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トライアル教室のうそ?
先生と生徒、どちらも人間。人間は人それぞれ。教えるほうと教えられるほう、どちらにもそれぞれの感性があります。感性がくいちがうと、せっかく教えてもらったのに「あの先生、うそつきじゃん」てなことになってしまう。たとえばそれは、こんなこと。
というお話は、バイカーズステーション2007年5月号に書いたもの。
誌面での原題は『よくある、トライアル教室の“うそ”と真実』でした。
トライアルの乗り方を教えるというのは、たいへんなことだ。たとえばトライアルの教本には『登りではからだを前に、下りの時にはからだを後ろに』と解説する。登りではフロントが浮き気味になるからそうならないように、下りでは前転の恐れがあるのでそうならないようにという配慮からこうなっている。ところがこう教えられて、ロボットみたいにぎくしゃく走っている人が少なくない。気の毒に。彼らは素質がないんじゃなくて、教えられ方をまちがっちゃったのだ。
写真を見てちょうだい。野崎選手は、登っているけれど、からだはどっちかというと後ろにある。トライアルの教本とは、ちょっとちがっちゃってる。
登りでからだを前に持っていくと、リヤタイヤの荷重が減る。リヤタイヤのグリップを最大限に使おうというときには、登り坂だって、からだがリヤタイヤの荷重を稼ぐ位置にくることがある。登りではからだを前に、と教える先生は、すべての登りのシーンを想定しているわけではなくて、あるほんの一パターンを想定して教えている。
もう1枚、ターン中の小川友幸。トライアル教室では「ターンは外足荷重で」と教える先生もいるし「内足荷重」と真反対のことを教える先生もいる。生徒は困る。では、小川選手の場合は、どっちの足に加重しているでしょう。
トライアルは、たいへんに複雑な地形を走る。トライアルに比べると、ロードレースなんて定盤の上を走っているようなもんだし、モトクロスコースだって高速道路に見える。こういう複雑な状況では、ライダーは刻一刻と状況に応じてマシンを操縦し、テクニックを使い分けなければいけなくなる。
ターンでは内足荷重も外足荷重も使う。というより、その荷重をどう使い分けるかが胆である。外足か内足かという問題ではない。野崎選手の場合も、からだが前か後ろかが問題ではなく「今どのフォームをとるのが一番適切か」を感じ取って実践しているだけだ。
ひとつのセオリーでテクニックを語ろうとすると、ろくなことにならない。ターン中、ずっと外足に荷重かけてればいいなんて、そんな簡単なもんだったら苦労はないし、実験できればやってみるといいんだけど、トライアルのような低速走行で、外足だけに加重して走れというのは、限りなく不可能に近い(もちろん内足もしかり)。
ターンは内足荷重だという先生は、実はこっそり、外側のハンドルを押し付けていたりする。外足荷重という先生も、やっぱりハンドル操作をしている。彼らは、こういうことをないしょにしているわけじゃない。じょうずなライダーは、あまりにも無意識にいろんな操作をする。その中で、メインとなる操作について解説をするので、シロウトにとってはつじつまが合わなくなっちゃうのである。
「なにもしなければ走破できる」という言い方をするセンパイも多い。マシンの走破性にアクションを預けろということなんだけど、アクセルは開けてるし両手両足でマシンをコントロールしているし、無意識にいろんなことをしている。「なにもしていない」とはなんと乱暴な。ある程度トライアルができるひとならこれで通じるんだけど、ある程度のトライアルができない人が同じ教えを受けてしまうと、お気の毒。
こちらの写真は、世界チャンピオン藤波貴久。ここでは、レバーを操作する指使いについて考えてみる。レバー操作は、ブレーキもクラッチも、人差し指1本でと教えられる。これは科学的にも証明されているし、実際のところ中指でレバーを握っていては、マシンをコントロールすることなんかできない。
ところがこの藤波、ブレーキは人差し指と中指の2本指、右の写真では、クラッチを4本指で握ってる。ぜんぜん教科書通りじゃない。
俳句は五七五でできている。字余りという定石をはずした手法もあるけど、最初から字余りばかりで習作を続けていては、まともな俳句を詠めるようにはならない。しかしまた、定石にこだわりつづけるのもまた、ろくなことはない。
初出:バイカーズステーション2008年5月号