2008年06月27日
Sherco4T、T-Ride、Beta125
魅力的な新製品が発表になっているというのに、自然山通信ときたら、きちんとしたインプレッション記事もつくらない。いかんですねー。現在自然山通信の主力(自然山通信には主力となんちゃってライダーの二人しかいない)試乗ライダーである杉谷が長く足のしびれを訴えていて、ほとんどアクティブな行動ができない。全日本の取材はやってるけど、よく見てると、5分歩くと10分休むというサイクルで移動している。今できるのは、釣り糸を垂れることだけだそうだ。早くよくなってね。
というわけで、このところ乗ったマシンのチョイ乗り感想を並べておきます。
シェルコ4T(320cc)は、2007年にダニエル・オリベラスが世界選手権に参戦を始めてから、見ちがえるように乗りやすくなったといわれている。オリベラスは世界選手権のニューカマーにしてポイントランカーとなり、さらにそれまでポイント圏外が多かったフランスのクリストフ・ブルオンも、確実にポイント圏で試合を進めるようになった。
このマシン、デビューしたときに日本に入ってきた1台に乗ったのだけど、320ccのパワーは伊達じゃなく、どかんどかんと突き進む迫力は、さぞ乗る人を限定させるだろうなぁと痛感させた。それに一度エンジンを止めちゃうと、再始動がえらくたいへんで、一言で言えば手に余るマシンだった。当時シェルコの広報官を務めていたアンドリュー・コディナによれば「世界選手権向けじゃなくて、ベテランライダーがスムーズにとことこ走るためのマシンだ」といっていたけど、負け惜しみと聞こえなくもなかった。ベテランライダーならともかく、ヘテランだと、スムーズに走るのさえ至難だった。
ところがそこからがすごい。ちょっとずつパーツを変更したりしていくうちに、シェルコの4Tは、すっかり世界選手権を走れるマシンになっちゃった。2008年、アルベルト・カベスタニーはちょっと苦しんでいるみたいだけど、それでも表彰台にものっちゃっている。もうベテランがとことこのマシンじゃない。
トップライダーの話はさておき乗ってみる。エンジンがとってもかけやすい。デコンプとかのデバイスがついているからでもあるけど、最近の4ストロークエンジンは、2ストロークを始動させるよりずっと簡単。再始動も初期型とはまったくベツモノになっている。
排気量は変わっていないから、潜在的パワーは変わらずなんだけど、チューニングの変化で、するすると走らせる分には320ccの排気量におそれおののかなくてもいいようになっている。
最近、全日本でもこのマシンの姿を見かけるようになってきた。排気量がでっかいから、乗りこなすのはそれなりにむずかしいと思うけど、これだけ乗りやすくなってくると、このマシンの個性を味わってみたいというライダーも出てくるってことなのかもしれない。
次に、ベータ125に乗ってみました。乗ったのは世界選手権の前で、日本には3台しか輸入されていないという貴重品種の時代(世界選手権では、ジャック・チャロナーは自分のマシンを持ってきたけど、もうひとりがスタンダードを駆ったので、今日本には4台の125があるはず)。
ガスガスやシェルコの125は、なんとなくシリンダが小さいのでよく見れば125ccだとわかるけれど、ベータの125は見分けるのがむずかしい。
ガスガスやシェルコだったら、エンジンをかけると、排気音でそれとわかる。ボンボンボンとボリュームたっぷりの250cc(それ以上)に対して、125はいかにも軽そうな音がする(正直に言えば、トルクがなさそうな音)。ところがベータの125は、排気音もそんなには変わらない。うーむ、たいへんにまぎらわしい。
明らかにわかるとすれば、キックが軽いということだ。ベータ(の2ストローク)は左側にキックがあるから、慣れないとエンジン始動には気合いがいる。左か右かは単に慣れの問題なんだけど、コンパクトにつくられたキックペダルで始動するのは、ベータ初心者にとってはちょっとした高等テクニックだ。でもこいつは、左足でぷるりとキックを踏み降ろせば始動できる。
乗ってみる。これまた、他の125ccで感じるトルクの細さは、感じられない。250ccに乗っているみたいといっても信じてもらえないかもしれないけど、200ccとどっこいくらいというのは、けっしてオーバーじゃないと思う。
しかして、ガスガスやシェルコと比べて、なんでベータだけこんなにトルクたっぷりの印象になるんだろう。それが、世界選手権での各メーカーのシェアに現れている気がする。ユース125のセクションは高く険しいから、125のエンジン性能をフルに使わなければいけない。低速トルクはそこそこに、フルパワーのときにどれだけ真価を発揮できるかが、ユースのマシンには重要なことなのにちがいない。ベータの低速がトルクたっぷりなのは素晴らしいけど、ユースの選手権を戦う連中にとっては、その分トップパワーが物足りなくて、このクラスにベータユーザーが少ないってことになっているじゃなかろうか。それに加えて、ちょっとだけだけど、重量的なハンディもあるのかもしれない。
とはいってもだ。今年、ユースでチャンピオンになりそうなのは、ベータライダーのチャロナーだ。もしかすると、ユースクラスといえど、パワーを振り絞って走るばかりではない走り方が模索されているのかもしれない。
さて、ユースクラスがどうあれ、このベータ125はぼくらにとってどうかというと、125といえど、トップエンドのフルパワーはそうそう使いこなせるものではない。もしかすると、長いヒルクライムとかではちょっとハンディを背負うことになるかもしれないけど、兄貴分の持つトルク感をそのままに、125の軽快感を味わえるのだから、じっくりトライアルをうまくなりたい人の訓練用としても、とりあえずマシンを変えることで成績を上げたい人も、このマシンは愛車にすべき対象なんじゃないかと思った。
それにしても、こんなマシンが日本にほんの数台しか入ってないなんて、なにかがおかしい。
最後は、スコルパT-Ride。これは、トライアルマシンじゃない。最初、全日本の近畿大会のパドックに並んでいたときには(写真はこのときのもの)、まわりがトライアルマシンばっかりのせいか、とても大きく重そうなマシンに見えた。けれどそれは、トライアルマシンのコンパクトネスと軽量を知っているからで、トライアルマシンに乗ったことがないお客さんは、軽くマシンを支えてみて「軽い軽い!」と大感激していた。そりゃ、トライアルマシンに比べたら重たいが、これはトライアルマシンじゃないのだから、トライアルのものさしではかっちゃいけませんね。すいません。
場所は変わってもてぎでは、ちょっと乗せてもらった。始動はセルだから、簡単。走り出そうとすると、大御所大月信和さんがやってきて「トライアルマシンじゃないから、へたくそなクラッチミートするとエンストするぞ」と教えてくれる。で、エンストしました。トライアルマシンのつもりでスタートすると、低速がない。というより、このエンジン、SY250Fと同じくヤマハWR250Fのものを使っているんだけど、SYみたいにセルモーターをとったりカムを低速用に振ったりしていない。まんまWRだから、トライアルマシンみたいな低速はないし、そのかわり、高速の吹け上がりはなかなか勇ましい。パワーはそんなになくてもいいから、もうちょっと低速があったほうがのりやすいと思うんだけど、そういう人はSY250Fのカムをくっつけるなどのトライアルチューンの道もあるかもってことだった。
このマシンの性格を考えると、軽くてパワフルで軽快になったセロー、ってところだろうか。セローでトライアルごっこをするのはそれなりに楽しいけど、軽量化したりハンドル切れ角を増やしたり、いろいろとやるべきことはある。T-Rideなら、最初からその仕様だから安心だ。
とはいっても、トライアルライダーがだれもこのマシンをトライアルマシンとして認めないように、トライアルがじょうずなライダーがこのマシンに乗ればそれなりのセクションは走れてしまうが(ちなみにスコルパのプロモーション映像でプロトタイプに乗っているのはグレゴリー・エリエスといって、フランスの元世界選手権ランカー。マシンもいいけど、ライダーもいいのだ)、これからトライアルを習得したい一の練習用マシンとしてはむずかしい選択。
トライアルなんかうまくならなくてもいいけど、オートバイに楽しく乗って、ちょっとだけトライアル気分も味わいたい、という方には、軽くて高性能のT-Ride、ばっちりの魅力商品。仕上がりもとってもいい(くやしいけど、ここまでのスコルパトライアルマシンに比べてもいい仕上がり)。WR250Rよりは、こっちのほうが楽しいこと請け合いだけど、問題は、お値段かな。
T-Rideと似たような味付けのマシンとしては、ベータALPってのもある。こちらもヤマハ125Fエンジンを使ったトレッキングバイクで興味があったんだけど、いまだ乗る機械なし。とりあえず、ここまでのところをご報告してみました。
投稿者 nishimaki : 14:04 | コメント (1) | トラックバック
2008年03月27日
ロシア航空のご飯とお役所の考察
去年、デ・ナシオンをさぼってしまったので、久々の国際線飛行機。今回は額面6万円のアエロフロート(ロシア航空)。杉谷もぼくも、20何年ぶりのアエロフロートでのヨーロッパ行きです。成田からモスクワまでででてきたご飯に比べると、モスクワ-ブラッセルででてきた飯は味がない傾向だったけど、大昔よりぜんぜんおいしくなっていた。それより、アエロフロートなのに、乗ってみたらボーイングだったのにびっくり。ソ連時代にはイリューシンとかばっかりだったけどね。
ということで、ベルギーから日記更新します。
MXingの木田くんが、先日の記事について触れてくれました。木田くんはほめてくれてると思うんだけど、要するに奥歯に物の挟まったみたいな書き方を指摘されてしまった。そのとおりだから、しかたない。
話を聞いた相手の名前を明記するのが記事を書くときの鉄則なんだけど、そういう、いわば公式コメントの場合は、さまざまな方面に気を配った発言をせざるをえない。それでは真相が見えてこない。「書かないでよ」というお約束のもとに、本音や真相を語ってもらうことはよくある。ほんとは、そんなの全部さらけ出してまな板に乗せて検討すれば、未来も明るくなるかと思うんだけど、関わる人と団体が多くなると、それもなかなかむずかしい。といようなもろもろが、奥歯にものを挟むことになっちゃうのだ。政治記事でも、なんとか大臣筋の情報によると、なんて話がよく出てくるけど、あんな感じ。でもトライアルの場合は、世界が狭いから、そんなふうに書いただけでも「こいつ、こんなことをしゃべりやがった」なんてばれてしまいそうで、こわい。いやはや、気にしていると、きりがないですけど。
それに、どこそこの地方の誰それの例だけどと、具体的な事例を書いたりすると、その一件について善悪白黒をはっきりしなくてはいけなくなるのもこわい。本質的にはまちがってるのかもしれないけど、現状はこれが最善ということはいっぱいある。ある一方から見ると、正しい方向に是正すればいいじゃんと思うのだけど、別の一方から見ると、そっちのほうがややこしかったりもする。むずかしいのは、あらゆる人にとって、自分の立場から以外の視点を持って物事を観察するってことだ。
書こうかどうしようか迷っているうちにそのままになってしまった件に、騒音測定がある。車検で騒音測定をしているという事実を作るのが重要で、静寂を守るかどうかは別問題と思える。車検のときだけ静かな騒音を演出するのは、結局意味がないのだけど、意味がないと思うのは一方から見た意見で、ある一方ではそれが重要という側面がある。これがあんまり衆目の知るところとなって、別のある一方にも車検の様子が知れるようになると、今度は全員失格になってしまうかもしれない。話が大きくなるとややこしいから、という発想は排除すべきだけど、現実にはそうとばっかりも言ってられない。
アンチドーピングも、全日本では1年に1度だけ、選手に通知をしたのちに検査を行っている。これじゃほんとの検査にならないんじゃないかと思ったりもするけど、検査をしているという既成事実が必要なのもある。本音と建て前の使い分けはずるいやり方かもしれないけど、使い分けもまた、必要だったりするわけだ。今のところ。
さて、前回の日記に書いた公認車両問題は、古いマシンを持っているユーザーが最大の被害者かと思いきや、古いマシンをサポートしなければいけないインポーターが、悲鳴を上げているのが現状だった。ユーロが高騰していてただでさえ緊迫財政なのに、過去に販売したマシンに経費がかかるとなると、その支出を取り戻すところがない。NBやNAのライダーが古いマシンで選手権に参加するのをあきらめてもらうか(IB以上のライダーは、公認車両にかかわらず選手権に参加できる)、MFJが公認申請料をとるのを免除してくれるかしてくれるとうれしいのだろうけど、どちらもそうそう簡単に方針は変わらない。いきおい「MFJはお金もうけに熱心である」という結論が出てくるのも気持ちはわかる。
ここで突然だけど、日本のお役所の話。国会中継を見たことがありますか? 最近の国会では、天下り団体が金の無駄遣いをしているのが指摘されっぱなし。
まぁすごい。天下り団体やお役所というところは、みんなが納めた税金で遊んでいるところ、みたいな勢いだ。無駄遣いをしているから、では税金は払わなくていいのかというと、税金を納めなくなったら彼らが遊べないだけでなく、日本の国歌もたちゆかなくなるわけだから、それもうまくない。大事なのは、税金を払わないことではなくて、その使い方の問題だ。
それにしても、どかんと無駄遣いをしておいて「必要なところに必要なだけ使った」みたいな答弁をする人たちって、すごい。なんとも厚顔。これは、お役所の人たちの特徴というか、特権なのかもしれない。
ひるがえってMFJ。MFJは財団法人だから、これらお役所や天下り法人とはちょっと性格がちがう(メーカーや警察関係からの転身者もいるから、まんざら天下りがないとはいえないけど)。それでもかつては、MFJもずいぶん厚顔のお役所だった。この10年ほど、いろいろ人や体制が変わって、厚顔でいたい人はやめていったりして、今は一見敷き居が低い組織に変身している。でも基本的に、MFJ事務局は立法府(MFJの場合は各委員会)がつくった規則を運用する行政府という面では昔と変わってない。そして、まちがったことを言わない、言えない組織でもある。
ちょっと話が飛ぶけど、もてぎのDE耐に参加することになったとき、ぼくが持っている競技役員のライセンスでこれに参加できるかどうかが問題になった。MFJのライセンスのくくりとしては、エンジョイライセンスを含む、すべてのライセンスで承認競技会に参加して共済見舞い金の制度を受けられることになっているんだが、どうやらDE耐の事務局では競技役員というライセンスでこの大会に参加することを想定していなかった。大会事務局としては、競技役員ライセンスもエンジョイ会員証と同じ効力がある(正確には運転免許証を添えられた場合)とMFJ事務局に太鼓判を押してもらえば安心なのだが、MFJ事務局のほうは、大会の規則書次第のところもあって、はっきりしたお答えができない。めんどくさくなって競技役員ライセンスを持ってるのにエンジョイ会員の申請をすることになったというオチだけど、なんだか年金を払ったのに支給が受けられなかったような納得できない感触をもったのは確かだった。競技規則に「競技役員資格でも運転免許があれば参加できる」と明記してあれば問題ないのだろうけど、そうでない限り、MFJ事務局が参加できるとは保障しかねるというのはわかるけど、気短に考えると責任逃れみたいな気もしてしまう。まちがったことを言わない、正しいことを発信するという姿勢は、ときにこんなことになる。これもまた、参加者間の公平性を考えた結果でもあるのだ。
長々個人的な話をしてごめんなさい。いずれにしても、税金は必要だ。ましてトライアルは、大きなメーカーからの寄付が少なくて、住民も少ないから税収入も少ない。単独では、とても経営ができない市場規模だ。全日本選手権も節約体制だからなんとかなっているにしろ(ほんとはそれじゃいけないのだろうけど)ともあれ、税収入はほしいところだ。
だから公認制度も必要となる。MFJは、公認制度について、安全性をうたったことはない。その目的は公平性だという。公平性についてはいろんな考え方があるけど、税金を払った車両と払っていない車両に乗っているライダーには格差をつけるべきだと思うと、納得しやすい。
おりしも、自転車トライアルでは、公認車両以外で参加するライダーは、参加の際に未公認車両で参加するための“税金”を払う必要があるという規則が制定された。自転車トライアルでは、公認メーカー以外の車両はリザルトにものせてもらえないという徹底ぶりで、それもどうかなぁと思っていたのだけど、未公認車両以外でも“税金”さえ払えば参加はできるというシステムは、これはこれでわかりやすい。
「お金がほしい」というと守銭奴みたいにとられてしまうかもしれないけど、お金は必要なのだから、公認制度で税金を徴収するのはトライアルには必要だと、MFJから説明があればわかりやすいんだけど、これが本音かどうかはともかく、MFJ事務局が公認制度の建て前としているのは、あくまでも参加ライダーの公平性なのであった。
本音と建て前を使い分けるのはむずかしいけど、それを理解するのも、またむずかしい。
投稿者 nishimaki : 10:29 | コメント (4) | トラックバック
2008年03月10日
公認する(そして検定合格)
日記をさぼってしまっています。ごめんなさい。
この日記がさぼるときってのは、書くことがなかったのではなくて、書くことはあるんだけど、どう書いていいのかわかんなくて、困っている間に時間がたってしまうことが多い。個人の日記なんだから(一応)、なんでも書いちゃえばいいんだけど、最近は日記に書いたことで大騒ぎになることも多いんで(しょこたんとか)、意気地なしには悩みどころです。
今回の、書くべきことは、MFJ公認大会においての公認車両問題です。
公認車両問題については、自然山通信の掲示板で、ずいぶん活発に議論されてました。大騒ぎと見る人もいるけど、多少感情的な意見もあれど、どれも理解できる意見だし、内容もなるほどと思えることが多い。いろんな意見が並んでいて、これが今のトライアルライダーが思っている実情が並んでいるんだと思うと、意義があると思います。
公認車両については、自然山通信2月号でちょっとだけ触れました。3月号では、現段階での現在までの公認車両のリストを掲載しました。自然山WEBでも掲載しようかと思ったけど、同時期にMFJのサイトに同じリストが掲載されたので、今は用済みになってます。従来は一覧されているものがなくて、規則書のリストに機関誌で発表された追加の車両を加えて管理していないといけなかったから、一覧表ができて、便利になった(もともとこれで当然だとは思うけど)。
で、公認車両とはなにか。MFJというくくりのもと、チャンピオンを争うなどの選手権に参加するには、マシンや装具のいくつかは、MFJの公認をとっている必要がある。トライアルではマシンとヘルメット。以前はタイヤも公認制度があったらしいです。ロードレースでは、レーシングスーツも公認制度がある。公認制度はなんのためにあるのか、ヘルメットやレーシングスーツは安全性の確保のためだと考えるのが納得しやすい。されど実際には、規則にのっとった構造などをしているかどうかを検査して公認しているわけで、もともとは安全のために作られた規則といっても、運用的には安全を保障するものではない。現実的には、参加者が公平となるように、みんなが同じ規格のものを使って競技をしましょうという主旨となっている。ついでにいえば、公認をするには公認申請料が必要で、それがMFJの収入になる。今回の問題で「MFJの金もうけ」というニュアンスの意見もあると思うんだけど、MFJの収入はライセンス発給代と公認代がほとんどなのだから、それはお気の毒だと思う。ガソリン税でマッサージ機を買っちゃうお役所よりは、MFJはフェアにやってらっしゃる。
今回の問題は、公認車両であるかをちゃんとチェックして、公認大会に参加するにはちゃんと公認車両を使っていただこうという、これまでも守られていたはずの規則を、あらためて徹底しましょうという申し合わせをしたところ、大騒動になってしまったわけだ。公認車両という規則があることは知っていたけど、どれが公認車両なのかがはっきりしなかったり、あるいはそういう制度を知らずに大会に出ていた人にとって「聞いてねーよ」ということになるんだろう(もちろん原理原則でいえば、規則書が配布されているのだから、見ない方がいけないんだけど)。もしかしたら、ほんとは公認をとっていないマシンなのに、なんとなく出場できてしまっていたケースもあるかもしれない。これまでOKだからといって、規則に反していることはやめようというのは、理屈の上では、当然だ。
しかし、規則が変わらなくて、これまで参加できていたマシンが、今年から参加できないと言われたら、やっぱりびっくりする。誰かがいじわるをしている気がするかもしれない。参加したい人を締め出してなにがおもしろいのかと思うかもしれない。でも、トライアルにはいじめっ子はいない。今回、参加できなくなった悲劇の対象は、最初に出した公認が切れてしまう、ちょっと昔のマシンたちだ。全日本選手権では、5年も前のマシンは、ほとんど見かけなくなっている。新しいもののほうが性能は優秀だし、仮に性能が一緒でも、古ければいろんなところが疲労していて、いいことはない。だからみんななるべく新しいマシンを使っている。ところが全日本選手権を走る国際A級、国際B級の面々は、公認車両にしばられることはない。彼らは競技規則さえ満たせば、自作のマシンでも参加ができる。
一方、ちょっと古いマシンが登場するケースの多い地方選手権や県大会などに参加する国内A級や国内B級には、公認制度がばっちり働く。昇格ポイントのつかない承認大会の場合は、公認非公認を問わずに参加できることが多い。だから今回の問題は、地方選手権や県大会に参加する国内A級と国内B級に限っての問題ということになる。大騒動になっているということは、それだけこの層が厚いということで、逆説的にいえば、悪い話でもないのかもしれない。
規則は守りましょう。もしも、規則が実情に即していないなら、規則を変える必要はあるかもしれない。でも、少し古いマシンが出場できなくなったからといって、公認制度全体がおかしいのかどうかは、微妙なところだ。それに、公認制度はロードレースもモトクロスも、モタードもスノーモービルも、あらゆるMFJカテゴリーに共通する制度だ(トライアルマシンがスノーモービルのレースに出られるという意味ではない)。仮にトライアルでは公認制度が不要だとしても、モータースポーツ全体で公認制度が不要とならなければ、公認制度は残される。技術委員会では、トライアルだけが公認制度について特別処置をとることは適切ではないという結論が出されている。つまり、公認制度を廃止するという選択肢はないように思える。ちなみに規則を作るのはMFJではなく各委員会となる。MFJは、規則を運用するいわば“行政機関”だ。
公認には、公認申請料がいる。インポーターとしたら、新車を公認申請をするのは納得できても、大昔に販売を完了したマシンに費用が発生するのは、なかなかつらいところ。それでなくても、昨今のユーロ高は輸入業者を思いきり痛めつけているのだ。
新型車についても、一筋縄ではいかない。現実には、公認車両であるかどうかはフレーム番号で識別するしかないのだが(排気量やボア×ストロークは年式が変わっても共通のマシンが多いと言う前提でのことだが)、輸入マシンの中には、同じ形式で公認をとり続けているものもあるようだ。一方、毎年公認をとっているものもある。この両者には、けっこう大きな負担の差が出てしまう。
こういったもろもろは、一部の人は知っていたのかもしれないけれど、みんながみんな熟知していたわけではない。えらそうなことを書いているけど、ぼくはなんにも知らなかった。今回のことで公認について規則書を見たら、ダンロップのD803が公認となっていて、ミシュランやIRCは公認リストに載っていなかった。となると、ミシュランで走っている選手は公認違反で失格になっちゃうのかと思ったが、トライアルではタイヤの公認制度がなくなって、最後に公認したダンロップだけがリストに載っているということのようだ。いろんなことが、解説してもらわないと、わからない。
競技会に出るのだから、規則書は熟読しなさいというのはよく言われるし、当然のことだ。ただ、いっしょうけんめい理解しようとしてもわかりにくいとしたら、わかりやすくなるように変化が見えるといいなと思う。MFJというところは、よくも悪くもモータースポーツのお役所的なところで、他のお役所を見てもわかるとおり、わかりやすくない。そして知らない方が損をするというシステムになっている。国民年金も、そういうシステムだった。
ユーザーの側にも、わかりにくいからといって、ちゃんと知ろうとしなかったという側面がある。今回、お気の毒に用意したマシンで選手権に参加できなくなった人も少なからずいるんだろうと思うけど、そんな人たちを救済するのは簡単ではないかもしれない。できたら救済してあげたいけど、百歩譲って救済できなかったとしても、MFJのいろんなことに対して、こんなことを機にしてでも理解と考える機会が増えるとしたら、せめてそれはそれでよい結果になると思うのだった。
*写真は例によって本件とはまったく関係なくて、イタリアのマリオ・カンデローネの奥さんであるアニエーゼが、日本語検定に合格して、その合格証書のコピーを送ってきた。イタリア人が日本語を勉強するというのはとてもたいへんだと思うのだけど、彼女はがんばったのだ。ぼくも、古くなったワープロをプレゼントして、これで日本語の発音と漢字についてお勉強しなさいとご指導したものだったけど、それが役に立ったのかよけいなお世話だったのかはよくわからない。マリオは日本に来たとき、そこここの日本女性に目を輝かせて「おれは絶対に日本人妻をめとるのだ」といっていたから、この証書を送ってきたときの返事に「よかったなぁ。これできみはJapanese wifeを手に入れた」と書いてやった。わはは。
投稿者 nishimaki : 16:59 | コメント (0) | トラックバック
2008年01月28日
先進の逆風
成田匠の、2008年の去就が気になっている。
気になったので、電話してみた。そういえば、あけましておめでとうのごあいさつもまだだったし、お互いに引っ越ししたのに、そういうごあいさつもまだだったので、そういうごあいさつかたがた、今年はどうするの?と聞いてみた。そしたら、今の時点でははっきりしたことが答えられないということだった。その言い方からすると、話が決まっていないのではなくて、もう大筋で決まっているのだけど、発表まではないしょね、という感じ。いずれにしても、小排気量での普及活動を推進することと、トライアル・アカデミーで後進を育成する活動については、2007年同様に進めていくということだ。
今ははっきりしたことがいえないというのは、全日本選手権への参戦体制ではないかと想像する。聞きたかったのも、そのへんだ。
2007年、成田は国際A級クラスのチャンピオンになった。それも、ヤマハTYS125F(スコルパSY125F)で250cc以上のライバルに挑んでの勝利だった。直接のライバルは小森文彦で、小森との最終戦での緊張感ある、それでいてさわやかな一騎打ちは印象深かった。そしてわずかの差で、タイトルを決定したのだった。
当初成田は、125ccで国際A級に参戦することが重要で、結果については多くを求めていなかったようだ。ところがいざ参戦を表明すれば、目標を聞かれる(ぼくらも聞いた)。メーカーや関係者からも、期待される。そしてその期待通りの結果を、成田は実現した。
ところが一方、国際A級スーパークラスという特別枠のライダーは、参加者の減少傾向に歯止めがかからない。もともと、成田をはじめとする世界選手権に挑戦しているライダーが全日本に出場した場合、国際A級の多くのライダーとのレベル差が大きくて、同じ土俵で競うのがむずかしい、それなら別枠を作って、世界で活躍するライダーがしのぎを削るクラスを作ろうじゃないかというのが、スーパークラス誕生のいきさつだった(と理解している)。
しかし今、藤波貴久はヨーロッパにい続け、全日本に帰ってくることはなくなった。世界選手権に挑戦しているのは、藤波以外には小川毅士だけで、黒山健一も小川友幸も田中太一も野崎史高も、みんな日本に帰ってきた。彼らの力量は今も世界レベルではあるが、世界に挑戦しているライダーは、いまやこの中にはいない。そして残念ながら、これから世界に挑戦するような若手も、今のところは見あたらない。国際A級で上位を占めたライダーも、スーパークラスでは土俵が厳しすぎて、またふつうのA級に降格して走ることが多い。スーパークラスの維持のために、A級上位のライダーはスーパークラスへの昇格を義務づけるべきという委員会の決定がされたのは、2007年初頭のことだった。その規約に最初に該当するのが、2007年国際A級チャンピオンの成田だった。
もちろん、成田はスーパークラスにふさわしいライダーであることはまちがいない。しかし今、成田は125ccの普及に精力を注いでいる。125ccでスーパークラスに参戦は、さすがに無理がある。2004年に成田はTYS125F改でスーパークラスに参戦したことがあるが、ベースマシンは125Fだったけれど、あれは排気量がざっと200ccのスペシャルマシンだった。国際A級スーパークラスは、125ccのままのTYS125Fで挑めるクラスではない。
成田は規則を承知で、国際A級クラスへの残留を申請したが、これはトライアル委員会で否定されている。事情は重々理解できるも、制定されたばかりの規則を初年度にして特別処置で覆していては、ルールの意味がなくなってしまう。
最悪、成田は2008年は選手権は浪人か、というところで、話は振出しに戻って、今は成田サイドからの正式発表(おそらくヤマハ発動機からの発表になるのだろう)を待つことになっている。
この一件については、国際A級に残留して125ccで可能性を示しつつ、250ccマシンに乗る若手ライダーの目標になるという成田の意図はとても素晴らしいものだと思えるし、同時にスーパークラスを盛んにするために、A級の上位はきちんと昇格してほしいという委員会側の意向もたいへんに理解できる。どちらがいい悪いという問題ではなく、成田はチャンピオンになったタイミングが悪くて、スーパークラスへの昇格を強いられる結果となった(2007年ランキング2位の小森文彦と3位の三谷英明もスーパークラスへの昇格をしているが、彼らはスーパーとA級残留を選べる権利を持っていて、チャンピオンの成田はスーパー昇格以外に選択肢はないのが今年決まった規約だ)。
成田匠は、近代日本トライアルの先駆者である。山本昌也世代と藤波貴久時代の間にあって、どちらの世代とも約5年のギャップがある。その中で、成田が切り開いた新しいトライアルの世界は数多いのだが、しかし、少なくとも当時のトライアルは、成田のその業績を認めてこなかった。そればかりか、ときには成田に逆風を送ったりもした。それはけっして成田にいじわるをしたわけではなく、当時のルールが、そういうふうになっていたからだ。ちょうど今回の昇格問題は、それらのまるで再来のようなできごとだった。
成田の時代は、MFJの選手権に出場するには、運転免許証が必須だった。つまり16歳以下のライダーは、どんなに努力をしても試合にでられなかった。だから成田も、16歳になってからMFJの選手権に参加した。
成田の実積があって、これからは免許のない若手の中にも優秀な人材が育つ可能性が実証された。それで、運転免許証が必要ないジュニアクラスというクラスが新設された。黒山健一や藤波貴久など、その後に世界へ羽ばたいていく逸材は、みなこの制度にのっとって免許のない時分から選手権に参加した。道は、成田匠のあとにできた。
1989年に、成田は国際A級に昇格する。国際A級ライダーには、世界選手権挑戦の権利がある。ところが、成田の場合はそれができなかった。A級昇格1年目は、修業のために全日本に専念しなさい、世界に出ていくのは、2年目以降にしなさいという規則が、その当時はきっちり生きていた。なんともおせっかいな規則だが、規則は規則だ。A級1年目で世界に挑戦したかった成田は、89年はきっちり全日本を走り、全日本チャンピオンを獲得した。
その後、藤波貴久は15歳のうちに全日本チャンピオンとなって世界へ挑戦したが、黒山健一は全日本選手権を走る以前に世界選手権に旅立った。ここでも、道は成田のあとにできている。
1990年のことだった。成田匠が世界選手権に参戦中、日本チームがトライアル・デ・ナシオンに参戦した。成田は世界選手権で上位入賞のきっかけをつかんでいて、世界の舞台でも周囲に脅威を与えはじめていた時期だった。日本のトップライダーであることは、誰もが認める。
ところがデ・ナシオンにやってきた日本代表は、成田を除いて構成されていた。ヨーロッパのトライアル人たちには、その理屈がさっぱりわからない。しかしこれも、理屈はしっかりしていた。当時のデ・ナシオンの日本代表は、全日本選手権の上位のライダーから選出すると、きちんと定められていた。全日本選手権に参戦実積のない成田は、この条件をクリアできなかった。
しかし、世界のトップを争っている選手が、日本代表選手として日本のために貢献できないのは、ヨーロッパの人のみならず、誰が考えてもおかしい規則だ。ヨーロッパだと、規則がどうあれ、結果オーライの方向で実行に移すことが多い。しかし日本は、ルールを尊重したのだった。
今では、デ・ナシオンの代表選手の選考は、世界選手権と全日本選手権の成績を鑑みて決定するようになっている。今のルールなら、あのときの成田は、デ・ナシオンに参戦できた。事実、1991年には、成田は日本代表としてデ・ナシオンを戦い、日本チームとして最上位の7位を獲得している。
1995年。成田に加えて、黒山健一と小川友幸が世界選手権挑戦を開始した。この年、ヨーロッパでは、この3人による日本チームが、デ・ナシオンで何位に入るだろうかという予想で盛り上がった。世界選手権にフル参戦しているメンバーが揃う日本代表チームは、これが初めてだったからだ。この時期、MFJは資金難をはじめ、もろもろの理由からトライアル・デ・ナシオンへの選手派遣を見送っていた。しかし選手は、今現在ヨーロッパにいる。派遣費用は、最低限ですむはずだ。そこで、有志がMFJを動かし、デ・ナシオン参戦の準備が始まった。しかし、デ・ナシオン当日は全日本選手権が開催されている日でもあった。
黒山と小川は、全日本にはフル参戦していないから、全日本を見送っても、実質的に痛手はない。しかし成田は、あと1戦好成績をおさめれば、全日本チャンピオンの可能性があった。当時はパスカル・クトゥリエがゼッケン1をつけ全日本のトップに君臨し、藤波貴久がこれに挑戦していた。藤波はまだ成田の敵ではなかったし、クトゥリエはもはや成田の敵ではなかった。しかし欠席してしまえば、彼らには勝てない。しかしデ・ナシオンも、成田抜き、黒山と小川ではチームとして成立しないのだ。
成田は悩んだ末、デ・ナシオンを選んだ。その結果、日本はスペインとイギリスに次いで、堂々3位を獲得した。その一方、成田は全日本チャンピオンの座を失うことになった。その結果、成田は日本での名誉ばかりではなく、契約金や賞金なども失うことになった。そして、デ・ナシオン3位入賞に対しては、期待していたほどの反響がなかった。報酬や反響がほしくて選択したデ・ナシオン参戦ではなかったが、成田がここで失った全日本チャンピオンの座は藤波が手中とし、その後の世界挑戦へのジャンプボードとした。
成田匠のやることは、いつも新しい。ワンピースのライディングウェアを全日本の場で本格的に着用したのも成田が先駆者だった。そしてまた、そのワンピースに相反するように、カジュアルなパンツを着用して物議を醸したのも、成田が先頭を切っていた。
間もなくでる、2008年の成田匠の選んだ道。成田は、いつでも逆風の吹く中を新たな世界に挑戦している。今度もまた、そんな選択をするのだろうか。
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2007年12月10日
ど・ビギナーbyタイガーカブ
四十雀に参加するのに手入れをして以来、トライアンフ・タイガーカブが機嫌がいいので、調子に乗ってど・ビギナートライアル大会にもこれで参加することにしました。
スコルパSY250Rに乗っていたときに参加させてもらって、セクションがとってもていねいに作られているのに感激して、その後もてぎでの大会運営を共同で行うようになって、すっかりスタッフの一員になっていましたけど「出場したい」言っていったら快くお許しをいただきました。
SY250Rのときはできもしないのにオープンクラスのラインを走ってぼろぼろになったけど、今回はきちんとビギナーラインを走ってみようとココロに決めています。この大会のセクションはほんとにうまく作られているんだけど、それがどんなものか、やっぱりときどきは大会に参加して確かめてみようと思ったというのが、大義名分です。
この大会、高い段差はありません。オープンクラスでも、せいぜい20〜30cmくらいの段差があるくらい。ビギナークラスは、もっと低い。ただ、きちんと作り込まれているから、かなり難度は高い。ビギナークラスの場合は、ちょんとオートバイ心のある人なら「なんだー、簡単じゃないか」と思える程度。で、走ってみるとばたばたと足が出る感じです。先へ進めなくて5点になるということはあんまりないと思う。オープンクラスの場合は、けっこう熟練者が「なんだー、平らだし、簡単じゃないか」といいながら、ばたばたと足をついてしまう感じの設定です。
セクションは広々としているので、勝手に高い岩に向かっていく人もいます。そういう人には歓声が飛んだりしますが、自然山通信初めて10年。最初は歓声をあげていた素人ニシマキも、トシもとったし、今じゃ、勝手に高い岩に向かっていくのはトライアルにあらずと思ってます。トライアルは、規制された中で、一番簡単で確実なラインを発見して、そこを確実に走破するのが勝負です。「トライアル」の訳語は試験なんだけど、これを挑戦だと訳してしまった人がいたのかもしれませんね。
どんなふうにトライアルを楽しもうと勝手なんだけど、概して、無謀な挑戦をしているとうまくならずに、ライディングがどんどん荒くなってく傾向があるってのも、最近わかってきました。ある程度うまくなったら、それにあわせてセクションのレベルも上げていく必要があるんだけど、それと無謀な挑戦とはちがうからね。
藤波貴久が世界選手権のもてぎ大会を走る場合、彼の技量とセクションレベルはどんな関係だったかというと、きっとぼくとど・ビギナーのビギナークラスの関係にごく近いのではないかと発見したわけです。オールクリーンができる設定だけど、ミスは出る。ミスをどう減らすかの勝負。トップライダーはこういうのを神経戦といって嫌いますけど、そういうのがトライアルってもんだと、思っています、最近は。
前置きが長くなった。そんなわけで第1セクションについたら、まぁむずかしそうに見える。ぼくのトライアンフ・タイガーカブは、少なくとも1968年以前に製造されたイギリスのトライアンフ製のOHV単気筒(もちろん空冷)200ccエンジンを積んでいる。アーサー&アラン・ランプキン製作所の向かいにあるジョン・ランプキン・ベータUKの川向こうに住んでいるキース・フォースマンさんが、タイガーカブをトライアルマシンに仕立ててくれました。作ってくれて日本に送って、ざっと80万円くらいだったと思う。新車のトライアルマシンを買うのと同じくらいだったと記憶しております。
イギリスマシンだから、ブレーキは左足で操作。始動はプライマリーキックじゃないから、いちいちニュートラルに入れないといけない。ブレーキはもちろんドラムブレーキ。きかない。そして、昔のマシンにしたら軽いんだけど、重たい。しかも、なんだかホイールのセンターがずれていて、まっすぐ走らない。走らせたら最後、行きたい方向は(ヘタクソなぼくの場合)ライダーの意思6割、あとの4割はオートバイが決める。
この岩を越えたらどんな衝撃が来るだろう、このターンは素直に曲がれるのだろうか、などなど、不安なことだらけ。セクションは長くないけど(といっても、最近の初心者トライアル的には充分に長いらしい。セクションは必要なだけ長くあるべしだと思うけどな)、そのかわり一回とちったら、それを引きずったまま出口まで駆け込まなければいけない。けっこう必死。
朝寒かったから、まぁいいかと思ってコートを着たまま走ったけど、5〜6セクション終わる頃にはすっかり暑くなった。まぁ当然でしょう。ちなみにこのコートは、ベルスタッフではなくてバブアというブランド物。英国貴族がハンティングなんかに着ていくコートで、汚し放題で着るのがおしゃれというところが気に入っている。油が引いてあるから、そうそう洗濯もできないのですが。
でもまぁ、必死の思いでマシンを曲げて、10cmの段差を大岩に挑むドギー・ランプキンのような覚悟で飛び越え、第8セクションまではクリーンが続いておりました。どのセクションも楽勝ではなくて、油断したらあっという間に減点しそうなところばっかりだったけど、でもこの調子ならオールクリーンで優勝するのも夢じゃないなと思った矢先。泥のターンで足をついてしまいました。なんだばかやろー、みたいなへぼな失敗。クラッチミートしたのにマシンが出なかった。このワイヤークラッチは、右と左でタッチがちがうんですね。くそっ。
そしたらその次のセクションで、また失敗。全日本なんかで、前の失敗を引きずるってことがあるけど、ちょうどあんな感じですかね。きちんと分析してみると、下見がいいかげんになった。おいしいラインだけ下見して終わってる。最初の頃は不安で不安でしょうがなかったから、おいしいラインの下見を終えて、もしこのラインに入れなかった場合はどうしようとすべり止めラインをいっぱい下見していた。だからちょっと失敗があっても落ち着いていられたけど、クリーン連発してセクションをなめてきた。ベストラインしか下見してないから、ちょっとラインがずれると、いきなりあわてることになる。慌てるこじきはもらいが少ない(放送禁止用語なのか?)と言われたけど、この場合は減点が多いのであった。
最終セクションでどうしようもない足つきが2回あって、1ラップ目の減点は4点。うーむ。
2ラップ目はコートを脱いでいった。そしたら後半になって、少し寒くなってしまったんですけど、世の中、うまくいかないということだ。
第3セクション、高橋摩耶さんがオブザーバーやっているところでスタック。ぶざまにマシンを押しだして3点。あちゃー。よし、クリーンしたぞと思った瞬間に後輪が小石につかまってました。
第4セクション、田中裕人さんのセクションでも、やっちゃった。ベストラインに曲がるのがきつそうだったので、もう一本外側の木と木の間を抜けてみたらその先にラインはなかった。足をついて無理に曲げたほうが減点は少なかったと思うのは、後の祭りというわけです。
1ラップ目に足をついた第9はクリーン。足つくセクションじゃないんだもの。でも10セクションのターンは、やっぱりだめだった。2ラップとも足をついたのは、このセクションだけ。くやしいから、終わってから復習にいったけど、4回目でようやくクリーンできた。なんでもなさそうに見えたんだけど、まだまだ修業が足りません。
10セクションで2点ついて、2ラップ目7点。全部で11点がぼくの成績でした。ひそかにライバルにしていたNK女史などは、1ラップ目の途中カードを盗み見したときには減点がちょろちょろあったので安心していたら、4点と4点で8点だったそうな。完敗。
あのマシンで11点はご立派と主催の萩原さんにおほめの言葉をいただいたので、とりあえずよしとしておきました。オールクリーンで優勝しようと思った、などというのは、ここだけの秘密。
会場では、ベータの試乗会をやっていた。トライアンフに乗りたい人もいるかなと思ったけど、寄ってくる人は多いけど、お化けでも見るような感じで「乗りますか?」と聞いても「とてもとても」と逃げていく。ベルドンにいった齋藤さんが乗ってくれたけど「こりゃトライアルはできない」という感想でした。
ぼくの場合は、近代的マシンでオープンクラスは少しむずかしい。でもビギナークラスはちょっと簡単め。トライアンフでビギナークラスというのは、緊張感と難易度がとてもいい感じで、わりとお気に入りでした。
次は、このマシンでまだ一度も完走していない、ツーリングトライアルにも出かけてみたいところだなぁ。
*写真は問題の10セクション。1ラップ目。このあと足をつくんで、フォームがすでに破綻しています。
投稿者 nishimaki : 08:37 | コメント (8) | トラックバック
2007年11月12日
サイドバルブ〜
4ストローク化の流れに、最後まで知らん顔を決め込んでいたガスガスが、ミラノショーでついに4ストロークマシンを発表した。まだプロトタイプというからこれから変更もあるかもしれないけど、開発方針が180度変わっちゃうこともないだろう。登場したガスガス4ストロークマシンは、なんとサイドバルブだった。サイドバルブってのは、その名の通りバルブがシリンダーの横についてるからこういう名前なんだが、いまどき、ライトバンだってDOHCエンジンを積んでいるから、サイドバルブエンジンの登場は、ちょっとびっくりだ。
4ストロークエンジンの歴史を思いきりどんぶりで振り返ると、最初にサイドバルブエンジンあり。しかし燃料室形状などに制約が多いので、バルブをピストンと向きあうように配置したオーバーヘッドバルブエンジンが高性能を絞り出す切り札となった。これを略してOHV。その時代はチェーンの信頼性があやしかったので、クランクのそばに配置したカムシャフトとバルブの連結には、プッシュロッドが使われた。今ではプッシュロッドを使ったエンジンのことをなんとなくOHVというけど、本来はバルブがてっぺんにあるエンジンのことを意味するわけだ。昔のBMWとか、ぼくが持っているトライアンフ・タイガーカブはこのエンジン形式です。
しばらくして、重たい金属の棒をしこしこ動かしているのがおっくうになった。往復運動は両端で折り返すときに慣性が発生する。プッシュロッドをやめて、カムシャフトもシリンダヘッドのてっぺんに持ってきた。オーバーヘッドカムシャフト。略してOHC。バイアルスもRTL250Sも250Fも、スコルパ125Fも、みんなこのOHC形式だ。カムシャフトの駆動はチェーンを使っている。チェーンは一方向に動き続けるから、往復運動の慣性の心配はなくなった。
でも欲はつきない。1本のカムで吸気と排気の2本のバルブを動かすには、ロッカーアームというシーソーみたいなパーツがいる。こいつの慣性を排除したくて、OHCはDOHCになった。Dはダブル。よくダブルをWと略す人がいるけど、あれは何語なのかしらん? 英語圏の人にも通じるのかなぁ。
さて給排気それぞれのバルブに1本ずつカムシャフトを置いて、ロッカーアームを使わずにカムがバルブが直接押すシステムだ。昔は一部のレーシングエンジンにしか使われなかった高嶺の花のメカニズムだったが、自動車でもオートバイでも、いまどきはわりとふつうのメカになっている。トライアルでは、スコルパSY250Fが、DOHCの5バルブエンジンを積んでデビューした。
商用自動車にDOHCの必要があるのかどうかはさておき、トライアルマシンはどうだろう。スコルパ250Fがデビューするとき「トライアルは、とっくの昔の遅乗り競争の時代を卒業した。これからのトライアルはDOHCのパワーが必要になる」という説があった。事実、高い高いヒルクライムなどで、2ストローク勢やホンダ4ストロークが登りあえぐところをスコルパDOHCがあっさり登った衝撃のシーンは少なくなかった。
スコルパ250Fは、もともとのエンジンはエンデューロマシンのWR250Fだ。たいしてモンテッサのためにホンダが用意したのは、CRF250Rのエンジンを大改造したものだった。大改造というより新設計に近い。ユニカムと呼ばれる高回転高出力用のご自慢のシステムを放棄して、ふつうのOHCに作り替えた。ユニカムは、シリンダヘッドが大きくて、トライアルには不向きという判断でもある。DOHCをそのまま積んだスコルパは、ホンダのやり方とは対照的だった。
しかしトライアルマシンにとって、軽量コンパクトは至上命令だ。シェルコは吸入効率のことを考えたらやりたくないだろうに、キャブレターからシリンダヘッドまで、ぐにゃりと曲がったインシュレーターを用意した。大胆。キャブレターがシート高を高くするのをきらったためだ。
みんな、それぞれ独特の技術と想像力でトライアルマシンを仕上げてきたが、スコルパのDOHC以外は、いずれもOHC(SOHC=シングルオーバーヘッドカム)を採用した。軽量コンパクトと高回転高出力の両方を満たすには、OHCが順当な選択だったのだろう。
というところに、サイドバルブの登場だ。もっとも新しいサイドバルブエンジンがいつ登場したのか、なんてのはエンジン史探究家におたずねしないとわかんないが、戦後、小さなオートバイメーカーが乱立していた時代はともかく、ホンダがマン島TTで一旗揚げようという時代には、サイドバルブを積んだオートバイなんて、見向きもされない傾向になっていた。サイドバルブは、いかにも遅いという代名詞みたいになっちゃっていた。
トライアルマシンが4ストローク化されるにあたって「トライアルなんてたいしたパワーはいらないんだから、サイドバルブにでもして小さなエンジンを作ったらいいのができるんじゃないのかなぁ」なんて冗談をいっていた覚えがありますが、手前の場合はまったく技術的根拠がない酔っぱらいの戯言です。しかしそんな戯言をいっている間に、スペインの技術者は、おおまじめにサイドバルブエンジンを開発していたのだった。しかもこのサイドバルブときたらフューエルインジェクション装備である。新しい技術と古来の技術の融合という点でも、おもしろい。
はたしてどんな性能が発揮されるのだろう。どんなトライアルができるんだろう。元祖インジェクションのホンダエンジンや、DOHCのヤマハエンジンとはどんな戦いを演じるんだろう。
ともあれこれで、現存するすべてのメーカーから世界選手権に参戦するための4ストロークエンジンが出そろった。2ストローク時代にはどれも同じようなスペックだったけど、4ストロークは見事にさまざまなスペックが並んだ。それでも最終的にトライアルの成績を左右するのはライダーのテクニックなんだろうけど、しばらくはマシンを(エンジンを)眺めているだけでも楽しい日々が続きそうだ。
| メーカー | 車名 | バルブ装置 | バルブ数 | 冷却 | 発表年 |
|---|---|---|---|---|---|
| スコルパ | 125F | SOHC | 2 | 空冷 | 2004 |
| モンテッサ | Cota4RT | SOHC | 4 | 水冷 | 2004 |
| シェルコ | 3.2 4T | SOHC | 4 | 水冷 | 2004 |
| スコルパ | 250F | DOHC | 5 | 水冷 | 2005 |
| ベータ | 4T | SOHC | 4 | 水冷 | 2007 |
| ガスガス | 4T | SV | 2 | 水冷 | 2007 |
投稿者 nishimaki : 15:56 | コメント (7) | トラックバック
2007年10月29日
四十雀トライアル
去年に引き続いて、四十雀トライアルに行ってきました。去年は淡路島。今年は下関での開催で、締めきりの最中に下関まで出かけていくのはちょっと勇気がいったけれども、行ってきた。デ・ナシオンと日程が重なっていたり、毎年参加できるわけではないけれど、四十雀は、ぼくにとってはなんとなくはずせないイベントのひとつです。
最初に四十雀に参加したとき、ぼくは40歳になったばかりだった。四十雀のピチピチの新入生。40歳になったらみんな四十雀に入学するものだと思っていたけど、その後の様子を見ていると、どうもそういう感じではないみたい。かつてぼくにトライアルの「ト」の字を教えてくれた大阪のN師匠なども「トシはとったが、ワシはツートラや四十雀に参加するほど落ちぶれたくない」とおっしゃっていた(記憶に基づいて書いてるんで、もしかしたら少しニュアンスはちがったかもしれない)。勝負をかけてゴリゴリトライアルをやってきた人にとって、四十雀は生ぬるいってことなんだと思う。ぼくはゲートボールのことはしらないけど、ゴルフに熱中している人に「年取ったってゲートボールにはひよらないぞ」と思っている人もいるんじゃないかしらん。例によってたとえは悪いと思うけど、まぁそんな隔たりが、ふつうのトライアルと四十雀にはあるみたいなのだ。
四十雀の居心地がいいのは、トライアルの勝負が本当に二の次であることだ。「勝負は二の次、楽しむことがトライアル」というお題目の大会や、そういうポリシーをお持ちのトライアル愛好家の方々は数多い。ところがそういう向きのトライアルを見ていると、なんのことはない、ごりごりに勝負だったりする。一生懸命勝利に向かって突っ走っているのを、なんとなく照れていて、それで「勝負は二の次」なんて言ってるみたい。だまされて、とまどったこと、たくさんあった。
四十雀は、トライアル大会ではなく、トライアルミーティングだ。なので、メインイベントは土曜日の夜にある。土曜日の夜、参加者がそれぞれの近況を報告し、日本の将来について熱く語り、1年元気でいたことを感謝するという高尚なミーティングである。なので「四十雀に参加したいけど、競技だけでもいいですか?」という問い合わせもあるらしいんだけど、主旨ちがいも甚だしいので、こういうのはお断りなのだ。どっちかというと、ケガをしたりしてオートバイには乗れないので、メインのミーティングだけ参加します、というほうが正しい。今年もそういう方はいらっしゃったし、過去にもいた。勝負は二の次、というコンセプトが、ちゃんと根を張っている証拠だ。
四十雀の勝負は、年齢ハンディが大きく行く手をふさいでいるから、若者が勝とうと思ったって不可能だ。いや、主催者を丸め込めば勝てるかもしれない。国内B級ほどのセクションを設定して、最高齢の人がオール5点になるようなセクションを作って(10セクション2ラップだと100点になりますね)、40歳の人(現状ではハンディが41点)がオールクリーンをしたらぶっちぎりで勝てる。でもそれは四十雀らしくないということになっている。最高齢の方でも、オールクリーンが可能、でもちょっと油断をして点数をとっていただくというのが、セクション設定の目安になっている。せっかくここまで長生きをしてきたのだから、お楽しみのトライアルでケガはしたくないし、させるのもいやです。同じ転び方をしても、若者とご高齢では、壊れ方もちがうかもしれないしね。
大会の名前のとおり、40歳からまともにトライアルを習いはじめたニシマキにとって、こういう四十雀のセクションは、おおむね快適。若気の至りで、最初は「セクションが簡単すぎるなぁ、生ぬるいなぁ」とよけいなところを走ってリヤフェンダーを折ったりしたこともあった。10年たって今思うに、簡単すぎる、生ぬるいと思ったら、まずオールクリーンしてみろってんだよね。
その後、マシンがいいと、セクションに対して油断するんで、ポンコツの50ccマシンを持っていったこともあった。そのときは郡上のスキー場での開催だったんで、登らなくて苦労したなぁ。みなさんのやっている上品なトライアルとは、ちょっと異質すぎる感じがしたので、ポンコツでの参加はそれ一回きりになった。
その頃、ぼくはトライアンフタイガーカブを手に入れた。イギリス製OHVエンジンを積んだ200cc。SSDTのプリ65では華々しいトライアルを見せてくれるのもこのマシンだけど、ニシマキにはなだらかな土の上を登ったり降りたりするくらいがちょうどいい。原瀧山の大会にはこれを持っていった。でもあのときは、タイガーカブより初出場させた小学生の相手で忙しかった。
四十雀には、三部門がある。40歳以上のおっさんたちの四十雀クラスと、お嬢様方のうぐいすクラス。どんなお歳の方が参加されても、エントリーリストには20歳と表示される。土曜日のミーティングで紹介を受けるときは「堀内浩太郎さん、81歳」「西巻裕さん、50歳」「山田花子さん、20歳!」となる。山田花子さんが、実は50歳だろうと70歳だろうと、声高らかに20歳と紹介される。還暦となった人にお祝いが配られたのだけど、その中に、さっき20歳と紹介されたお嬢様がいらした。それもよきかな。
で、もうひとつのクラスが14歳以下の十姉妹だ。四十雀をはじめた長尾さんはしゃっけのある人で、ただの親父ギャグではない。「四十から」と「十四待つ」。25年前に、トライアルの将来をタイトルに託したわけだけど、その思いに応えられているのかどうか、ちょっと心もとない。
十姉妹には、昔は田中裕人とかも参加していた。由緒あるクラスだ。最近じゃ、うちの娘以外に参加がない。基本的におっさんたちの集いだから、若いぼっちゃんじょうちゃんは退屈かもしれないけど、もっと出てきてほしいなぁ。といいつつ、うちのふうみは14歳を卒業してしまったので、次にでるとしたら「うぐいす」になる。15歳なのに「西巻芙海さん、20歳」と紹介されちゃうのかな。まぁ、それもよきかなです。
話がぼんぼん飛んでますが、タイガーカブはその後置き場所に悩んだりレギュレーターがパンクしたりして放置されたので、今回久しぶりに走らせることになった。乗りたい人がいたら乗ってもらおうと思ったけど、みんな遠慮しちゃうんだね。転がしたりしたらどうしようと思うんでしょう。ぼくも、実はびくびくしながら走らせてます。
土曜日の午前中、会場へ行ったら全日本らしくセクションの査察というのをやっていた(笑)。査察のポイントは「神様堀内さんが走られてケガせずに抜けられるだろうか」というものだ。その方針に基づいて「これはあぶないやろー」と60歳くらいの若者たちが、石を積んだり岩をどかしたりした。ぼくはそれを手伝いながら、問題は堀内さんではなくて、ぼくのタイガーカブが無事に走り抜けられるかどうかだなぁと考えていた。
タイガーカブに試乗した伊藤敦志さん(念のため書いておくと、3回の全日本チャンピオン)によると「ふつうのトライアルマシンとして走っていける」という感想だったけど、ぼくにはそうはいかない。ブレーキは左側についてるし、しかもきかない。フライホイールが重たいので、機敏なアクセル操作には反応しない。そして、重たいし少しハンドリングにくせがあるので、狙ったところにマシンを運べない。だもんで、生ぬるいかもしれないし簡単すぎるかもしれないけど、四十雀のセクションは、ちょうどいい。二番目に長老の藤沼平八郎さんは、油断するととんでもないところに挑んでいったりするから、ああいう気の若い人はほうっておいて、ここでも堀内さんのあとについて回っていく。
ところが、二つ目のセクションにして足をついてしまって、オールクリーンの夢はついえた。堀内さんがあっさりクリーンしたので油断してしまいました。あー、まだ修業が足りない。
4つ目のセクションは、堀内さんがクリーンしたラインが簡単そうではなかったので、ラインがずれると岩から落ちておっかないけど、なんとかなるだろうと思われる一直線ラインでクリーンした。ためしにあとから堀内さんがクリーンしたラインでやらせてもらったけど、うまくいかず、3回挑戦してようやくクリーンした。堀内さんには脱帽です。
この4セクション、堀内さんは1ラップ目にエンストしたけど、とっさにセルを回して走り出した。MFJのルールでは、足をついてエンストしたら5点だ。オブザーバーは「うっ、5点だな、でもセルだしな、神様だしな」と困った感じになって、足をついた数だけ、2点という採点をした。
中国地方のオブザーバーはとっても優秀な人が多くて、こういう環境に育つと、採点についてはみんな正義感あふれている。エンストしたのに2点にしちゃうなんて、と思っているかもしれない。ところが四十雀には「がんばっている限りは3点」というルールがある。温情やインチキではなくて、ルールなんだから従わなければいけない。
2ラップ目の第8セクションでも、堀内さんはエンストした。セルを回そうと手を放したら、たぶんブレーキからも指が離れてしまったのか、ずるずるとバックしてしまってあぶなかった。でも堀内さんはすかさずマシンを止めてエンジンを再始動して、そのセクションをアウトした。それで2点。エンストもしたしバックもしたし、さらにいえば足をついてハンドルから手を放してマシンの他の部分を触れたという点でも5点なのだけど、MFJのそういうのとは別のルールがここには存在する。
「がんばっている限り3点」というのは、四十雀が(たぶん)発祥だけど、それ以外の大会でも使われることがある。スポーツなんだから、いさぎよく5点の宣告を受ければいいのにと思う。四十雀でも「がんばっている限り3点というルールがあると、わしら若者には勝ち目はないなぁ」という人々がいる。若者といっても、70歳くらいの若者である。気持ちはわかるような気もするし、気持ちがわかる前に笑ってしまいたい気もする。もうしわけない。
今回木村さんは、堀内さんを出場させる気持ちにさせるのに一苦労だった。おからだの不調もあったし、奥さまを亡くされたという不幸もあった。でも(セルつきのマシンにほだされて?)堀内さんは元気にお姿を見せてくださった。自己紹介の持病の欄には「男やもめ」と書かれていた。奥さまの分まで楽しんで、奥さまの分までがんばっていただかないといけない。
お年寄りに「がんばれ」というのはときになかなか酷なことだ。だからご自身ががんばっている限り3点というのは、四十雀に限っては、とてもよいルールだと思う。バックしてもなにをしても5点にならないずるずるのトライアルは見ててもまったく美しくないけど、それと四十雀の「がんばってる限り3点」はずいぶん意味がちがうのだと思う。10年前にはわかんなかったけど、こういうことも、トシを取るとわかってくるのかもしれない。
20年前、30歳の頃に四十雀を取材で訪れたとき、ぼくは「おい、カメラマンさんよ」なんて呼ばれていた。あたりまえだけど、仲間じゃない。
40歳になって、今度は仲間になったつもりで四十雀に参加したけど、本当の意味でみんなと仲間になれるかもしれないのは、もうちょっと時間が必要かなと今は思ってます。全国の(トライアル大好きのじじいの)みなさん、末長くよろしくお願いします。
投稿者 nishimaki : 10:19 | コメント (0) | トラックバック
2007年08月24日
デ・ナシオンと自然山通信
毎年、トライアル・デ・ナシオン(TDN)の取材は欠かしたことがなかったのだけど、今年はどうも雲行きが怪しくなっている。今年は無理かなぁという感じになってきている。もう開催まであと1ヶ月になってしまっているけど、この時点でいまだ悩んでいるというのが、自然山時間なのでした。
行けないかなぁというその理由はいくつかある。
まず、この数年来の慢性的な円安で、海外に出るのはとてもつらくなっている。金利を安く設定している日本の金融政策の結果らしいけど、喜んでいるのは輸出産業の人たちばっかりじゃないかなぁ。トライアル界には、どっちかというと輸入産業の人が多いので、みんなして悲しがっている。
ちょっと前、ヨーロッパで昼飯10ユーロなんていったら、大喜びだった。1000円するかしないかで、サラダ、メインディッシュ、パン、コーヒーのコース。日本のファミリーレストランのランチコースとはちがって、お楽しみ度は断然上。イタリアではコーヒーも1ユーロ弱で、80円ちょっとでエスプレッソが飲めるという感覚だった。
ところが今や、ユーロは160円。大喜びの昼飯は1600円になった。コーヒーは今でも割安感はあるけど、それでも130円くらいになった。いちいち日本円に換算して「高いからやめよう」と品定めをしていると、買い物なんかできない。物価が高いんじゃなくて、日本人が貧乏なのだから、しょうがない。こんなに貧乏なのに、日本の景気は回復していると日本国家は喜んでいる。幸福の指針が狂っているとしか思えない。
お次が、世界選手権最終戦ベルギー大会の中止だ。いったい、なんだって突然中止になっちゃったのか、さっぱりわからない。まぁヨーロッパでは、こういうことはよくあって、大局的には不思議でもなんでもないんだけど、最終戦ですよ。観戦や取材にいくんで、すでに格安チケットを手配している人もいた。格安チケットってのはキャンセルできない前提で安かったりするから、大会が中止になってもどうすることもできないのであった。お気の毒。
世界選手権最終戦とTDNは、だいたいダブルヘッダーで組まれていることが多い。最終戦を取材して、そのまま1週間滞在していると、TDNが観戦できる。おいしいのである。その目玉のひとつがなくなって、大きく出鼻をくじかれてしまった。
ニッポン女性チームが派遣されないというのも悲しいニュースだった。ノミネートされた3人(萩原真理子・西村亜弥・高橋摩耶)から参加見合わせの申し出があり、これを受けてトライアル委員会が女性チームの派遣中止を決定したものだ。男子チームは予定通り派遣されるから、TDNでの優勝争いの興味は少しも薄れることはないのだが、ここんところは日本女子チームの活躍も大きな目玉だったから、これを失うのは痛い。
百歩譲って考えると、女子チームの参戦をお休みすることで、資金に余裕ができるって見方もある。選手会からの遠征費支援(みなさんからの募金活動で成り立っています。いつもありがとうございます)も金額がかさんで苦しいので、ここらで一回お休みしておくという選択肢もありなのか。
でも、TDN参戦をお休みするとどうなるか。日本は2002年に参戦を中止した。そしたら翌年のスタートが一番最初になって(当然だけど)、ひどく苦戦をした。優勝を狙うには、優勝優勝と叫ぶばかりではなく、毎年きっちり参戦し続けていないとダメなんだというのを、あの時思い知った。だから去年(2006年)、3人の体制でとても勝ちを狙える状況ではなかったけど、それでも3位を得たのはとても意義があったと思うのだ。
そういう意味では、萩原・西村・高橋の3人は日本のベストメンバーだけど、彼女たちがいけないなら、時点を繰り上げて選抜するという手段もあったのではないか。参加し続けてこそ勝利のチャンスがあるという点では、それが最善の道だった気がする。
もっとも、選手個々に聞くと「行きたかったけど、残念」というコメントが返ってくる。このあたり、まだまだ体制的に、ニッポンチームは勝つべきところにはないのだと思い知るところだ。
選抜メンバーの小川友幸、黒山健一、野崎史高には、裏切り者めという感じで「行きましょうよ」と誘いを受ける。今回はマン島での開催だから、イギリスチームには多くの応援が駆けつけると思われる。日本チームには応援がない。いつも取材していて、一番に思うのはライダーのトライがよかったの悪かったの以前に、それ以外の部分で日本は負けている。最初にやるべきは日本人の人口を増やすことだと痛感する。「TDN、もてぎでやるしかないですかねー」という声も聞くけれど、日本の応援団、もっとヨーロッパにいってくれないかなぁと、いつも思うのであった。
と、こんなことをいっているそばから「今年は取材にもいきません」というのは、我ながら冷たいなぁと思うし、裏切り者と言われてもしょうがない。なんでも、巷ではTDN派遣をやめちゃうといううわさもあるそうだ。根も葉もないうわさを流すのが好きな人は多いし、選手たちが毎年たいへんな思いをして参戦しているのを見ると、うわさが出るのもしかたがないような気はする。ぼくらが取材に行かないと、このうわさにも拍車がかかるのかな。関係ないですよ。
今、TDNを戦っているのは、いずれも世界選手権参戦経験者たちだ。この先彼らが引退したら、TDNを走る選手がいないではないかというのが、TDN撤退のうわさの根拠のひとつだけど、それならそれでいいではないか。今、日本は優勝を争うトップクラスにいる。ライダーが世代交替して同じ戦力を用意できないのだったら、イタリアやフランスに勝負を挑めばいいし、それも無理なら、Bクラスで優勝争いをすればいい。なんでもイチバンが好きな多くの日本のみなさんにはご不満かもしれないけど、次世代のニッポントライアルが花開くには、そのへんから始めるべきだと思ったりする。
なんて、えらそうなことを言ってますが、取材にいけないのはほんとになさけない。そういえば、去年撮影した映像は、いまだ編集が終わっていなくて、自然山DVDにもなっていない。こういうのが「TDN派遣中止」のうわさの遠因になっちゃっりするんだろうな。なんとも申しわけないけど、根も葉もないうわさに振り回されないで、ニッポンチームを応援してくださいね。
写真は、家の庭に飛来した(たぶん)カラスアゲハ。ちなみに藤田秀二さんのお兄さんは月刊むしという昆虫の専門誌を編集しています。
投稿者 nishimaki : 21:19 | コメント (1) | トラックバック
2007年07月10日
やり残したこと
この前まで、ぼくは埼玉県秩父郡の住民でした。秩父にいたのは、たった半年にならなかった。はたから見たら、なにをしにいって、なにをしてたんだと不思議に思うと思うけど、ある程度、予定通りの行動だったんだけど、それにしても短かった。期間も短かったし、その間に、自分が思っていることの半分も動けなかったというのが、くやしかった。
予定通りというのは、もともとぼくは福島に引っ越すことがほぼ決まっていて、そっち方面の準備が整うのを待っていたところだった。そんなとき、あれはかれこれ1年ちょっと前になるけど、某社の某氏に福島のお話をしたところ、似たような活動をしている人がいるから、そっちも手伝えという。それが小鹿野町の話だった。そんなこと言っても、ぼくは人一倍ぶきっちょで、いくつもの活動を器用にこなすなんてできないし、福島に引っ越すことになったらそれは譲れないですと説明したんだけど、それまででもいいからという話になって、それでぼくは小鹿野にやってきた。小鹿野町には某社の某氏の先輩が小さな拠点を持っていて、いろいろ活動していた。実はUさんはバイアルスやフロントタイヤが23インチのXL250Sのデザインを担当した技術者だ。
小鹿野町では、なんと町役場が「オートバイによる町おこし」をテーマとしていた。町をつき抜ける国道299号は、休日となると多くのツーリングライダーがやってくるし、最近はわらじかつ丼が町の名物になっていて、これを食べるのを目的にやってくるライダーが多い。町の真ん中の路地裏には、元祖わらじかつ丼屋があるんだけど、これがとってもわかりにくい場所にあって、元祖にたどりつけないライダーもたくさんいて、おかげで町中のほとんどの飯屋さんが、わらじかつ丼をメニューに加えて、ライダーを歓迎する体制になっている。
東京から100km圏内、距離的には遠くないし、バスで40分の秩父なら池袋まで特急に乗って1時間ちょっと。ところが秩父から小鹿野の間には小さな峠もあるし、秩父と東京の間も激しい峠道。便利とはいいがたいロケーションだけど、ツーリングに来るにはほどよい道路環境ではある(反応から先は、延々と追い越し禁止だし、休日は交通量もそこそこなので、気分よく走るには時間帯を選ばないといけませんけど)。
今現在、ツーリングにやってくるライダーはかつ丼を食べたらまた走りだして、小鹿野町を去って行く。先には群馬県や長野県、山梨県があって、どこへいくにもさらに激しい峠道が待っている。地図を見ると、糸がこんがらがってしまったような道ばっかりだ。走るのは楽しそうだけど、小鹿野町としては、もうちょっと町を楽しんでもらいたい(で、お金を落としてもらいたい)。素通りしていくライダーが、小鹿野町を楽しむ可能性はないだろうかってわけだ。
それで、このエリアのトレッキングルートを探せってのが、ぼくに与えられた使命となった。といっても、人の山に入り込んで荒らし回るわけにはいかないし、第一そんな山の中はたいていのライダーにとってはむずかしすぎるし、といってほとんどの林道は舗装されているし、作業は簡単ではない。秩父圏内にはとってもうまい連中がごろごろしているんだけど、彼らが知ってるエリアは、とてもじゃないけど一般ライダーが遊ぶ場所にはならない。一度、いっしょに遊ばせてもらいにいったけど、人車ともにぶっ壊しそうになって、すぐにドロップアウトした。
幸い、地元にはオートバイが好きな連中がけっこういた。ゴールデンウィークに“で耐”にでかけたのも、彼らがこれに出場するからだった。彼らが集う自動車屋さんには、間もなくスコルパTY-S125Fが数台並ぶことになった。Uさんが資財を投入して買っちゃったのだ。誰かが購入してもいいし、レンタルとしてみんなに使ってもらうのも目的だった。彼らにはトライアルの経験はほとんどなかったから、道を探しながら、彼らとトライアルごっこをするのも、ぼくのミッションになった。
モータースポーツをやっている連中だけあって、オートバイに乗るのはみんな上手だった。もちろんトライアルの心得はないから、お決まりの罠にひっかかって、お決まりの失敗をする。お正月にふうみを呼んで、みんなといっしょに走らせたのだけど、ひょろひょろの中学生がとことこと抜けていくのをついて走って七転八倒したのがいて、よい笑い話ができた。トライアルは(というよりオートバイライディングは)柔道みたいなもんだから、まるで心得がなければ、投げ飛ばされて当然なんである。
そんな関係から、いろんな人と接触ができた。林道を作っている人、林業整備をしている人、山を持っている人、ロードレース活動をしながら選挙運動をやってる人……。こういう皆さんと、うまくいっしょにお仕事をして、うまく協力ができていけば、もしかしたらおもしろいことができるんだろうなと思いつつも、なかなか畳みかけて活動することができなかった。というのも、しょせんはぼくが腰かけだったからだ。残念。
役場の人にはよくしていただいた。これは、Uさんがいかに役場と親密に連絡をとって、よい影響を与えているかということの現れでもあった。ぼくはいわばUさんの手先だったから、すべてUさんにおんぶにだっこでした。
山道を探して周囲を散歩しているのをこの日記に書いた頃、ご近所の方からお手紙をいただいた。小鹿野町にはオオタカの巣が発見されていること、オオタカが子育てをしている間はとても神経質なので、少なくともその間は巣に近寄らないでやってほしいことなどのご指摘だった。その方はトライアルバイクにも乗っておられる方で、オオタカの子育てとぼくの散策とを、どっちも見守ってくださるようなご指摘はありがたかった。しらないで山に入って、オオタカの子育てをぶち壊してしまってからでは、怒られてもなにしてももう遅い。
営巣の正確な場所は、林道整備事務所が持っているということだった。こういう情報を、林道を作る側が管理していて大丈夫なのかなと心配にもなったが、とりあえずオオタカの子育ては間もなく終わるし、ご指摘頂いたエリアに近寄る予定は当面なかったので、ぼくがオオタカと悶着を起こすことはなかったけれど、こういう事例はきっとどこへいっても起こりうるから、その都度気をつけないといけないなと日記に書いておくことにする。
「山で遊ばせてくれませんか」と直談判にいって、あっさり断れたこともあった。役場の人とでかけていって、最初はとても話がスムーズに進み「おもしろい活動だから、ぜひ進めなさい」といってもらったのだけど、翌日になったら話が一転していた。想像だけど、家族会議でご主人の性急なOKが責められたんじゃないかと思う。こちらも、あんまり話がスムーズなのに喜んじゃって、本来しておくべきいろんなフォローを全部すっ飛ばしてしまった。相手の理解があってもなくても、資料やビジョンはきちんと用意して完璧を期すべきというのが教訓だった。今となっては、あまりにも拙策だった。全面的に反対されたわけではなかったから、企画を持ってでかけていけばまだまだ脈はあるんだけど、時間の限られているぼくが、ちょっと結果を焦ってしまった大失敗だった。
結局のところ、ぼくができたのは、地元の人にちょっとだけトライアルごっこを知ってもらうということくらいだった。地元には警察署があって、白バイ隊員もいらっしゃる。彼らと協力関係を持って、高校生にトライアルごっこを知ってもらえないだろうか、なんて夢は広がっていたのだけど、とてもそこまでやっている時間はなかった。まず、目前の数名のオートバイ好きおじさんたちに、トライアル“も”好きになっていただくのがぼくのできるせいぜいだった。
秩父圏内には、国際B級やA級、さらには世界ジュニアチャンピオンまでいる。上達していけば師匠にはこと欠かないのだけど、まずはぼくにでもできること、ぼくだからできることもあるはずだと思って、いろいろやらせていただいた。上達のしかたにはいろいろあるけど、激しいことをやらせてきらいになる人がいないようにするのと、山の中で遊ぶことが多くなるのだから「行けた行けない」よりも「荒らさずに抜けられたか」が大事だってことをわかってもらったつもり。競技なら引っかき回してクリーンするのもクリーンだけど、掘ると思ったところでマシンを止める勇気がないと、これから先、走れるところはどんどん減っていくと思うのだ。
そして、町のみんなとは何度かいっしょに走りにもいったけど、今となっては薪ストーブを囲んでいろんなお話をしたのが、貴重な時間だった。重要なのは、やっぱり人なんだと悟った半年の秩父暮らしだった。
写真は、そばが名物といわれているこのエリアでも、ぼくがお気に入りだったしのうちさんのメニューと、トライアル遊びをする町のみなさん
投稿者 nishimaki : 14:37 | コメント (2) | トラックバック
2007年06月11日
JMMにて(想定外について他)
6月9日、毎年やっているトライアルごっこイベント。もともとは雑誌屋さんの年に1度のオートバイ遊びだったんだけど、最近のオートバイ雑誌屋さんはオートバイに乗らない人が増えたりして(!)、今では参加条件をとっぱらって、人づてにいろんな人が集まってくるようになった。オートバイはセクションに置いてあるから、ライダーはオートバイに乗るかっこうだけしてやってくればいい。お手軽だ。
このイベントについては、何度か日記に書いたので、詳細は省略。過去のこのイベントについてはこちらをどうぞ。
2006年07月06日:オートバイのいらないトライアル遊び
2004年06月12日:JMMスーパートレッカー
2001年06月14日:この1ヶ月間のできごといろいろ
今回はこれ以外に思ったことだけ書いておきます。
まず、事故はいつも想定外のところで発生するけれど、それはほんとは想定外ではなくて、こちらが想定するのをさぼったところで発生するということ。
事故っていっても、あぶないセクションを作ったとか、そういうことじゃない。トライを終わって、平らなところでUターンしようとして、そのまま暴走するというパターン。暴走した先が崖だったりすると、たいへんにあぶない。
もちろん対策は考えた。マシンにはつけられるものには全部アクセルストッパーをつけた。自然山DVDフロントアップ道場に付属でついているやつだ。さらにアクセルの遊びも増やした。アクセル全開が、アイドリングからほんの少し高いだけ、という仕様になっている。
セクションにするところは、落ちるようなところは選ばない。仮に暴走していっても、山にぶつかって止まるように設定した。でも登れば降りなきゃいけないし、あんまり安全安全といっていると全部まっすぐの真っ平らになっちゃうし、それで悩むわけだ。なんせ、参加者たちはびっくりするようなことをしてくれる。使ったオートバイを回収しようとしたら、フロントブレーキがすかすかになっているのがあった。どういう壊れ方をしたのかと思ったら、メカの心得のある(と自覚している)人が、ブレーキの遊びを調整しようとしてネジを回したら、オイルが飛びだしてきてブレーキがきかなくなったということだ。ほんとかなぁ。少なくとも、びっくりすることは次々に起こる、ということだ。
こういうイベントに関わりはじめた最初は「想定外のことが次々に起こるなぁ」とびっくりするばかりだった。でもそのうち、どんな想定外が起こるかはわかんないけど、想定外の事件は必ず起こるので、それはすでに想定外ではないということに気がついた。想定外でないなら、手を打っていないぼくらに非がある。イベントを作っている側としては、こういうふうな考えでいないと、オフロード初心者をトライアルなんかに誘い込めない。
今回も、一生懸命安全にセクション設定をしながら「まぁここは大丈夫だろう」「こんなところ、落っこちるやつはいないだろう」と高をくくったところが何ヶ所かあった。手を抜いたのかもしれないし、条件的に最善を尽くしたけど、どうしてもリスクが残ったところもあった。実際に事件が起きたのは、そういう場所じゃなくて、まったくリスクに気がつかなかったところだった。ぼくらの見落としってやつだ。そんなところで事件が起きるなんてまったく想定外だったのだけど、そういうところが、実は一倍あぶない。
現実的には、いったいどうやって対策すりゃいいのさと大悩みしてしまうんだけれど、悩みながら、より安全をめざして、それでもいくつかの“想定外”の事件にびっくりしながら、また来年もこのイベントはやっていくことになるんだろうな。
もうひとつ、ぼくはここでオフロードなんかはしったことがないという初めての人のクラスを担当している。このクラスのコンセプトとしては、初めての人なりにトライアル競技をしてみようってことなんだけど、そんなのはほとんど無理なので、競技というよりお勉強会になる。それなりにみんなお勉強して帰っていくからこれでいいんだと思ってはいる。
だけど、ここんところ、他のスタッフから「もっとオートバイを走らせないとつまらないのではないか」という声がどんどん届くようになった。ぼくがやっているのは、確かにオートバイがあんまり走らない。でも走らせるとあぶない人たちに、安全にトライアルをおもしろがったもらおうと最大公約数で考えるとこんなふうにおちつくという結論だった。
今回、外野の声に合わせて、ちょっとメニューを変えてみた。少し急いで先に進んだ。さて、どう
