2017年お正月。昼間、のんびり帰ってきたので、久しぶりに富岡のあたりを見てみようと思った。
震災5年を過ぎて、ようやく富岡も復興の動きが出てきている。どこへ向かおうとしているのかは、よくわからないけれど。
富岡は、震災前のぼくら川内村の住民にとっては、暮らしのいろいろをになう町であり、原子力発電の拠点的存在でもあった。第一原発は双葉町と大熊町の境にあって、第二原発は富岡町と楢葉町の境にある。富岡町と大隈町は隣接しているから、楢葉から双葉まで、原発立地町村がずらりと並んでいることになる。なにより、常磐線特急スーパーひたちが止まるのが富岡駅だったから、原発立地の町村の中でも、富岡が拠点だったのじゃないかと思う。富岡には、マクドナルドもケンタッキーフライドチキンも、警察署もハローワークも市場もあった。
これは、富岡の駅前。富岡駅は津波にのまれて、駅舎もなにもなくなった。そして線路には流れついた乗用車がひっくり返っていて、それが何年も放置されていた。自動車は持ち主がいるから、第三者が勝手に処分することはできないし、もしかすると持ち主は亡くなっているかもしれない。震災処理のむずかしさのひとつだが、津波被害に遭ったのは東北全般いっしょだから、このあたりの後片づけが遅れていたのは、一にも二にも原発事故の影響といっていい。
それでもさすがにほったらかしではまずいし、富岡町も帰還の動きが始まって、そうなれば話は早いようで、急速に整備が進んだ。どう処理されたのかはわからないけど、線路に転がっていた自動車はなくなり、線路も駅もいったん取り払われて、新しい町づくりが始まったかに見える。
向こうに見えるのは海だから、津波は直撃だったことがわかるけれど、海からわずか100メートルか200メートルのわりには、このあたりの被害は(よそに比べれば)大きくはなかったように思う。なんせ、画面の真ん中には家屋が一軒、残っている。波は家の中を抜けていったはずだけど、今でも壊さずに残っているということは、もしかするとこのまま住み続けられるのかもしれない(家主が存在しない、取り壊す気がない、ということかもしれないけど)。
地図を見るとわかるけれど、常磐線は富岡駅のあたりで、ぐーんとカーブをして海に寄っていって、またカーブして山の方に向かっている。富岡町が海の近くで栄えていたから、駅も大回りをして海に近づいていったのだと思われる。常磐線も、もっと仙台に近いほうでは、津波にやられたレールを放棄して、山のほうに線路を移している。このあたりもそうなるのかと思ったら、そのままのところに線路を敷きなおすらしい。町の復興計画とか、その判断根拠はいろいろあるのだろうけれど、津波はこわいから高台を作ろう、生活は山に近いほうで再建しようという、震災当時のブームがひとしきりおさまったから、元通りの場所での再建計画も出てきたんじゃないかと勘ぐっている。このあたりにも、もしかすると無機質でうすら高い防潮堤とかも作られないかもしれない。津波の心配はあるけれど、あんなものがなければ景観的には震災前のものが戻ってきたという気にはなりそうだ。
駅の海側、いわきよりには、仮設の焼却施設がつくられていた。膨大な除染ゴミの容量を減らして、その後の処分を容易にするためには、こういう設備は不可欠だ。富岡は川内村なんかよりは放射線量の高いところが多いけれど、それでも大半は数μSv/hほどの汚染だから、そこを除染したものも高が知れているとぼくは思っている。でも町外れの、海の見える平地にこんなものがあったら、ちょっと気味が悪いという感情は理解できる。まぁ、そもそも原発のごく近所に住んでいたわけだから、それはよかったのかというつっこみもあるかもしれないけど。
常磐線の再建は着々と進んでいた。どうやら線路も道床も敷きなおしているらしい。正月休みだったから、踏切になる予定らしきところからいわき方面を眺めてみた。線路はまだつながっていない。この地に常磐線が再開するという政治的意味合いはいろいろあるだろうけど、この線路の先に上野がある、東京がある。双葉郡の人たちが、そういう思いでまだつながっていない線路を眺めていたのは、明治30年ごろだった。その120年後に、同じような思いを抱いてこの線路を見ることになるとは、文明も皮肉なものだ。
常磐線の線路から、知り合いの家を訪ねてみた。といっても、本人たちはいない。それは2013年の桜が咲く頃のことで「夜ノ森にサクラサク」というのを書いた。興味があったら、そっちも読んでみてください。
この家は、駅を見下ろす高台にあって、ちょっと分かりにくい。立ち入る人もほとんどいないんじゃないかと思う。上がってみると、知人の家は以前とほとんど変わりなく、そして周囲の家の何軒かは、取り壊しを受けたようだった。「わたしは帰りたいの」と言いながら家の手入れをしていたおばちゃんは、はたしてどうしたんだろうか? 誰もいなくなった敷地の片隅に、ユズの実がなっていた。こっそり持ち帰って村の食品検査に出してみたら、30Bq/kgほどだった。セシウム134はND、セシウム137がその数字だったということだけど、充分に低いと思う。冬至の頃にいただいてきて、お風呂に入れてあげればよかったなぁ。
今、富岡は、除染と震災整理と再開発の真っ最中だ。夜ノ森駅周辺はまだ人が入れないことになっているけど、常磐線が開通する頃には事態は変わってくると思われる。しかし、震災時の風景が薄まってくるにつれて、何気なくこの地を訪れる人も出てくるのだろう。町のいたるところにこんな看板が立てられていた。道の先に突然穴があったりすることだってまだまだ考えられる。道なのか道じゃないのかもよくわからないところもある。イノシシや猪豚や、さすがに牛やダチョウはいなくなっただろうけれど、いろんな動物が自由を満喫しているはず。
これから、この町がどんなふうに復興していきたいのかはわからない。放射線値そのものは、それほど強烈に高いとも思えないけれど、一度荒れ果ててしまい、すっかり見捨てられたこの町に、もう一度かつての賑わいを取り戻そうというのは無理難題だと思う。なんせ賑いの原動力だった原子力発電所が、ぼろぼろになってお荷物になっているのだから。
富岡には、それでもホームセンターができて、食事ができる店も入っている。お正月なのでそんなお店の探検はしてこなかったけど、すっかり足が遠くなってしまった富岡だけど、ときどきは様子を見に行かないといけないな。