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もんもちプロジェクトの里帰り

秋のお祭りのとき、もんもちプロジェクトの面々が大挙して我が集落にやってきた。彼らとは、もう4年越しの濃ゆいおつきあいが続いているわけなんだが、どうもここには、濃ゆくないおつきあきがあんまりないのではないかという気がしてきた。ま、それならそれで、よいではないか。

もんもちプロジェクトとは、東京方面で活躍している劇団である。学生の時代に学生英語劇連盟という劇団で演劇を始めた仲間が、その後もいっしょに活動を続けているわけなんだが、みんな気のいいやつなので、村のおっさんおばさんにも可愛がられている。
そんな彼らは、今回は村のお祭りにやってきてくれたのだ。若いもんとか孫子とか、よく、来てよし、帰ってよし、なんていうけれども、だんだん彼らもそんな感じになりつつある。最近じゃ、地域に残る若者の数が減ってしまっているから、若いもんが押しかけて来てくれるのは、単純に戦力として頼りにしてたりもするわけだ。
待ち合わせに誰かが遅刻しただの、どの道を通ってくればいいのかだの、道中それなりにドタバタがあるのだけど、それはいつものことだ。待ってる身としては心配したりしなきゃいけないんだけど、若い連中とつきあうってのは、多かれ少なかれそんな心配はついてまわる。まぁ、しょうがない。
お祭りの日は忙しい。100人分からの豚汁をこさえ、漬物を用意し、あるいはまた、神社に大旗など揚げてお支度をする。
人のことはまったく言えないんだけど、近頃の若いもんときたら、田舎のあたりまえを知らないやつが多い。特に台所仕事なんぞやらせると、彼らがクラシカルとは遠い食生活を送ってるんじゃないかというのがよくわかって楽しい。
とりたての野菜から調理をしたり、五升炊きのでっかいガス釜でご飯を炊いたり、はたまた栓抜きを使わずビールの栓を抜いたりと、宴会の準備をするだけで驚きはいっぱいある。なぜ宴会に先がけてビールの栓があくかについてはよそ者の知ったことではない。気にしないでいただきたい。

例大祭は、大きくふたっつおこなわれる。諏訪神社と八幡神社で、どっちも山の上にあるのだけれど、八幡神社は思いきり山の上にある。約30分の軽登山になる。そこを、獅子舞の獅子児に笛太鼓、氏子に一般村民と、ぞろぞろ上がっていく。今回は、折からの台風で、みんなびしょ濡れになった。それでも登る。ご苦労様でありました。
みーんなびしょびしょになっちゃって、なんだか諏訪神社へお参りにいくのがめんどくさくなっちゃったりして、おまけにここらあたりのお神酒ときたら、何杯でもお代りが出てきちゃうもんだから、豚汁などでお腹がくちくなると、いきなり眠い。いい感じですやすやと寝ていると、おらー、行くぞーと威勢のいいかけ声で起こされる。なに、かけ声の本人も、ほんのさっきまで眠りこけていたのだけれど。
そうして神社へは出かけたけれど、今回ばかりは三匹獅子舞を屋外でやるのはなしになった。けれどもなにがあっても祭だけは遂行するこの地域の伝統は、またも守られたのだった。このお祭り、2011年の春にはさすがに誰も人がいなくて、祭どころではないというあんばいだったけれど、それでも村に残っていたほんの15人ばかりの有志によって、形ばかりの祭は行われていた。どんな祭具合だったのかというと、いやなに、お神酒あげただけだとな。
はてさて、そんなこんなで祭の時も進み、宴もたけなわではございますが、もんもちプロジェクトが唄を披露する時間とあいなった。
披露されるのは高田島の唄。彼らは寒い寒い今年の正月にもやってきて、唄を作っていってくれた。高田島で作った、高田島を唄った唄だから高田島の唄という、そのまんまである。メンバーにはいろんな能力があるやつが揃っているから、作曲をして唄を歌い、笛を吹いて太鼓を叩いて、音源を残していってくれた。ほんとは、きっちりレコーディングしてCDでも作っておきたいところだけど、今んところまだそこまで手が回っていない。高田島の唄は、彼ら自らに生演奏していただくしかないのであった。
メロディは高田島の太鼓を基調にしている。できあがって見たら、なんとなく沖縄調になっていたけど、太鼓のリズムにのりながら酒の席で唄える唄としてできあがっていて、酒の席で披露すると、これがなかなか盛り上がるのだった。

1.
福島県の かわうちの はしっこに 小さな 島がある
うまい水と 広い空 ぼくらの島 高田島
冬の寒さは厳しいが ひとの心はあったかい
ここはかわうち 高田島 ぼくらの大事な 愛らんど
2.
あぶくま高地の真ん中に 舟では渡れぬ島がある
うまい酒と 深い森 我らがふるさと 高田島
野菜もしっかり甘くなり ひともしっかり味が出る
ここはかわうち高田島 ぼくらの大事な愛らんど
●
土と水が 稲(いな)を生み それが ぼくらの 糧(かて)になる
大地の恵みに感謝して ひとは祭りを酒で祝う
3.
福島県のかわうちにゃ 気持ちの大きな島がある
すてきなひとが暮らしてる みんなの島 高田島
大地に生きるひとがいて いつか大地に還るまで
ここはかわうち高田島 ぼくらの大事な愛らんど
我らがふるさと 高田島
今回、彼らの活動が読売新聞の記事になった。興味を持ってくれた支局の記者は東京に転勤になっちゃったのだけど、やり残しだからとはるばる取材にやってきて、記事をまとめてくれた。わりと取材がしこいので、このあたりでは、すっかりへんなやつということになっている記者さんだけど、記事はしっかりしたものを書いてくれる。
その記事にあった彼らのコメント。
「支援とかを考えてきてるんじゃない、ぼくたちは、ここに来るのが楽しいから来ている」
村には、いろんな団体が支援活動にやってきてくれていて、それはたいへんありがたいぉとだけど、支援活動が続いているということは、その地が支援すべきかわいそうな土地だということになる。
どんな人とどんな人であれ、その立場はお互いに対等でありたい。助けてほしいときには助けてほしいのだろうけれど、ほら、介護を受け始めると、それで張り合いがなくなってロウソクの火が消えたみたいになってしまうお年寄りってけっこういるじゃないですか。彼らは過疎の村を助けに来てくれてるんじゃない、お楽しみに来てくれている。彼らが来ると、なんだかんだと気ぜわしくて忙しいけれど、彼らの笑顔を見て幸せになれる。そのギブアンドテイクがあれば、みんな幸せになれるはず。
