2008年07月02日
マリオとアニエーゼの日本探訪
あれから1ヶ月経っちゃったけど、今年もマリオ・カンデローネとアニエーゼ・アンドリオーネが日本にやってきた。今年の彼らは、日本GPの1週間前に日本にやってきて、大会翌日の月曜日に日本を発った。ちょうど1週間の滞在で、前半4日間が彼らの短いバカンスだ。FIMの公式ビデオを撮っているスペイン人のロベルトは彼女といっしょに2週間の日本観光を楽しんでからもてぎにやってきた。ヨーロッパの人たちのバカンスってのは、こういうスケールなんですね。くやしいけど。
世界選手権日本大会は、2008年で9回目を迎えた。海外から毎年取材にやってきているのはマリオただひとり。アニエーゼ(マリオのかみさん。日本人的には、かみさんと呼ぶには戸籍上どうなっているのかとかが気になるけど、あちらの方々は、戸籍上の問題はあんまりこだわらないみたい。ふたりがちゃんとしたパートナーであるかどうかというところが問題らしい)は2002年だったかに来日していないから、残念ながら皆勤賞を逃している。今年は試合後に、藤波貴久が世界選手権参戦200戦目の表彰をされていたけど「来年はおれが海外からの取材10年連続皆勤賞を表彰されるのだと、マリオは張りきっている。
彼らが日本に来たのは、日本では全日本近畿大会が開催されている日だった。その日、彼らはまず町田のホテルに投宿する。なんで町田かというと、杉谷家から近いから、誘い出すのになにかと便利だってのと、宿代が安い。それと大事なのは、近所にあるエクセルシオール・カフェのエスプレッソが、コーヒーにうるさいマリオのお眼鏡にかなっているということだ。
イタリア人は、コーヒーに目がない。といっても、単なるコーヒーじゃだめだ。コーヒーのおいしい部分だけを抽出したようなとてもとても濃いエスプレッソ。もちろんただ濃いだけじゃない。イタリアで飲むエスプレッソはたいていおいしいけど、フランスのは最悪。スペインのはイマイチで、ポルトガルのはまぁまぁ。日本で出てくるエスプレッソは、たいていフランスといい勝負だから、マリオがお墨付きを与えるエスプレッソは、たいへん貴重なのだった。
成田から町田までは、すでにマリオたちにとっては通い慣れた道で、ひとりでバスにのってやってくる。でも今回は、去年ベルドンでお世話になったおふたり、齋藤義宏さんと瀧田伸一さんが朝も早くから出迎えに行ってくれた。ヨーロッパでお世話になった外国の人を成田空港で出迎えるってのは、なかなかいいもんです。帰りのクルマの、なんとなくたどたどしくもフレンドリーな会話もおもしろかったりしてね。
日曜日の晩は、齋藤さんと瀧田さんとマリオたちとでご会食となったらしい。その晩のご会食は、居酒屋さんだったそうだ。翌日、彼らは新宿へ出かけた。今、ユーロ高円安だから、カメラ機材なんかを日本で買うのはお得感がある。さらに新宿のニコンのサービスセンターで、汚れたCCDを掃除してもらうのも、ここ数年の日課になった。でもアニエーゼのニコンはあんまり汚すぎて、その日の返却は無理と言われてしまったらしい。トライアルの取材は、カメラを泥漬けにしているようなもんだから、さもありなん。
彼らが新宿から帰ってきた頃、ぼくらが大阪から(横浜の杉谷家に)帰ってきた。全日本の夜は、速報レポートなど書いていて、全部終わるのが朝になる。なのでホテルで遅い朝食をとってから帰途につくのが毎戦の恒例だ。それで、今度はぼくらがマリオたちを歓迎する会食となった。でも、なぜか齋藤さんもやってきた。この日の会食コースも、また居酒屋さんだ。
外国人を連れていくのは、居酒屋さんが便利。へたにイタリア料理店にいっても、たいてい日本の味のイタリア料理だから、お口にあうかどうかわかんない。居酒屋さんなら、彼らも半ばあきらめてくれる。それに、日本的料理からピザまで、メニューが多国籍なのもいい。問題は、いまだに禁煙席が用意されているところが少なくて、禁煙席っていっても喫煙席から煙が流れ込んできたりすることが多いってことだ。マリオは煙を吸わされるのをとってもきらう。がまんできるかどうかは別にして、ぼくもいやだから、これは同感です。
トライアンフ相模原(スナップリング)の高橋店長とゆかりさんもやってきた。ゆかりさんは1999年にマリオが主催したトリアル・どんなに参戦している。店長はその後SSDTに参加して、マリオとは戦友である。ゆかりさんたちがきたので、河岸を変えてまた呑むことになったのだけど、呑み屋のハシゴってのはイタリアの文化にはないから、マリオは今日はディナーを2回とったから、フィットネスに励まないとたいへんだと騒いでいた。その後、マリオがエスプレッソをご馳走するとエクセルシオール・カフェに出かけるも、閉店だった。コンビニでスターバックスコーヒーを買って道端で飲む。お食事の後はコーヒー飲まないと決着しないってのが、イタリアの文化なので、しょうがない。
翌朝、ぼくはマリオたちを連れて福島へ。今回は、ぼくが廃校に住み始めたってことで、マリオも杉谷も「今年はマリオは福島へ」と決めてかかってたけど、がっこうへ連れていってどうしようというのか、実はさしたるプランがなかった。去年秩父へ連れていった時には、古民家の民宿とか長瀞の川下りとか、それなり観光ツアーを組んだのだけどね。
それにしてもマリオも、日本観光がだんだんマニアックになってきた。1年目は日光だった。2年目は確か京都。それから北海道、鎌倉、伊豆、箱根、信州の温泉と年ごとに秘境狙いになってきて、去年は秩父。秩父も外国人観光客的にはけっこうマニアックだけど、福島のほうは、いよいよマニアックだ。でも考えてみりゃ、ぼくはイタリアに何度もいってるけど、フィレンツェのドーモにもいったことないしバチカンにも行ったことがない。最初から秘境みたいなトライアル会場ばっかりいっている。マリオは健全な日本観光を楽しんでいるってことになる。
福島の川内村に帰ってきた(マリオ的には初登場)のは、火曜日だった。そういえば、火曜日は我が村の温泉は定休日だった。マリオは高血圧だから、あんまりハードな温泉には根を上げてしまうのだけど(信州の鉱泉で動悸がしてあぶなくなったことがあった)ここの温泉はごく水に近い温泉だから大丈夫(温泉好き的にはパンチが足りないかも)。ふたりともそこそこ日本の温泉ファンなので、定休日は残念なり。ま、しょうがない。
まず、がっこうへお連れした。通りすがりに、入り口の鈴木商店で買い物かたがた、イタリアのお客さんを紹介する。アニエーゼは日本語検定に合格した日本語使いだから、なんとか会話になっている。
「これはナンですか?」
「フキだ。今日おれがとってきた」
「ワカリマシタ」
なんて感じ。鈴木商店は本来魚屋さんだけど、いろんなものが並んでいる。マリオたちに言わせるとスーパーマーケットだそうで、それが鈴木さんには受けていた。イタリアの田舎町にも、小さなスペースに商品がごっちゃと並んでいるお店はあるもんなんだ。
さてさて、晩飯時になったので20分走った村内のイワナ屋さんへいく。もともと大工さんで、大工さん引退を機に趣味の川魚釣りを商売にして、食い物屋をはじめたお店。店主の馬場さんは、お話し好きだ。イタリア人が現れても、動じない。そして、日本語で「うまいか?」と話しかけている。聞きとれなくても、なんとなく察しはつくから、マリオは「ボーノ」と答える。アニエーゼは「オイシイデス」と答えている。
ご注文はイワナづくし。唐揚げと塩焼きと刺し身。塩焼きは時間がかかるけど、のんびりのお食事はヨーロッパ人は得意だから、ぜんぜん問題ない。待ってる間に「これ食ってみろ」と田楽がでてきた。炭を起こしてもらって、コンニャクに火を通しているうち、あたりが暗くなっていく。
川魚の刺し身は、もっと警戒するかと思ったら、ふたりともおいしいおいしいと食べている。日本人は刺し身をよく食べるから、川魚を生で食べるのはあぶないと知ってるけど、刺し身を食べない人種にとっては、海魚も川魚も、おんなじくらい警戒すべきもので、いったん警戒が解けてしまえばいっしょなのかもしれない。川魚は虫がいるから生で食べられないんだけど、ここはきれいな水で養殖しているのを刺し身にしているから大丈夫、と解説してやろうかと思ったけど、この人たちはときどき必要以上に心配性になったりするから、向こうが心配してないのをいいことに、黙っておくことにした。マリオは、塩焼きが気に入ったらしい。塩焼きなら、イタリアでもおんなじものが食べられると思うんだけどな。
お食事が進んだ頃、馬場さんがやってきて「今日は泊まってくのか、どうやって寝てるんだ、風呂はどうしてる」と聞いてきた。風呂は温泉にいくんだけど、今日は休みなんだよねと話をしたら「おれんちで入っていくか?」という。こういう展開になるかなぁと思ったけど、こうなってもおかしくない雰囲気が、馬場さんにはある。イタリア人をおれんちの風呂に入れたぞ、というのは、馬場さんにも興味深いエピソードとなるのかもしれなかった。で、聞いてみる。
「お風呂、入る?」
英語では「Take a bath?」ってなるんだけど、ふたりがきょとんとして、心配そうな顔になってきた。そりゃ、魚を食べに来て風呂にはいるかと聞かれたら、警戒するのも無理はないかなぁと思ってると「おれたちはクルマできたんだけど、クルマはどうするんだ?」なんて聞いてくる。風呂に入るんで、酒を呑むかと聞いてるんじゃないんだから、クルマに乗って帰れないことはないだろう。なにが心配なのかな? にこにこしている馬場さんを前に、マリオたちとぼくは、しばし英語と格闘する。つきあいは長いから、たいていの会話は(文法がめちゃめちゃだろうと)通じるのだけど、ときどきこんなふうにスタックすることはあるのだ。
ようやく事態がわかったのは10分くらいたってからだった。「今日は温泉が休みだから、ここでお風呂に入っていくかってご主人が言うんだ」と解説してからだ。「なんだ、バスじゃなくてバスだったのか」。どうやらぼくは「Take a bath?」じゃなくて「Take a bus?」って聞いたらしい。バスに乗るか?なんて聞いたもんだから、彼らはふたりだけ放り出されて勝手にバスで帰れと言われたとでも思ったのかもしれない。それにしても、ぼくの発音がめちゃめちゃなのは今に始まったことではなくて、たぶんこの何年ずっと、マリオはぼくのトンチンカンな発音につきあってきて、おおむね会話は成立している。それは、話の流れがだいたいお互いに理解してるからだ。でも今日はだめだった。レストランに食事に来て、そのままお風呂に入るなんて、イタリア人の辞書にはなかったってことでしょうね。いえもちろんぼくの辞書にもありません。だけど、村では時々こういうことも起こりうる。「魚レストランのご主人はおもしろくてとっても親切」とマリオは喜んでいた。ま、外国人スペシャルですね。
がっこうには、光ファイバーでインターネット回線が入っている。これを使って、マリオはSKYPEを起動してイタリアの実家と連絡がとれる。ネット回線さえ貸してあげれば、電話代を気にすることなくイタリアと電話ができるんだから、便利な世の中だ。イタリア語のニュースも、日本にいながら読める。
「えらいこっちゃ」
ニュースを見て、マリオが悲鳴。マリオの住んでる村が水害にあっている。ひとも亡くなっているようだ。すぐ、マリオは友だちに電話している。アニエーゼも、お母さんに電話する。
「アニエーゼのお母さんは、こっちはあぶないから、あんたたちはずっと日本にいた方がいいわよと言っている。おれの村は、川が増水して、うちに渡る橋が通行止めになっている。おれんちに帰るには、クルマが通れない山道を歩いていくしかないらしい」。マリオは今イタリアにいないから、山道を歩いて帰る必要はないけれど、イタリアに帰ったときに、歩いてでも帰れる家があるかどうか、問題になってきた。でもそれはそれ、うじうじ心配してないで、翌日の予定を考えるときには、ニコニコしてしまうのはさすがにイタリア人。こういう切り替えはうらやましい。
翌日は、高塚山の山頂にハイキングしてきた。高塚山は山頂近くまでクルマでいけるし、そのへんには無料のキャンプ場もある。山頂までは片道30分くらいで、登山というほどの行程ではない。サンダルでもなんとか歩けるくらいの道のり。日本に来てから運動不足だから、ジムはないかなぁとおっしゃるマリオには、ちょうどいい運動になった。
そうそう、入り口に「バイク進入禁止」という看板が立っていた。無料のキャンプ場には、ライダーもよく訪れる。ツーリングライダーには良識のある人が多いけど、ハイキングコースを走って山頂までいこうと思うやつもいるかもしれないから(誓って、ぼくはオートバイで立ち入ったことはありません)、こういう看板も必要になる。でもそのオートバイが、フルフェイスヘルメットをかぶってロードレーサーに乗ってる絵なんだよね。
「この看板はなんだ?」
「オートバイはだめだってさ」
「トライアルバイクで走っちゃだめで、ロードレーサーならいいってか?」
「ロードレーサーで山道を走るのはやめましょう、ってことかもしれない」
マリオと付き合っていると、人生を冗談ですごせるようになってくる。イタリア人ってのは、みんなこんなのなんだろうか。
高塚山を降りて、温泉に行く。高塚やまのあと、ほんとは山の反対側にある鍾乳洞にもいこうかと思ったんだけど「電気もない、遊歩道もないような鍾乳洞があるんだけどいくか?」と聞いたら、敬遠されちゃった。大滝根山にはふたつの鍾乳洞があって、電気も遊歩道もないのは入水鍾乳洞。もうひとつ、立派な電飾つきのあぶくま鍾乳洞ってのがあるんだけど、ぼくはこっちは観光地すぎて好きじゃない。こっちに連れていってあげればよかったかな。温泉はいろんなところへいったから、ふたりともすっかりベテラン。最初の年に民宿に泊まったときには、湯船に石鹸入れられたりしたら困るから、狭い浴室にぼくとマリオで入ったものだった。湯船にゆっくりつかるという習慣はあんまりないから、温泉は彼らにも大人気だ(ただし特別に強い成分の温泉はのぞく)。
温泉の後、村の中心街にある小松屋旅館さんにいく。小松屋旅館さんは、川内村に2軒ある旅館の一軒。3泊ともがっこうに泊まるのも能がないと思って、1泊の予約を入れておいた。そういえば、ぼくの夕食はお願いしてなかった。「今日はおれのディナーはナシだな」とマリオに話しておいたけど、宿についたら「食べてくでしょ、イタリアの方のお世話はおまかせします」ということになった。なので、本日も3人でご会食。ご主人はきのこに詳しい方だから、お膳は地のものが盛りだくさんだった。ふたりはビールを呑む。ぼくはクルマだから呑めない。なんたって、駐在さんはお友だちなので、ご迷惑はかけたくないのでした。
そうそう、駐在所は宿の並びなので、ここにも寄ってみた。村の更生園(知的障碍のある人がいらっしゃる)がつくってるコーヒー豆でコーヒーを入れてくれた。駐在さんは村で唯一、自然山通信の読者さんだから、ぼくのお客さんだし、マリオもレポートを送ってくるのだから、大事な読者さまというわけだ。ごちそうしてもらうのは立場が逆だけど、おことばに甘える。駐在さんは白バイ大会にでたときの雄姿がのっている雑誌を見せて、自らのトライアル活動を国際的に知らしめようと試みていたけど、白バイ大会に出ることがどれほどたいへんなことなのかという件については、マリオに伝えられた自信はない。週末は世界選手権だから、駐在さんも見にいきましょうと誘ったけど、村にたったひとりのお巡りさんは忙しいのであった。
お食事後、エキスサイズを兼ねて自動販売機までコーヒーを飲みに行く。イタリアのコーヒー通が、自動販売機のコーヒーでいいのかと心配になるけど、どんな味のコーヒーが出てくるのかがわかっていて覚悟して飲すれば、イタリア人にとって、自動販売機コーヒーもそんなに悪いものではないのかもしれない。
翌朝、朝ご飯を食べ終わった頃にマリオたちを迎えに行く。そのまま民芸館と、草野心平ゆかりの天山文庫へ。ここでは、我が部落の区長さんの奥さんが働いていらっしゃる。日本の詩人のことはピンとこなかったみたいだけど、囲炉裏の前に詩人が座って酒を呑んでいたという話や、その席に今座れるという事実については、ちょっとは興味は持ってもらったみたいだった。アニエーゼは日本好きだから、民芸館の古い農具なんかもおもしろがっていた。農具のいくつかは、似たようなのがイタリアでもあるみたいだった。ぼくも彼らも農業には疎いから、確証はないけど。
一度がっこうに帰ってインターネットにアクセス。
「おれんちはまだ立っている」
マリオは一安心。でも、隣の村では道が崩れたり家がつぶされたり、たいへんな様子だ。ぼんやりとした午後をすごして、そののち温泉へ。行きがけに、鈴木商店にお刺し身を注文していく。今度は海のお魚のお刺し身。やまのど真ん中にある魚屋さんは、とてもおいしいお刺し身を食べさせてくれる。わざわざイタリアから食べにくる価値があるってもんだ。
と、お客さんのおひとりが「イタリアのひとが来てるっていうから待ってたのよ」と待ちかまえてくれていた。近くの縫製屋さんの奥様。かしわもちをいただき、食べる。葉っぱも本物だから食べられるのだよと教えてやる。“スーパーマーケット”に買い物にいって、そこのお客さんからお菓子をいただくというハプニングは、マリオたちには不思議体験だったらしい。イタリア人よ、村のひとってのはこんなふうに親切なのだ。ぼくだって、マリオの村の人たちには、けっこう親切にしてもらったものだけどね(ただし柏餅をもらったような覚えはない)。
温泉は、日替わりで男湯と女湯が入れ替わる。
「きのうとお風呂がちがうけど、どういうシステムになってるんだ?」
「きのうはあっちが男湯、今日はこっちが男湯。あしたは混浴だよ」
しょうもない冗談です。あしたはいよいよ世界選手権取材でもてぎにでかける日なんだけど、混浴と聞いたマリオは「おれはここに残る」と言っている。お約束だけど。
お風呂をでて、お刺し身を受けとってお食事。これも食わせてみなさいと、イカフライとか山菜のてんぷらとか、盛りだくさんいただく。
「みんなきみらを歓迎してくれてるんだよ」
と解説するが、マリオは自分たちがなんで歓迎されるのか、理由がわかんないようだ。「イタリア人だからね」と答えるも、ここの人はイタリア人が好きなのかなぁとやっぱり腑に落ちないでいる。それでも、みんながとても親切なのは問答無用で理解してくれた。
お食事していたら、区長さんがやってきた。
「イタリアのお客さんが来てるんだって? 知らせないなんて水くさいぞ」
てなわけで、区長さんの歓迎のごあいさつを通訳させられる。「いやー、なに言ってるかわかんないぞ」と言いつつ、マリオにも区長さんの笑顔はちゃんと通じるのだった。区長も山菜もってきてくれたので、食卓はたいへんにぎやかになった。
今晩のコーヒーは、マリオが持ってきたコーヒー豆でエスプレッソを淹れる。ひとり用のレスプレッソを淹れるパーコレーターは前にプレゼントしてもらってたけど、やっぱりイタリアの豆じゃないといかんよなぁと思うので、マリオには「おいしいコーヒー飲みたかったら、お豆持参できてちょうだい」とお願いしておいた。イタリアのバル(Bar)で飲むエスプレッソとはだいぶ様子がちがうけど、香りは確かにイタリアのエスプレッソだった。
さて、マリオの日本の休暇はこれでおしまい。翌朝はもてぎに向けて出発した。途中パトカーとすれちがうとマリオが「お友だちがきたぞ」と言うんだけど、日本にはお巡りさんはいっぱいいるのだ。
マリオが帰ってしばらく、岩手宮城地震が発生した。すさかずマリオから「みんな大丈夫か?」とメールあり。地震はずいぶん遠いところだったから大丈夫。鈴木さんも区長さんもあの人もこの人も、みんな元気ですぞとお返事すると「よかったよかった」と安堵の返信があった。そうそう、マリオの家も、マリオの家に通じる橋も、無事だったらしい。日本の災害もイタリアの災害も、どちらも犠牲者がでているから単純によかったでは済まないのかもしれないけど、少なくとも知人やお世話になった人の無事が確認できるのは幸せなことではある。
投稿者 nishimaki : 20:20 | コメント (0) | トラックバック
2008年04月02日
御殿のようなホテル
自然山通信は、ヨーロッパ取材のとき、宿を予約することがほとんどない。日本から予約できるようなホテルは、たいてい豪華絢爛なところばかりで、値段は高いし、大会会場からも遠いことが多い。現地へいってから、これは安そうだぞと思えるところに飛び込んで交渉するのが、いろいろと都合がよろしい。
でもこういう宿選びをしていると、泊まれればなんでもいいということになっていくのも事実。寝るだけだから、そんなに困ってもいないのだけど。
ところが今回の開幕戦旅行では、ひょんなところから天皇陛下もお泊まりになったというお城改造のお宿に泊まってみることになった。
ベルギーの首都ブリュッセルの空港からクルマで30分ほど。かわいい湖のほとりに、そのホテルはあった。シャトー・ディ・ラック。湖のお城、という名前のホテルは、ジョン・マーチンさんが社長のホテル会社が経営している。マーチンさんの家系は、もともと飲料製造業をやっていて、昔はこのお城でも炭酸水を作っていたらしい。マーチンさんはイギリス系の人で、おいしいビールもつくっている。親戚には、ブランデーを造っている人もいて、そのブランドが、なんとレミー・マルタンという。レミー・マルタンとはフランス語読みをしているけど、レミー・マルタンのマルタンは、実はイギリス人のマーチンさんだったんだ。
なんでここに泊まることになったかというと、横浜は野毛に、野毛通信社というバーがある。そこのご主人が親川久仁子さんというんだけど、TL125バイアルスで早戸川を走っていた、女性トライアルライダーの草分け的存在だ。モトクロス王国ベルギーを訪ねてそのまま住みついて、結婚してお子さんがいる。現在はお母さんは日本、お父さんはタイ、息子はベルギーというグローバルな生活を送っているけど、その久仁子さんに「ベルギー経由でルクセンブルグにトライアルを見にいくんだぁ」とお話ししたら、息子に荷物を持ってってちょうだい、そんで、息子が働いてるホテルに一泊してみてちょうだい、ということになった。
税関チェックを終えてベルギーの空港の到着ロビーに現れると「SUGITANI・NISHIMAKI」と書いた紙を持ったお兄ちゃんが待っててくれた。空港ではよく見かけるシーンだけど、こんな出迎えをされたのは初めてだ。しかもついてみたら、五つ星ホテルではないか。そんなホテルに、ぼくたち、泊まったことはない。
このホテルは、1995年に天皇陛下をお迎えしたことがあるという由緒あるホテルで、クラシックな趣きとホテル目前に広がる湖の景観が素晴らしい。いつも思うけど、杉谷と二人で泊まるところじゃないんだよなぁ。
親川ジュニアはフレデリックくんといって、お父さんがベルギー人、お母さんが日本人だから、日本語は書けないけど流暢に話す。ベルギーは、今国家元首が不在というとんでもない政局を迎えている。その根源が、フランス語をしゃべる国民とオランダ語(フラマン語)を話す国民との確執なのだけど、フレデリックくんも学校ではフラマン語をしゃべるので、お兄さんとの会話はフラマン語、お父さんとはフランス語、お母さんとは日本語、一家みんなや、親戚が集まって話をするときには英語で会話をするというクロスオーバー環境で育ったらしい。
で、このフレデリックくん、なかなかのイケメンである。お母さんを訪ねて日本に来たときに、たまたま横浜でテレビ局のスタッフに目をつけられて、笑っていいともの美少年コンテストに出演させられたことがあるという。そして今は、このホテルのフロントにお勤めだ。
日本語が話せるイケメン美少年がお迎えしてくれる静かな湖畔のホテル。ぜひお訪ねください。お値段は200ユーロ(一部屋)くらい。泊まってみれば、そんなに高くないと思えると思います、きっと。写真は、イケメンのフレデリックくんと、ボーランド出身のアガタさん。ふたりとも25歳。
MARTIN'S HOTELS
Avenue du lac 87, B-1332 Gencal Belgium
Tel:0032-2-655-74-35
Fax:0032-2-655-74-26
http://www.martinshotels.com/
日本語版
E-mail:sales@martinshotels.com
・親川さんのベルギー情報
投稿者 nishimaki : 13:51 | コメント (0) | トラックバック
2008年01月08日
新しい数字
2008年。あけましておめでとうございます。ご承知のように、ニシマキには日曜日も正月も朝も夜もないので、新年になったからといって特別なにが変わるわけではないのですが、でも今年は近所の神社に初詣でなどでかけて、用意されていたお神酒などいただいて(お代わりもしたし)、しんしんと降る雪を踏みしめながら、新しい年を迎えた慶びなど感じてみました。
そういう清らかな気持ちとは別に、1年の区切りというのはいろいろあるもんで、そういえば原付きの税金って、いつが区切りだっけかな、まだ名義変更してないから、小鹿野町から税金払えっていわれるかもしれないなと思い、年の瀬に名義変更してきました。村のこっちからこっちに移動したので、住民登録を変更するという儀式もあったのですが。
ピンクのナンバープレートって、地域によっては横長で六角形のところも多い。あれはいやだなぁと思ってたけど、川内村のナンバープレートは長方形で、コンパクトでした。にこにこ。
帰ってきて小鹿野町のナンバープレートをはずし(小鹿野町の皆さん、短い間でしたけど、本当にお世話になりました)川内村のナンバープレートを付ける……。
つけようと思ったら、なんだか手に持った感触がちがいます。あれ?
鉄板とアルミ板のちがいでした。小鹿野のナンバーはアルミ。川内のナンバーは鉄板です。当然、アルミの方が軽い。
ぼくらの使用目的だと、圧倒的にアルミがいい。ほんとはチタンかなんかで軽いナンバーを作りたいくらいだ。原付きのナンバーは地方行政が各々作っているみたいだから、行政ごとに、大きいナンバーや小さいナンバー、軽いナンバー、重たいナンバーがあるんでしょうね。
ナンバープレート全国比較でもやってみようかと思ったけど、やたらとめんどくさい割に得られる情報がたいした意味をもたないということに気がついて、やめました。とりあえず、川内村と小鹿野町については、調査結果を発表しておきます。
川内村のナンバープレートを付けたトライアルマシンは2台。軽いナンバーを用意する必要はないと思われますが、小鹿野町のみなさんは、そんなわけでトライアルに適したナンバープレートを発行してもらっているのだから、ありがたく思ってくださいね。埼玉県小鹿野町では、オートバイによるまちおこし事業も展開してます。こちらもご注目ください。
小鹿野町ナンバーは、ほんとは返さなきゃいけないだろうけど、小鹿野町に暮らした記念としてかざらせてもらおうっと。
投稿者 nishimaki : 12:20 | コメント (0) | トラックバック
2007年12月22日
枝打ち教室
枝打ち教室ってのに行ってきた。これにいったからといって、枝打ちや伐採の職人になれるわけではないけど、枝なんてぶちぶち切ればいいんだろうと思っている素人は、ちゃんとお勉強したほうがいいと思ったのでした。さらに欲を出せば、山奥の植林地の枝打ちにオートバイに乗ってでかけられれば、ぼくらにとっては一石二鳥になるのではないかというもくろみもある。オートバイが野や山から締め出されるのは、意識的にしろ結果的にしろ、野や山のためになることを、ひとっつもやってないからじゃないかなと。
さてこの日、教材になってくれるのは植林して放置されているヒノキと、育ち放題に育ってしまったモミの木だった。手ほどきしてくれながら山を歩いてくれたのは、林業指導所の指導員の方だった。
枝打ちってのは、いらない枝を切ってやることだ。 枝には、必要な枝も不要な枝もあるようで、教えてもらったのは「力枝」ってやつだ。木を横から見ると、枝ぶりを三角形に整えるのが枝打ちで、その底辺の枝を力枝っていうらしい。意味はわかんないけど、上の枝を支えているように見えるじゃないか。枝打ちをさぼっていると、三角形の下側にも古い枝が残って、菱形になってくる。これがよろしくないのだそうで、力枝の下側の部分の枝を切ってやる。まぁ、床屋さんのようなもんだ。
枝の根本、幹から、ちょっとかさぶたみたいになっているところから、のこぎりで切る。達人がやると、のこぎりでぎりぎりやるより、ナタなどですぱっとやったほうが切り口が鮮やかで、しかも簡単ということになるんだが、素人がやると皮をよけいにはいでしまったりしてろくなことがないので、のこぎりでていねいにやっていくべしということだ。
重たい枝を、最初から根本で切ると、枝の重みで最後にべきべきと折れたりする。そうすると皮が剥けてしまったりするので、最初に根本から30cmくらいのところでいったん切って、それから根本で切断してやるという二度手間をすると、なおよろしい。枝がなくなればいいじゃないかということではない。人間の体を切り取るのも、手術で悪いところをとるのと、爆弾で吹っ飛ばすのとではまるでちがうのとおんなじだ。
高いところの作業は、安全帯を使うこと。職人さんたちはめんどくさいからそのまま登ってるけど、安全対策はセオリーですね。トライアルをするときはヘルメットをかぶりましょう、というのとおんなじ。
枝打ちは、幹まわりが6cmくらいの頃にはじめるのがよろしいそうだ。それ以下だと、枝がいっぱいあって光合成をしたほうがいいお年頃だったりする。あんまり太くなると、せっかく枝打ちをしても、もはや節が残ってしまうという事態になる。
枝打ちってのは、まず価値の高い木を作るというのが大きな目的。まっすぐで、節のない木材が、価値の高い木。お金になる木を生産するために、枝打ちは不可欠なのだ。
今、木の生産地では、手入れをされない山があふれている。杉なんかは、上のほうの枯れ枝を落とすと、重みで下の枯れ枝も落ちてくるから、枝打ちはらくちん(比較的)だそうだが、ヒノキは枝がしっかりしているから、上から落ちてきた枯れ枝が途中でひっかかって下に落ちない。森が、どんどんくらくなって、地面に日が当たらない。そして、荒れた森になっていく。
手入れの方法は枝打ちだけじゃない。植林された苗木は、収穫時には、だいたい1割くらいになるんだそうだ。残りは病気になったり育ちが悪かったり、幹がぐんにゃり曲がってしまったりして、商品にならなくなったもの。そういうのを伐採していくことで、森が明るさを保って、残った木が元気に育つ。元気に育った木は、高く売れる(といっても、ほんとにたいしたことはない)というわけだ。
とはいっても、だめな木を伐採していって、まったく空き地にしてしまうのもダメらしい。適度に木が残っている必要があるから、その場合は、ちょっとだめな木でも、そこに立ってる価値がある。
曲がった木や、枝打ちをされないままに太くなってしまった木も、曲がった先からは商品になるかもしれないし、枝打ちをすることによって発育を抑制しててきとうな太さのまま、存在できることになるので、どんな木に対しても、枝打ちしないよりしたほうがいいということだ。
でも。
枝打ちは、どんな植林地に対してもやったほうがいいのだけど、勝手にやっていいというものではない。当然だよね。なので、植林の持ち主とのコミュニケーションは不可欠になる。
枝打ちついでに、木にとって大きなダメージとなるのはどんなことか、聞いてみた。それがわかっていれば、森を走っていて、木に与えるダメージを考えることができるから。
「幹の全周を傷つけると、木は立ち枯れします。でもちょっと傷つけるくらいなら、ダメージがないとはいわないが、幹の皮の他の部分を使って、養分はいきわたる。根っこも1本傷つけられたら影響はあるけど、何本も根を生やしているから、現実的には問題ないはず」
トライアル場では、木の生死にかかわるような環境変化が起こっていることもあるけど(木の根のまわりが、ターンの練習ですっかり削れてしまっていたり)、森を散策する限りでは、木への影響はそんなになさそう。
「でもね、それは生き物としての木への影響であって、植林した木は商品ですから、幹に傷をつければ商品価値が落ちる。根に傷をつければ発育に影響が出て、それで商品価値が落ちるかもしれない。なにより、植林地は個人の山ですから、持ち主がどう思うかという感情的な問題は残ります」
ぼくらがオートバイに乗って遊ぶことを、自然破壊とくくられることは多いけれど、実は日本には自然のまま放置されているところなんてほとんどなくて、たいていは人の手が入っている。
枝打ちをさせてもらうにしても、オートバイで走らせてもらうにしても、まず、人間と人間がふれあうことを忘れちゃいけないですね。あたりまえのことだけど。
投稿者 nishimaki : 09:32 | コメント (1) | トラックバック
2007年11月14日
同窓会
私事ですが(日記なんだから、それでいいじゃんね)このところ同窓会づいてます。小学校の同窓会に続いて、高校の同窓会に行ってきた。全員同い年という共通点はあれど、小学校の同窓会は親戚の甥っ子姪っ子に会うような感じ。高校の同窓会は(当時の関係がどうで、そしてぼくがまったくもてなかったとしても)初恋の思い出との再会の場となる感じで、趣がちがう。小中高一貫教育なんかで育った人は、このコントラストが味わえないわけですね。かわいそうに。
学校の同窓会はこのふたつだけだけど、考えてみると、四十雀トライアルにでかけたのも同窓会みたいなもんだ。あれこそ究極の同窓会かもしれない。なんせ戦艦武蔵の沈没から生還した人もいるくらいの強者ぞろいだけど、若造としては、そんなお仲間に入れてもらえるのもうれしい。同窓会も、同級生だけじゃなく全体の部に参加したら、四十雀のノリになってくるんだろうけど、残念ながらいまだ参加したことはない。尊敬する和田誠さんが先輩だし、同窓の集いには興味はあるんだけど。
さてさてしかし、30年ぶりに出会う人に今のニシマキを解説するのは至難でした。自然山通信の使命と存在を解説するのもむずかしい。トライアルについて10人にひとりが知っているのが幸いといえば幸いだった。どこから聞いたのか、ニシマキはずっと砂漠に行きっぱなしだと思っているのもいた。そんな人には、ぼくが行きはじめた頃のぎりぎり冒険の香りのあったパリダカと、その後のコマーシャリズムをバックボーンとしたシステマチックなパリダカとのちがいを説明しなければいけなくなる(ぼくはそのコマーシャリズムからドロップアウトした。と書くとかっこいいな。あらゆるところからドロップアウトしているのがぼくの歴史です)。
パリダカの話、サハラのど真ん中でクルマを壊した話、一夜明けてそこから出てきた話、世界20カ国の仲間とジャングルで泥遊びをする話。誰に話をしたのかは忘れちゃったけど、こういう話はまじめに生活されているみなさんにはさぞ縁遠かったことでしょう。日記に書いた、鈴鹿サーキットはつきつめるとオフロードコースだという話に興味を持ってくれた人も(ほんの少し)いた。
こういう話は、みんなぼくの経験談だけど、何度か話をしているうちに、自分の経験を話しているのではなく、過去に話したシナリオをなぞるようになってくる。講演てのはもうかるらしいけど(一度だけ、赤面もののやつをやったことあるけど、いくらもらったかは忘れた)講演が商売になったら、シナリオを何本持っているかが勝負になるんでしょうね。
でもやっぱり面と向かってお話するときには、シナリオではなく実際のシーンを思い出して語りたい。砂漠やジャングル三昧をしていた日々からも、もう20年前後の月日が流れるので、だいぶ記憶もあやしい。若い頃は、事実をそのまま記録すりゃいいのに、歴史の研究ってのはどうしてこうもいろんな異説が出てくるものかと思ったけど、自分史でさえあやしいのだから、歴史があやしいのも当然でしょう。時間の流れとは、そういうものだ、きっと。
ぼくらは商売で過去の事例を語っている。特に写真は、未来の映像は撮りようがない。すべて過去を振り返るめめしい商売が、ぼくらの仕事だ。その取材対象である選手たちは、過去のことを振り返るのは得意ではないし、好きじゃない人が多い。彼らの頭の中は、近い未来に自分が勝利を得ることばかりが渦巻いていて、終わった試合は終わったことだ。そういう人たちと話をして、過去の成功や失敗を聞きだして思い出話を綴る因果な商売をずっとやってきた。
いやいや、ライダーが過去の話に無頓着かというと、そうとばかりはいいきれない。語るのは苦手なのに、書いたものを発表すると「あの場面とこの場面は反対だった」なんてつっこみをしてきたりする。イタリアとフランスのどっちだったかは覚えていなくても、登りそこねた岩のかたちは正確に覚えていたりする。これは職業柄なんだろうね。小学校の同級生の歯医者は、顔や形をいわれてもわからん、思い出させるなら歯型を見せろと言ってた。記憶を引きだすトリガーには、いろんなものがある。
同窓会のみなさんには、自然山の読者やトライアル愛好者はいなかったけど、いろんな旧友に「日記を読んでる」と言われました。お恥ずかしい。しかしありがとう。されどトライアル仲間のみなさんには「読んでる」なんて言われたことはほとんどない。これは読んでないということなのか(さびしい)、空気のような存在なのでいまさら報告はしないということなのか、どっちだろう。
豚もおだてりゃ木に登るので、読者がいると思うと、日記を書こうとがんばれます。ほめて育てるというのは、トライアルに限らず、いろんな選手とコーチの関係を見ても重要です。同窓会にいって、ちょっと豚になったニシマキでした。
写真は、例によってなにも関係ない、東北道か常磐道のパーキングエリアにあった庭園。抹茶が飲みたくなりました。
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2007年09月24日
献上米の収穫
村人となって2ヶ月になる。この間、おもしろいことや楽しいことや泣きそうなことなど、いろいろあったけど、まぁなんとか生きてます。仕事もなんとかやってます。
で、この24日月曜日、稲刈りに行ってきました。ただの稲刈りじゃない。天皇陛下に食べていただくお米の収穫です。村でアイガモによるお米作りをしている秋元美誉(よしたか)さんが、天皇献上米の生産者に選ばれて、5月から大事に稲を育ててきた。今日はその収穫の日だ。
田植えは5月27日におこなわれた。その日は全日本の近畿大会の日だったので、ぼくは猪名川にいた。でも稲刈りのこの日は、全日本はない。ほんとうはベルギーで世界選手権最終戦があったんだけど、稲刈りを知ってか知らずか、中止になった。おかげさまで、ぼくも稲刈りの儀に参加することができたのでした。
ずらり並んだ早乙女のみなさん(早乙女ってのは人の名前じゃなくて、田植えをする女、という意味らしい。田植え? 今日は稲刈りじゃないかと思ったけど、同一人物がやるんだから、稲刈りをするのも早乙女でいいのかもしれません)御刈女のみなさんの稲刈りを見物したあと、集まった村びとたちもいっしょに稲刈りをしました。田植えも村の人がみんなでやりました。美誉さんは「10月には天皇陛下にお米を届けにいってきますが、もしお声がかかることがあったら、この米は村人みんなで田植えをし、みんなで稲刈りをしたものだということを伝えてきたい」とごあいさつ。おれなんかが刈っちゃっていいのかなと遠慮しようかとも思ったけど「ほれ」と背中を押されて田んぼにはいってきました。
お神酒をいただいてから田んぼに入るべしということで、お神酒はいただきました。で、刈ります。ぼくはナイフとフォークを逆さに持つので、鎌も左手で使います。でも左手で使うようにはできてないんですね。右手で刈った方がスパッと気持ちよく刈れる。ぼくはポリシーのないサウスポーだから、そうとわかればさっさと右手を使います。
30人くらいが参加したんだろうか、もっといたかもしれない。さくさくと、気持ちよく刈られていって、1時間ほどできれいに稲架にかけられた。
なんだか、おこぼれでこっちまで清らかになった気がする。ありがとうございました。
ところで、稲刈りには、TY-Sででかけていきました。長靴を履いていこうかとも思ったけど、ゴム底の長靴で乗ると、底に穴が開きそうなのでブーツを履いていった。ぼくが刈ったお米はほんの少しだけど、もしかしたら天皇陛下には、トライアルブーツで稲刈りされたお米を食べていただくことになるかもしれないのでした。天皇献上米を刈り取ったときに履いていた(ニシマキの)トライアルブーツを拝みたい人は、今度会ったときにお申し出ください(そんな人はいないか)。
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2007年07月05日
山の中から
秩父の山の中から福島県の山の中に引っ越して1ヶ月がたった。引っ越したといっても、週末にどこかに出かけている生活は変わんなくて、日曜日が終わったときに、さて、ぼくはどこに帰るんだっけ?と少し考えたりしている今日この頃です。
引っ越しが趣味ですか? とも聞かれたけど、そういうわけじゃないです。でもこの10年ちょっとの間に4回、この1年の間に2回引っ越してるから、趣味になっちゃったのかもしれないです。しかも、この先、もう一度引っ越す予定もあります。というのも、今住んでるのは仮住まいだから。廃校の用務員室に住み込みで入る予定で引っ越してきたんだけど、屋根が雨漏りしていたり、最後の契約書がまだ交わされていなかったりで、すぐに学校には入れなかった。こういうこと、よくあることです。予定が変わったから、こっちも予定を変更すればよかったんだけど、そうそう急にかじ取りを変えられないこともあるもんだ。
今の住まいは、村のTEさんにさがしてもらった。引っ越してくるまで、自分がこれから住もうという家を見てもいなかった。数年前までおばあちゃんが住んでた家で、今おばあちゃんは街のほうで暮らしている。もともと茅葺き屋根の家を、トタンをかぶせて補修した、よくある昔ながらの家だけど、こういう家に住んだことはないから、これも貴重な経験。
家を開けたら、湯飲みや急須がのったこたつが鎮座していて、神棚もある。タンスには浴衣なんかも入ってる。今さっきまで、誰かが住んでいた感じ。ぼくの家といいつつ、いまだにおじゃましますという感じが抜けない。使えるなら、布団も使っていいということだけど、なんだかなぁ。
大家さんのおばあちゃんは大正13年生まれ。足が悪いということだったけど、訪ねてみたらたいへんお元気だった。足が悪いのはほんとうみたいだけど、つい最近までどこも悪いところがなく、最近になって膝が痛くなったから、からだにガタがきたとご本人はショックらしい。ぼくなんか、おばあちゃんの年まであと30年以上あるけど、すでにあっちこっちガタがきてますと解説する。おばあちゃんも、接骨医で出会う患者仲間が、みんな自分より若いのに症状がひどいのを見てきて、もしかすると自分は元気なのかもしれないと思いはじめたところだという。そう、元気なおばあちゃんなのだ。
ごあいさつに訪ねていったというのに、いきなりお風呂を勧められて、お断りするのもなんだから入ってきた。そのあと亡くなったご主人の思いで話とか聞かせてもらったわけなんだけど、これが戦争にいった中国の話で、そこから話題は北朝鮮になりアメリカになり。ちょっとした時事講話だった。戦争の話はさて、おばあちゃんによると、戦争の頃までは山にイノシシなんか出なかったそうな。あの食べ物がなかった時代にも、人間とイノシシはちゃんと棲み分けしていた。ところが戦争が終わったら、イノシシは人間の庭先まで出てきて、畑の食物を荒らしていくようになったんだそうだ。戦争以前の世界を知らない世代は、もしかするとすでに本来あるべき世の中のかたちを知らないでいるのかもしれない。
おばあちゃんちは、携帯電話が通じない。いまどき、村の中でも電話が通じない集落はそんなに多くないんだけど、ここは山の陰で、どこの電話キャリアも全滅だ。固定電話は、近々移動の予定もあるので引く気になれない。というわけで、ここにいると連絡がとれない。なので、日中はなるべく電話が通じるところで仕事するようにしている。LANが使えて電源をお借りできれば、どこでも仕事場になってしまうので、こんなときには便利。トライアル遊びをしていると、日中は山にこもって電話が通じないことが多いけど、今のぼくは家にいるときが圏外。お急ぎの時は、電報をください。
家は、もともとあった茅葺き屋根の家に、一部屋増築してある。この増築した部分は、最初からトタン屋根だ。増築部分は、ちょっと日が当たると、暑くなる。茅葺き部分は、ひんやりしている。かなり湿気もあるみたいだけど、あんまり健康を害すような湿気には思えない。そういえば、カビなんかあんまりない。横浜のアパートは、夜になると窓枠がすっかり結露していて、湿気たっぷり、いろんなものにカビが生えた。ここはそんな感じじゃなくて、どっちかというと、ひんやりした森の中にいるような湿度。気密性が低くて、家の中にいてもアウトドア感覚、なのかもしれないけど、屋根の下にいながら森林浴をしているような気分でもある。
なーんて書くと、うらやましいと思う人も多いんだろうけど、そこはそれ、大正生まれのおばあちゃんの生家なのだから、年季が入っている。しかもここ数年は、あんまり人が立ち入っていない。畳は激しい起伏があって、なかなかオフロード感覚。ただしジャンプしてはいけない。今でも畳が大きく陥没しているところがある。飛び跳ねようものなら、そのまま床が抜けてしまいそうだ。寝るにも方向をまちがえると、夜中に傾斜にそってゴロゴロ転がって、部屋の隅までいって、最悪は床下に落ちてしまうかもしれない。毎晩がスリリングだ。
水は、沢の水と井戸の水がある。沢の水は、とりあえずおいしい。上流には牧草地などあるので、もしかしたら農薬の類が混ざっているかもしれないけど、それほど多くはないんじゃないかと高をくくる。井戸水のほうがきれいでおいしいとおばあちゃんは言うんだけど、ポンプのエア抜きをして電源を入れても、むなしくポンプが空回りするだけで、一滴の水も出てこない。プロパンガスも、まぁしかり。つまりなんというか、沢の水を携帯ストーブで沸かして飲むという、まるっきりアウトドアな生活を屋根の下で送っている。この家に住み続けるつもりだったら本気でなおさなきゃいけないけど、今はおばあちゃんの大事な家に風を送る役目だけを送っている。
肝心のプロジェクトといえば、まだ始まってはいません。最初に書いたように、最後の契約がまだ完了していない。村の大事な財産を借り受けようというのだから、いいかげんなスタートはできないので、もうしばらく待機する。村にもオートバイを好きな人ときらいな人がいるので、しばらくはオートバイは表に出さないで行動しようかなと思ってる。
昔から、地域でオートバイ活性化を行っている人に、イベントなどの時以外、オートバイにやってこられるのを好んでいない雰囲気を感じて、どうしてかなぁと不思議に思っていたけど、今現在のぼくの感覚でいうと、地域で問題を起こしたくないという守りの姿勢と、やってくるオートバイがみんな問題を起こさないいい人とは限らないという疑心の気持ちなんですね。残念だけど。そんなわけで、校庭でダートトラックをやりたいTっぺいさんも、気長に待っててください。
投稿者 nishimaki : 09:46 | コメント (0) | トラックバック
2007年06月06日
マリオと里帰り
もてぎのあと、恒例となっているマリオとの日本観光。マリオは8年目、アニエーゼは7回目の日本訪問だ。二人で来たときは、日本GPのあと数日間日本観光をして帰っていく。これまで、京都や札幌にはふたりだけでもいったけど、だんだんふつうじゃない観光に目覚めてきたので、この数年間はぼくと杉谷がいっしょにでかけている。ぼくらにとっても、知らなかった場所を楽しむことができて、有意義ではある。今回は、ついこの前引っ越したばかりの奥秩父に連れてきた。
ということで、4日分の長い日記。
もてぎを出て、いつものとおり益子焼の買い物などして(お金がかかるし、マリオは益子焼のよさがさっぱりわからないので、買い物なんかしないで森でも歩こうと主張していたが、帰りのクルマから道をイノシシが横断しているのを見てびびってしまって、やっぱり買い物に行こうということになった)、遅い朝飯をファミリーレストランで食べ(10時からのランチの時間になったので、399円でランチが食べられた。どういう値段なんだろう。日本人もびっくり。でもコーヒーは250円もした)、マクドナルドへ移動してコーヒー飲みながらメールチェックをしてきのうのイタリアグランプリの結果を見る。イタリア人のバレンティーノ・ロッシが勝ったのでマリオは大喜び。
杉谷とここで別れて、ぼくらは秩父へ。お世話になったガソリンスタンドで給油してお茶などいただき、住んでたときにはとうとういけなかった近所の札所に行ってみる。入り口に「物見遊山お断り」と書いてあったのでちょっと躊躇するが、赤とオレンジを着てサンダル履きの三人組は入山料のひとり300円(おつりないから三人分1000円入れてきた)とアニエーゼが家内安全のお願いして1000円納めてまいりました。
すぐそこまでかと思ったら、参道は延々と山道が続いていて、ちょっとびっくり。マリオが途中で根を上げて「セクションはまだ先か? おれは最終セクションだけ見ればいいんだけどな」と言い出す。アニエーゼは元気だ。
てっぺんまで行ったら、鎖場。マリオは高所恐怖症なんだかで、登ってこない。この人はよくわかんないけど病気持ちなので(髪の毛がないのも、病気が原因らしい。高血圧でもあって、去年は温泉に入ったら心臓がばくばくしてたいへんだった)無理強いはしないでおく。
「イタリアじゃ、これをやってみようぜと勧めてもアニエーゼはいつもやらないって言うんだ。なんで日本じゃこんなことをやるんだろう?」
とマリオが不思議がっている。そういうこと、よくあります。きっとぼくらも、日本ではやらないようなことを、イタリアでいっぱいやっているはずだ。
マリオが近寄ることもできない大岩は、向こう側が断崖絶壁だった。落ちたらひとたまりもない。アニエーゼを立たせて写真を撮る。それが一番最初の写真。この写真を撮ったときにはこっち側がこんなになっているなんて、彼女は知る由もない。ぼくの位置まで来て振り返って「あらまぁ、こわい」とひっくり返るわけだ。
お寺を出て温泉に寄る。ここも、いつもぼくが通っていたのではないはじめてのところ。露天風呂や薬草風呂があって、出てきたアニエーゼは大喜びだった。今晩の宿は、旧荒川村の茅葺き屋根の民宿。約束の時間を1時間遅らせてもらって、なおかつ3分遅れで到着。3点減点だとマリオが判定してくれた。宿のおばちゃんは山菜料理を山盛りにして待っていてくれた。山三つ葉、ふき、たらの芽、うど、こごみのてんぷら、山女魚、こごみのマヨネーズ和え、イワタケ、自然薯、わらび、やまうど、それに山三つ葉と豆腐のみそ汁。なんというヘルシーで豪華な山の幸の夕食だ。
おばちゃんはマリオたちが山菜を食べられるのかどうか心配していたけど、連中も日本経験がそこそこ豊富だから、もはやたいていの食事には驚かない。魚の食べ方は美しくないし、口のまわりがかゆいといってたけど(天つゆか自然薯だろう)、ぺろりと全部食べてしまった。
この山菜は、おばちゃんの息子夫婦がとりにいってるらしいんだけど、朝の3時半に出発して、車を降りて2時間歩いて、往復8時間の行程でとってくるものらしい。イワタケなんぞ(イワナの右隣)、この量で都会だったら1万円だそうな。
この宿は、築300年で、お役所が記念物に指定したがったらしいけど、そんなものにされると宿として使えなくなるんでお断りしちゃったそうだ。夏休みには、子どもたちが合宿で泊まりに来て、昔ながらの家を観察していくらしい。茅葺き屋根の民宿は、消防法の関係もあって、今やごく少ないとのこと。
アニエーゼは日本の昔の家の構造に興味津々。マリオはお疲れのご様子だった。
気のいいおばあちゃんの民宿を出て、長瀞のライン下りへ。実はもてぎから荒川村(今は秩父市)へ行くのには荒川村を通っているんだけど、マリオはたぶん気がついてないと思われる。最初に流れの穏やかな川下りをして、バスで上流に移動してちょっとだけ急なところへ。水を水田が使ってる今ごろは、水が少ないんだそうだ。台風のあとはたいへんエキサイティングだということだけど、川の流れが急だったりするとお休みになるってことだ。
船頭さんは川の流れをとてもよく心得ていて、モナコGPを走るパトリック・デパイユのごとく(また古い例を出しました。あんなに正確なドライビングをするデパイユも、死んじゃいましたね)、岩ぎりぎりに船を通して進んでいく。最初に乗ったコースはおばあちゃんばっかりで、こんなんでおもしろいかなぁと思ったけど、2回目は秩父鉄道の鉄橋をくぐるところで水をかぶる下りもあって、なかなかよろしかった。
川岸から駐車場まで、ぶらぶらとお買い物。コーヒーを飲みたいといっちゃ喫茶店に入り、コンニャクのみそおでんを食べてみたいということになってまた店に入る。ぜんぜん進まない。でもこういうことをしにきたんだから、それでよいのだ。
駐車場は、たまたまその上の宝登山の駐車場と共通で、1日500円で2ヶ所のに停められるってことだから、そっちもいってみる。ロープウェイなどで山のてっぺんに登って、帰りは山道を降りてきた。「きのうのセクション1へいく道よりはだいぶらくちんだ」とマリオ。この人は、トライアルにまつわる話をしている限り、機嫌がいい。途中、車が通れる道を外れて、トレイルに入る。木の根が続く滑りやすいコケの道。3人とも、こういう道のほうが慣れている。ただし方向がわかんない。トレイルをしばらく降りると広い道に出るので、そこでちょっと待っていると、いっしょにロープウェイで山頂まで行ったお姉さん二人が降りてきたので、道が正しいことを確認できた。マリオは、このお姉さんたちが気になる様子。
下山して駐車場につくと、マリオは「彼女たちを待ってよう」という。待っててどうするんだろうと思うけど、これがイタリア人なんだね、きっと。でも残念ながら、彼女らは現れなかった。きっと途中から別の道を降りたんだろう。へへへ、残念でした。と、クルマで走って少々、彼女たちが道端の喫茶店に入るところを目撃。あぁ、ニアミスだとマリオはくやしがっている。
それから温泉。マリオは高血圧なんで、ある種の温泉には要注意だと心配しているけど、サウナは問題ないんだそうだ。高血圧症について温泉のはいり方が書いてないかと聞くから読んでみたら「無理をなさらないでください」と書いてあった。無理してお風呂に入るって、どういうことだろうな。「自分のレベルを守れってさ」と伝えたら「おれのレベルってなんだ?」と聞き返された。当然だと思うけど、ぼくもわからない。
お風呂から出たら、すれちがいにロープウェイの二人組が入ってきた。マリオはたびたびの偶然に目をハートマークにして「今度出会ったら結婚するぞ、おれたち」と息巻いている。アニエーゼが隣にいるのに、それとこれとは別問題らしい。
その晩は小鹿野の須崎旅館さんに泊まる。アニエーゼに蕎麦打ち体験をさせたかったので、このお宿のオプションをお願い。この日も到着は3分遅れ。また遅れちゃったよというと「南イタリアだと1時間遅れがふつうだ」とマリオ。ここはニッポンだからねと言うと、なんとなく納得していた。南イタリア選手権だと、タイムオーバーは1時間が1点なのかな?
そばは、アニエーゼと交替で打った。でも実は、きっと先生がぼくらの不始末をうまく修正してくれていたにちがいない。マリオはずっとビデオを撮っていた。晩飯は、このそばも含めて、豪華絢爛だった。満足。でもマリオは、この旅館の女将が気に入ったらしい。彼女には子どもがいるみたいだよといってるのに「じゃ、離婚したというニュースが入ったら真っ先に教えろ」という。相手の都合は聞いてない。知らん顔するのもかわいそうなので、翌朝役場へいって住民票を抹消したときに、ついでに婚姻届をもらってきてマリオに渡してやった。女将に名前を書いてもらえばいい記念になるかなと思ったが、ほんとに提出しちゃったらまずい。でもそれ以前に、マリオには女将に婚姻届に名前を書いてちょうだいとお願いする勇気はなかったらしい。で、この顛末はすべてアニエーゼが横で見ているのだから、笑います。女将と記念写真におさまるマリオ、なんだか緊張してます。
そういえば、両神のぼくがいたところのすぐ裏に、大谷藤子という小説家の生家があった。なんとなく気になって、何冊か買ってみたんだけど、彼女の小説に「須崎屋」ってのがある。冒頭に須崎屋の紹介があって、確か、街の中にあんまりきれいじゃない安宿がある、みたいな紹介をされている。これじゃ、小説のネタになってるのが、いいんだか悪いんだかわかんない。でも大谷藤子の小説は、例外なく暗〜いのだ。小説と実際のちがいを確かめるのも、なかなか楽しい。大藪春彦の「汚れた英雄」の舞台となったマン島に初めて行ったとき、やっぱりそんな感覚で島をめぐったのを思い出した。
須崎旅館さんは気に入ったので、小鹿野へ行くときには、マリオにないしょでまた泊まろうっと。どうせこの町には、きっと近いうちに来なくちゃいけなくなりそうだから。
投稿者 nishimaki : 16:55 | コメント (2) | トラックバック
2007年05月31日
再び引っ越の巻
つい最近引っ越してばかりだけど、導火線に火をつけておいたプロジェクトが急転直下ころころと進みはじめて、引っ越していかないわけにはいかなくなった。詳しくは落ち着いてから解説させていただきますが、とりあえず引っ越ししたぞという報告だけしておきたいと思います。
ネタのために引っ越してるわけでもないんですけどね。
今度の引っ越し先は、廃校になった小学校です。福島県。
廃校がほしいなぁと思いはじめたのはもう5年も10年も前だけど、話がつながっていよいよ自分が廃校に赴くことになるとは思わなかった。このへんの話は次回詳しく。
いよいよ活動が始まろうというときになってチェックしたら、学校は雨漏りがしていた。2年間放置しちゃったから(その2年間、ぼくらはせっせと学校利用についての提案をしていた)傷みも激しいわけだ。話は決まっているけど、具体的な貸借契約とかも結ばれていない(このへんの順序がひっくり返るのは、まぁ、田舎だからなんでしょう)。
それで、とりあえず空き家を探して、そこに荷物を入れて住みはじめることにした。学校を、ぼくらは「ひとの駅」と名づけた。福島県川内村ってところにあるので「ひとの駅川内」がフルネーム。駅だから、住むとなると宿直ってことになるわけで、となるとプライバシーは内。もともとぼくにプライバシーなんて(あんまり)ないけど、今後のことを考えると、駅(がっこう)とは別に住み家があってもいいのかなとは思ってもいた。
このへんの段取りは、全部地元の遠藤さんがやってくれた。といっても、遠藤さんはいっぱいいる。この場合の遠藤さんは隆之さん。たいへん親切な人だが、それ以上に、たいへんなポテンシャルを持っている。隆之さんの他に、川内村村長さんも遠藤さん。川内村には、遠藤さんと秋元さんと井出さんが幅を利かせている。じゃ、ファーストネームで呼ぼうかと思ったら、ひとの駅の入り口にある鈴木商店の鈴木さんは孝幸さんだった。人の名前が覚えられないニシマキには、しばらくは苦行が続きそうです。
遠藤さんが借りてきてくれたのは、おばあさんが一人暮らしになったので村をでて常磐線沿いの町に引っ越したあとの空き家。写真を見せてもらったら、趣があって、ここにすみたいと思う人は少なくないんじゃないかと思われるようないい感じ。
両神の家は、例によって引っ越しするというのにぜんぜん片づいていない。富士宮で小説家になろうとしている前田くんを呼びつけて、ついでに東京からは弟(一応、ニシマキにも家族がいる)を呼びだし、さらに地元のKさんが仕事をさぼって手伝いに来てくれた。みなさんのおかげで、ニシマキは生かされています。
お昼に2トンのレンタカーを借りてきて、積み込みが完了したのは夕方5時だった。なかなかのウルトラC。実は、前回と同じく、今回も引っ越し屋さんに全部おまかせしようと思ったんだけど、荷造りを全部こっちがやって、トラックに来てもらうだけなのに前回と同じくらいの見積もりだった。高い。それでレンタカーを借りてきて、人力で作業することにした。忙しいさなかだから、綱渡りになっちゃった。いつもこんな調子だけど。
積み込みが終わって、そのまま、ぼくと前田くんは福島に向かう。途中、有料道路の入り口を間違えて逆戻りしてしまうなど失態を演じながら、高速代をけちって武蔵・上州を縦断して東北道をめざし、途中から山越えをして川内村入りする道程。
途中から、遠藤さんに電話する。今日は家に着くだけついて、その家で寝てしまおうと思い、そういう予定であることをお話する。
「うーん、今日はうちの直売所の厨房に泊まりなよ」
電話の向こうの遠藤さんは、なんとなく含みがある言い方。家にいったらなにかまずいことがあるのかなぁと思いつつ、1年間は地元の人に全面的に従うというモットーなので、おことばに甘えて山菜直売所の厨房に寝かせてもらった。川内に到着したのは0時半。
遠藤さんの山菜直売所にはツリーハウスが建っている。朝、さっそくチェックに行く。前田くんは、ツリーハウスの中から天井を見上げて喜んでいる。家のど真ん中に、生きている樹木が通ってるのはなかなか乙なもんだ。
翌朝、さっそく家に向かう。電気屋さんが電気の配線を工事中。電気はもちろん止められていたので、新たに契約しなおさないといけない。その工事をしてくれているのだ。今日は東京電力の検査が来る日なんだそうだ。
電気屋さんが作業している横で、まずお家のチェックをする。がらがらと玄関を開け……、まぁ、開かない。家が歪んでますからね。えっちらおっちら開けないといけないのだった。
あがると、こたつがでている。え? ここって、誰かが住んでるんじゃないの? 押し入れを開けると、布団や着物も入ってる。
隆之さんがやってきた。これ、ほんとに空き家なんですか?
「そうそう。おばあちゃんがでていったままなの。部屋の中のものは、全部自由に使っていいそうだよ」
ちょっとと頭を抱えるニシマキ。前田くんは、横で大喜びをしている。しかも前田くんは、部屋の片隅の床が、今にも抜けそうだというのを発見して、また大喜びだ。
おばあちゃんの荷物をどうやって使わせていただくか、あるいは使わないのかはあとで考えることにして、とりあえず床がしっかりしていそうなところに荷物を運び込むことにした。余り荷物を優先的に運び込むと、人間が生活するスペースがなくなるから、バランスも考えないといけない。
ざっと40個〜50個の段ボールを降ろして一段落。たいして荷物を持ってないつもりなんだけど、写真とか本とかコーステープとか、へんなもので荷物がふくれている。シンプルな生活がしたいなぁ。
次は学校へ向かう。本棚や机は、学校で使うことのほうが多いだろうというのと、本棚に本を入れたら、いよいよ床が抜けそうだからだ。途中、遠回りをして佐藤校長先生の山小屋へ寄る。先生は小学校の最後から二人目の校長先生だった。今は引退して、子どもたち(と大人)相手の自然学校をやっている。ラジコン飛行機もやるしカヌーもやる。アマチュア無線もやるしサキソフォンも吹いている。パワフルなじいさんだ。
「このうえ山バイクも覚えなくちゃいけないから、たいへんだよ」と、ぼくが新しい趣味を持ち込んできたことにうれしい悲鳴を上げている。工作場は、木工工具がずらりと並んでいた。今回はごあいさつと、前田くんに佐藤先生の存在を見せてあげるのが主な目的だった。先生は、庭に窯を作っていた。パンやビザを焼くんだそうだ。
そして学校へ。入り口の鈴木商店でご挨拶して、机ひとつと本棚3つを職員室に入れさせてもらう。前田くんは老化に寝っ転がったり体育館に寝っ転がったりして写真を撮っていた。
荷物を全部下ろしたので、温泉に。かわうちの湯。正直なところ、両神の温泉のほうが、お湯はいい。両神の温泉はかけ流しで、いかにも温泉というかおりがたっぷり。かわうちのほうは循環だから消毒処理がしてあるんだ。ただサウナや露天風呂もあるから、楽しさはこっちのほうが勝っている。年間2万円払うと、1回100円になる。両神は町民が半額だった。いろいろシュミレーションすると、川内のほうがうんとお得だ。
これでミッションは完了したので、レンタカーを返しに秩父へ向かう。当初お昼までに返す予定だったけど、荷物を下ろし終わったら2時になっていた。レンタカー屋さんに延長の電話はしておいたけど、営業時間が翌8時までだから、それまでに帰りたい。お風呂に入ってご飯を食べたら、午後3時。ぎりぎり。
役場の前を通ったら、村長さんが執務をしているのが見えたので、お行儀悪く、窓の外からごあいさつする。村長さんは「あれ? 村営住宅に住むんじゃなかったっけ?」と、一応ぼくの動向を把握してくれている。村営住宅は、申し込みに来たんだけど、家族持ちに限るとかいろいろ条件があって、ぼくには権利がなかったのだ。だから素直にあきらめた。今日は荷物を運びに来ただけで、世界選手権のあと(実はそのあとも、少し予定がある)本格的にこっちへきますとあいさつして、川内を離れる。
帰りは常磐道から外環、関越道と高速道路の大盤振る舞いで帰る。燃料を入れてレンタカー屋さんには午後8時ぎりぎりに滑り込んだ。
杉谷からはどこに引っ越したのか教えろと連絡があったけど、さて、ぼくはどこに引っ越したのかな。住民票をどこに移すのか、などは、少し様子を見ながら考えます。
今回はカメラがどこにしまいこまれたかわかんないので、珍しく携帯電話のカメラで撮影したみた。
○写真1枚目:荷物運び完了。レンタカーの2トントラックと学校
○写真2枚目:隆之さんの趣味のツリーハウスをのぞかせてもらった。寝転がって天井を撮影する前田くん
○写真3枚目:ツリーハウスの外観はこんな感じ。このツリーハウスは樹木がストレスメンバーにはなっていない
○写真4枚目:2トンのトラックの中身はこんなことになっています。ぎっちり詰め込んだから、荷崩れはほとんどしていない。
○写真5枚目:体育館で、寝っ転がってステージをとる前田くん。
投稿者 nishimaki : 18:38 | コメント (2) | トラックバック
2007年04月10日
スペインの、飯
おいしいものを食べるのだったら、とにかくイタリア。イタリアでレストランに入れば、まぁまずはずすことはない。
イタリアに比べるとちょっと格下のイメージがあるけど、スペインの飯屋もなかなか負けていない。うまい。そしてスペインならではのうま味は、よそじゃなかなか食べられないものを食べさせてくれるってことだ。今回も、ふらりと入ったレストランで、そんなものに出会った。
真っ白いテーブルクロスが敷かれているようなレストランはたいてい敬遠するのだけど、今回は杉谷が風邪をひいていて、禁煙のテーブルがいいとわがままを言うんで、高そうなテーブル席に座ってみた。
スペイン語のメニューはあいかわらずさっぱりわからないから、てきとうにメニュー(定食)をお願いする。なにが出てくるか、開けてびっくりのご夕食です。
最初はパンとトマトとニンニク。こっちの人は、パンにトマトをすりつぶしたものをつけて食する。味付けはオリーブオイル。
生のニンニクを食べてみて口の中を燃やしていると(それはパンにこすりつけて食べるのだと、杉谷に笑われた)やってきたのはなぞのベジタブル。
「食べ方、わかる?」
ネクタイ締めたお上品なウェイターが聞いてくる。スペイン語で聞かれたけど、たぶんそんなことを言っているにちがいない。いいや、わかんない。
「真ん中を引き抜く、ソースに浸けて食べる。先っちょの炭の部分は食べない。いい?」
食べ方はシンプル。ただし、なにを食べさせられるんだかは、わかんない。食べてみると、どうもねぎのようだ。ねぎをまるごと炭で焼いている。そのねぎを、ソースで食べる。うまい。うまいけど、手が炭だらけになる。そういえば、テーブルクロスの上に紙が敷かれて、エプロンといっしょにキッチン手袋が渡された。でもビニールごしに食べちゃ申しわけない気がするので、手を炭だらけにしながら、素手で食べた。
粗野な料理というか、素材そのままというか、なんだかとっても贅沢なお料理でした。お食事というのは、エネルギーを摂取したり調理の腕を味わったりするだけじゃなく、楽しい時間をすごせてなんぼなのだなと、あらためて思わせるようなねぎ料理だった。
手はすっかり真っ黒になっちゃったけど、こっちの人がレストランで食事をするのは、生きるためというより人生楽しむためのものだから、手を真っ黒にして、悪戦苦闘しながらねぎを食べるなんてのは、一夜のエンターテインメントとしてはなかなか乙なもんなんでしょうね。日本じゃ、なかなかはやりそうにない。
そのあと、ちゃんとセカンドが出てきたはずなんだけど、最初の皿のインパクトが強すぎて、次がなんだったのか、思い出せない。最後は、カタルニア地方(バルセロナを首府とするスペイン南東部。地元人はスペイン人である以前にカタルニア人であるという意識が強い)に来たらこれを食べなきゃ終わらないという、クレマ・カタラナを食べる。たぶんカタルニアのクリームってことでしょうね。父親はプリンで、カスタードクリームの血がたっぷり混ざっていて、さっき焼きました、みたいな痕跡が残っている。
投稿者 nishimaki : 12:07 | コメント (0) | トラックバック
2007年04月08日
携帯ストラップとSIM
ちょっと前に、清水隆夫さんからクルーセルのストラップをプレゼントしていただいた。清水さんは携帯電話とかスマートフォンとかといったハンドヘルド端末の専門家であり、日本ではクルーセルの普及推進運動中だ。
クルーセルはスウェーデンのアクセサリーメーカーで、携帯電話用のケースにすぐれたものがある。残念ながら、日本の携帯電話用のケースはない。ワールドワイドのメーカーは、日本専用の端末のことなんか相手にしていられない。こういう世情は、携帯電話だけじゃなくて、トライアルの世界でも、はたまた政治の世界でも同じような気がする。日本人の皆さんよ、つまんない内輪もめをしていると、ほんとに世界から置いていかれちゃうよ。
とまぁ、日本の現状を嘆くのがテーマではなくて、清水さんからいただいたクルーセルのストラップだ。一見するとふつうのストラップだけど、少ししかけがある。ストラップの一番上の部分が、緊急時にははずれるようになっている。首にかけたストラップがなにかにひっかかったりして強い力がかかると、ここからパコンとはずれる。人間は首がちぎれることなく、助かるという構造だ。
でも逆に、あんまり簡単にはずれても困るなぁと思ってた。山の中を駆け回っていて、ふと気がついたらいつの間にか緊急事態が発生して、電話が転げ落ちていたりすると悲しい。
でもまぁ、一度使ってみないとわかんないというわけで、使ってみました。自然山通信の携帯サイトの速報は、こんなふうに、現場から携帯電話で原稿を書いて送ってます。メールを受けたすぐさまサイトにアップロードしてくれるスタッフがいればいいんだけど、そんなものいないので、送ったそばからサイトにアップロードされるようになってます。だから書き損じをまちがえて送ってしまっても、そのままサイトに反映されるという素晴らしいリアルタイム速報です。
写真を撮りながら、山に登り谷を下りしながらの作業だから、電話をきちんとポケットにしまっているひまがないことが多くて、たいていの場合、ストラップ頼りになります。携帯ストラップなど、よくもらえるものだけど、ちぎれたりはずれたり、信頼性に欠けるものが多い。このクルーセルのストラップは、さすがに一流どころの製品だけあって、安心だった。緊急時にはずれるタイプのストラップも、実は以前にもらったことがあったのだけど、そいつの緊急は日常茶飯事で、ストラップとして機能しないに等しかった。やっぱり、携帯のストラップも信頼性がほしかったら、ちゃんといいものを選べ、ですね。
清水さん、ありがとうございました。また、いいものを紹介してください。
で、ここからは別のお話。携帯からの原稿は、今はソフトバンクの電波を使って送っている。ソフトバンクは海外のローミングがとっても強いので、たいていどこへいっても電波が通じる。ドコモもローミングしているけど、経験上ソフトバンクの比ではない。日本ではソフトバンクはもっとも電波が通じない電話会社だけど、海外では逆パターンなのだ。
ただし、海外ローミングでメールを送ると、1通100円ほどかかる。安くない。もっと安くメールを送る方法があるんじゃないかと思って、海外の携帯電話のコレクションをはじめた。ヨーロッパでは、プリペイドで電話のSIMを買えるから、お金さえ払えばいくらでもSIMが手に入る。日本じゃプリペイド電話が犯罪に使われるってんで悪者にされているけど、プリペイドSIMを買うときにはパスポートの提示を求められる。これまた、プリペイドが悪者なんじゃなくて、日本の売り方が悪いだけなんだと思う。
今持っているのはこれだけ。左のふたつがスペインのモビスター(上)とボーダフォン。真ん中がフランスSFR(上)ポルトガルtmn(中)イギリス(下)の各国のSIM、右の3つが日本の。ドコモとauとソフトバンク(ボーダフォンの頃に手に入れたSIMだからこんな色をしている。FOMAのSIMはぼくのじゃなくて杉谷の)。
イギリスのSIMは、使った分だけ請求がくる。だけどイギリスのものなんで、ヨーロッパ本土で使うととても高い。日本のSIMで電話しても変わらんぞ、くらいのお値段なので、最近使わなくなった。ランニングコストはかからないので、イギリスに行く日のために持っている。
フランスとポルトガルのSIMはもう期限切れで抹消されているはず。プリペイドは、長いこと使わなくてチャージもしないと、番号が消されてしまうシステムだ。SFRは、買うときに「MMS(日本でいう携帯メール)も使えるよね」と念を押して買ってきたものだけど、使えなかった。フランス語の説明書を読んでもらったら、プリペイドではメールは送れないシステムらしい。だまされた。
モビスターのSIMは、SIMを買うなら電話ごと買ったほうが安いと言われて電話ごと買ったんだけど、電話機のほうはどこかに
