう、この前ので耐の話だった。ぼくらは土曜日のレースに出向き、日曜日にオクが出場することになっていたから、パドックで探したんだけど発見できなかった。そしたら彼はドタキャンしていたのだった。「世界チャンピオン原田哲也がわざわざモナコからこのレースのために飛んできたというのに、誘ってもらいながらドタキャンになっちゃった」と恐縮していたけど、ぼくには恐縮される義理はなかった。
で、阿部さんの話。オクは、お棺の阿部さんに会ってきたそうだ。
オクの周囲では、というかレース界では、これまでいろんなひとが亡くなっている。師匠の高井さんをはじめ、オクは、事故で亡くなった人をこれまでたくさん見送ってきた。でもそういう人たちは、顔を見ると最後にサーキットを走っていたままで、みんな今にも起きてきそうだったという。さっきまで笑顔でパドックを歩いていた人が、突然向こうの世界に行ってしまうのが、事故というものだ。
阿部さんはちがった。予定通りというか、結末が見えていたし、やっぱりやつれていて、パドックを闊歩していた当時の阿部さんとはちがっていたから、阿部さんの死をきっちり納得できた、明るいお別れだったよと、オクは電話の向こうで語ってくれた。その裏には、納得できない仲間の事故死への思いがあったんじゃないか。これまで何人もの友人たちを見送ったくやしさが、そこにこめられている気がした。
オクは、大事なレースで転倒して骨を折ったりすることがよくあった。たいてい名古屋の病院に入院したから、鈴鹿のレースの帰りに煮干しと牛乳を持って見舞いにいったことがあったっけ。骨折、多すぎるんじゃないか、なにかまちがってるんじゃないかと詰問したら、あんなスピードでひっくり返ってガードレールにぶつかったら、骨だって折れるさと反論された。あんなスピードで走れない素人は、黙るしかない。
オクは、レーシングライダーを引退したあと、しばらくホンダのワークスマシンを借り受けて、レーシングチームを運営していた。でも、プライベートチームがメーカーのチームの向こうを張って好成績を出し、なおかつチームを経済的に運用していくのは、たいへんにむずかしい。その過程で、彼はサスペンションチューニングの事業をはじめた。最初はレース屋さん向けだったけど、今はツーリングライダーがお客さんだ。ふつうのライダーだって、いいサスペンション、自分に合ったサスペンションで、気持ちよく走りたい。気持ちよく走れれば、オートバイはもっとおもしろい。
今、オクは実業家としてもなかなか成功しているのだけど、レーシングライダーとして苦労しながら一時代を築いた人は、みんな自らの運命を切り開くパワーを秘めいるのだと思う。と同時に、レースで得たノウハウを、レース界の中だけにとどめず、広い世界に向けて発信した機転は素晴らしかった。こんなときだけ、友人として誇りに思わせてちょうだい。ふがいない友人より……。
*写真は例によって奥村選手とはまったく関係なく、福島のぼくんちの裏山を散歩していてのスナップ。木漏れ日が気持ちいいなぁと思うと同時に、ここでイノシシに襲われたりして倒れたりしたら、発見されるのはいつになるだろうと心配になったりもして。
投稿者 nishimaki : 09:56
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2007年07月10日
やり残したこと
この前まで、ぼくは埼玉県秩父郡の住民でした。秩父にいたのは、たった半年にならなかった。はたから見たら、なにをしにいって、なにをしてたんだと不思議に思うと思うけど、ある程度、予定通りの行動だったんだけど、それにしても短かった。期間も短かったし、その間に、自分が思っていることの半分も動けなかったというのが、くやしかった。
予定通りというのは、もともとぼくは福島に引っ越すことがほぼ決まっていて、そっち方面の準備が整うのを待っていたところだった。そんなとき、あれはかれこれ1年ちょっと前になるけど、某社の某氏に福島のお話をしたところ、似たような活動をしている人がいるから、そっちも手伝えという。それが小鹿野町の話だった。そんなこと言っても、ぼくは人一倍ぶきっちょで、いくつもの活動を器用にこなすなんてできないし、福島に引っ越すことになったらそれは譲れないですと説明したんだけど、それまででもいいからという話になって、それでぼくは小鹿野にやってきた。小鹿野町には某社の某氏の先輩が小さな拠点を持っていて、いろいろ活動していた。実はUさんはバイアルスやフロントタイヤが23インチのXL250Sのデザインを担当した技術者だ。
小鹿野町では、なんと町役場が「オートバイによる町おこし」をテーマとしていた。町をつき抜ける国道299号は、休日となると多くのツーリングライダーがやってくるし、最近はわらじかつ丼が町の名物になっていて、これを食べるのを目的にやってくるライダーが多い。町の真ん中の路地裏には、元祖わらじかつ丼屋があるんだけど、これがとってもわかりにくい場所にあって、元祖にたどりつけないライダーもたくさんいて、おかげで町中のほとんどの飯屋さんが、わらじかつ丼をメニューに加えて、ライダーを歓迎する体制になっている。
東京から100km圏内、距離的には遠くないし、バスで40分の秩父なら池袋まで特急に乗って1時間ちょっと。ところが秩父から小鹿野の間には小さな峠もあるし、秩父と東京の間も激しい峠道。便利とはいいがたいロケーションだけど、ツーリングに来るにはほどよい道路環境ではある(反応から先は、延々と追い越し禁止だし、休日は交通量もそこそこなので、気分よく走るには時間帯を選ばないといけませんけど)。
今現在、ツーリングにやってくるライダーはかつ丼を食べたらまた走りだして、小鹿野町を去って行く。先には群馬県や長野県、山梨県があって、どこへいくにもさらに激しい峠道が待っている。地図を見ると、糸がこんがらがってしまったような道ばっかりだ。走るのは楽しそうだけど、小鹿野町としては、もうちょっと町を楽しんでもらいたい(で、お金を落としてもらいたい)。素通りしていくライダーが、小鹿野町を楽しむ可能性はないだろうかってわけだ。
それで、このエリアのトレッキングルートを探せってのが、ぼくに与えられた使命となった。といっても、人の山に入り込んで荒らし回るわけにはいかないし、第一そんな山の中はたいていのライダーにとってはむずかしすぎるし、といってほとんどの林道は舗装されているし、作業は簡単ではない。秩父圏内にはとってもうまい連中がごろごろしているんだけど、彼らが知ってるエリアは、とてもじゃないけど一般ライダーが遊ぶ場所にはならない。一度、いっしょに遊ばせてもらいにいったけど、人車ともにぶっ壊しそうになって、すぐにドロップアウトした。
幸い、地元にはオートバイが好きな連中がけっこういた。ゴールデンウィークに“で耐”にでかけたのも、彼らがこれに出場するからだった。彼らが集う自動車屋さんには、間もなくスコルパTY-S125Fが数台並ぶことになった。Uさんが資財を投入して買っちゃったのだ。誰かが購入してもいいし、レンタルとしてみんなに使ってもらうのも目的だった。彼らにはトライアルの経験はほとんどなかったから、道を探しながら、彼らとトライアルごっこをするのも、ぼくのミッションになった。
モータースポーツをやっている連中だけあって、オートバイに乗るのはみんな上手だった。もちろんトライアルの心得はないから、お決まりの罠にひっかかって、お決まりの失敗をする。お正月にふうみを呼んで、みんなといっしょに走らせたのだけど、ひょろひょろの中学生がとことこと抜けていくのをついて走って七転八倒したのがいて、よい笑い話ができた。トライアルは(というよりオートバイライディングは)柔道みたいなもんだから、まるで心得がなければ、投げ飛ばされて当然なんである。
そんな関係から、いろんな人と接触ができた。林道を作っている人、林業整備をしている人、山を持っている人、ロードレース活動をしながら選挙運動をやってる人……。こういう皆さんと、うまくいっしょにお仕事をして、うまく協力ができていけば、もしかしたらおもしろいことができるんだろうなと思いつつも、なかなか畳みかけて活動することができなかった。というのも、しょせんはぼくが腰かけだったからだ。残念。
役場の人にはよくしていただいた。これは、Uさんがいかに役場と親密に連絡をとって、よい影響を与えているかということの現れでもあった。ぼくはいわばUさんの手先だったから、すべてUさんにおんぶにだっこでした。
山道を探して周囲を散歩しているのをこの日記に書いた頃、ご近所の方からお手紙をいただいた。小鹿野町にはオオタカの巣が発見されていること、オオタカが子育てをしている間はとても神経質なので、少なくともその間は巣に近寄らないでやってほしいことなどのご指摘だった。その方はトライアルバイクにも乗っておられる方で、オオタカの子育てとぼくの散策とを、どっちも見守ってくださるようなご指摘はありがたかった。しらないで山に入って、オオタカの子育てをぶち壊してしまってからでは、怒られてもなにしてももう遅い。
営巣の正確な場所は、林道整備事務所が持っているということだった。こういう情報を、林道を作る側が管理していて大丈夫なのかなと心配にもなったが、とりあえずオオタカの子育ては間もなく終わるし、ご指摘頂いたエリアに近寄る予定は当面なかったので、ぼくがオオタカと悶着を起こすことはなかったけれど、こういう事例はきっとどこへいっても起こりうるから、その都度気をつけないといけないなと日記に書いておくことにする。
「山で遊ばせてくれませんか」と直談判にいって、あっさり断れたこともあった。役場の人とでかけていって、最初はとても話がスムーズに進み「おもしろい活動だから、ぜひ進めなさい」といってもらったのだけど、翌日になったら話が一転していた。想像だけど、家族会議でご主人の性急なOKが責められたんじゃないかと思う。こちらも、あんまり話がスムーズなのに喜んじゃって、本来しておくべきいろんなフォローを全部すっ飛ばしてしまった。相手の理解があってもなくても、資料やビジョンはきちんと用意して完璧を期すべきというのが教訓だった。今となっては、あまりにも拙策だった。全面的に反対されたわけではなかったから、企画を持ってでかけていけばまだまだ脈はあるんだけど、時間の限られているぼくが、ちょっと結果を焦ってしまった大失敗だった。
結局のところ、ぼくができたのは、地元の人にちょっとだけトライアルごっこを知ってもらうということくらいだった。地元には警察署があって、白バイ隊員もいらっしゃる。彼らと協力関係を持って、高校生にトライアルごっこを知ってもらえないだろうか、なんて夢は広がっていたのだけど、とてもそこまでやっている時間はなかった。まず、目前の数名のオートバイ好きおじさんたちに、トライアル“も”好きになっていただくのがぼくのできるせいぜいだった。
秩父圏内には、国際B級やA級、さらには世界ジュニアチャンピオンまでいる。上達していけば師匠にはこと欠かないのだけど、まずはぼくにでもできること、ぼくだからできることもあるはずだと思って、いろいろやらせていただいた。上達のしかたにはいろいろあるけど、激しいことをやらせてきらいになる人がいないようにするのと、山の中で遊ぶことが多くなるのだから「行けた行けない」よりも「荒らさずに抜けられたか」が大事だってことをわかってもらったつもり。競技なら引っかき回してクリーンするのもクリーンだけど、掘ると思ったところでマシンを止める勇気がないと、これから先、走れるところはどんどん減っていくと思うのだ。
そして、町のみんなとは何度かいっしょに走りにもいったけど、今となっては薪ストーブを囲んでいろんなお話をしたのが、貴重な時間だった。重要なのは、やっぱり人なんだと悟った半年の秩父暮らしだった。
写真は、そばが名物といわれているこのエリアでも、ぼくがお気に入りだったしのうちさんのメニューと、トライアル遊びをする町のみなさん
投稿者 nishimaki : 14:37
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2007年07月06日
ハーレーがいっぱい
ハーレー・ダビッドソンってオートバイがある。なんてあらたまって言わなくても、たいてい誰だって知っている。ガスガスやベータの名前はしらなくても、インディアンや陸王の存在は知らなくても、ハーレーをご存知の方は多い。本日は、ちょっと昔話になるけど、4月に秩父市(と小鹿野町にまたがる)ミューズパークで行われたハーレーのミーティングイベントをちょっとだけのぞいてきましたというお話。
モータースポーツ屋から見たハーレーというのは、およそ繊細でない旧型のマシン。なんたってひと抱えもあるピストンを積んだOHVエンジンなんだから、速く走ろうってのが無理な話だ。ところが一方では、ダートトラックではいまだにハーレーが圧倒的に速い。くやしいから、ホンダが真剣に打って出たことがあったけど、200km/hオーバーでトラックを横滑りするマイルレースでは、やっぱりハーレーが強い。モータースポーツが機械だけの競争ではなくて、機械と人間の両方の競争だから、数値的にはちっとも速くなかろうと、それだけでははかれないなにかがあるらしい。
と、ここではそういう、マニアックな話をしたいのではなくて(当時の)ぼくのうちの近所でハーレーがいっぱい集まったというお話をしたかったというそれだけだ。イベントのホームページを見ると、参加費2000円也で土曜・日曜。特に、なにかの起こるわけではなくて、みんながひとところに集まるというのが大きな目的らしい。こういうイベントをヨーロッパの人はラリーとかギャザリングとか呼んでいた気がする。日本じゃラリーと呼ぶと意味がちがっちゃうかもしれないけど。
実はこのイベントに、仲間のSくんが関わっていた。といっても、屋台で焼きそばを焼いているだけだけど。前の晩に「焼きそば焼いてるからきてくださいよ」と言われたので、言ってみた。駐車場は無料だけど、屋台に近寄るには、2000円払わないといけないらしい。「来てみたんだけど、2000円払わないといけないの?」「どうもそうみたいです。ぼくも知らなくて、すいません」てな会話があって、どうしようかな、2000円払って焼きそば焼いているSくんを見にいくかなと中をのぞき見してみたけど、ハーレーのスペシャルパーツとかを見ても趣味がちがうのであんまり興奮できない。
ふと駐車場をみると、あとからあとから、続々とハーレーがやってきている。なんでも、このイベントには2000台からのハーレーが集まるらしい。駐車場を徘徊している分にはお金がかからないので、とりあえずそっちに向かった。
最初の10分ほど、ぼくは1台1台、どういう意図でマシンを作っているのか、さっぱりわからず、悩んでしまった。チェンジペダルのロッドが鎖でつながっていたりする。これじゃシフトタッチなんかどうなったもんかわかんない。そんなのは序の口で、オートバイを速く快適に走らせようと日夜努力しているモーターサイクルメーカーのみなさんが見たら、頭を抱えてしまうような改造ばっかりだ。
だけど20台30台とそんなハーレーを見ていると、速くて快適なモーターサイクルの作り方なんて、どうでもいい気がしてきた。彼らにとって、乗りにくくて機能的でなくて、すぐぶっ壊れちゃいそうな、こんな仕様のハーレーがめざす理想のモーターサイクルなんだろう。次々に駐車場に入ってくるハーレーたちは、ちょっとした路面の凹凸でおおげさにバウンドする。リヤクッションのないやつもいるから、その都度、ライダーは飛び上がってしまう勢いだ。それでも彼らは幸せそうで、それはつまり、人の幸せなんて、他人が判定するもんじゃないということだ。山に駆け登ったと思ったら落っこちてきて、それでニコニコ楽しそうなトライアルライダーの幸せが、他人には理解されないのと同じようなもんだと思う。
さて後日談。そのイベントのあと、土曜・日曜に秩父から東京方面に向かって走っていると、やたらハーレーとすれちがう。どうも秩父は、ハーレーのツーリング先としてメッカになってしまったらしい。2000台からのイベントがひとつ起こると、そこがたいへん心地よい場所に思えてくるんじゃないだろうか。大昔の話だけど、新宿西口広場がフォーク・ゲリラの集会場として定着したのも、そんなことかもしれない。某オートバイ雑誌の編集部が都内の貸しビルを転々としたときには、その都度、そのビルの歩道がオートバイ駐輪場と化したものだった(今なら駐車違反で捕まる)。
人を呼ぶには、大きなことを一発やるべし、ということなのか。個人的には、大きな声をあげてどどんとでっかいことをやるってやり方はあんまり好きじゃないんだけどね。
投稿者 nishimaki : 14:14
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2007年07月05日
山の中から

太平洋に上る朝日
秩父の山の中から福島県の山の中に引っ越して1ヶ月がたった。引っ越したといっても、週末にどこかに出かけている生活は変わんなくて、日曜日が終わったときに、さて、ぼくはどこに帰るんだっけ?と少し考えたりしている今日この頃です。
引っ越しが趣味ですか? とも聞かれたけど、そういうわけじゃないです。でもこの10年ちょっとの間に4回、この1年の間に2回引っ越してるから、趣味になっちゃったのかもしれないです。しかも、この先、もう一度引っ越す予定もあります。というのも、今住んでるのは仮住まいだから。廃校の用務員室に住み込みで入る予定で引っ越してきたんだけど、屋根が雨漏りしていたり、最後の契約書がまだ交わされていなかったりで、すぐに学校には入れなかった。こういうこと、よくあることです。予定が変わったから、こっちも予定を変更すればよかったんだけど、そうそう急にかじ取りを変えられないこともあるもんだ。
今の住まいは、村のTEさんにさがしてもらった。引っ越してくるまで、自分がこれから住もうという家を見てもいなかった。数年前までおばあちゃんが住んでた家で、今おばあちゃんは街のほうで暮らしている。もともと茅葺き屋根の家を、トタンをかぶせて補修した、よくある昔ながらの家だけど、こういう家に住んだことはないから、これも貴重な経験。
家を開けたら、湯飲みや急須がのったこたつが鎮座していて、神棚もある。タンスには浴衣なんかも入ってる。今さっきまで、誰かが住んでいた感じ。ぼくの家といいつつ、いまだにおじゃましますという感じが抜けない。使えるなら、布団も使っていいということだけど、なんだかなぁ。
大家さんのおばあちゃんは大正13年生まれ。足が悪いということだったけど、訪ねてみたらたいへんお元気だった。足が悪いのはほんとうみたいだけど、つい最近までどこも悪いところがなく、最近になって膝が痛くなったから、からだにガタがきたとご本人はショックらしい。ぼくなんか、おばあちゃんの年まであと30年以上あるけど、すでにあっちこっちガタがきてますと解説する。おばあちゃんも、接骨医で出会う患者仲間が、みんな自分より若いのに症状がひどいのを見てきて、もしかすると自分は元気なのかもしれないと思いはじめたところだという。そう、元気なおばあちゃんなのだ。
ごあいさつに訪ねていったというのに、いきなりお風呂を勧められて、お断りするのもなんだから入ってきた。そのあと亡くなったご主人の思いで話とか聞かせてもらったわけなんだけど、これが戦争にいった中国の話で、そこから話題は北朝鮮になりアメリカになり。ちょっとした時事講話だった。戦争の話はさて、おばあちゃんによると、戦争の頃までは山にイノシシなんか出なかったそうな。あの食べ物がなかった時代にも、人間とイノシシはちゃんと棲み分けしていた。ところが戦争が終わったら、イノシシは人間の庭先まで出てきて、畑の食物を荒らしていくようになったんだそうだ。戦争以前の世界を知らない世代は、もしかするとすでに本来あるべき世の中のかたちを知らないでいるのかもしれない。
おばあちゃんちは、携帯電話が通じない。いまどき、村の中でも電話が通じない集落はそんなに多くないんだけど、ここは山の陰で、どこの電話キャリアも全滅だ。固定電話は、近々移動の予定もあるので引く気になれない。というわけで、ここにいると連絡がとれない。なので、日中はなるべく電話が通じるところで仕事するようにしている。LANが使えて電源をお借りできれば、どこでも仕事場になってしまうので、こんなときには便利。トライアル遊びをしていると、日中は山にこもって電話が通じないことが多いけど、今のぼくは家にいるときが圏外。お急ぎの時は、電報をください。
家は、もともとあった茅葺き屋根の家に、一部屋増築してある。この増築した部分は、最初からトタン屋根だ。増築部分は、ちょっと日が当たると、暑くなる。茅葺き部分は、ひんやりしている。かなり湿気もあるみたいだけど、あんまり健康を害すような湿気には思えない。そういえば、カビなんかあんまりない。横浜のアパートは、夜になると窓枠がすっかり結露していて、湿気たっぷり、いろんなものにカビが生えた。ここはそんな感じじゃなくて、どっちかというと、ひんやりした森の中にいるような湿度。気密性が低くて、家の中にいてもアウトドア感覚、なのかもしれないけど、屋根の下にいながら森林浴をしているような気分でもある。
なーんて書くと、うらやましいと思う人も多いんだろうけど、そこはそれ、大正生まれのおばあちゃんの生家なのだから、年季が入っている。しかもここ数年は、あんまり人が立ち入っていない。畳は激しい起伏があって、なかなかオフロード感覚。ただしジャンプしてはいけない。今でも畳が大きく陥没しているところがある。飛び跳ねようものなら、そのまま床が抜けてしまいそうだ。寝るにも方向をまちがえると、夜中に傾斜にそってゴロゴロ転がって、部屋の隅までいって、最悪は床下に落ちてしまうかもしれない。毎晩がスリリングだ。
水は、沢の水と井戸の水がある。沢の水は、とりあえずおいしい。上流には牧草地などあるので、もしかしたら農薬の類が混ざっているかもしれないけど、それほど多くはないんじゃないかと高をくくる。井戸水のほうがきれいでおいしいとおばあちゃんは言うんだけど、ポンプのエア抜きをして電源を入れても、むなしくポンプが空回りするだけで、一滴の水も出てこない。プロパンガスも、まぁしかり。つまりなんというか、沢の水を携帯ストーブで沸かして飲むという、まるっきりアウトドアな生活を屋根の下で送っている。この家に住み続けるつもりだったら本気でなおさなきゃいけないけど、今はおばあちゃんの大事な家に風を送る役目だけを送っている。

ほうの木の葉の飛行機
肝心のプロジェクトといえば、まだ始まってはいません。最初に書いたように、最後の契約がまだ完了していない。村の大事な財産を借り受けようというのだから、いいかげんなスタートはできないので、もうしばらく待機する。村にもオートバイを好きな人ときらいな人がいるので、しばらくはオートバイは表に出さないで行動しようかなと思ってる。
昔から、地域でオートバイ活性化を行っている人に、イベントなどの時以外、オートバイにやってこられるのを好んでいない雰囲気を感じて、どうしてかなぁと不思議に思っていたけど、今現在のぼくの感覚でいうと、地域で問題を起こしたくないという守りの姿勢と、やってくるオートバイがみんな問題を起こさないいい人とは限らないという疑心の気持ちなんですね。残念だけど。そんなわけで、校庭でダートトラックをやりたいTっぺいさんも、気長に待っててください。
投稿者 nishimaki : 09:46
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