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映画を見る浪士たち
最近、あっちこっちでこの映画のことを書いている人がいる。
流行りものには拒否反応を示すへそ曲がりのニシマキだけど、あんまりみんながインディアンインディアンとつぶやいているので、つい様子を伺ってみた。やっぱり、おもしろそうなのであるぞ。
このところ、オートバイネタのおもしろい映画が多い気がする。ひょっとして、オートバイは旬なんじゃないか?
この「世界最速のインディアン」について書いている人たちはこんな人たち。
○小林ゆきさん
「世界最速のインディアン」〜これを観ずして何を見るのか
○風間深志さん(OFF1)
オフロード天国「世界最速のインディアン」
へそ曲がりのニシマキが興味をそそられたのは、この記事を見ちゃったからだ。
○ダートヌポーツ
「本田宗一郎」がここにいる! ホンダOBが駆けつけるある映画
この人には、いつもだまされてひきこまれてしまう。ちくしょう。またやられた。でも仕返しに、この人はニシマキにだまされて今度両神にやって来ることになっている。お互いさまである。で、紹介されていた記事がこちら。OBを試写会に呼んだのは配給会社の企画だろうけど、これを記事にするところは日経もにくい。
○日経ビジネスオンライン
「本田宗一郎」がここにいる! ホンダOBが駆けつけるある映画
記事から借用してきた写真がこちら。ホンダのOBたちがみんなでお座りして映画を見ている。あー、この人ももう引退されたんだ、というなつかしい顔がずらりと並んでいる。二列目の奥のほうにいるのは、モンテッサでコタ315の開発を立ち上げた宮田さんだ。
しかし、おっかない試写会だこと。記事の中で木澤さんは宗一郎さんのことを「お父さん」と呼んでいるけど、そんな呼び方してたかな。「おやじ」だと思ったけどな。でももしかしたら、小心者でがらっぱちの技術者たちは、外でひとに話すときには「おやじ」と呼び、社内では「お父さん」と呼んでたのかもしれない。
宗一郎さんに現場でとんかち投げつけられた人と仕事してると(これでも、HRCからお仕事をいただいていたこともある)こっちにもとんかち飛んできそうな殺気を感じたもんだ。いっしょに仕事しないでも、雑誌の仕事でこのへんのおっさんたちに取材するときには、いつでも自決できる用意をしていったような気がする(うそだけど)。若造時代に、ロサンゼルスにアメリカキャンプに取材に出かけた。そこでHRCの取締役だったM腰さん(3気筒NS500のLPLだったと思った)と酒の席でいっしょになったときには、仕事抜きの酒の席なのにやっぱり自決覚悟だったような気がします。だいぶお酒が進んだ頃に、M腰さんは言ったもんだ。
「ニシマキさん、ホンダレーシングとつきあおうと思ったら、酒が飲めなくっちゃいけません」
侠客映画かなんかにすぐ殺されるチンピラの役で出演している気分でした。田中誠一先生(中嶋悟や樋口久子のトレーナー。藤波貴久や宮里藍のトレーナーの鎌田先生の師匠)が隣でカナディアンクラブを飲んでたっけ。よく生きて帰れたもんだ。
ぼくがロードレースのパドックや研究所の応接室に出入りしていたのは80年代初頭で、ホンダイズムなんてことばはなくても、ホンダイズムがむんむんしていた。みんな、赤穂浪士のような技術者たちでした。今、にこやかに並んで映画見てるのが、なんだか不思議だ。
(くやしいから、タイトルには「世界最速のインディアン」とは入れないでおきました。へそ曲がりで、すいません)