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敷き居の高いトライアル?
トライアルは、いわば技を競う競技である。できることが多いほうが、人にも勝てる、自慢もできる。しかしあんまりにも芸達者な人たちばかりのところには、新参者は入りにくい。新型マシンの試乗会は、おもしろいんだけど、また敷き居が高いものでもある。
という書き出しでバイカーズステーション2007年11月号に掲載したのは、こんなつぶやき。
オートバイのメーカーは、新型車が登場すると雑誌屋さんを招いて試乗会を行う。雑誌にとってはニューモデルの紹介をするよい機会だし、メーカーも新型車の宣伝をするチャンスだから、双方がほくほくしながら、この日を迎える。
トライアルも、毎年新型車が出てくるから、こういう催しがある。先日は、2008年型RTL260の試乗会があって、取材にでかけてきた。トライアル専門誌以外にも、オフロード雑誌を中心に、何誌かの雑誌社が取材にやってきていた。
トライアルマシンは、そもそもよほど特殊なジャンルらしくて、たとえばBS誌は試乗会に来ていない。ロードスポーツ系の雑誌には、トライアルマシンの紹介は畑違いなのらしい。
それにしても不思議なのは、雑誌屋さんが、みんなして試乗会に来ていながら、試乗をしないってことだ。乗るのはトライアルジャーナリストのF氏やMJ氏、マイクを持たせたら世界一のKN氏など、トライアルの熟練者たちで、雑誌屋さんは彼らが走っているシーンを撮影してコメントをまとめて、記事にする。それが、いまどきのふつうらしい。
20年、30年前、メーカーの試乗会といったら、雑誌屋さんたちはこぞってニューモデルに乗っていた。仕事なんだか、乗るのが楽しいのだかよくわからない。とにかく乗る。それが、雑誌屋さんのふつうだった。
乗るんじゃなくて話を聞くのが仕事とあらば、記者のみなさんが乗らないのは当然なのだけど、心配になってしまうことがある。トライアルマシンって、ちょっと乗ってやろうという気にならないほどおもしろくない、あるいは乗るのがむずかしそうに見えるものなんだろうか?
メーカーのみなさんは、雑誌に紹介してもらって、みんなに乗ってもらおうと期待している。ところがまず、雑誌記者のみなさんが乗りたがらないのだから、先行きは明るくない。
こういう話を、本誌S編集長にしてみたことがある。
「なんにもできないし、恥ずかしいじゃん」
というのが、そのご返答である。ごもっとも。どうやらトライアルとは、岩を越えたり急坂を登ったり、飛んだりはねたりするものだという印象が、すっかり根づいているようだ。そしてそういうことができない人々は、恥ずかしくてトライアル場でオートバイを走らせるなんてできないものだと……。
でもさ、最初から大岩を越えられる人なんてだれもいやしない。大岩どころか、直径10cmの岩だっておっかなかったりするもんだ。で、今トライアルをやっている人の大半が、ようやく10cmの岩を越えられるようになった、なんにもできない人たちである。
もしかすると、S編集長は誤解をしていて、ぼくがこの連載で書いていることは、トライアルの世界では珍しいことで、だからおもしろいネタだと思ってくれているのかもしれない。だけどこれがふつうだ。平地で輪を描くことに大汗を流し、スロープみたいな坂道に緊張しまくり、小さな石ころを越えるのに難儀する人たちが、底辺トライアルのマジョリティである。
スポーツ新聞に草野球のことが掲載されることはほとんどないけれど、プロ野球で活躍する人より草野球を楽しむ人のほうがはるかに多い。草野球を楽しむ底辺の人々がいるからこそ、ピラミッドの頂点のプロの世界が輝いてくる。
「なんにもできないから」と始めてもらえないとしたら、これはトライアルにとって由々しき問題である。少子化で将来の年金問題に苦しむ厚生労働省よりも悩みは深いかもしれない。
今のオートバイはとっても優秀で、乗る人が乗れば止まった状態から次の瞬間に2メートルや3メートルの大岩を登ることができるように作られている。だからといって、これに乗る人がそんなことをしなければいけないきまりはなんにもない。時速300キロが出せるオートバイに乗っていても、たいていの人がせいぜい100キロちょっとのスピードで満足して走っていると、同じようなもんだ。
トライアルを楽しみたい、始めてみたいと思っている人は、実はけっこう多い。そういう人たちに指針を作ってあげるには、あんまりトライアルがじょうずな人たちより、S編集長みたいな、ふつうのライダーに、どんどん乗ってみてほしいと思うので、次の機会には、ぜひよろしくお願いしたいと思うのでありました。