雪は降ったって春は春。シーズンは開幕してます。えいえいおー

忘れてくれてけっこうだ

1503_12入学式のH

東北の山奥、なかなか春がこない寒村でも、少し暖かい日が続いて、なんとなく春らしい日になった。いや、ゆだんしちゃだめ。このあともう一度か二度、そこそこの量の雪が降ったり、寒の戻りとかいっちゃって、きゅっと寒くなったりするんだけど、ともかくその日だけは温かいみたいな日に、小学校の卒業式がおこなわれた。

テレビで観た人はいるかなぁ。東北とか福島の限定放送だったのか、川内村小学校の今年の卒業生はたったひとりしかいなかった。

1503_12入学式の村長2012年の入学式。取材陣が初めて大挙してやってきたとき

 ぼくは週に1度、放課後に子どもたちと遊んでいる。責任あるお仕事という気もするけど、子どもたちと遊んでいるだけだし、ときにはおじさんうざいからいっしょに遊ぶな、なんていわれたりするので、なんとなくその場にいるだけだ。でもおかげさまで、これまで縁のなかった、50歳も年の離れた村人仲間がずいぶん増えた。

1503子どもたちのお散歩あぜ道近ごろ野村の子どもは、あぜ道で遊ぶなんてどっちかというと珍しい

今年の唯一の卒業生はCちゃんという。テレビでは顔写真も名前もどかんと出てしまっているので、ぼくが匿名にするのは偽善かもしれないけど、ぼくにはどうしても彼女の名前を世界中に発信する気になれない。これまでも、亡くなった方をのぞいて、名前を公にしたことはない(もしかすると、そういいながらつい書いちゃったというのもあったかもしれない。遅まきながら、見つけたら修正します)。ぼく自身、今の個人情報法の乱用で個人について語るのがえらくめんどくさいことになっているというご時勢にはへきえきしているのだけど、それとこれとはちがうと思う。村なんて小さなところだから、テレビに出なくたって彼女の存在は村人みんなが知っている。だからといって、日本全国、さらには世界中にその名前と姿を公開する必要はないと思うのだ。おそらくニュース番組は学校や教育委員会とかに許可を求めてOKをもらっているのだろうけれど、それにしたって、という思いはある。

という愚痴はまぁ置いておいて、Cちゃんは聡明な女の子だ。初めて会った時には4年生で、そのときもたったひとりの4年生だった。5年生は4人ほどいたから、その仲間に入れてもらって遊んでいることが多かった。ここではふつうの小学校より、はるかに縦のつながりが絆深い。上級生たちにとって、下級生たちは大事な妹であり弟になる。ときには本気でけんかをしながら、ときには小さい子どものわがままを聞いてやったり、あるいはそのわがままに怒りまくったりしながら、子どもたちは子どもたちなりの縦社会と横社会を経験していく。あぁでも、Cちゃんに横社会はなかった。なんせ、たったひとりだから。彼女が卒業式の時に読み上げた一文に、感動的なものがあった。「一人だけど一人じゃない、さびしいけれど、かわいそうじゃない」。それはCちゃんの個人的な境遇でもあったけれど、村が置かれているいろんなことが凝縮されているように思えた。

1503_12入学式の新1年生2012年の小学校の新入生は、この4月には4年生になる

ところで。ぼくはCちゃんの未来に大いなる幸あれと願っているひとりだし、彼女はこれから大きな世界に旅立っていくのだろうけれど、でもテレビを見ている限り、すなおになれないぼくがいる。中学を卒業したみんなは、高校へ行くのに家を出ていったりもするのだけど(出ていかない子もいる)、小学校を卒業した子は、まず村の中学に進学する。卒業はいつも喜びと涙のセレモニーだけど、どこにいくわけでもなくて、同じように村にいて、通う学校は変わるけれど、放課後には今までと同じようにピアノ教室とか塾に通って、同じ通学バスで帰っていくわけなので、ぼくらにとっては彼女とのふれあいが大きく変わるわけではない。

2011年以前、村に注目している人といえば、福島発信の新聞とか、全国紙の地方支局員さんくらいで、たいていおざなりな村の情報をもってお帰りになるだけだった。震災直前には富岡高校川内分校の閉校式というのがあって(この高校が閉校になっていなかったら、きっと村と双葉郡の将来は変わっていたはずだったけど、震災のたった10日前に閉校とした高校をもっかい復活させるというふうには、誰も動かなかったのが不思議でしょうがない)、このときには10人くらいの取材陣がやってきたろうか。ずいぶんたくさん取材が来たなぁという思いがあったので、そのわずか10日後から始まる取材狂想曲はまさに隔世の感があったもんだ。

いまや、川内村はテレビにとっても新聞にとってもときの政府にとってもはずせない存在になってしまって、ことあるごとにいろんな人がやってくる。天皇陛下までいらしていただいたので、もうこれ以上、ほとんど誰が来ても驚かない。ローマ法王とかダライ・ラマとかはまだ未来村だけど、こうなると、キリスト様やお釈迦様でも来ないことには、もう驚きは残ってない気がする。

取材陣はちょこちょこと誰かが村にいて、その動向を見守っている。震災を忘れないは、今までも、これからも、ずっと大事なことだと思う。だから誰かが村に目を向けて続けて、いろんな変遷を見守っているのはありがたいことだと思う。

だけどだけど、もうやめてくんないかなと思ってしまう自分がいる。ぼく自身は、取材は自分の商売だから、他人の取材ぶりを観察するのはきらいじゃない。顔見知りの記者さんがやってくるのは、お友だちが訪ねてきたみたいな喜びもある。

でも、忘れてほしくないのはあなたたちではなくて、テレビや新聞の向こうにある、日本全国の赤の他人の人たちなんだ。その代表として、あなたは村に来ていろいろ話を聞いてネタを集めているんだろうけれど、はたしてちゃんと忘れないための情報発信ができているだろうか。デスクに削除されちゃったり、思うような放送時間がとれなかったり、いろいろ悲しいことはあるだろうけど、結果、ちゃんと伝わらなかったら、まぁ、もうしわけないけど、ムダだということだ。

1503子どもたちのお散歩Y家たったひとりの卒業生の弟、妹たる下級生たち。放課後にお散歩に連れ出したとき

微力ながらがんばっている、のかもしれない。でもそれがかえって、福島には原発が爆発して放射能をかぶったかわいそうな地域があって、その村はまだまだずっと苦しんでいる、まぁあのあたりはもう復活しないで滅びていくんだろうね、という思いを全世界に伝えていくことになってる気がしてならない。

ぼくらはさびしいけれど、かわいそうじゃない。もう忘れてくださってもけっこう。もしかしてマスコミの皆さんは、ぼくらのことを同情するふりして、視聴率や売り上げがほしいのじゃないかしら。それだったら、ぼくらは彼らの財布の中で踊らされているピエロになってしまうものね。

ぼくらの、村が望んでいるのは、いろんな意味で元通りの世界だ。そこには認めたくないけれど福島第一、福島第二が再稼働してくれて、富岡や大熊の町が昔の勢いを取り戻してくれることも含まれる。それが心情的にも物理的にも許されない今、どこからどこまでが変化を望み、どこが変わらないでいけるのか、それはとてもむずかしい。

Cちゃんがひとりで小学校を卒業しなければいけなかったのは、Cちゃん自身の選択ではなく、世の中の大人がそういう世の中を作ってしまったのだということを、もう一度思い出してほしい。もう、ずっと忘れないでいてほしい、なんて思わないからさ。