2009年04月08日
小鹿野に里帰り
たった半年しかいなかったけど、埼玉県小鹿野町での生活は、なかなか濃い半年だった。だからかどうか、ときどき電話がかかってくる。夜の10時頃、そろそろ一杯やって寝ようかなという頃。「いつものストーブを囲んで反省会をやってるんだけど、来ませんか」。行ける距離じゃないのを承知で電話がかかってくる。そんな電話を何回かもらうと、じゃ、次の月曜日にいってみます、ということになる。なんで月曜日かというと、日曜日に相模川の大会のあった翌日ってことだ。今回は、ついでにひとり客人を連れていった。ということで、すでに1ヶ月以上前のお話だけど、小鹿野町でのできごとなどなど。
自然山通信を置いてもらってもいるアライモータースには、鋳物の薪ストーブがある。いつものストーブというのはこいつのことだ。ぼくがいたのは秋から春にかけてだったから、薪ストーブは大活躍だった。オートバイで出かけていくと、とにかく寒くて全身凍り付いたけど、しばしストーブに当たっていると、溶けた。凍り付いたぼくがやってくるのがよっぽど印象的だったらしくて、冬になると、ぼくのことを思い出して電話をかけてくるんだそうだ。そういえば、あたたかい頃にはお誘いが来ない。
今回、小鹿野に連れていったのは、小林ゆきさん。むずかしいことはわかんないけど、オートバイの社会学を研究する大学院生であり、マン島を研究テーマとしてなさる。マン島TTレースにでかける前、3月にちょっと時間があるというんで、お連れすることにした。
小鹿野町は、オートバイによる町おこしという、全国でも珍しいプロジェクトを展開している。およそ、こんなプロジェクトが回り始めようとは、オートバイの神様でも思いつかなかったのではないだろうか。マン島は、いわばTTレースで世界に名を馳せたイギリスの島国(大英帝国のひとつだけど、マン島には国旗もあるし独自通貨もある)だが、TTレースが終わるとじいちゃんばあちゃんたちの保養の島に戻っていく。小鹿野町は、1年中オートバイを歓迎しようというんだから、気合いの入り方がちがう。マン島を手本にした三宅島の比ではない。
その小鹿野町に、小林さんは一度出かけたことがあるそうだ。といっても、早朝横浜を出て朝のうちに現地に到着し、道の駅や土産物屋さんにオートバイ専用駐車場が設置されているのを確認して帰ってきたという。役場が開く時間まで滞在して、ご担当の話でも聞いてくればよかったのにと思うけど、とにかく寸暇を惜しんで一度オートバイの町を見てみたかったのだという。今回は、もうちょっとしっかりご案内する必要があるなと思ったのと、せっかく待機しているTY-Sをレンタルさせていただいて、軽く山道を散策していただくのも大きな目的だ。
相模原を出たのが朝9時頃。田舎道に慣れてしまって、少々すいててもびっくりしないニシマキとちがって、がらがらの16号にびっくりなさる小林さん。未曾有の経済危機だからクルマが走っていないのだという。ともあれ、2時間ちょっとで小鹿野町に到着。あとから知ったけど、圏央道が延びていて、入間まで高速道路を使えば、もうちょっと早かったみたい。それでも、入間から先は峠道をひたすら走る。高速道路で最後までアクセスできないのも、小鹿野町の魅力のひとつだと思う。高速道路ってのは、道路としておよそつまんないですからね。
月曜日だもんで、ふつうの人はお仕事中だけど、Kさんだけはちがう。Kさんは休日出勤が多いんで、平日に休みが多い。当時、ぼくがよく遊んでもらったのも、平日が休みだから、いろいろ都合がよかったのだ。
山道は、自動車が走れる限界をわずかに超えて、でもぼくらがスムーズに走り抜けられるところがフィールドとなる。もちろん、遊歩道や進入禁止になっている道は入らない。お客さんを呼んで遊んでもらうには、もうちょっと各方面で調整しなければ行けないことも多いんで、町おこしもトレッキング部門はちょっと停滞している。オフロードを走るってことは、今の世の中では、とてもとても贅沢になっているってことだろう。
小林さんは、するすると上手にマシンを走らせてくる。トライアルってのは、やったことがある人とない人とでは大ちがいで、へたすると悲惨なことになってしまう。彼女の場合、トライアルができるとはいえないけど(ニシマキはできるのかという突っ込みは置いておいて)、オートバイを進ませるのがうまい。トライアルが上手でも、ときどきオートバイを走らせるのがヘタッピな人を見かけるんだけど、オートバイ経験が長いと、トライアルバイクを走らせるのも想定内に入ってくることでありましょう。
12時頃に走り始めて、3時頃に山を(といっても、すぐ目と鼻の先の山を走ってるのだけど)下ってきた。その日はポカポカと暖かい1日だったけど、午後3時を過ぎれば、さすがに肌寒くなる。リヤブレーキを踏みそこねて止まれなかったKさんと、なにをしたのか忘れたけどぼくが1回転んだだけで、結局小林女史は転倒なし。山遊びは転ぶものだと思っているぼくらに対して、オートバイはなにがなんでも転んではならぬと信念を持っている(?)彼女との差が出てしまいましたとさ。まいりました。
戻って洗車などしてちょいと整備などして(ニシマキの場合、整備でなく修理だったりする)ストーブに火を入れる。宴会のはじまりである。小鹿野の仲間は100ccのマシンをもてぎで走らせるレーシングライダーでもあるから、この夜はそっち方面の話題でも盛り上がり。薪ストーブかどうかはともかく、オートバイブーム全盛の頃は、どこのバイクショップでもこういう光景が見られたはずだと思うけど、いまやほとんど伝説になってしまった。ストーブに火を入れてコーヒーを飲ませていてももうからないから、バイクショップがたまり場を放棄するのも当然なのだけど、それがまた楽しみの場を奪っている気がしないでもない。アライモータースはバイクショップでもないんだけど、たまり場だけはあるというすてきなところだ。
夜半近くになって、高校を卒業して免許をとったばかりという、Tさんの息子が酔っぱらいのみんなを迎えにやってきた。ぼくらは町の中の須崎旅館に部屋をとった。イタリアのマリオ・カンデローネが「おれの嫁さんにする」と一目惚れしてしまった美人女将の宿。温泉つき。安い。ほんとは飯もうまいんだけど、ストーブを囲んで食ってしまっているから、晩飯は抜き。
この須崎旅館には、今回ニュースがあった。両神村出身の小説家、大谷藤子の書いた「須崎屋」という短編についてだ。大谷藤子の小説は、自身の出身の両神の光景を綴ったものが多い。しかしそこには、お隣同士の不倫だったり貧乏だったりと、山の中の村の暗い日常がこれでもかと書かれている。ちょっと読むと、ひいてしまいそうだ。実はその陰に、地元への深い愛があったりするのだけど、その愛は少しわかりにくい。
「須崎屋」は、その名前から、須崎旅館を題材にしたものと思われていた。ところがその冒頭から「須崎屋という汚くて暗い宿がある……」みたいな書き方をされている。須崎さんにとっては、こりゃおもしろくないにちがいない。女将のおばあちゃんなどは、そんなわけで大谷藤子が好きじゃなかったらしい。大谷藤子の時代は昭和30年代頃(亡くなったのは1977年)だから、当時の須崎旅館はそんな感じだったのかとも思ったけど、昔は暗くて汚かったんですかとも聞きにくい。
ところが、そういうもやもやを一気に解決してくれた人がいた。朝日新聞の地元支局の奥山郁郎さんは、この小説が創作であることを調べあげた。素材となったのは、山間の鉱泉旅館だったと、大谷藤子自身が新聞に寄せていたコラムが発見された。これで女将も、積年の胸のつかえがとれて、大谷藤子と仲直りができそうなのであった。
大谷藤子の本は、今となってはなかなか手に入らない。両神村に住んでいたとき、古書店をさがして何冊か買ってみたけど、いずれもぼろぼろのホンモノの古書だった。山間にある彼女の生家には、文学碑も建てられているのだけど、観光に訪れる人はほとんどいない。1冊その著作を読んでから文学碑に向かうと、思いはまたちがう。
地域を知るというのは、どこであれ、なかなか時間がかかる。それもまた、よきかな、なのであった。
*大谷藤子について
翌日、たまたま近所のオートバイ仲間が、役場の企画書に載せる写真撮影に協力するというので、おつきあい。町の中心街をオートバイで数往復するだけの撮影で、その後、小鹿野町へツーリングに来る連中が一番の目的としているという、安田屋のわらじかつ丼をみんなで食べてお開きとする。
わらじかつ丼は、大きくてそのままでは食べづらいので(そのかわり、厚さはふつうのかつ丼より薄め)、1枚をふたによけておいてもう1枚を食し、それからもう1枚を食べるのが通だという。ほんとうは、最初の1枚はビールのおつまみ、次の1枚がご飯のおかず、らしいのだけど(付属品は漬け物だけ。安田屋さんでは、みそ汁とかはかたくなに出してくれない)。
卵でとじたかつ丼やソースかつ丼とちがって、独特のタレに味つけられたかつ。小鹿野にお住まいのみなさんも、オートバイに乗ってかつ丼を食べにきたのは、これが初めてだったそうで。みんなにとっては自宅から10分の距離だけど、オートバイでかつ丼を食べに来れば、わずかな距離でも、旅気分が味わえるのだった。
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2009年04月06日
MacBook、その後
新しいMacBookの挙動に悩んで1ヶ月が経った。
ちょっと前に、アップルコンピュータに対して、ずいぶんと悪態をついてみたけど、どうもそれはぬれぎぬではなかったかという気がしてきたので、お詫びかたがた現状報告です。ただ、納得してないのはいまだ変わらずで、アップルさんも、もうちょっと勉強してほしいなぁという気持ちは残ってます。
ノートパソコンには、スリープという機能がとても便利で重要。特にぼくなんか、電車に乗っているときとかに仕事することがけっこう多い。へそ曲がりだから、仕事机に座って落ち着いた状態になると、なんだかはかどらなくなっちゃうんですね。すいません。で、あと15分で乗り換えだとか、電池が残り少なくてあと1時間ぽっきりしか仕事ができないなんて状況ができると、がぜん張り切ったりするわけ。あー、我ながらへそ曲がり。
で、そういうときには、ディスプレーの蓋をぱたんと閉めただけで、やりかけの仕事がメモリー空間にバックアップされるスリープは、とても心強い味方になります。電車で10分仕事して、乗り換えてまたコンピュータを開いて10分仕事して、なんてやってます。その都度コンピュータを再起動することなく、スリープ、復帰、スリープ、復帰で仕事が続けられる。
今回の問題は、そうやって電池がなくなるまで使い続けた結果、最後はパタンと電源が落ちてしまうという問題。保存していないやりかけの仕事は、その時点でパー。今まで、電池がなくなるまで仕事するのを修正としていたニシマキにとっては、これは痛いトラブルだった。
サポートのお兄さんやお姉さん、渋谷のジーニアス・バーなる崇高な相談室にもいってみた。みんな、わかんない。原因不明だから、預かって調査したいというんだ。ぼくのトラブルはその1点のみで、その他についてはたいへん快適に使えている。そんなぼくから、買ったばかりのコンピュータを奪わないでほしい。何台か古いコンピュータも持っているから、仕事環境をその古いのに戻せれば新しいのは修理名目で持ってってもらってもいいんだけど、アップルのOSに備わっている仕事環境の移行アシスタント(とてもよくできている)は、古いコンピュータから新しいコンピュータについては動作を確認しているけど、新しいコンピュータから古いやつに移行すると、なにが起こるかわかんないとおっしゃる。なので、古い機械で仕事し続けられないのであった。
そうこうしているうち、サポートのムカイさんから電話かかってきて「新しいOSにはいくつかのスリープの種類があるのをご存知ですか?」とな。今やっている仕事をメモリー(揮発性。電源を落としたら消えてなくなる)にバックアップするものと、ハードディスク(不揮発性。電源を落としても消えない)にバックアップするものとだそうだ。正式名称がよくわかんないから、前者をクィックスリープ、後者をディープスリープと呼ぶことにする。クィックスリープは、あっという間にスリープに入るし、あっという間に目覚める。ディープスリープは、寝るのにも起きるのにも30秒ほどかかる。
このスリープの種類については、トラブルをネット検索しているうちに発見した。ディープスリープは、ディスプレーを開けるだけじゃ目覚めなくて、電源ボタンをちょんと押さないといけない。長く押していると、再起動してしまう。どうも、ぼくのトラブルはトラブルではなく、ディープスリープの存在を知らなかっただけではないかという疑いが出てきた。
でもね、ジーニアス・バーの、Macに詳しいお兄さんも、ディープスリープについてはなんにも言ってくれなかった。ぼくはあの日、わざわざ説明している最中に電池がなくなるように、電池をある程度使った状態で出向いていって、兄さんの目の前でディスプレーが暗くなるのを見せてあげたのだ。それでも、兄さんはそれがディープスリープだとは言ってくれなかった。ディープスリープとクィックスリープでは、多少動作の兆候がちがう。今となっては確証がないけど、そのときは確かにスリープに入らずに電源が落ちていたんじゃないかと思う。
その後、スリープの種類を選ぶフリーウェアだとか、いくつかあやしげな(善意のプログラマーが作ったもので、アップル純正ではないという意味。あやしげというのは、褒め言葉です)ツールを使ったりして、電池がなくなりそうだとか、少し長くスリープさせておきたい(かつ仕事中の環境をそのまま残しておきたい時)は、ディープスリープを選択して眠らせておくという技も覚えた。そしてこんなことをしているうち、ぼくのMacBookは、電池を最後まで使い続けると、ディープスリープに入るようになっていたのだった。いつからこうだったのか、さっぱりわからない。もしかしたら最初からだったのかもしれないし、途中で気が変わったのかもしれない。
最初からこういう仕様なのだったら、一度新品に交換してもらったりして、アップルにもご迷惑かけたなぁと思うのだけど、そもそもそういう仕様を知らなかったというサポート体制がなさけない。ギヤのセレクタレバーをPかNにしないとセルスターターが動かないという仕様を知らずに、新車で売った自動車の返品を受け付けてしまったみたいなもんだ。その無知なサポートに振り回されたあわれなユーザーも、なさけない。
従来のクィックスリープだと、電池が消耗してスリープに入ってしまったら、電源を探して電気を供給しないと、仕事を続けられない。たとえスペアのバッテリーを持っていても、バッテリーを外したとたんにメモリーがすっ飛んじゃうから、まず電源を探すのが先だった。でもディープスリープは、すべてのメモリー空間をハードディスクにバックアップするから、電池がはずれても大丈夫。スペアの電池を持っていたら、ディープスリープに入ったのを確認して電池を外し、スペアの電池に交換すればいい。電源のないところで仕事する者にとっては、これはすばらしい武器となる。こんなすばらしい仕様を、なんでアップルは宣伝しないのかなぁ。
ジーニアスのお兄さんもサポートのお兄さんも、異口同音におっしゃった。「それは製品の仕様かもしれないし、現在出荷している製品に共通するトラブルかもしれないけど、みんな電池が減ってくると電源につないでしまうから、気がつかないのかもしれませんね」。えー、ノートパソコンなのに、電源をつなぐ人が圧倒的に多いのか! そういえば、ノートパソコンのキーボードは、どんどんなさけないキータッチになっていく。ぼくはがまんできなくて、長期出張のときには愛用のキーボードを持っていくようになってしまったけど、そういう使い方も、多くのコンピュータ使いにとってはおかしなものらしい(杉谷にも、へんだといわれる)。
でも世の中には、きっとぼくと同じように、ノートパソコンを持って電車に乗って、電車の揺れでリズムを取りながら原稿を書いたりしている人だっているにちがいないと信じている。そうそうやっている人がいないと嘆きの多いトライアルでって、いざ開けてみればけっこう愛好者がいるものだものね(きのうは、はるばるスイスからのFIMからの荷物を届けてくれたペリカン便のお兄さんが、玄関先のTY-Sを見て「ぼくも昔やってたんです」となつかしそうな目をしていた。お互い、もうちょっと時間があれば、じゃ、ちょっと走りにいきましょうか、となったのだけど、残念)。
写真は、トライアル世界選手権のある町の古いホテルと、海岸でひなたぼっこをする、おじさん
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2009年04月05日
ロストバゲジ
はじめて海外旅行をしたのは、あー、もうかれこれ28年も前になる。1981年に、イギリスへ行ったのだった。1ヶ月近く滞在して、マン島TTを見て、オランダのアッセンではじめて世界GPを見て帰ってきた。以来、年に2度くらいは海外取材をしてきたけど、いつも、まぁ大事なく旅をしてきた。
旅の大事件といえばまず事故だけど、幸い、エジプトでロバの荷馬車につっこんだ(運転は井原直人という、当時世界GPでメカニックをやってたやつで、ぼくは横で道案内をしていた。道案内は、運転手と同罪)のと、ボローニャでベスパの四輪車と接触して相手をひっくり返したくらいで、大きな事故は、まぁなかった(それぞれ、現場ではけっこう青くなった)。事故の次の事件は、病気。これも、2度ほど白ワインでひっくり返ったのと(以来、ワインは赤に限る)、サハラ砂漠で風邪を引いた以外は大きな故障なくすごしてきた。その次くらいに問題なのは、盗難とか荷物の紛失。これも、まぁ今までなんとなく無事に過ごしてきた。ベッドにおいてあっためがねを踏んづけて曲げちゃったりしたくらいだ。
ところがこの1年に、2度荷物が行方不明になった。今回は、ちょっとへこんだ。丸2日間、仕事にならなかったからだ。
飛行機に乗ったら、ロストバゲジはそんなに珍しいことじゃない。特に、成田を出て、どこかを経由して目的地に着くなんて時は、無事に荷物が到着するのがラッキーだと思ったほうがいい。
というのは建前ってやつで、これまで30年近く、飛行機に荷物を預けたのは100回や200回じゃきかないはずだけど、なくなったことなんか一度もなかった。ぼろぼろの、口が開きそうなバッグを預けたこともあったけど、いつもちゃんと荷物室から出てきて、ぼくの元に返ってきた。そうなると、だんだんこっちも甘えてきて、荷物は必ずぼくの元に返ってくるものだと思い込む。こういうのを、平和ボケっていうんですね。
ところが去年のルクセンブルクで、はじめて荷物が出てこないという事件が起こった。このときは杉谷と二人で、二人とも荷物が出てこなかった。でもまぁ、会場は飛行場にも近かったから、次の日に飛行場へ行って、無事に荷物を受け取ってことなきを得た。予定は少し遅れたけど、半日ほど遅れただけで、やるべきことはできたから、日記には問題なしと書いておくレベルだ。
今回、またしてもひとりででかけることになって、バッグはいよいよ口が開きそうになっている。カメラやビデオカメラにコンピュータ、それぞれが充電器や電源を持ち、荷物は複雑になってきている。どうしようかな、バッグが壊れて飛行機の荷物室でばらばらになるかもしれないから、成田まで行く道中でスーツケースを買っていくかな、荷物が届かないかもしれないから、大事なものは機内持ち込みにしたほうがいいかなと、いろいろ考えながら成田に向かった。
でも途中のショッピングセンターではあんまり気に入ったバックがなくて、まぁなんとかなるだろう(これがぼくの悪いクセだ)とガムテープなど補修用品を買って成田に。成田では、いつも民間駐車場にクルマを預けるんだけど、今回は東横インに停めてみた。一泊すると、帰ってくるまで駐車場無料というびっくりサービスをやっていたからだ。民間駐車場にはだいたい4000〜5000円払っていた。東横インは5140円だった。一泊タダみたいなもんだ。
しかも泊まってびっくり。シングルを頼んだのに、ダブル並のベッドで、部屋も広い。東横インといえば、安い、ネットが使える、よく新聞沙汰になる、部屋が狭い、などの特徴があるけど、ここはどうもその例にあてはまらないらしい。建物も、らしくない。裏に回ると、プールの残骸もある。そこの看板を見たら、昔ここはホテル日航だったんだね。納得。かつてはJALの機上職員のお姉様方が闊歩したロビーは、安い東横インだけあって、アジアや中近東のお客様に人気である。朝ご飯に、軽い夕食までついてるんだから、ぼくら貧乏人にはありがたいのであった。
なんで東横インの話になったんだっけ? あーそうだ。出発の前の晩、東横インで旅行カバンを修理した。広い室内は、あっという間に荷物がばらまかれた。で思ったんだけど、荷物には、大事なものしか入ってない。パンツや靴下なんて、コンビニ袋に入るくらいしか持ってない。大事なものを機内持ち込みにすると、全部機内持ち込みになってしまって、預け荷物はコンビニ袋ひとつになってしまうではないか。
結局ぼくは、機内で仕事する用に(結果映画を見たり寝くさっているだけだとしても、搭乗前は機内で仕事する気になっている)コンピュータと、荷物に入りきらなかったサブのカメラだけ持って、機上の人となった。クレジットカードを持ってると使えるラウンジで最後のネット接続をして、今回はスマートな出張になるかなと思ったものだったけど……。
安いエコノミー席だってのに、イヤホンがよく聞こえないとパーサーにくだをまくおばあさんの隣の席をあてがわれ、退屈しない12時間が過ぎた。北アイルランドへ行くんだからまっすぐいけば10時間くらいだけど、今回は、一番安いチケットがJALだった。で、乗ってみたらアリタリアとの共同運行便で、降りたところはローマだった。そこからまた3時間ほど。ずいぶん寄り道をするものだけど、寄り道だけならまだいいのだった。
パスポートコントロールでいろいろ聞かれ(外国人には厳しいみたいだ)、藤波の話などして外へ出てみると、待てど暮らせてど荷物が出てこない。税会荷物が出てこなかったときには、ぼくらだけじゃなくて仲間がたくさんいたけど、東京からローマ経由でベルファストへやってきたのはどうやらぼくだけだった。
あーなんてこった。歯ブラシがない、着替えがない、それより、ビデオカメラがないから、撮影ができない。ふつうのカメラはあるけど、ついてるのは超広角レンズが一本きり。さらにコンピュータは、日本用の電源プラグがついていて、イギリスのコンセントには差し込めない。そのアダプターも荷物の中だ。今回は、練習風景だけにビデオをまわして、恒例の「練習」DVDを作ろうと思っていたのだけど、それができない。「練習」DVDをお待ちのみなさんにはたいへん申し訳ないことをしたけど、ぼくらも実入りが少なくなって、未曾有の経済危機に陥りそうだ。
やっぱり、最低限の仕事道具は肌身離さず持っていなくちゃだめだなぁと再認識する。もちろん、昔はそうしていたんだ。でもいつもいつも安全なんで、だんだん油断するんですね。そんなときに前回はじめてロストバゲジにあって、30年近くではじめてだから、次にロストするのはまた30年先かなと思ってしまった。完全に甘かった。
そういえば、前回のデ・ナシオンのときには、バルセロナからパリまでの飛行機が遅れて乗り継ぎができなくなって、帰りがまるまる1日遅くなったのだった。これで3回連続で旅のトラブルだ。みなさん、安全ぼけはろくなことがないです。起こりそうな事件は、必ず起きる。足をつきそうなセクションでは必ず足をつくし、転びそうだと思ったら必ず転ぶ。
愛しの我が荷物は、結局2日遅れで無事に手元に届いた。泣きそうなぼくをかまってくれたのは、2日前にもぼくの悩みを聞いてくれたおねえさんふたり。ガテン系の黄色い作業服をまとっての肉体労働、しかも深夜勤務なのに、おねえさんふたりで切り盛りする。彼女たちの親切な笑顔には癒されました。
さて問題は、次の海外出張のときに、この教訓を覚えているかどうか、だなぁ。彼女たちの笑顔にはもう一度出会ってもいいけど、ロストバゲジで悩むのは、もうごめんだ。
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2009年04月01日
若者たちの冬休み
ちょっと旧聞ですが、2月の初旬、1年で思いきり寒くなるこの季節に、酔狂にも若者たちが6人やってきた。娘がアルバイト仲間の友だちを連れてやってきたというだけなのだけど、いまどきの都会の男の子女の子が、山の中の寒村に遊びにきてなにを思うか、それは迎える大人としても、なかなか楽しみなことではあった。
写真は、もう帰るよというときになってあぜ道で撮った記念写真。八幡さまが奉られている糠馬喰山をバックに。ちょっと飛んでみなといったら、やっぱり若い者たちはジャンプ力もたっぷりだった。
この冬はあったかだった。あったかいといっても、去年や例年に比べてということで、ハワイになったわけじゃない。でもあったかいから、今年の雪はイマイチだった。さらさらふかふかじゃなくて、いくぶんじっとりしている。そんな雪も、あったかい日が数日続くと、見える範囲からは消えてなくなってしまう。彼らは雪に出会いたくて来るわけじゃないからいいんだけど、行く先に雪があるのかないのかは、ちょっと気になるようだった。でも申し訳ない、彼らの出発の4日前までは、ぽかぽかととてもあったかく、2日前になっていきなり雪が降って、集落は真っ白になった。レンタカーで来るというから、あらためてスタッドレスつきを借りなきゃだめだよと念を押さなきゃいけなくなった。
彼らのバイト先は、ちょっと著名な中華料理屋さんらしい。でもまぁ、そんなのはどうでもよろしい。平日に6人もまとめて旅行に出かけてしまってもなんとかなるんだから、でっかい中華料理屋さんなんだろう。そうそう、彼らは日曜日の夜、アルバイトが終わってから集結して、クルマ1台に乗り合わせてやってきた。6人のうち、免許を持っているのが4人いて、運転にそれなりに自信があるのがふたり。都会では、自動車があっても駐車場に困るし酒は飲めないし、お金がかかるだけの厄介者だから、免許とる人も少なくなりつつあるのかもしれませんね。ちなみに彼らの年の頃は、20歳から23歳くらいまでだった。
日曜日の夜、埼玉方面を出発して、当地に到着したのは午前4時ちょっと前だった。ほんとは朝6時過ぎに到着していただくとよかったのだけど、まぁしょうがない。集落の入り口で待ち合わせて、そのまま山の中に連れていくことにした。その日は、お天気がよくって、お星さまがきれいだったからだ。
はじめましてのあいさつもそこそこに山奥に連れられて、凍るくらい寒い(わけでもないんだけど、都会っこ的には、きっととっても寒かったと思われる)屋外に引っ張りだされて空を見上げれば、そこにはほんとうの空がある。智恵子さんの空とはちょっと地域がちがうけど、同じ福島県の空だ。2月だというのに、冬の星々はもう西の空に沈んでいて、そろそろ夏の星空が広がり始めていた。早起き(もしくはものすごい夜更かし)をすると、季節を先取りすることができる。
一眠りさせて、朝7時には叩き起こしてみる。段取りのへたなニシマキだけど、なんとなく一泊二日の予定くらいはたててみたのだ。まず、村の中心にあるカフェに行ってみる。この村にカフェができるってだけでちょっとびっくりだったんだけど、このカフェ、朝6時半からやっている。なんたってそんな朝早くからと思うけど、仕込みを始めるのがその時間だから、どうせならと店を開けちゃうことにしたらしい。すると、ときどきこんな客がやってくるわけだ。早朝ドライブやツーリングにやってきて、朝のコーヒー飲んでみるのもよろしいかと思います。
お店はダノニー。「かわうちむら」のページの右側にリンクあります。地元の食材をふんだんに使って、手作りのパンもおいしい。お値段もリーズナブルだし、実はこのお店、無線LANも使えます。お仕事だってできるのだ。
さて朝ご飯をいただいたあと、今度は山のてっぺんに向かう。山の上から回り込む道を選んだので、道には雪があった。自動車が滑って横を向く体験コーナーとなった。あんまり体験しすぎると谷底に落ちちゃうけど、安全運転講習はちょっと危険なことを体験させて、そういう事態に陥ってもうろたえないようにすべきというのが持論です。でもうちの娘ときたら、クルマに乗ると酔っぱらっちゃうくせがある。滑るクルマに興味津々のやつがいるかと思えば、気持ち悪いよーとうなっている我が娘あり。ちぇ。
山のてっぺんには、佐藤先生の山小屋がある。かつて学校の先生で、かわうちでも校長先生を勤めた。外国の日本語学校にも赴任経験がある。経験と知識の幅広さは天下一品。学校の先生だったから先生と呼んでいるけど、もう先生業は引退されている。でもぼくより早く生まれたから、先生であることには変わりない。今日は先生の山小屋で、ピザを焼かせてもらう。朝ご飯を食べていきなり、お昼ご飯の準備だ。
ピザ釜に火を入れ、ピザの生地を寝かしておく間に、先生の山をひとまわり。山小屋の裏山にはかわいい散歩道があって、そのてっぺんにはターザンロープがしかけてある。えいやと飛んでみました。木の上には小学生の子どもたちと作ったツリーハウスもあるし、この山は遊び心満載だ。山がというか、そもそも先生が遊ぶのが大好きだから、山もこうなる。
動物の足跡やうんちの観察をしながら山から下りてきて、そり滑りなどしているうちにピザの準備ができてきた。じゃ、お昼にしましょう。ピザ生地を伸ばす者、トッピングをのせる者、火の番をする者、そり滑りをする者、雪だるまをつくる者、それぞれに忙しい。そして、なかなか美味なピザができあがった。ピザを作る以前に、薪割りもしたことがなかった連中だから(実はぼくだって、こんなところに来るまではほんの何回かしか薪割りをしたことがない)、このピザは印象深いお昼ご飯になったにちがいない。
先生はサクソフォーンを演奏する。若者の中には、音楽を専攻している者がいて、山にトランペットの音色を響かせてみたりもした。そのうち、はるか彼方に太平洋が見えるのを発見して、若者たちは海が見たくなった。それで、海に出て、しばらく波しぶきなど浴びてみる。海の町は、ほんの30分の距離だけど、気候もぜんぜんちがって感じられる。海の町に出て、自分だけ妙に厚着をしていて恥ずかしくなったことが何回かあるけど、季節感はそれくらいちがう。30分の距離は、季節をテレポートできると思えば、あっという間だ。サーフィンをやっている人もけっこういるような波の高いところだから、そっちの筋の趣味の人も、そのうち遊びにきてください。漁港があるくらいだから、魚だって釣れるはず。とりあえず、釣りをしている人はいっぱいいるのだ。
ほんとは入っちゃいけないところで記念写真。高い波が来て、みんなで波をかぶるくらいになったらシャッターを押すから、それまでがまんしろと立たせ続けて撮った1枚。
さて、ほどよく夕方になってきた。次のご予定は、牛の乳搾りだ。
酪農をやってるのは、集落の副区長さん。人見知りしない牛が、トーシローに乳を搾らせてくれるのだという。乳を搾るといっても、とても飲めるような量は搾れない。お乳をきゅっきゅっとやって、ちょっとだけでもぴゅっぴゅっとお乳が飛んでくれれば大喜びだ。牛のおっぱいって、あったかいんだーと、当たり前のような素朴な感想が若者たちから発せられる。牛乳ってのは、冷蔵庫に入っているものだから、彼らの常識的には冷たいものなのかもしれないですね。こういうのは理屈じゃなくて、出てきたときの牛乳はあたたかいのだと、体が感じることが大事なんだと思う。えらそうに案内したけど、実はぼくも乳を搾ったのははじめてでした。
ひととおり手作業で乳を搾らせてもらったあと、機械作業の乳搾りを見学。で、搾りたてのお乳をいただいて帰る。熱殺菌を自分らでやらなければいけない、搾りたて。これはおいしいとみんなに大好評だった。きっと、自分の手で牛のおっぱい搾ったんで、感情移入してるにちがいない。
帰り道、集落の一軒しかない魚屋さん(かつては何軒かの魚屋さんがあって、しのぎを削って商売をしていた)に寄って、頼んでいたお鍋を受け取ってくる。今晩の夕食は、みんなで鍋を囲むのだ。なぜ魚屋さんで鍋を作ってもらったかというのは、疑問に思ってはいけません。この魚屋さんは、なんでもやる。新しい集会所ができたときには、くす玉も作った。これで何万円も経費が浮いた。魚屋さんは、集落の会計ご担当でもある。
鍋は、いつもそうなのだけど、たいそう豪勢だ。お酒もいただいておいたのだけど、最近の若者は、オートバイにも乗らないし酒もあんまり飲まないんだね。カクテルをちょいとたしなんでおしまいみたいだ。こういうのは環境と習慣と訓練の問題だから、夏休みにずっとこっちに住み込んで修行すれば、ちゃんとした酒飲みが誕生するやもしれぬ。今日のところは、ぼくだけが飲んでおしまいだった。
寝るのも早いが部屋も寒いってんで、テーブルに布団を数枚かけて、ファンヒーターの熱風をパイプで送り込む。こちらのほうでは、こたつはもっぱらファンヒーターを熱源とする。そのほうが、どうやら効率がいいみたいなんだな。こたつの中も外も、いっしょにあったまる。
でっかいこたつを作って、トランプなどとりおこなう。大貧民や七並べや神経衰弱など、そういえばぼくも若かりし頃にグループ旅行なんぞやって、こんなことをやったもんだ。気持ちだけは若いので、若者たちとトランプをやるのも楽しいんだけど、問題は記憶回路の消耗で神経衰弱はめっぽうつらかった。
彼らは、学校も年齢も住んでいるところも、それぞれ微妙に異なる連中だ。共通するのは、たまたまアルバイトでいっしょになっただけという、それだけなんだけど、考えてみたら世の中の出会いなんてのは、たまたまどこかでいっしょになっただけの、偶然の連続であることが多い。さらに今、こんな村でこんな出会いがあって、これもまた偶然のつづきだ。
朝。若者は朝が遅い。まぁ特に早起きしてもらってやることもないので、ぐずぐずと起きだして、きのうの鍋の残りにご飯など放り込んで雑炊の朝飯を食す。鍋の残りは雑炊で食ってほしいぞというのが、シェフのご希望なのだ。どう食べてもお客の勝手だけど、シェフの言うとおりにすれば、結果もよろしいことが多い。
朝飯を食い終わった頃、昼飯を食いにでかける。なんだか、きのうと同じ展開で、食うこと以外はやってないような気がするけど、食うこと以外のことを始めるには、一泊二日は短すぎる。赤ん坊だって、1年くらいは食べて出して寝るだけに人生のすべてをかけているではないか。
昼飯は、集落を出て、村の中心を抜けたところにあるイワナ屋さん。もともと大工さんで、年齢的なこともあって職をたたみ、もともと好きだった魚釣りを生かして川魚料理屋さんを始めたのが川魚「宮坂」。宮坂さんがやってるんじゃなくて、それはこのへんの地名。ご主人は馬場さんという。民家を改装して料理屋さんにしたのだけど、工事は自分のお仕事。囲炉裏や竹の湯のみなど、馬場さんの洒落心があちこちに光っている。
ところがだな、馬場さんの店にいくと、食べるより先に、遊ぶものもいっぱいあって、そこで時間が過ぎていく。フラフープに輪投げ、お魚釣りにダーツ。全部手作り。川に落ちいていた枝を丸めて作ったフラフープは圧巻だ。川魚の刺身や鯉の洗いなど、ちょっと食べられないものをいただくのと同時に、ちょっと遊べないもので遊んで、彼らのつかの間の休日は完了。
お店の前で若者たちを見送って、ぼくのツアコン2日間も完了した。気をつけておかえりなさい。そして今度は、できればもっと長いこといらっしゃい。きっとなにか、収穫があるはずだから。
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2009年03月26日
強者どもが
正しいお値段にコメントをもらったので読み返してみたら、言いたいことを書き忘れているのを発見。つづきということで書くことにしました。
お写真は、ご近所の夕暮れ。日が暮れちゃって、ちょっとものさびしげだけど、ようやくこの時間に外を歩くのも悪くないなという陽気になった。
といっても、突然雪も降ったりする。「4月になっても雪が降ることあるから、驚いちゃいけねー」と地元の人には言われています。
10000円のものを1000円で売るのもよかったり悪かったりというのがこの前書いた内容だったけど、百歩譲って、それが一生そのお値段なら、10000円のものは10000円のものじゃなくて、1000円のものになります。それはそれでありかなと思う。
ただ、それまで10000円のもののライバル商品は、9800円とか10050円というお値段では勝負ができなくなるから、おんなじように980円とか1050円とかという新価格を設定しなきゃいけなくなる。商売はたいへんだけど、それが資本主義ってものらしい。
もしそれができなかったら、かわいそうだけど、廃業するしかないのかな。でもそれって、廃業するご主人がお気の毒なだけだろうか。
高速道路が1000円になるから、公共交通機関はけっこう打撃があるはず。1台のクルマにぎゅうぎゅうで旅行に行けば、ひとりあたりの交通費はごく安い。電車や飛行機だったら、人数分料金とられちゃうからね。
不思議なのは、高速道路も鉄道も、みんなもとはお国のものだったけど、ここんところあいついで民営化した会社だってことだ。民営化されたから、会社の企業努力でどんどん効率を上げて、利益を追求しなさいって、小泉さんは言ってたじゃない。それが、消費者のメリットになるって。
高速道路の1000円って、企業努力じゃないよね。お国が補助金をがっぽりだしてるんだろう。補助金ってなんだっていえば、ぼくらのお金じゃないか。なんだかなぁ。
いや、1000円はとりあえずうれしいから、まぁいいのだと思う。お国に肩入れされて価格破壊が実現した高速道路会社がある一方、お国には肩入れされずに値下げができない鉄道やフェリー会社もある。同じく高速道路を使いながら、1000円ではない料金を払ってお客さんを運んでいる高速バスなんて商売もある。
こういう会社のみなさんは、高速道路1000円になっても、安定して商売を続けていけるんだろうか。続けていけるなら、それでいいや。高速道路が安いのは、それはそれで幸せだから。
でも、もし彼らの商売がたちゆかなくなったらどうなるんだ。フェリー会社は倒産して、JRもつぶれちゃって、高速バスを運転がなくなっちゃったりして、みんなが安い高速道路を利用して移動する世の中ってのは、それはそれで活力があるような気もする。つぶれちゃった会社のみなさんにはお気の毒だけど。
そして、鉄道やフェリーがないのがふつうに思えるようになった2年後、高速道路の1000円は終わっちゃうんだなぁ。2年間の限定なんだから。そのときになって、やっぱりフェリーや高速バスや鉄道に乗ろうと思っても、そのときにはもうなくなっちゃってるかもしれない。
結局ぼくらは、2年後にはフェリーでぐっすり眠ることもできず、眠いのに高速道路をひた走り、そして高い高い高速料金を支払うことになるわけだ。ちがうシナリオがあるんだったら、どうか教えてください。
むりやりトライアルに話を関連づければ、有料のトライアルパークがあるとする。そこにタダで走れる場所が現れた。タダはうれしいから、そっちをご愛用する。すると有料のパークは経営があやうい。そしてつぶれてしまう。すると、今度は無料のパークが、地主さんの気が変わったりして、使えなくなっちゃう。もう一度有料パークを復活させてくださいとお願いしても、トライアルパークなんて商売にならないから、アパートでも建てて余生を送るよと言われてしまっておしまい。
ものの値段は、安けりゃうれしい。でも、世の中が回らなくなるお値段では、結局それは高い買い物なのだと思うわけです。
なーんて書いていながら、ETC業界にあまくだったお役人を喜ばせるだけのうさんくさい政策だと承知していながら、それでも1000円の高速道路には喜んでのっちゃうだろう自分がなさけない。あーあ。
ということで、2枚めの写真も、夕暮れの村の風景。ぶら下がった電線やそろそろ寿命だという街灯も、この時間には愛おしく見えたりする。感傷かな?
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2009年03月21日
正しいお値段
高速道路が、お休みの日にはどこまでいっても1,000円になるんだそうだ。安いってのはすばらしい。でもなぁ、なんだか釈然としないものがあります。ぼくら日本人、安いものはすばらしいって某国の食材を大量に輸入して、おなか壊したりした苦い経験を持っている。安いものは疑ってかかっているのは、ぼくがへそ曲がりだからかしらん。
というわけで、本日のお写真は(たまには最初に写真解説をしてみた)峠を越した町にある老舗らしい鰻屋さんの鰻重。たいへんにおいしゅうございました。
個人的見解かもしれないけど、安いって喜べるのは、1000円するべきものが900円とか800円くらいだったときで、そういえば、生まれて初めてヨドバシカメラにいったときは興奮だった。今から45年前ですよ。半世紀前に近い。思えば長生きしたもんだ。
当時のヨドバシカメラは、新宿西口にしか存在しなくて、あの頃の新宿西口といえばフォークソングに巣窟となっていて、まだ淀橋浄水場(たぶん、今の都庁のあたり)が広々と鎮座していた。淀橋浄水場の近くのカメラ屋さんだから、ヨドバシカメラだったのかな? 店に入ると、一杯飲める酒屋さんみたいな感じで「すいません、ニコンFのアイレベル、ブラックボディください」とかお願いすると、店員さんが2階に向かって「ニコンFアイレベル、ブラックぅ」と叫ぶと、2階からニコンの箱がぽとんと落っこちてくる。それをほいと受け取って「はい、7万円です(値段はいいかげん)」なんて渡してくれるわけです。
カメラ屋さんでカメラを買うっていったら、店のご主人が白い手袋をしてうやうやしく箱を開け、動作チェックをして渡してくれるというイメージだったから、カメラをカメラと思わない、しかもニコンをだよ、それはそれはカルチャーショックだった。で、そんなヨドバシのお値段は世の中価格の2割引くらいだった。中には、2割くらい安いだけなら、白い手袋の店主にうやうやしく売ってもらったほうがいいという友人(当時の友人だから中学生で、そう言ってるだけで、実際カメラなんて買う金はそうそうなかったわけだけど)もいたもんだった。
ヨドバシカメラの昔話ではない。つまり、定価の2割でも安く買おうと思うと、それなりに裏があるということだったという伏線です。それがあなた、九州までいっても1000円というのは、いまどきなら30万円くらいするニコンを、3万円で売ってくれるというようなもんだ。そんな大安売りのニコンで、まともに写真が写るとは思えない。
ま、この場合、安くしてくれるのは高速道路でいわゆる商品じゃないから、特に品質が悪くなる気もしないし、サービス低下も縁がなさそうだ。でも、いまや高速道路会社は民間会社のはずなのに、なんぜ政府の一声で10000円が1000円になっちゃうんでしょう?? むずかしいことはわかんないけど、これができるんだったら日本政府の一声で、あしたからホンダのRTL260Fを8万円にしてくれないかしらんね。
いえいえ、ぼくはRTLを8万円にしてほしいとも思っていないし(でも、もうちょっと安いほうがうれしいのは確か)、高速道路は1000円じゃなくてもいいと思っている。というか、8万円のRTLや1000円の高速道路は、きっと裏があって、よからぬ陰謀にちがいないと思ってしまうのだった。
高速道路が安けりゃ、ライバルの交通機関はきっと痛手を受ける。中でも、高速道路代をケチろうと思ってフェリーに乗ってた人が、これからはせっせと高速道路を走り回ることだろう。地球温暖化どこ吹く風ですね(フェリー一隻の排ガスと、それに乗るべき自動車の排ガスとが、どっちが大きいかは調べてません。あしからず)。
しかも高速道路1000円って、2年したら終わっちゃうらしい。この2年間に、高速道路にお客を取られたフェリー屋さんがつぶれちゃっていたりしたら、2年後には高い高速道路に乗るしかないわけですね。しかもフェリー屋さんのご家族は路頭に迷っている。誰も幸せになれない。
そもそも高速道路1000円は、ETCを司る天下り団体が私腹を肥やすための陰謀だという説が濃厚。ETCをつけないクルマは高い高速代を払うのだから、きっとそうにちがいない。ETC団体はもうかるけど、高速道路は収入が減るんだから(たぶん)、民間会社としてはえらい痛手だ。きっと政府が補填してくれるんでしょうね。たぶん、ぼくらの税金でだ。
なんだか、民主党か共産党の選挙演説みたいになっちゃったけど、言いたいことは、政策が正しいかどうかじゃなくて、安いものはあやしいということなんだ。
常々、日本の高速道路は高いと思っていた。海外の高速道路は、もっと安い。タダのものもある。ドイツのアウトバーンはタダだ。ドイツの人たちが税金で道路を保守してるんだろう。世界中の人が観光に訪れて、ビールを飲んだりソーセージを食べたり、ベンツを買ったりするから、差し引きするとそっちのほうがお得というわけなんだろうか。その他の国は、高速道路は有料だ。でも、まぁ許せる感じのお値段のことが多い。日本でいえば、東京から大阪までいくと3000円くらいだろうか。いつか日本も、高速道路が適正価格になる日が来るのかなぁと思っていたら、うんと高い料金からいきなり、タダみたいなあやしい値段になっちゃった。
RTLが8万円という冗談を書いたけど、今のトライアル界を嘆く人の中には、30万円台で買えるトライアルマシンがあればと希望を語る方がいらっしゃる。いまや、50ccのモンキーだって、30万円に手が届くお値段なのだ。70年代、TLR200RTL200R(HRCの前身のRSC製)は確か45万円というお値段だった。安いじゃんなんて思っちゃいけない。当時のモンキー、Z50J(今とほぼ同じパッケージでキャブレター吸気)は79000円だった。モンキーが3倍になったのに、トライアルマシンは2倍にしかなっていない。80万円のRTL260Fは、充分にお値ごろだといえるんじゃないだろうか(ただし45万円のTLR200RTL200Rは、当時はぶっ飛ぶような高価格マシンだった)。
世の中がなんでもこんでも100円ショップで事足りるようになって、安い安いと喜んでばっかりでいいのだろうか。ものには正しい値段があるのだと、300円の雑誌を売りながら思うのであった。
で、鰻重だけど、磐越道小野インターからほど近く。若嶋屋さん。クラシックな鰻屋さんという感じで、川端康成と会食するにはいい感じ。でもこういうお店で鰻を食べるとなると、焼き上がるまで酒を飲んでいたくなるから、帰れないってことになっちゃう。飲まぬか、泊まるか、歩いて帰るか、これもまた、悩ましい。
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2009年03月19日
決められない予定
予定が決められなくて困っている。あちら立てればこちらが立たず。きっと、みんなそうなんだろうけど、決断の弱いニシマキとしては、こういうのはたいへん苦手です。ここに書けば引っ込みもつかなくなる(かもしれない)し、誰か親切な人がアドバイスくれるかもしれないと思って、書いておきます。どこまでも他力本願。我ながら、なさけない。
実はこの秋、今ぼくが住んでる川内村でトライアル大会をやろうと思ってます。その日程を決めるのにおたおたとしている今日この頃です。
世の中にはいろんな大会があって、イーハトーブは夏の終わりにあるとか、平谷は7月の中旬とか、佐渡は11月はじめとか、それぞれ、毎年だいたい同じ時期にあります。無責任な参加者的には、そういうもんだと思ってなんの疑いも持たなかったけど、きっとそれぞれ、その次期でなければいけない理由があるんだなぁとあらためて気がついたのは、ニシマキ優柔不断のせめてもの収穫です。
村では、山で仕事している人がいっぱいいます。畑や田んぼを持っている人もいるし、牛を飼っている人もいる。牛のえさの草を育てている人もいる。こういう人のじゃまをしてトライアル遊びをする権利は、ぼくらにはございません。もしよかったら、お仕事のあとにそっと遊ばせてくださいとお願いするのが、こっちの筋です(ぜんぜん関係ないところで遊べばいいわけですか、土地の区分は複雑で、最初のイベントとしては、ちょっと遠慮がちになってます)。
となると、春から秋までの収穫期というのは、なかなかに忙しい。ほんとは、トライアルだから、そんなにご迷惑にならないだろうからと、真夏の開催も考えてみました。実はこのあたりは、お盆をすぎると急に涼しくなる。お盆すぎたら、いつでもストーブに薪をいられるようにしているのが、このへんの人たちの習慣になってます。だもんで、夏休みの後半に避暑がてらにトライアルしにきてくれたらいいなぁと思ったんだけど、その時期は虫のみなさんが山で青春を謳歌している時期でもあった。やめとけというご意見もあり、もしかしたら虫はたいしたことないかもしれないんだけど、無難なところでやっぱり秋にしようというところまでは、すんなり決められた。
ところがだ。秋はメジャー大会、草大会含めて、イベントの嵐だ。9月20日は、まだイタリアでトライアル・デ・ナシオンがある。たぶん、これには行くことになると思う。翌週27日は悪くないけど、デ・ナシオン終わって飛んで帰ってきても木曜日かなんかになるから、準備してる暇がない。
10月4日は、いまのところなにもない。10月号の発送直後で、ということは、イベントの準備をしているときに10月号の発送や締め切りもからんでくるけど、そんなことをいってたらできなくなっちゃうから、これは無視しよう。ただ、まだ日程が決まっていないもてぎのイベントが、このへんに入ってくる可能性が大だという。うーむ。
その翌週の11日は、全日本の中部大会。これは問答無用でいかなければいけない。ついでに2週間後の25日も全日本の東北大会だ。1ヶ月に2回も全日本をやるなんてと思うけど、きっとあちらにもあちらの事情があるんだろう。
では間の18日はといえば、お隣猪苗代でY2トライアルがあります。同じ福島県だし、あちらのみなさんには、ないしょだけどいろいろ手伝ってもらおうと思ってるので(読まないでね)同じ日は極力避けたい。
その次、11月1日は神奈川県でわいわい(Y2とわいわい、読めばいっしょなのがまたまぎらわしい)。その次の週は菅生でトレールライドトライアル。あー、日本には、トライアルのイベントって、けっこうたくさんあるんですね。
どこかでえいやと決めるしかないんだけど、もうちょっと困ってみます。予定って、ほかの予定がある程度でてからじゃないと決められないし、かといってあっちもこっちも予定が出てしまうと、こんなふうに身動きが取れなくなるわけです。とほほ。
写真は、裏山のお散歩にでかけて(歩いて、です)、崖を滑り落ちてきたら、そこでは梅や桃を栽培しているTさんが草刈りをしていた。このへんの人は、ちょっとあたたかくなると、寸暇を惜しむように働き始める。
太陽の存在が偉大なら、地に働く人々も偉大だという、ふつうのことに気がつくのも、このへんの散歩のいいところです。
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2009年03月17日
助け助けられる口づけ
ライフセービングの講習会を受けてきた。モータースポーツ・ライフセービング機構が行っている講習会で、MFJ東北とスポーツランドSUGOが企画して開催された。一般の人でも受講できたけど、MFJの競技役員は参加無料ということだったので(タダだったからという理由ではないけど)尻尾を振って参加してきたのでした。
救命の講習会に参加したのは、これまでも何回かあったけれども、今回の講習会は、2日間受講することでファーストエイダーとしての認定を受けられる。一種の資格とかライセンスみたいなもんだけど、そんなものをもらったって、誰にいばれるものでもない(資格を持つと、いばりたくなる人は世の中に多いけど)。いばれるものではないけど「ぼくは救命の講習を受けました」と自分の経験を明らかにして傷病者に近づいてあげると、安心するんだそうだ。そういうものかもしれない。
どんな講習を受けたのかは、ちゃんとご説明しようと思ってメモをとったけど、インターネット情報によって中途半端な情報が流布するのもよろしくないので、どうぞちゃんと講習会受けてみてください。時間は取られるけど、なかなかおもしろい。興味深い。そしてもちろん、役に立つ。
でも、印象深いこと、いくつかは紹介しておきます。心肺蘇生の練習用の人形の顔が不気味だとか、せめて目玉を入れた方がいいのではないかとか、そういうことじゃない。今回はちゃんとまじめなお話です。
以下、先生のおっしゃることの受け売り。
ライフセービングというのは、医療行為をするのではないから、手当などは仕事ではないし、ほとんどできない。しかし、悪化を防止することはできるかもしれない。その第一歩が、とにかく傷病者を生きている状態で、医療機関に渡すこと、なのだと。
なにをしていいのかよくわからないから、おたおたしてしまうというのは、よくあること。その順番をきちんと教えてくれるのも、心強い。それが、心肺、大量出血(内出血含む)、そして頸椎損傷の順なのだけど、救命措置は、とにかく勇気を持ってやることだと。現場の判断が誤っていたかどうかは、現場にいなかった人にはわからない。やらないよりやったほうがいい、そして優先順位の高いことからやったほうがよいというのは、今の世の中、共通した認識なんだそうだ。
たとえば、心臓マッサージをすると、肋骨が折れてしまうかもしれないという心配がある。でも、胸を押したことでの肋骨骨折で死んでしまう人はまずいないが、心臓が止まったままで生きている人は皆無だから、なにをやるかは簡単明快ということだ。
もうひとつ、いかにお医者さまだとしても、受傷直後の状態を見ることはほとんどない。病院に運ばれる間には、少なからず時間がたってますからね。なので、たとえば骨折だって、負った直後はまだ腫れてもいないかもしれない。病院で判断する骨折の条件を満たしていない場合だって多いのだ。
お医者さんみたいに、大量の傷病者を観察することはないかもしれないが、ぼくらの場合、けが人を見るとしたら、ケガをした直後に出会う機会もとっても多い。だからこそ、ぼくらが最低限のことを知っているかどうかで、けが人の苦痛をやわらげてあげられるかもしれないし、ときによったら、消えかける命も助けてあげられるかもしれない。
今回は、ロード、モトクロス、トライアル、エンデューロなど、役員やオフィシャルが中心に40名以上が受講した。こういう機会がしょっちゅうあればいいのだけど、MFJ東北がLSO講習会をやったのは3年前だということで、なかなか(お金もかかるし)いつもいつもはできない。興味のある人は、MFJやMFJの各支部、あるいは関係者に「こういうのがあったら絶対誘ってくれぞ」とお願いしておかなければ行けないですね。
MFJだって、たくさんの人がこういう講習会を受ければ、なにかのときに手伝える能力を持った人も多くなるわけだし、安全性はより高まるわけなんで、諸般の事情(主にお金だと思うけど)が許せば、もっともっと開催すべき講習会でもありますね。
さらにトライアルなんて、救急車がほいほい入り込めるところでやっているわけじゃないから、よけい現場の人間の対処が重要になる。万一のことを考えると、ひとり資格者かいるより、二人三人いたほうがより安心。これから救命のお世話になる予定の人もそうでない人も、みんなでちょっとずつ知識武装をすれば、それだけでも万が一のときには、うんとちがう結果になるにちがいない。
あ、そうそう。救命の際には、手袋を着用すべし。血液からの感染はおっかないらしいから。人工呼吸するときには、こういうキューマスクを使いなさいってことでした。生きてる人とキスするときにも使えるかどうかは、実験してません。
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2009年03月11日
隆之さん
遠藤隆之さんが亡くなられた。
それまで誰よりも元気に仕事をしていて、2月の上旬に突然入院されて、3月1日の未明に急逝された。白血病だった。入院するまで、そんな病気だなんてこれっぽっちも感じさせなかったから、みんな驚きだった。
といっても、川内村関係の人以外には、隆之さんが誰なのかわかんないだろうけど、ぼくには、川内の人にとっては、そしてもしかすると、地球上のあらゆる人にとって、とっても大きな損失ではなかったかと思う。それはどういうことかというと、隆之さんが、こんな人だからだ。
隆之さんは、常磐道富岡インターから村に入ってしばしのところに、山の幸直売所の親方だ。もっともこの直売所は、比較的最近はじめたもので、それまでは土木関係の仕事をしていた。だから重機の操作は手慣れたもので、トラックの運転もお手のもの。頼もしい。最初の商売は、ダンプの運転をやっていたらしい。
そんな隆之さんが、土木業のかたわら、直売所を開いた。土木業の未来が明るくないという先見の明もあったけれど、山に囲まれた村に暮らす隆之さんにとって、山々の恵みを生かして、山々の恵みに生かされる人生を送りたくなったというのも大きな理由だった。隆之さんの会社の屋号は、山遊舎という。
隆之さんは、それまで土木一本だったから、田畑が広がるこの村にあって、農業はあんまり縁がなかった。川内村は炭焼きが地場産業で、炭焼きはかつては村の財政の柱でもあったのだけど、これも隆之さんには縁がないことだった。でも、直売所を開いてから、隆之さんはそれまで縁のなかったこれらの分野に、積極的にどんどんと進出していった。今、50歳を過ぎてみると、新しいことに挑戦するのはなかなかおっくうで気が重くて、そしてたいていうまくいかない。悪循環で、いよいよ消極的になっていく。そんな自分と比べてみては申し訳ないのだけれど、その積極性にはほんとうに脱帽だ。
そのうち、ツリーハウスというものの存在を知らされた。ツリーハウスってのは、木の幹に家を作り付けてしまった構造の家だけど、ツリーハウスの本を見せられて「おー、これだ」と思ってしまった。直売所は、富岡方面からくると、山を下りてきたところにある。その川向こうに、ちょっとした斜面があって、隆之さんはそこの柏の木にツリーハウスを作ることにした。工事は、大工さんにお願いした。大工さんたちも、隆之さんのこの夢物語を聞いて、おもしろそうだと大喜びで作業にかかってくれた。ツリーハウスを教えられてから着工まで、あっという間だった。隆之さんは、なんでもあっという間に実行して、あっという間にかたちにしてしまう。ただし、隆之さんの発想に、まわりの人がついていくのはなかなかたいへんだ。だからツリーハウスも、不思議なものが建っているねぇという意味では周知にはなったけれど、それがなんなのか、理解できている人はほとんどいないようだった。隆之さん自身も、ツリーハウスを上手に活用するのは、きっと今後の課題だったのだ。
村に住みついて、隆之さんの会社で仕事をさせてもらったことがある人がいる。隆之さんと仕事をするのは、とてもとてもたいへんそうだったけど、1分1秒とて退屈することがなさそうだった。あるとき、田んぼの用水路のU字溝を埋める工事のお仕事が入った。いってみて、U字溝を埋めるための溝を掘り始めると、そこはドジョウの宝庫だった。U字溝のない用水路は、ドジョウにとって最高の環境らしい。ここでU字溝を埋めることの是非を考えだすと先へ進まなくなるので、とりあえず工事の様子を追ってみると、土壌が出てきてさぁたいへん、U字溝どころではなくなって、その日はいきなりドジョウすくいになった。収穫したドジョウは、何日かあとに、鍋にして食べさせてもらった。たいへんおいしかった。
隆之さんの直売所には、炭焼き釜がある。あるときは日曜出勤で炭焼きの火の番を命じられた。ところがいってみると、突然直売所で焼き鳥を始めることになって、炭を焼くつもりで出かけていったのに、日がな一日鳥を焼いていたこともあったという。アクションが早いから、本当に、まわりの人はついていけなかった。無理についていこうとすると、ケガしてしまいそうだ。
炭焼き釜も、すごいのを作った。直売所にある炭焼き釜は、いいかたちのいい釜なのだけど、隆之さんは、どうもじれったくなったらしい。もっと大量に、もっと簡単に炭を焼けないものか。とりあえず、場所はあるから、でっかいのを作ってみよう。でっかければ、狭い釜に腰をかがめて潜り込まなくても、立ったまま炭になる木をセットできるんじゃないか。
さっそくやってみた。ちょっとしたガレージくらいありそうな盛り土が、隆之さんの炭窯だった。ふつう、こんな炭窯はない。これだけ大きな炭窯で、いっぺんに炭が焼ければ、炭焼きの効率は格段に向上するにちがいない。はじめてこの炭窯に火を入れるときの隆之さんは、とっても楽しそうだった。効率のいい炭窯を作った企業人としての顔というより、おもちゃを組み立てて試運転する子どもの顔みたいだった。そしてそんな隆之さんが、一番隆之さんらしい隆之さんだった。
しかして、炭窯の方はうまくいったかどうかといえば、とりあえず失敗した。炭ができるはずが、みんな灰になっちゃった。大きな炭窯は、入り口をふさぐのがたいへんだ。念入りにふたをしたつもりだったけど、ちょっとだけ空気が漏れ入ってしまって、火が消えることなく最後まで燃え続けちゃったらしい。
隆之さんは、二度三度と火を入れてみた。一度くらいであきらめるようじゃ、隆之さんの名がすたるってもんだ。釜には、立派な屋根もついた。でも、なかなか炭はできなかった。結論から言えば、今までにこんな大きな炭窯を作る人がいないってことは、炭窯が大きくていいことはあんまりないようだ。
されど、そんなことをいっていたら新しいことは始められない。当初、どうやら近所の人たちからは、タカユキは炭窯じゃなくて、焼却炉を作ったと言われていたらしい。入れたが最後、炭にしたい木まで根こそぎ燃やしてしまうのだから、なまじの焼却炉より性能がいい。
もちろん、隆之さんはこの炭窯でゴミを燃そうなんて思ったわけじゃなくて、真剣に炭を焼きたかったのだ。何度か炭にならない炭焼きをやって、そのうち竹炭や竹酸液をつくるのには、この釜がなかなかいいということが判明した。転んでもただじゃ起きない。というか、なんとかして起き上がらなければ困ってしまうくらいの大きな釜を作ってしまったのだから、ちょっとだけ、ひと安心だ。
仕事は早かったし、じっとしているのができない人だった。薪ストーブを玄関に置いたら、家中があたたかくなって、どこでも寝られるようになった。隆之さんがうれしかったのは、ストーブの横で寝ていて、太陽が登るか昇らないうちから仕事に飛び出せるようになったことだった。太陽が昇るのが、隆之さんは毎日待ち遠しかった。日が高いうちには、とにかく仕事をしていた。走り回っていた。愛用していたのはauの携帯電話だったけど、隆之さんに電話をして電話が通じなかったときには、隆之さんはどこかの山の中で、ばりばり仕事をしているということだった。
山の中で仕事をするから、いろんなものを見つけてくる。朝日や夕日の絶景ビューポイントも、隆之さんならではのとっておきがあった。あるとき、久々に村を訪れた親戚を、きれいな夕日を見せてやると山の上まで連れて行ったことがあったそうだ。夕日を見るのも、隆之さんは真剣だ。
「日が沈むのは一瞬だ。刻一刻景色が変わるから、絶対に見逃すんじゃないぞ、まばたきなんかしてちゃだめだ」
隆之さんと夕日を見るのは、楽じゃない。
村の便利屋さんとして、スズメバチの退治も隆之さんの仕事だった。昼間のうちに巣の偵察に出かけ、ハチが寝静まった夜になって、退治にでかける。無鉄砲にハチに向かっていくわけじゃなく、自分の抗体価などもちゃんと調べていた。確か、スズメバチは大丈夫で、アシナガバチの抗体があったから、アシナガバチの退治にはいかないんだという話を聞いた気がする。尿に糖が出たからと、食事にも気を使っていた。隆之さんは大食漢で、食べないと元気が出ないとこぼしていたが、奥さんやお嫁さんの厳命だったから、食事制限はきちんと守っていたようだ。
そんな隆之さんだったが、慢性から突然急性に変化した病気の前には勝てなかった。人の3倍も4倍も仕事をしていて、人の何倍も仕事が早い人だったから、病気の勢いも早かったのかもしれない。
川内村には、おもしろい、魅力ある人がいっぱいいる。そんな中でも、隆之さんはぼくが最初に出会ったかわうちのおもしろい人で、こんな人がいるのなら、この村で暮らすのはきっとおもしろいにちがいないと思ったのだった。
隆之さんの仕事っぷりには逆立ちしてもおいつけないけど、おもしろいことを求めて猪突猛進の隆之さんスピリットは、もうずっと忘れられない。
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2009年03月04日
新しいMacBook
新しいMacBookを買ってみました。自然山通信の二人はMac使いです。杉谷はMac以外は使ったことがない。ニシマキは昔はMS-DOSなんぞで遊んでいたこともあるけど、Windowsは使ったことがない。こだわりがあるわけじゃないし、Macはでっかくて持ち運びに不便だとか、あのソフトが使えなくて悲しいとか、いろいろ愚痴をいいながら、それでもMacでお仕事したり遊んだりするのが幸せだと感じています。でも、今回はちょっと悲しかった。そしてそれは今もなんとなーく続いているのでした。
今、MacBookは3種類あって、CPUのスピードとか筐体の材質とかキーボードが光ったり光んなかったり、いろいろ仕様がある。ぼくが買ったのは一番安いやつです。といっても、FireWire(今はIEEE 1394と呼ぶのが一般的のインターフェイス。動画や大容量ファイルをやり取りするのには便利)コネクタが、最近は省かれているのが多くて、この一番安いのには残っている。一番安いのは、要するにベースが旧型だからです。
ニシマキ的には、今まで使っていた12インチディスプレーのiBookから横長13インチディスプレーを持ったMacBookにマシンが変わると、今まで使っていたカバンに入らない。コンピュータが入るバッグを調達しなきゃいけなくなって、となると、いろんな生活パターンを見直さないといけないんで、これがたいへん。
昔は、新しいマシンを買うというのは、設定をゼロからやり直さなければいけなかったから、それだけで1日2日費やした。それで、すべての設定を移行することはできなくて、新しいマシンを買うと、古い設定や作業中のファイルのいくつかは移行し忘れたもんです。まぁ、忘れられるものというのは、ある意味忘れられてもしょうがないようなものですから、ときどきそうやってシェイプアップした方がいいのかもしれない。
ところが今、アップルのコンピュータはとても親切で(WindowsVistaにもあるかもしれないけど)新しいコンピュータを買うと、古いコンピュータのデータをするすると吸い上げ、今まで使っていた環境をそっくりそのまま実現するという機能がついている。今までの使い勝手そのままで、きれいな筐体と速い性能を手に入れられる。大喜びです。データはなんだかんだと200GBくらいあるから、おまかせしても2時間くらいはコピー作業をやってるんだけど、2時間待っていれば、今までと同じ感覚で仕事が始められる。新しいトライアルマシンを買って、ハンドルと前後サスとフットレストとブレーキペダルとフロントブレーキとクラッチのマスターをお好みに合わせて交換して、しかも半日ばかり慣らしをしたような状態が、箱から出して2時間で実現です。すごい。
でも今回のお話は、ここまでは余談。ノートパソコンだから、バッテリーがついている。バッテリーだけでも、3時間とか4時間は仕事ができるようになってます。ディスプレーをパタンと閉めれば、コンピュータはスリープモードに入って、そのときやってた仕事はメモリーに一時保存される。電車とか飛行機とか、喫茶店とかで仕事するには最高の道具です。
で、いよいよバッテリーが消耗してくると「もうすぐ電池がなくなるよ、画面が暗くなってスリープしちゃうよ」と教えてくれて、それからしばらくすると画面が暗くなってスリープする。でも、そこで電源をつなげば、メモリーに入っていたお仕事はそのまままた続けられるのが、ノートパソコンの一般的な仕様です。電池は最後まで使った方が効率がいいというのもあるし、電車の中にはコンセントがないのもあって、ぼくは最後の最後まで仕事をして、スリープして仕事が続けられなくなったら、どこかでコンセントを借りて仕事を続けるか、コンセントをつないだ状態で予備のバッテリーに交換して(コンセントつながないでバッテリーを交換するとメモリー飛んじゃうから。バッテリー、ふたつ積んであると便利なんだけどなぁ)また仕事を続けることにしてました。
ところがこのMacBook、買ってみてびっくりしたんだけど、最後まで使うと、スリープしないで電源が落ちちゃう。やってた仕事はパァ。こりゃぶっ壊れてるよとすぐ電話。とりあえずなおるかどうかわかんないけど、バッテリーを交換してみましょうと、バッテリーが送られてきた。送られてきたバッテリーを取り付けて満充電して、AC電源を外してお仕事してみる(お仕事だけじゃなくて、ネットサーフィンしたりゲームしたりもした)。やがて「もうすぐ電池がなくなるから、画面が暗くなってスリープ状態になっちゃいますよー」というメッセージが出てくる。さらにそのまま仕事し続けてると、ご警告のとおり画面が暗くなってスリープ状態になっちゃう、はずなんだけど、プチンとやっぱり電源が落ちちゃいました。
そんな検証をしている頃「送ったバッテリーはちゃんと返してくれましたか?」というメールが届きました。手続き通りなんだろうけど、ちょっとこのやろうと思う。すぐ電話して「ぜんぜんなおってないんですけど」と泣きつく。向こうは、故障だかなんだか事態がつかめていないらしくて、おんなじのをもう一度送ってくることになった。一度売ったものは、修理扱いになって、なかなか交換にはならないらしいから、これは不幸中の幸いでした。
ぼくが買ったのは、ハードディスクとかメモリをアップル側で増設してもらったもので(けっこう割高だけど、すこんと使い始めたかったので、こういうのを選びました)代替え品も、またアメリカで組み替えをして送られてくるんだそうだ。サポートするのもたいへんです。
待つこと1週間弱、新しいのが届いた。ここでまた問題。本来、交換なんだから配達に来たときに古いのをその場で返せということなんだけど、ここはちょっとごねさせていただきました。
「仕事するためにお金だして買ったんだから、ものがあるうちは仕事したい。Macには、古い機械から新しい機械にデータや環境を移せる便利な道具があるから、交換をするときに半日でいいから2台を預かってデータの移行をしたい。そもそもこんな時間と労力は、ぼくはしなくていいはずだったんだからね」
向こうは悩んでいたけど、調べたらそういうシステムもあるんだそうだ。なんだ、最初からあったんだったら、知っててよ。アップルのサポートも、意外に無知でした。で、そのシステムというのは、とりあえずクレジットカードに2台購入の手続きをとって、1台返ってきたら決済をキャンセルするんだという。返さなかったら、2台お買い上げということですね。まぁいいや、それでお願いしますと、とりあえず一件落着。
新しいのが来て、古いのからデータを移行して、古いデータをばっさり削除しながら新しいのを使い始める。AC電源使わずに使っていると、やがて「電池がなくなるよー」の警告のあと……、ぶつん。おんなじだ。
すぐ電話。おんなじでした。どうしましょう。ぼくが買ったのはアルミニウムボディの新型が出ている現在、旧型の安物の白いやつ。サポートセンターでは、手近に症状を検証できる同型の機械がないってことで、ちょいと調べてお返事するから、待っててくださいという結論になりました。ご迷惑かけて申し訳ないみたいに低姿勢なので怒る気にならないけど、結局なんの役にも立っていないわけです。
その後、ふと気がついて、移行したぼくのシステムが悪さをしているのかと思って、一度ハードディスクを初期化して、すっぴんのシステムで検証してみました。おんなじ。ぷつん。ちなみに今時のMacには、タイムマシンというシステムがあって、ハードディスクをつなげておけば、日々バックアップをとってくれて、過去のデータにアクセスできるというすばらしい機能を持ってました。これの使い方を知ってたら、2台並べてデータを移行しなくてもよかったのになぁ。なんだか、いろいろ回り道。
その後、自然山通信の発送の際に(3月号、遅れてごめんなさい)、渋谷のアップルストアをたずねてみました。ここにはジーニアス・バーという日本人にはよくわかんない相談コーナーがあります。ジーニアスって天才だそうです。これは期待できます。時間を予約して、行ってきました。ジーニアス・バーでは、すでにぼくが電話サポートでクダを撒いているのもデータが入っているので、話もスムーズ。こちらの言いたいことはとりあえず伝わったみたいでした。ところが
天才さん、誰かに電話して「MacBookって、電池が切れるまで使ったら、スリープに入るんですか? 電源が落ちるんですか?」なんて聞いている。天才さん、よろしくお願いしますよ。今までMacのノートパソコンを代々使っていて(10台くらい使ったかもしれない)、電池切れでスリープに入らなかった機種はひとつもございません。その質問は「ひとは夜、おなかぺこぺこになるまで働いたら、眠くなっちゃうんですか? 死んじゃうんですか?」とどっこいの質問に思えます。とほほ。まぁ、手続き場の質問なんだろうけど。
当然、スリープに入るということで天才さんは了解してくれたけど、ぼくの症状はなんだかわかんないということだった。想定外、って感じです。
ぼくの主張はこんな感じ。
・2台続けて同じということは、ぼくの買った個体の問題ではないと思うが、事実はどうか。
・トラブルだったら、なおしてほしい。
・仕様なら、仕様だといってほしい。でもスリープしない仕様だったら、ぼくは買わなかったかもしれない(ちょっと脅し)
ところがまず、仕様かどうかはわからないという。MacBookはぼくひとりが買ったわけでもないだろうけど、こういう報告はどこからもあがってないという。なのにぼくのところに届いた2台はまったく同じ症状です。
「みんな、そういう使い方はしないのかもしれませんね」
アップルストアのジーニアスも、スリープのこの仕様は知らなかったから、みんながこういう使い方をしないのも少し納得できます。でもそれとこれとは別問題で、本来動くはずのものが動かないんだったら、なんとかしてくださいよ。
ジーニアス・バーでもアップルストーの電話サポートでも「では預かって調べてみます」という展開に持ち込もうとする。明らかにトラブルがわかっているならパーツの交換だけで早いだろうけど、この場合、原因もつかめないから預かって調べたいという。
ちょっと待ってください。ぼくの個体のトラブルだったらそれもそうかもしれないけど、2台続けてトラブルで、これが仕様だっていうんだったら、メーカーの方で勝手に調査して、リコールでもしてください。お客様が買ったもので検証しないでください。もしも2台続けて、たまたまトラブルだっていうんだったら、3台めをください。
たぶん、ジーニアスや電話サポートも、そこまでのサポート権限は持ってないんでしょう。困ってしまっておしまいです。電源さえつないでおくか、バッテリー残量が少ないときには気をつければ問題なく仕事はできるので、ぼくはこのまま仕事を続けるから、時間はかかってもいいんで、そちらで検証して、仕様通りの機械にしてくださいとお願いしておきました。「MacBookの仕様は電池が切れたらスリープに入ること」は向こうも納得しているんだけど、アップル側から「MacBookを検証して、その仕様通りに動いている」という報告はもらってません。知り合いのMacBook使いには検証をお願いしたけど、みんな少し古いのを使っているから、ぼくの問題の検証にはならないんですね。
そうこうするうち、これまた気がつかなかったんだけど、今、Macには3種類のスリープがあって、メモリーにすべてを記録するのと、ハードディスクに記録するもの、メモリーとハードディスクの両方に記録するもの。ぼくが知っているのはメモリーに記録するスリープで、これだと、わずかながら電気を使う。ハードディスクに記録するスリープだと、電気は使いません。このスリープの種類のことは、サポートでは教えてくれませんでした。電池が残り少なくなったら、とりあえずハードディスクにデータを記録してスリープさせておけば、作業中のデータも失わないんで、この3種類のスリープを選べる道具を調達して実験もしてみた。ハードディスクにメモリー状況を保存するディープスリープは、起き上がるのに時間がかかるけれど、ハードディスクに保存するのだから、メモリー空間に保存するより安心です。
こんなことをしているうち、アップルのサポートから電話がかかってきました。ちなみに電話サポートのご担当はうら若き(と思われる)乙女のムカイさんです。声の調子は頼りなげだけど、声の調子で人を判断しては行けません。渋谷の天才さんたちも知らないことは知らなかったしね。電話の用件は、バッテリーアップデートが出たんで、これを実験してみてちょうだいということでした。
ぼくも、年がら年中、バッテリーの最後の一滴まで使い切るわけではございません。外出したとき、たまたまそういう状況になることが人より多いのと、バッテリーのためには、中途半端な充電を繰り返すより、きっちり使い切ってから充電した方がよかろうというってことで、機会があればそういうことになっているというだけでございます。でも、サポートのムカイさんにお願いされちゃったので、検証してみた。
あれ? 今度は電池を使い切ると、ディープスリープに入りました。なんか、様子が変わっている。バッテリーアップデートの問題なのか、それ以前にぼくがスリープについていじったからなのか、真相は謎です。ともあれぼくは、100%は納得してないけど、90%は満足できる状況になりました。アップルはバッテリーを交換しマシンを交換するという費用と労を執ったのに、なんの解決にもなりませんでした。なにやってるんだというか、本当にご苦労様です。
あー、そういえば、自然山通信もDVDがうまく再生できないということで、何度か代替え品を送らせてもらうことがあります。だからサポートのご苦労は少しはわかってるつもりなんだけど、今回のアップルになんだかなぁという感想を持ってしまいました。アップルのOSはかっこよくて、WindowsのOSを使う気にはなれないぼくみたいな人のために、アップルもかっこいいだけじゃなくて、ちゃんとした機械を作ってほしいなぁ。
その一方、自分のコンピュータの使い方が、人とちがう不思議な使い方なのかなぁと、これも少し悩みです。
以上、コンピュータをへんな具合に使っているニシマキの、愚痴でした。
写真は、渋谷ハチ公前に現れたる東急5000系車両。ちょっとした待合室になっていて、いい感じ。
● 22:54 | コメント (0) | トラックバック (0)
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