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2点差で夢と消えたルーキータイトル、氏川湧雅
2013年GC大会優勝、2014年国際B級チャンピオン。頂点へ向けて、着々と駒を進めていた氏川湧雅。2015年国際A級に昇格しても早々に初優勝を決めてランキングトップに躍り出た。最終戦を7点差のランキングトップで迎えた氏川は、ルーキーチャンピオン誕生かと期待を受けていた。しかし氏川の最終戦はほろ苦い思いを残して、ルーキーチャンピオンは夢と消えていった。
氏川は、2012年の自転車トライアル世界チャンピオンだ。7歳の時から本格的に自転車トライアルに取り組み、世界選手権へも遠征していた。本人はもう少し早くオートバイに乗りたかったらしいが、オートバイ転向の条件が世界チャンピオンになってから、だったそうだ。
ちょっと厳しい条件だが、その血統を思えば納得もいく氏川を(自転車の)世界チャンピオンにしたのは藤波由隆さん。2004年世界チャンピオン藤波貴久のお父さん、そして氏川のおじいちゃんでもある。氏川は貴久のおねえちゃんの長男だ。
2012年自転車世界チャンピオン、2013年トライアルGCチャンピオン、そして国際B級チャンピオン。毎年ひとつタイトルを獲得していく氏川は、まさにサラブレッドの風格だった。
ただし2014年、氏川のIBチャンピオン獲得劇は、そんなにスムーズには運ばなかった。自転車時代からのライバルであり仲間である久岡孝二と、毎回1点を争う優勝争いを展開していて、最終戦では2点差のビハインドを持って臨んでいた。開幕戦から第4戦北海道大会までは、氏川と久岡の二人で1位2位を分けあった。まず久岡が2連勝、氏川が1勝し、続いてまた久岡が勝利。第5戦で久岡が4位、氏川が勝利して、ここで初めて氏川がポイントリーダーとなるも、第6戦中部大会で久岡が勝利、氏川が2位で、再び久岡が2点差のポイントリーダーに。
流れは完全に久岡のものだったが、最終戦はドラマだった。氏川が勝利して、久岡はなんと10位に。2点差はあっという間にひっくり返り、氏川の大逆転タイトル獲得劇となったのだった。
氏川を国際B級チャンピオンとしたおじいちゃんは、孫かわいさ故にこんなことを言う。
「湧雅はノミの心臓」
なんということのないところで減点をする氏川のトライシーンは、あまり珍しいことではない。その要因が、メンタルの弱さにあるということだ。やさしいし、繊細な性格は悪いことではないが、トライアル的には、それでは困るらしい。
それでも、最後に勝利をしてチャンピオンを獲得したことで、運を呼びこむ実力があることを証明した氏川だった。土壇場の大勝負で勝利。メンタル的にも一皮むけたかも。2015年の国際A級での活躍は、さてどうなるか。
氏川のデビュー戦は4位だった。優勝岡村将敏、2位本多元治、3寺澤慎也に続くもので、いずれ劣らぬベテランばかりだ。国際A級に昇格したライダーは、たいていは数年修業を積まなければ上位進出はむずかしいのだが、そこはサラブレッドのこと、開幕戦から上位に入ってきた。
続く第2戦近畿大会、氏川は10位となる。クリーンセクションの第1セクションで1点をついたところから始めた戦いだった。この分ではまだまだ修業が必要なのかもしれないし、世界選手権日本大会を翌週に控えて応援に駆けつけたおじさん藤波貴久のプレッシャーに負けてのこの結末だったのかもしれない。
それでも、第3戦九州大会では見事に初優勝を決めてからの氏川の快進撃は見事だった。九州、北海道と連勝し、どろどろの中国大会、原瀧山では苦労をしたものの岡村に次ぐ2位。中部大会でも優勝して3勝目を挙げ、チャンピオンとなるべき風格も漂い始めていた。そして迎えた最終戦だった。
7点差で臨むタイトル決定戦。7点差ということは、ライバル岡村が優勝したら、氏川は4位以上でタイトルを決定できることになる(4位なら同点。優勝回数が同じで、2位入賞回数で氏川が上位となる)。勝たなくても、4位以内に入れば、岡村の成績にかかわらず、チャンピオン。同じ日にタイトル獲得に挑んだ小川友幸より、ちょっとだけ条件が有利だ。
IASと同じく、第1から第5まではクリーンセクション、岡村は第2、第3でちょんちょんと足をつき、1ラップ目のトップは第5までをオールクリーンした寺澤となった。対して氏川は、第2で5点、第3で1点、さらに第4で5点と、前半だけで11点を失ってしまった。この日の勝負で、この減点は痛い。勝てなくても、4位にまで入れれば目的は達成できる。しかしライバルが多いだけに、4位を狙うのは、優勝を狙うより作戦ははるかにたてにくい。
結果を見ると、1ラップ目の氏川は13位だった。そこからようやくエンジンがかかって、2ラップ目は2点でまわってきた。2ラップ目だけで見ると、トップタイの成績だ。2点で2ラップ目を回ったのは、氏川、岡村、磯谷玲。この日の岡村が調子がいいというのは、どうやら明らかだった。それならなんとしても4位に入らなければいけない。ただし2ラップ目の時点で、トップを守っていたのは寺澤だった。2ラップ目の時点で、岡村と寺澤は6点で同点となっていた。
3ラップ目。ようやく、1セクションから5セクションまでをクリーンして、最後の追い上げにかかる。結果表を見ると、2ラップ目が終わった時点での氏川は武井誠也、徳丸新伍とともに同点3位だった。武井も徳丸も2セクションで1点をついたから、5セクションを終えたところでは、氏川は単独3位に駒を進めていたのだ。
悪夢は、後半の第8セクションからだった。第8、第9、第10の3つのセクションは、今日のセクション群の中では少し足をつきやすい設定だった。ぱさぱさの土の斜面で、足を取られやすい。特に9セクションは、クリーンが一人も出ていない難セクションだった。ただ、8セクションと10セクションは、その中ではクリーンは出しやすかった。そこで、氏川は2点と1点を失っている。9セクションも2点。前半をオールクリーンで守ったのに、後半3セクションで5点を失ってしまった。
武井と徳丸は、この後半3セクションを、9セクションの2点だけでおさめている。この3セクションで、3点を逆転された。5位だ。5位となっても、寺澤がトップを守ってゴールすれば、氏川のタイトルは安泰だった。しかし寺澤は、第2と第9で5点を取って、優勝争いからは後退してしまった。岡村優勝、氏川5位。目標としていた4位までは、あとたった2点だった(あと2点少なければ、4位と同点
になる)。
結果、ランキングポイントでもたった2点差で、氏川はチャンピオンになれなかった。
もしも寺澤が3ラップ目にミスをせず、岡村を下していれば……。いやいや、そんなあなた任せでなくても、全体に、どこかで2点、3点足つきが少なければ……。3ラップ目の第8セクションの2点がなかったら……。1ラップ目にやらかしたふたつの5点のうち、どちらかひとつでもクリーンだったら……。
氏川がチャンピオンになれるチャンスは、そこここにあった。けれど今回の氏川は運を拾えなかった。
「負けました。ぼくは5位です……」
試合後の氏川は、言葉少なだった。表彰台に現れた氏川は、少し目を腫らしたように見えた。チーム監督の三谷知明さんは、そんな氏川を「今日は泣く日でしょう」と見守った。
くやしさをバネに、氏川はオートバイ転向4年目にして、2016年、日本の最高峰クラスに挑戦する。