雪は降ったって春は春。シーズンは開幕してます。えいえいおー

合掌、根津さん

1987根津さん

訃報。根津甚八さんが亡くなられた。
根津さんとはちょっとだけ同じ時間と空間を過ごさせてもらったことがある。写真はほとんど残っていないけど、こんな写真が出てきた。

1987年ファラオラリー。アレキサンドリアの港からギザに向けてリエゾンに出発するところじゃないかと思うけど、詳細は忘れてしまった。

1987根津甚八さん

根津さんが乗っているのはヤマハTDR250。それを石井さんのところがチューンしてくれて、なかなかのスペシャルマシンになっていた。といってもTDRは当時はまだ発売前だったかな?

このマシンに乗ったのは浅井明さん、風間深志さん、根津さん、そして宇崎竜童さん。この4人は風間さんのオートバイ友だちというか、釣り仲間だった。そういえば、風間さんと根津さんとは、雑誌の取材で釣りにも同行させてもらったっけ。どこかの釣り場に夜のうちに入って、早朝渓流釣りをしたっけ。

TDRは浅井さんと風間さんはともかく、宇崎さんと根津さんには速すぎるマシンだったんじゃないかと思う。宇崎さんは初日に転倒して肩を脱臼してリタイヤ、根津さんは苦しみながら走って、数日後にリタイヤされた。

宇崎さんはケガをされたんですぐ帰っちゃったけど、根津さんはリタイヤされたあともラリーコースから離れてキャンプを追いかけてきてくれた。そういうキャラクターなのかとも思ったけど、あんまり楽しそうじゃないのが気になった。

そういえばどこかで風間さんに「西巻くんたちは楽しそうだなぁ」と言われたことがあった。風間さんはいつもにこにこしているから充分楽しそうに見えるんだけど、その風間さんよりぼくらは楽しそうだったらしい。こっちはお金が(あんまり)からんでない。楽しい、楽しくないって、たぶん、そういうことだったんじゃないかと思うんだけど、よくわからない。

エジプトからパリに帰る飛行機で、ぼくはたまたま根津さんと隣同士になった。エジプトには映画の好きな観光客もいらして、根津さんはサインをねだられたりもしていたんだけど、今日はプライベートだからとお断りしていたっけ。

根津さんはパリまで、いろんな話をしてくれた。ぼくら(ぼくと三好レイコさん)は、風間さんの言うように楽しげに(細かく言えばそれはそれなりにいろいろあったんだけど)ラリーを完走していたから、ちょっとコノヤロウと思う気持ちもあったんじゃないかと思うんだけど、一般人でも業界人でもない中途半端な立場のぼくなんかは、話し相手としてはちょうどよかったのかもしれない。

ほんとはもっとのんびりとエジプトを旅するようにラリーを走りたかったけれど、話がどんどん進んじゃってこんなことになっちゃった。みんなみたいにラリーを楽しみたかったなぁ、なんて話をしてくれたんだと思うけど、細かいところはもう忘却の彼方だ。

その後、交通事故があったり病気になったりとたいへんだった。たまたまレイコさんのところに遊びに行ったら、根津さんがお忍びで息抜きに来ていたことがあった。ぼくは確かトライアルの体験会をやるんでオートバイに乗っていたんだけど、体験会の参加者は根津さんが来てることは知らないまんま。家と敷地が広いと、こんなことができるんですね。で、根津さんちのお子さんをトライアルマシンのタンクに乗っけて、ちょっとフロントを上げてみたりして遊んだりした覚えがある(それくらいのことはできるんだ)。

参加者のみんなが帰ったあと、初対面ではないということで根津さんともお茶をした。知り合いというほどおつきあいがあったわけではないけど、根津さんにとっても、エジプトでいっしょにオートバイに乗り、山奥の川でいっしょに泊まって渓流を歩いた仲間の一人というのは、それなりに記憶に残してもらっていたのかもしれない。ごぶさたしています、久しぶりだね、お元気ですか、いまはこんなだけどね、みたいな当たり障りのない話をした覚えがある。

根津さんは、風間深志さんの率いるMAC(Motorcycle Adventure Club)の仲間だった。風間さんは、自身の冒険の悲喜こもごもを、楽しそうに語る。あの語りに誘われたら、自分も冒険に出かけたくなる。風間さんが日本人初出場したパリダカールラリーやル・トゥケの様子は、遠く日本に運ばれてくるまでにますます風間さんの楽しそうな笑いが加わって、魅力的に印象づけられるのだった。

根津さんも、風間さんの語るオフロードの魅力に魅かれて冒険の扉を開いた一人だったのかもしれない。エジプトの砂漠の根津さんは、楽しい冒険をしきったようには思えなかったけれど、天国へ行ったら、オフロードも砂漠も渓流も、もっと存分に楽しんでください。ほんの少しでしたが、いっしょの時間を過ごさせていただけて、ありがとうございました。