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若嶋屋さんに行ってきた
つい先日、お誕生日にお持ち帰りのうなぎを食べたばっかりだけど、その話をしたら遠路はるばる、娘2号がうなぎを食いにやってきた。……というわけでもなくて、お祭りの手伝いにこっちへやってくるという友人の車に乗っかってやってきた。やつの目的は、うなぎだ。
そんなこんなで、今回はわざわざ出向いていって食べようとした。お祭りの日、てきとうに抜け出して夕食にうなぎを、と考えていたのだけど、電話してみたら、でかけちゃってて、帰ってからうなぎを焼くから7時すぎになるということで、一度は断念。でも、だったら7時すぎに行くベーと、6時ごろになって再度電話をしたら、なんと、ウナギが売り切れになりましたと……。ほ、ほんとか。
かように、この界隈の昔ながらのお店で目的を達成するのは困難なことが多い。村の飲食店なんかは、お店の都合で開いたり閉まったりするもんだから、ちゃんとそこで食べられればラッキーてなもんだ。この鰻屋さんの場合はさて。
さてしかし、鰻屋さんなんてものは、多少お店のわがままが表に出てくるくらいでちょうどいい。そういう意味では、このお店の残念なところは、どこで焼いているのやら、うなぎを焼く煙が外に漏れ出てこないことだ。小野町の狭い路地にある老舗だから、うなぎの煙は自分ちの中だけで完結させていたのかなぁ。ずるい。
おっと、話が後先になった。売り切れになったうなぎは、そんなにすぐに補充ができるもんかしらと心配になってしまうも、ようやく翌日の昼前に予約ができて、うなぎを食べようと思い立ってから20時間後くらいに、無事、念願のうなぎにありつけることになった。めでたし。
この何年か、うなぎはうなぎ屋さんで食すべしと心に決めている。らんかくで稚魚がいなくなっているとか、いろいろ問題はあるんだろうけど、そこんとこの是非はともかく、子どもの頃にうなぎを食べるといえば、相当のご馳走であり、めったやたらに食べられるものではなかった。とっておきの日のとっておきのご馳走でが、ぼくにとってのウナギだった。
いまや吉野家でもすき家でもうな丼が食べられるご時世だけど、まず、あのうなぎはおいしくない。最初は、牛丼屋さんでうなぎが食べられるとはなんと幸せな時代に生まれたんだろうと思ったけど、おいしくないものを食べるのは不幸だ。ああいうところでは、値段相応の牛丼並み盛りとかをいただくのが幸せになれる。
おんなじ理由で、スーパーで中国製うなぎを買うのもやめました。ひと串250円くらいで買えた時代は、これまたなんていい時代なんだと思ったけど、おなじくらいの色つやのうなぎが500円をはるかに超える値段をつけていると、中途半端にお高くて食べる気がしない。
そんな紆余曲折を経て、うなぎはうなぎ屋さんで食べるのが、あらゆる点で幸せであるという結論に達した。うなぎが絶滅するのも困るけれど、うなぎが残っても、食べさせてくれるのが吉野家やスーバーばっかりでは、やっぱり不幸の極み。うなぎ屋さんには、ぜひ末長くおいしいうなぎを提供し続けていただきたいなあ。
実のところ、ぼくはうなぎは関西風の方が好きなんだけど、ここんちのはとことん関東風で、ふっくらと柔らかい。そしてそれがまたうまい。
ここんちのすごいとこらは、それでいてうな重の並が1,957円というお値段を維持していることだ。並といっても、うなぎの質がちがうんじゃない。並はひと串、上はふた串、特上は三串。でも特上は気をつけた方がいい。あまりのボリュームに、しばらくうなぎが食べられなくなるかもしれないから。
ぼくはこの前のお持ち帰りの時には上うな重を食べたけど、なかなかのボリュームだった。それで今回はお上品に並でいってみる。
それでも、ふつう以上にお腹いっぱい、うなぎ好きには大満足。そしてこのお値段なら、そこらのファミリーレストランで食べるのと、大差ないご予算でいけるってのが大喜びだ。
うなぎ資源の保全と幸せで豊かな食生活のために、1ヶ月に1度は、おいしいうなぎ屋さんへ行くのだと、あらためて決意したお盆の日のことでありました。