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藤波貴久、優勝へのステップ

表彰式。ファハルドの負けっぷりは、実にさわやかだった
「今日はファハルドが優勝かなぁ」
最終12セクションを下見中に、藤波貴久がつぶやいた。ジェロニ・ファハルドは、日曜日はずっと好調だった。試合が始まってすぐ、どちらかというとクリーンセクションの第1セクションで1点をついてしまったファハルドだが、その後はずっとクリーン。難セクションの岩盤もぬたぬたの第8セクションも、ややこしい最終セクションも全部クリーン。これはなかなか真似ができない。
圧倒的王者トニー・ボウはといえば、第7セクションで謎のエンスト。それが王者のメンタルに影を落としたか、土曜日に比べていきやすくなった第8セクションの最後のポイントであえなく5点。すっかりおかしくなってしまって、この日の優勝候補ではなくなっていた。

乗れていたファハルド。岩から落ちながら華麗に3点で抜け出た。第7セクション
ファハルドはその後も絶好調だった。ファハルドの1ラップ目1点に対し、4点で2位につけたのが藤波だった。3位がアダム・ラガで8点。このあたりは充分に逆転のチャンスはあるが、ファハルドが足をついてくれないことにはどうしようもない。
2ラップ目第7セクション、ファハルドの走りがわずかに乱れて、3点となった。しかし追うべき藤波もここで3点。ファハルドの失点はないも同然。ラガは2ラップ目に5点を二つ取って後退した。ボウが2ラップ目を1点ひとつで追い上げるも、1ラップ目が18点だから、まず優勝にはほど遠い。
ファハルドの2ラップ目の減点は第7セクションの3点だけで、藤波はさらに第5で1点、最終セクションで2点を加え6点。2ラップ目が終わって、ファハルド4点、藤波10点。3位にはボウが上がってくるも、19点。5点のひとつふたつでひっくり返る試合展開ではあったが、ちょっと膠着状態で3ラップ目に入った。

セクションをアウトしてから、セクションに戻ってきた小川友幸にラインを聞いている図
第4セクションは名物の岩盤の一番上。ノンストップ向けにアレンジしたらしい、目立つ難所はないけれど、全体がむずかしい。藤波が特に気にしていたのは、最後のポイントだった。今までも何度か使われたゾーンではあるが、このラインは初めてで、しかもノンストップだから、これまでとはまた別のむずかしさがある。
1ラップ目2ラップ目と、藤波はここで1点を取っている。1ラップ目は、ちょうど下見をしている藤波の前で、黒山健一、小川友幸が次々にトライした。セクションをアウトした両選手が、パンチをもらいながら藤波にセクション状況を解説する。ガッチは、マシンをそこに倒してもう一度藤波のところまで降りていってラインを解説した。黒山は「こっちからいったらこう、こっちからいったらこう、そっちからいこうと思っているなら、そこをそんなふうに抜ければ、後はぜんぜん問題ないわ」と藤波の気持ちを盛り上げた。
その光景で、思い出したシーンがあった。自転車の世界チャンピオンになった健一少年が、まだ大物でなかった頃の貴久少年に自転車を教えるシーンで、生野涼介さんが製作したテレビ番組だった。そこで健一少年は、こうやってこういうふうに走れば大丈夫、こわくないから、と教えていた。もはや黒山と藤波は、テクニックを教え教えられる関係ではないのだが、このシーンは、藤波の大舞台に向けての大事な布石となった。
岩盤セクションは、近年の藤波にとって、鬼門となることが多かった。今回は第4、第5セクションが岩盤に設営されていたが、土曜日の藤波はこの二つのセクションで3ラップ合わせて22点を失っている。小川友幸や黒山のアドバイスで走ったこの日最初の第4セクションは、1点だった。
この1点で藤波はファハルドに並ばれ、次の第5セクションでの1点で逆転された。トップはその時点では絶好調でオールクリーンのボウ、2位が1点ひとつのファハルド、3位が2点の藤波で、ラガとは同点で並んでいた。
土曜日に比べると、藤波の走りっぷりはずっといい。
「トニーにも、練習ではノンストップがあんなにうまいのに、いったいどうしたんだと言われた。もうちょっと自信を持ってもいいのかなと思いなおした」
と、土曜日の藤波。スペインでの練習では、ボウがノンストップで抜けられないセクションを、藤波が何度でもクリーンして、最後にはさすがのボウも怒り出してしまったという。そんなことがあって「ノンストップはチャンス」と宣言していた藤波だが、土曜日の結果は誰にとっても予想外の残念だった。どのライダーにとっても初めてのノンストップ。どこまでならクリーンなのかと、探りを入れながらのトライアル。最初から自信たっぷりに走れたライダーなどいないとはいえ、藤波はちょっと慎重になりすぎたようだった。

藤波、ボウ、ラガ。結果を知っていると、藤波が一番自信たっぷりに見えてくる
土曜日に比べて、という点でいえば、藤波に増して好調なのが、ファハルドだ。時差ボケなのか風邪なのか、もてぎに到着したファハルドは、絶不調だった。だから土曜日の5位という結果は、それでもラッキーだったのだそうだ。それが日曜日は、起きてみたらすっかりからだが復調していた。それで朝から調子よくトライが続いている。なんと、1ラップ目は第1セクションで1点となった以外、残る11セクションをすべてクリーンした。
対して、日曜日に驚くべき乱調を見せたのが、王者ボウだ。第7セクションではエンストで5点となった。エンストに対してのルールは以前と変わりなく、足をつかずに、あるいは動き続けている状態で始動できれば減点はないのだが、今年からは足をつかずに再始動ができても、止まってしまったら5点になってしまう。
それでもたぶん、この5点だけなら、ボウはいつもの調子を取り戻して勝利に突っ走れたにちがいない。第7セクションの後、第8セクションでの5点は、ボウ乱調の象徴的なシーンだった。第8セクションは、土曜日には難セクションのひとつで、前半のぬたぬたの岩場、中盤の大岩、最後のコンクリートブロックと、難関が目地押しだった。せめて3点で抜けようと、最後のコンクリートブロックを迂回して攻めるラインをとるライダーが続出。日曜日は、カードの位置が変更されて、そのかわりコンクリートブロックの下に丸太が敷き詰められて多少抜けやすくなっていた。その甲斐あってか、日曜日はこのコンクリートブロックに限っては、多くのライダーがクリーンで抜けていた。そのポイントで、ボウが落ちた。ボウの1ラップ目は18点で、野崎史高と同点の6位だった。

3ラップ目最終セクションでのボウ。これは1点。5点だったら表彰台脱落だった。
ボウが優勝戦線から脱落していったのは、ライバルにとって絶好のチャンスだ。アウトドアはインドアほどではないにしろ、ボウの圧倒的優位は揺るぎない。土曜日の結果を見る限り、ノンストップルールの採用もなにも変化がないように見えた。しかしまだ、その結論は出ていない。
アルベルト・カベスタニーは、ボウより先に5点を連発して脱落している。トップ争いはファハルド、藤波、そしてラガ。土曜日に比べると土が乾いて少し走りやすくなったかのセクション群は、彼らになかなか失敗をさせない。藤波もボウもがまんのトライを続けるが、ファハルドのクリーンは2ラップ目第6セクションまで、実に17セクション連続となった。こんなに好調でいられたのでは、なかなかそれを上回るのはむずかしい。
2ラップ目の第7セクションで3点をついたファハルドだったが、ファハルドにとってラッキーだったのは、藤波もまたここで3点。ラガはその次の第8セクションで5点となって、少しずつだがトップ争いの点差は開いてきている。2ラップ目が終わって、トップはファハルドで4点、藤波が10点、ラガは11セクションで5点となって4位に後退。3位には19点でボウが浮上してきた。ボウは、2ラップ目をたった1点で抜けてきた。この勢いなら、あるいは勝利のチャンスもあるのかもしれないが、それにつけてもファハルドが足をついてくれないことにはどうしようもない。
試合が少し動いたかと思えたのが第4セクション。藤波が1ラップ目に散々悩んでいたポイントで、ファハルドがあえなく5点となった。この日、初めての5点。これで、藤波に1点差に迫られた。
ところが次の第5セクション、藤波が、これまたこの日唯一の5点となった。難関の最後の絶壁ではなく、手前のざくざくの登りでの5点。ノンストップルールでは、こういう5点のリスクがそこここに隠れている。これでトップ争いはふたたび6点差になった。ファハルドが第4セクションで5点になった時、藤波は第5セクションを下見しているタイミングだった。だが藤波は、ファハルドの5点を知らなかった。

もうここ何年も、藤波は努めて周囲の状況を知らないままに試合を進めるようにしている。監督は戦況を把握しているが、それを藤波に教えることはない。それが藤波の試合のスタイルとなっている。3ラップ目、勝負がラストスパートに入っても、それは変わらない。ただし藤波は、かたくなに情報を遮断しているわけではない。風の知らせに、ファハルドが何点か減点したというのは聞いていた。それでもまだ、ファハルドのリードには余裕がある。
3ラップ目終盤。優勝争いをしている実感はある。ファハルドは、藤波のすぐ前を走っていた。目の前で、次々とクリーンしていくライバルに対し、同じようにクリーンを続けるトップ争い。どちらか、がまんができなくなった方が負けになる。初めてのノンストップルールの元での、むずかしい神経戦になった。
ハローウッズの山を下りてきて、ハローウッズの玄関先に設営された二つのセクション。ひとつめは土の登り、最後が、水の流れる岩盤だった。この一つ目で、ファハルドが5点を取った。目の前でのことだったから、藤波もしっかり見ていた。ここを藤波はクリーンして、点差はぐっと縮まって、わずか1点となった。
しかし藤波は、1点差という戦況は知らずにいる。周囲の空気で、トップ争いが僅差であるのは感じていたが、藤波の勝負の相手は、ファハルドでもライバルでもなく、目の前のセクションだった。
やがてファハルドがトライにかかった。いまだトップはファハルドだから、最終セクションをクリーンで抜ければ、藤波のがんばりもここまで。ファハルドの優勝が決まるはずだ。
池をぽんと飛んで、処理のむずかしい岩場を上がり、タイトなラインどりでいったん下まで降りて、岩盤を登り、岩の置かれた斜面をまた登る。最終12セクションを、ファハルドはこの日は2回ともクリーンしている。藤波はクリーンと2点。分は、ファハルドにあった。
「今日はファハルドが優勝かなぁ」
藤波がつぶやいた。しかしその目は、いまだ勝負を捨てていなかった。その目前で、ファハルドがていねいに、慎重なトライを見せつける。この日の好調をあらためて示すように、そのライディングは完璧だった。

最終セクションで5点になった瞬間のファハルド
藤波の目の前を通過して、最後の登り。マシンをポンと振って岩の上に後輪を落とし、間髪を入れずに加速する。そのスタートポイントは、何台ものライダーが加速してわたちができていた。
ファハルドの後輪が、激しく空転したのはそのときだった。まさかの、やってはいけない失敗だった。後輪が滑りながら、しかしすでにマシンを動き出している。止まれない。そのまま加速を続けるファハルドだったが、マシンは岩を越えずに動きを止めた。
その場で天を仰ぎ、頭をかかえるファハルド。それはこの日初めて、藤波が単独トップになった瞬間だった。ただしもちろん、藤波の最後のトライはこれからだ。藤波の減点次第では、まだファハルドの勝利の目もある。

シレラ監督のスコアノートをのぞき込むファハルドとマインダーのカルロス。藤波はなんとなく蚊帳の外にいる
シレラ監督が藤波を呼ぶ。監督の指示は「とにかく抜けろ」だった。抜けろ、ということは3点でもよい、ということになる。しかしファハルドは、藤波の耳元でこう言った。
「おめでとう、これをクリーンすれば、きみの優勝だよ」
それはファハルドのしかけた罠だったのかもしれない。藤波は、聞こえないふりをして下見を続け、マシンのところに戻った。いよいよ最後の勝負だ。ファハルドはゴールに向かわず、藤波のトライを見守っている。
水の流れる池を飛び越え、岩を登り、さらに登って下る。そこまではファハルド同様に、まず完璧なライディングだった。岩盤を登るところで、わずか右側にバランスが崩れ、足が出た。
「負けた」
藤波は一瞬考えた。ファハルドのことばが、どこか残っていたのかもしれない。しかしもちろん、ここで勝負をあきらめることはない。優勝を逃したとしても、2位争いもそれほど絶対安全という点差ではなかった。負けるにしろ勝つにしろ、ベストを尽くす以外にない。

藤波が1点で最終を抜けた瞬間。大喜びのジョセップと2位が決まったファハルドの渋い顔
ファハルドが失敗したポイントを、藤波は美しくクリアした。1点。勝負はどうなったのか。周囲が、わいている気がする。藤波は、そこにいるはずのチームスタッフを探したが、最初に声をかけてきたのは、ファハルドだった。
「おめでとう」
ファハルドは、藤波に指示を出していたシレラ監督のスコアブックを見ていて、その点差を正確に把握していた。最終セクションを1点で抜けた藤波は、ファハルドに3点差で、3年ぶりの世界選手権勝利を手にしていた。日本大会での勝利はゼッケン1をつけていた2005年以来だから、実に8年ぶり、ということになる。
ノンストップはチャンス、2013年は、藤波のことば通りになるのか。今回の藤波は4位と1位。思い出せば、世界チャンピオンになった2004年、開幕戦での藤波の成績は、優勝と4位だった。