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レプソル・ホンダ誕生
ホンダの2014年レース体制が発表になった。トライアルに関しては、基本的に2013年までの体制と変わらず、海外はトニー・ボウと藤波貴久の2名体制によるワークス参戦、国内は小川友幸と柴田暁を擁するHRCクラブミタニのサポート体制としての参戦となるが、今回目立たないところでの大変化が、海外でのモンテッサからホンダへのチーム名変更だ。
ホンダとモンテッサの関係は、簡単に言ってまったく同じ。モンテッサはスペインの老舗のオートバイメーカーだが、ホンダの援助を受けて再建して、現在はスペイン・ホンダとなっている。
しかしスペインのトライアルファンにとって、モンテッサというブランドは心の魂のような存在。これがホンダブランドとなるのはしのびなく、モンテッサの名前を残してトライアルマシンを販売し、トライアル活動をしていたという背景がある。
ベルギーを本拠地としたエディ・ルジャーンの時代はモンテッサとは関係がなかったが、1997年にマルク・コロメが世界チャンピオンとなったマシンは、モンテッサCOTA315Rで、同じく参戦を開始した藤波のホンダRTL250Rとは同一のマシンながら、名前を異にしていた。1999年にドギー・ランプキンがチャンピオンとなったのも、モンテッサCOTA315Rだった。
藤波は当初はホンダRTL250Rという名前のマシンで世界選手権を戦っていたが、間もなくモンテッサチームの正式ライダーとなってCOTA315Rのハンドルを握ることになった。といっても、全日本で走ることがあれば、まったく同じマシンがホンダRTLとなるわけなので、それはほんの命名の問題だけなのだが、世界選手権にはメーカータイトルがある。まったく同じマシンであっても、ホンダとモンテッサはメーカータイトルを争うライバルだった(実際には、ホンダは参加者が少なくランキング上位には出てこなかった)。
ホンダがメーカーとしてレース活動を縮小した際も、ロードレースとトライアルは活動が継続された。ロードレースはレプソル・ホンダ、トライアルはレプソル・モンテッサ・ホンダというチーム名になっていて、それを自然に受け入れるトライアル関係者とか自然山通信読者の皆さんとかはともかく、ホンダ関係者的には不思議な印象もあったのかもしれない。
今回、その不思議な感じがなくなって、トライアルもロードレースと同じく、レプソル・ホンダ・チームとしての参戦となることが発表された。
マシンが変わるわけでもなく、ライダーの移籍話でもなく、話題としては地味だけれど、名前が変わるのだから、それなり大きな話題にはちがいない。