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トレイルマラソンの先兵をやった話
トレイルマラソンの
先兵をやってきました。
トライアルと山岳会の融合、
なんちって
2012年9月30日・群馬県川場村武尊山
ひょんなことから、連絡がありました。最初の連絡は最近流行のFacebookのメッセージ。最初はあやしかったけど、のっかってみることにしました。
群馬県でトレイルマラソンが開催される。ところが、熊の出没情報が多く、参加者の安全を確保が必要だ。それで、スタート前に爆竹を鳴らしてコースを一回りすることになった。自分はベータを持っているが、トライアルをちゃんとやったことがなく、元気な人の力を借りたいと。簡単に言うとこういうことでした。
トレイルマラソンってのは、最近はあちこちで開催されている評判のイベントです。このコースは、百名山の武尊山(ほたかやまと読む)の山頂を回る、過去20年、山田昇記念杯登山競争として開催されていたものです。山田さんは1989年に遭難した日本屈指のアルピニストでした。
マラソンのお手伝いもトライアルのいいアピールになるかなと思って、じゃ、腕のいいのを探してみます、ということになった。もちろん群馬県といえば、ヨッシーがいる。爆竹撒きながらコースを走破して、デモでも見せてくれればいいなぁなんて考えていたんだけど「その日は大事なペコトラです」と言われてがちょん。結局自分で出かけていくことになりました。ひとりじゃ心細いので、ニシマキのわがままなによくつきあってくれているBENさんもいっしょ。すいません。
BENさん、武尊山のルートの映像を見つけて「こりゃおれたちには無理だよ」とご心配の様子。そんなところは走らされないでしょうとのほほんとしているぼく。結論としては、そんな山の上は熊がいるエリアじゃないのでした。
一方、たまたまこの大会に出ることになっている知り合いに聞くと、トップの選手になると下り坂では20km/hくらいで降りてくるそうな。
「追いつかれないようにしてね」
と、ハッパをかけられました。追いつかれちゃったらかっこ悪いですねー。というか、追いつかれたら仕事にならず、トライアルの将来的にも具合が悪い。がんばらないといけません。
土曜日、コースを1周。レースは武尊山山頂を回る50kmクラスと、里山を回る25kmクラスがあって、50kmのスタートは朝6時。25kmは10時にスタート。頼まれたのは25km全部と50kmの半分くらい。さて、うまくいくでしょうか。爆竹撒いてるタイムロスもあるしねぇ。
走り始めてすぐ、これはなかなか楽しいお仕事だということに気がつきました。ミッション成功のプレッシャーはあるけど、基本、山を走るのが仕事だから、楽しくないはずがない。コースの一部には、500段もある神社の石段もありました。恐れ多い! ランナーのみんなに「オートバイが道を荒らしていった」なんて言われたらいやだから、アクセルワークはジェントルに。痕跡を残さないように精いっぱい注意を払いました。
それにしても、大会前日というのに、みんなそれぞれの仕事を淡々とこなしていて、ミーティングとか打ち合わせみたいなものはなし。スタッフの大半が群馬県山岳連盟の人たちだそうで、山の人は打ち合わせなんかなくなって動けるのかもしれない。なんとなく、日本離れした大会という印象ではありました。
てなわけで、土曜日の夜に、山岳会の人たちと初顔合わせ。スタッフの食事が用意されているからと顔を出したら、酒の席でした。飯の用意なんかなかったわけだけど、まぁ楽しかったからよしです。
山岳会的には、山道をオートバイが走ったらいやじゃないのかなと心配だったけど「ほー、走れるものだねー。あそこの上り下りもやってきたの?」とそれなりにくいついてくれました。勝手に山を走られたらこのやろうかもしれないけど、いっしょに酒を飲む相手は、あくまでもひとりの人間というわけですね。
ちょっと聞いてみた。
「山岳会のメンバーは出場されてるんですか?」
「昔は出てたのよ。当初は山岳競争だから、10kg背負うのが決まりだったんだけど、そういうのが流行らなくなってきた。それでトレイルマラソンとして再出発になった。岳連のメンバーが出なくなったのは、簡単に言えば勝てなくなったからよ」
「強いのは誰ですか?」
「劇場あがりだね。40kgの荷物を背負わせれば負けないという気持ちはあるけど、身ひとつで競走させれば、専門にやってるやつは強いよ」
劇場あがりとは競技場出身という意味でしょう。当初、山岳会が順位をつけるイベントをするのに違和感はなかったですか? とも聞いてみた。
「あったよ。おれたち、暗黙ではあいつが一番おれがその次、みたいな順位づけはあるけど、表立って順位つけるのは性に合わない。でも山田があんなことになって、なにかやらないとすまなかったんだね」
山田昇さんら3人は強風で飛ばされ地面に叩きつけられて凍っていた。岳連のみんなは、彼らの亡き骸を持ち帰った。実家の山田りんご園にある資料館には、その時の登山服が飾られている。
さて翌朝は5時に起きて、暗いうちからコースに出た。6時スタートだから、うかうかしてると追いつかれてしまう。夜明け前の山道は真っ暗。何度か薮に突っ込んでミスコースに気がついたりした。
それでも7時ごろには本部に帰ってきてまずまず。考えてみたら熊は神経質な動物だから、排気臭がなんとなく漂っているだけで近寄ってこないかもしれません。ぼくらの仕事が功を奏したのかは不明だけど、熊は現れませんでした。
一息入れて25kmコースを一回り。こちらも1時間ちょっと出回ってきて、時間的には朝飯前のお仕事になりました。ここでツートラができたら最高なのにな、というコース。ツートラとちがうのはハンドル幅以下のところがあって、林を抜けるのもめんどくさいということでした。
もしかしたら来年も頼むと言われました。いろんなところで、トライアルと社会がつながっていければいいと思います。