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ヤマハがFI投入、黒山健一がデビューウィン
ヤマハと黒山健一が、ニューマシンをデビューさせた。2006年にTYS250Fを投入して以来、ざっと10年ぶりのニューエンジン。これで全日本のトップ争いは、FI(フューエルインジェクション)対決。そしてそのデビュー戦、黒山は見事な逆転勝利を飾った。
ニューマシン投入は極秘裏に進められていた。開発が具体的に進んだのは今シーズン序盤。今シーズンの黒山は1勝こそしているものの、好調の小川友幸には歯が立たずという戦いぶりを披露してしまっていたが、その裏にはニューマシン開発に精力が傾けられていた、ということもあったのかもしれない。
登場したマシンは、TYS250Fiと命名されていた。TYS250F(このFはFourストロークのFだと思われる)にinjection仕様の「i」が追加された名前でもあり、あるいはフューエルインジェクションのFiなのかもしれない。木村治男さんによると、お好きなように解釈してください、ということだった。
ベースとなっているエンジンはYZ250F。エンジンの腰上(シリンダーから上)は従来モデルと同様にも見えるが、こちらは4バルブ。ミッションなどのパーツも前モデルとの共通点はなく、トライアル用のミッションなど、すべて新たに造られたものだという。そしてこのエンジン、前方から吸気、後方に排気する後方排気システムで、シリンダーが後方に傾いている。
YZではエキゾーストパイプはシリンダー後方からシリンダーを横に1周してマシン後方に向かっていたが、TYSではシリンダー右側でぐるりと1周している。
ステアリングヘッドのすぐ後ろにはインジェクションボディなどがあり、燃料タンクはその後方になる。従来モデルに比べるとずいぶん下に位置することになり(重心位置に近いように見える)リヤサスの横からフューエルポンプで燃料を吸い出している。
後方排気は、排気系よりむしろ、吸入経路がストレートに配置できるため、エンジンの効率がよくなるのが第一義の利点という。
フレームは従来型を踏襲している。このフレームは2016年シーズン初頭にリンクを装備して登場したもの。ニューエンジンに合わせてフレームを刷新する選択肢もあったかと思われるが、開発を容易にするため、今回はエンジンに限定して変更したのだという。
FIのセッティングは、今回はヤマハの技術者によりおこなれていたが、ヤマハのセッティングツール(「Power Tuner」を利用して簡単にできるようになる予定だ。土曜日には、ライダーのあらゆる要求に応えられるように、データ収集が頻繁に行われていた。
これまで、黒山の4ストロークエンジンといえば、不正爆発をしているような排気音がトレードマークのようにもなっていた。あるときはこれが原因で勝利を逃したこともあるが、音と性能は関係ないこともあった。けれど見ている者にとって、なんとなく心配させられる排気音であったのは確かだった。今度のTYS250Fiでは、もちろんこんな音はない。スムーズに吹け上がる。それで当然なのだが、特に今シーズンは、久々にエンジンに手を焼いている黒山の姿が散見されていたから、黒山にとってもこのエンジンの登場は朗報だ。
去年まで黒山は、このマシンについて不満を言ったことがなかった。基本設計的にはもう10年も乗り続けているものだし、車重もある。ライバル小川友幸が乗るのは世界選手権のチャンピオンマシンだから、ハンディは大きい。それでも黒山は、このマシンとともに戦うことを楽しんでいるようだった。
ところが今年、黒山のコメントは少しちがっていた。2位になっても3位になっても、できることは精いっぱいやった、今の状況でできることはこれがすべてと、勝利を逃していることを甘んじて受け入れるような発言が目立ってきていた。今思えば、その影に次に控えている新エンジンへの期待があったのではないか。
インジェクションとか、後ろに傾いたエンジンを載せたりとか、そういう開発はやってないんですか? と木村さんにうかがったことがある。答えは「やってないわけがないじゃないですか」というものだった。こんな愚問はない。メーカーたるもの、ありとあらゆの方向の実験をし、開発をし、勝算のあるものを世に出してくる。開発をやっているからといって、はたして出てくるのかどうかは、謎のままだ。
はたして今シーズン、このニューマシンの話は厳重な機密だった。黒山は練習風景などをSNSで紹介しているが、そういえばいつの頃からか、マシンの全体像が見えなくなっていた。動画もなかったでしょ、とアシスタントの二郎氏に言われて、うかつだったとくやんだけど、あとの祭り。動画でこのマシンを映せば、外観上もさることながら、エキゾーストノートでそれとわかってしまったことだろう。
トライアル・デ・ナシオン(TDN)は、つい3週間前のことだった。パドックで、木村さんはかつての開発話の裏話をいろいろ聞かせてくれた。海外での時間は、日本と空気がちがうから、少し口も軽くなるのかなと楽しく聞かせていただいたけれど、その裏にはもっと重大な秘密があったのだった。
TDNでデビューはできなかったんですか? とも聞いてみた。TDNには世界中のジャーナリストがいるから、ニューマシンをアピールするのには絶好の舞台だったはずだ。それを木村さんは否定はしなかったが、しかしなにが起きるかわからない開発中のマシンを、少ないスタッフで支えるのはちょっと冒険だったとも語ってくれた。インジェクションを担当する二人の専門家も、メカニックを担当する平田さんも、TDNにはいなかった。ニューマシンのデビューというより、ふつうの戦いの条件としても厳しいくらいだったから、TDNのデビューはありえないことだったのだろう。
それにしても、シーズン終盤にしてのニューマシン投入である。黒山の苦戦を解消させるために、一刻も早いカンフル剤が必要だったということもあるだろう。しかし同時に、小川友幸の4連覇がほぼ確定的となり(小川が6位に入ればタイトルは決まる。これはまず逆転は不可能だ)、黒山に失うものはほとんどない。テストを繰り返して2017年シーズン開幕戦でデビューさせる選択肢もあっただろうが、実戦テストはなによりの実積となる。2016年終盤戦の2戦を走ることで、2017年のタイトル奪還はより具体化できるという判断ではなかったか。
試合展開は、黒山と小川との接戦だった。1ラップ目の足つき減点は同点。黒山には4点、小川には1点のタイムオーバーがあり、それがそのまま点差となった。2ラップ目、第1をクリーンして幸先のいい黒山だったが、後半には排気音が不整脈を打ちはじめた。なんだかこれまでのモデルの排気音の再現のようなシーンだったが、これは念のために追加したスイッチの動作不良だったという。開発中のマシンの一過性のトラブルだ。SSに入る前にもこの症状が出て、トライに間に合うかどうかが心配されたが、スイッチを取り外して無事SSを走り、ニューマシンのデビュー戦が黒山のシーズン2勝目となった。
しかし黒山は今回の戦いに満足していない。走るシーンを見ていても、アクセルの開け方と出てくるパワーにちぐはぐな面が見受けられた。
「インジェクションにはまだまだ慣れていません。今までのマシンではいろんなことをして走っていました。インジェクションでは、小川さんの走っているのを見ればわかるように、もっと静かなアクセルワークがあっています。そこは、ぼくが慣れていかないと……」
黒山は自らに不足しているところを、正直に告白してくれた。しかしそれでも勝利をした。ぎりぎりの勝利。小川陣営的には、11セクションでのあり得ないミスがあれば、小川の連勝が続いていた試合展開でもあった。
今年、黒山はこんなことを語っていた。
「勝つときにはどんなことがあっても勝てていた。それが負けはじめると、なにをやっても勝てない。やるべきことがあるうちはやれるけれど、全部やってしまって、それでも勝てないのはつらい」
勝てなくてもいい、来シーズンの布石となればという心積もりもあって臨んだ大会だった。26セクションの戦いのうち、22セクションまでは負けていた。しかし23セクション目に逆転をし、そのまま逃げ切った。
黒山に勝ちパターンが戻ってきた。勝ちを連れてきたのは、ニューマシンだった。
ゴール後、ひとしきり涙とともに勝てない日々を振り返った黒山は「よし」とかけ声とともに立ち上がり、チームのみんなと抱き合い、喜びをわけあった。そのときは、もう笑顔満点だった。