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日本のニュース

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日本で強い藤波貴久



夢奈ちゃんと登る
表彰台のてっぺん

 間もなく、日本GPがやってくる。
 世界選手権トライアルが日本で開催されるようになって、今年で7年目。トライアルは、草大会でも全日本でも、どれもとてもおもしろいけど、なんといっても世界選手権。あたりまえのようだが、そこに揃う顔ぶれはみんな世界のトップランカーだ。これは絶対に見逃してはいけない。
 そしてもうひとつ、見逃してはいけない理由がある。


 世界選手権日本大会、ウイダー日本グランプリの見どころは、なんといっても藤波貴久だ。ぼくら雑誌屋も、毎年「フジガス」「フジガス」と声高に目玉商品として押し上げているが、もちろん藤波貴久ひとりが日本GPのスターではない。でもこの男、人一倍、人十倍、期待にたがわぬ活躍を見せてくれる。はらはらドキドキさせるのもお約束なのだが、それ以上に見せてくれるから、フジガスファンはやめられない。
 ちょっと時代考証をしてみる。2000年、はじめて日本GPが開催された時からこれまでの日本GPでの成績と世界ランキングの相関関係だ。

●藤波貴久の日本GPでの成績とランキングの相関関係

シーズン ウイダー日本グランプリ ランキング
土曜日 日曜日
2000 2 2 2
2001 2 2 2
2002 1 2 2
2003 1 2 2
2004 1 1 1
2005 1 3 2
2006 ? ? ?

 藤波は日本GPで、毎回表彰台に乗っている。これは藤波だけがなしえた偉業だ。しかも2000年から2004年まで、の成績は、一度も後退していない。そして日本で両日とも優勝した2004年に、念願の世界チャンピオンになっている。

 2005年、4ストロークマシンとの慣熟に悩んだシーズンは、日本で挽回を図ったが、はじめて3位と“低迷”してしまった。日本GPと世界選手権のランキングは、ものの見事にリンクしている。2005年の試合内容は、けっして悪くはなかったのだが、その年の結果を見ると、日本GPのリザルトが見事に反映されてしまっている。藤波が世界チャンピオンになるには、日本GPで2日間ともにパーフェクト勝利するのが世界チャンピオンへの必要条件ということになる。
 この表は、ランプキンにたいする藤波の獲得ポイントをパーセンテージにして表してみた。これを見ると、ランプキンの獲得ポイントに対して、藤波が(1998年をのぞいて)ぐんぐん接近しているのがわかる。そして、ランキング4位だった1997年の65%に対して、ランキング2位の1999年は獲得ポイントが71%でしかない。この年、ランキング2位にはコロメが来るのが順当だったし、あるいは黒山健一が入ってくるべきだった。藤波の実力は、実際のランキング順位より、ランプキンに対してのポイント割合のほうが正確に表現しているように思える。藤波がランプキンにとって驚異の存在になったのは、ランプキンにたいするポイント割合が9割に近づいた2002年以降といっていい。そう、2002年といえば、日本GPで藤波が初優勝した年だ。

●藤波とランプキンのポイント比率

シーズン 藤波貴久 ランプキンの
ポイント
ランプキン:藤波の
ポイント比
ポイント ランキング
1996 67 7 162 41
1997 230 4 354 65
1998 209 5 351 60
1999 277 2 392 71
2000 290 2 379 77
2001 255 2 328 78
2002 266 2 298 89
2003 290 2 308 94
2004 282 1 266 106

 次の表は、この6年間の表彰台獲得数を一覧したものだ。この6年間のうち、藤波とラガが1回ずつチャンピオンになっているが、4回はランプキンが王座に就いている。その結果と比較すると、藤波の日本GPでの強さが際立っている。
 しかし逆に考えると、日本GPでの藤波は強くてあたりまえ。世界チャンピオンを楽々獲得するには、日本GPでは、いやになるほど強くなければいけない。これは、ものすごくプレッシャーだ。

●日本GPでの表彰台獲得回数

ライダー 1位 2位 3位
藤波貴久 5 6 1
ドギー・ランプキン 5 4 2
グラハム・ジャービス 1 1
アルベルト・カベスタニー 1 3
マルク・フレイシャ 2 2
アダム・ラガ 2
黒山健一 1
ダビッド・コボス 1
スティーブ・コリー 1
マルク・コロメ 1
マルセル・ジュストリボ 1

 2000年、はじめて世界選手権が日本で開催された時、藤波本人はいざ知らず、いっしょに転戦しているお父さんやお母さんは、この年の実力を実質ランキング3位と踏んでいた。1999年はマルク・コロメの不調によって、意外な形で勝ちえたランキング2位だった。まだまだ世界2位の実力はない。
 ところが日本へきてみると、キャッチフレーズは「目指せチャンピオン」になっていた。実力的に、2000年の目標はランキング2位をキープすることがメインテーマだったはず。それが日本では「打倒ランプキン」になった。あおったのはホンダだったりもてぎだったり、もちろんぼくらをはじめマスコミだった。オリンピックに参加する選手に向かって「メダルを期待しています」と送りだすみたいなもんだ。
 藤波応援団と化したツインリンクもてぎで、藤波ファミリーはとっても萎縮していた。三重からは、藤波家が観光バスを仕立てて観戦にやってきた。身内からしてプレッシャーをかけてくる状況になってしまって、日本GPは藤波ファミリー(お父さんとお母さん)にとって、とってもやりにくい大会になった。
 ところが本人は少しちがった。大歓声を受けて、どんどん気合いがはいった。チーム的には「ランプキンとトップ争いをしている」というのは、当時は充分以上に素晴らしい試合運びだったけど、もちろん外野はそれだけは許してくれない。
 ライダーに戦況を伝えるかないしょにするか、チームスタッフにとって、これはむずかしい選択だ。戦況を知って、調子を崩してしまうライダーは少なくない。
「1点差でトップに立った」
 こんな情報を受けて、チームはまた悩む。実況中継をしていた小林直樹さんも、戦況をどこまで放送すべきか、選手に伝えるべきか、本来の仕事とは別の次元で悩んでいた。
 こういうのが、同朋選手へのえこひいきである。採点そのものはあくまでも厳正だが、ジャーナリストや関係者が、チームにいろんな情報を与える。イギリス人のカメラマンは「さっきトライした藤波はこんな失敗をしたから気をつけるように」なんてランプキンチームに最新情報を伝授したりする。情報源が多いという点で、自国での戦いはやっぱり優位に立てる。ときどきオブザーバーまでも自国のライダーに情報を提供したりするが、このへんになると厳正かどうかはちょっとグレーになってくる。でも「誰それはそっちの岩をあがってクリーンしたよ」なんてのは、どこの国のどのオブザーバーも教えてくれる。それを信じるかどうかはライダー側の裁量だから、採点が公平であることが大事なのだと思う。
 話が横道にそれました。戦況について、試合後に藤波に聞いた。
「戦況を聞かされても、問題はない。むしろ、聞きたかったな」
 藤波は、前向きのプレッシャーがかかってこそ、どんどん燃える男である。

 ところがそんな藤波でも、やっぱりプレッシャーに押しつぶされるシーンがある。鮮烈な記憶として残っているのは、2003年の最終戦と2004年の最終戦だ。2003年は、チャンピオン候補として戦いにのぞんだ。そして負けた。2004年は、チャンピオンをほとんど手中にしてのぞんだ。タイトルは獲得したが、試合は負けた。
 日本の大観衆の前でひるまなかった藤波が、ここでチャンピオンになれるという一世一代の大舞台では、すべてが固くなった。世界チャンピオンになるということは、やっぱりすごいことなのだと、この現場を見て、あらためて痛感させられたものだった。2002年には日本GPが最終戦として開催されたが、このときに藤波がチャンピオンを争っていたら、どんな試合ぶりを見せただろうか。

 そんな藤波だが、2005年はたいへんな不遇の1年を送った。4ストロークの新しいマシンに乗るということは、やはりたいへんなことだった。
 根も葉もないうわさ話として、2005年はアダム・ラガがモンテッサに入るという話題があった。ところがラガの条件は「2ストロークに乗せろ」で、これで話は流れたという(その話が本当なら、ラガは最初からモンテッサと契約する気はなかった、ともとれる)。結果的には、2ストロークを選んだラガの選択は正しかったことになる。
 ただし、それは4ストロークのポテンシャルの問題ではない。2005年シーズンが終わって、モンテッサ4RT(ワークスマシン)にジョルディ・タレスが試乗する機会があったという。タレスはこのマシンに驚嘆し、4ストロークの高性能をあらためて知ることになった。
 世間で思われているような4ストロークと2ストロークの性能差はないと断言していい。ただしライダーは、まだまだ2ストロークの乗りかたが染みついている。20世紀の世界選手権で4ストロークマシンが最後に勝利したのは1987年のイギリス大会だった(ライダーはスティーブ・サンダース)。藤波は、そのとき7歳で、自転車に乗っていた。トライアルライダーとして物心ついた頃、周囲から4ストロークマシンは消え去っていた。
 2005年開幕戦。チャンピオンゼッケンをつけての初めての戦い。藤波は、ここでまたはじめての緊張に包まれた。ゼッケン1番の重み、ニューマシンをデビューさせる緊張。追う立場から、追われる立場への変化。
 その結果、藤波は低迷して、ランプキンが勝利した。ランプキンが勝利するのだから、マシンのポテンシャルが充分であるのは明らかだったが、ランプキンとて、最大のコンセントレーションを持ってこの大会にのぞんでいた。初めて尽くしの藤波の闘いは、まったく楽なものではなかった。シーズン中には、途中までトップにつけながらぼろぼろに崩れて8位に低迷したフランス大会など、どうした藤波と思わせる試合がいくつもあった。2005年は、藤波にとって、そういうシーズンだった。しかし藤波の実力が劣ったわけではない。その証拠に、日本GPでは土曜日に見事に勝利している。しかしあと一歩の詰めが甘かった。その証拠に、日本GPの日曜日に、破れている。
 それでも2005年、ランキング2位となった藤波は、トップライダーとしての誇りを2006年にかけることになった。


ポルトガルに駆けつけ、
藤波の人差し指を
サポートしたドクター・ピムさんと
彼もまたトライアルライダーだ

 2006年開幕戦。しかし藤波はチャンピオン争いどころではなかった。指の負傷については、いろんなところで触れてきた。要するに、折れちゃったのである。周囲で地団駄を踏むしかない外野の立場からすれば「インドアもアウトドアと同じ体制で参戦できないものか(2006年型の開発をしつつ、インドアには2005年型で参戦した)」「最初の負傷の際に、きちんと骨折の兆しを発見できなかったものか」「ケガのあと、テストなんかしないで、ちょっとおとなしくしていられなかったものか」といろんな悔いがある。
 しかし藤波は、少なくともそういう悔いを、いっさい表に見せない。なんとか、ケガに対しての後悔を聞きだそうと水を向けるが、藤波からはついに後悔の念を聞きだすことができなかった。反省はするけど、後悔はしない。藤波貴久の活躍の秘密が、少し見えたような気がした。
 しかしその一方で状況を聞くと「やばいです。ほんとにやばい」と言葉少なだった。いつものなら、どんな状況でも「なんとかなるでしょ」と明るいのだが、さすがにこの時はなんとかなると思えなかったのだろう。開幕戦スペイン大会は、痛い痛い人差し指を温存し酷使し、痛みに耐えて、ときには耐えられずに絶叫しながら、6位に入った。この6位は、けっして低迷ではない。リタイヤも考えながらの試合参加だったから、優勝にも匹敵するものだ。



激痛を覚悟で飛び降りる

「五体満足で走らせたかった」
 と、この大会、サポートにやってきた三谷英明は語った。スペイン大会のセクションは、まさに藤波のためにあるような構成だった。ダイナミックでテクニカルで滑る。序盤、指が動かないながらも藤波が2位につけたのは、藤波自身は「みんななにしてんやろ?」と思ったというが、けっしてフロックではなかったのだ。
 このときは、実は藤波の大きな変化には、あまり気がつかなかった。よく考えてみれば(よく考えなくても)トライアルライダーにとって、左手人差し指が使えないというのは致命的なことだ。もしかしたらエンジンが動かなくなったに等しいかもしれない。その状況で6位である。序盤に2位だったからなおのこと「6位かぁ」と思ってしまったが、これはとてもすごいことだったのだ。



開幕戦終了直後。
はじめて
「もう乗りたくないと思った」
と語った。

 それを思い知ったのが、第2戦のポルトガル大会だった。このとき藤波の指の状態は「よくはなっているけどまだまだ」で、試合以降一度も使っていなかった指は、またすっかり動きかたを忘れてしまっていた。スペインでは「第2戦では優勝を狙う」といっていたが、ポルトガルの金曜日の時点では「ちょっと優勝は無理かもしれない」と弱気。というより、藤波は自分の状況について、大ぶろしきを広げることはない。できることをできると言い、そのとおりにやってしまう。できないことをできるとは言わない。ただし、たいへんに前向きではある。
 ポルトガルで、藤波にはなにかが乗り移ったような気迫が感じられた。藤波自身、語っている。
「スペインで、指が痛くてそれどころではないというのもあったけど、勝負についてはなんにも考えることなく試合を進められた。それはそれで、とても楽だった。こういう試合の進めかたもあるんだなぁと気がついた。ポルトガルで、同じような戦いができると、おもしろいことになりそう……」


ポルトガルGPの
第8セクションを
クリーンした直後
おっかないほど
近寄りがたい気迫の表情

 はたしてポルトガルでは、達観した試合運びができたのか。ランプキンが、勝負を意識して1回の足つきで逆上するシーンがあった。そこを藤波は「みんな滑っているし、ぼくも滑るだろうなぁ」と言いながらクリーンした。ライバルとではなく、セクションと勝負している。2006年型の、さらにさらに強い藤波が、そこにいた。
「2004年と同じような感覚が、今の自分にはある」
 と、藤波は言う。2004年と同じ?
「2004年には、ライバルの調子が、よく見えた。今年もそんな感じ」
 今年の藤波の強さは、2004年と同じではないと見る。もっともっと、強い。世界チャンピオンになり、それを失ったくやしさが、さらにバネになってもいる。シーズン直前の骨折も、またひとつのきっかけになった。
「でも今年は、それに加えて、試合の流れが見えるような気がする。こんな感触は、これまで感じたことがなかった」
 そう。2006年の藤波は、試合を見渡すことができるようになっている。かつてなく強い藤波貴久。今年の藤波は、見落としてはいけない。

ツインリンクもてぎのウイダー日本GP関連のページ

藤波貴久インタビュー
http://www.twinring.jp/wctrial/interview/index.html

全日本TOPライダー対談(黒山、田中、小川)
http://www.twinring.jp/wctrial/talk/

2006ウイダー日本グランプリセクションガイド
http://www.twinring.jp/wctrial/section/

タレント水野裕子トライアル対談
http://www.twinring.jp/motegi-style/interview/08_01.html

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