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廃炉への未知

1409廃炉と関係ないうさぎ

原発の廃炉が進んでいる、と報道は言う。等身大の第一原発を作ってメルトダウンした燃料を取り出し方の研究も始まるらしい。うまくいけば、それはそれは素晴らしい。

だけども、ぼくらが誰かの家に呼ばれて晩酌になると、廃炉まで30年、40年で終わるのかね、という話になる。ぼくはもともとそんなこと信じてないけど、純情でオカミの言うことを信じやすい村人たちも、さすがにそりゃないだろうと思い始めている。

その理由をここで並べてみる気はないけど、逆に、予定通り40年で廃炉が完了するという人は、なにを根拠にしてるのか、心配になってしまう。

まぁいいや。廃炉が40年先でも、おそらくぼくはその結末を見届けられない。ぼくに関係がありそうなのは、村のあちこちにできた放射性廃棄物の仮置き場の期限である3年が、ぼちぼち過ぎようとしてることだ。その先の中間貯蔵建設のめどがたってないのだから、3年の約束は確実に破られる。

中間貯蔵施設ったら、仮置き場から最終処分場に持って行く、その間に設けられる施設だ。

なんでそんなめんどくさいことするのかね。最初から最終処分場を作って持っていけば、話は簡単だと思うじゃないの。

中間貯蔵施設はすったもんだのあげくに第一原発の近くに建設されそうな雰囲気だけど、最終処分場は福島県外に作るという約束があるらしい。ほんまかいな。福島県が最終処分場を望んで作るとは思えないけど、福島県以外がお望みになるなんて、もっとあり得ない。

ぼくはずっと、そういうのは最後には金で解決するしかなくて、そうそう、石原大臣が金目だなんだと言って大顰蹙だったけど(あれは中間貯蔵施設の話だけど)、その通りなんだと思うよ。被災者の気持ちを逆なでしてたり、政治家としてのココロが歪んでるとか、いろいろ思うことはあるけど、事実は事実だ。うんこたれと言われて喜ぶ人はいないけど、うんこたれない人はいない。

石原さん以前には斑目班目さんも、おんなじこと言ってた。原発建設が金で動いたように、その後始末も金でかたをつけなきゃいけないってことなんだと思う。

その金目をつりあげるためか、もしくは金の問題から視点をそらすために、のらりくらりとやってんじゃないかなぁと、ぼくはずっと思ってた。でも、そうじゃないんじゃないかって、最近気がつかされた。

最終処分場ってのは、当然だけど地殻がしっかりしてるところにしか作れない。しかしそれは国際的なお約束なんだそうだ。

原発そのものを活断層の上かもしれないところに作っちゃうのはよくて、最終処分場がより厳格というのも少し解せないけど、最終処分場は向こう何億年とそのままでいてもらわないといけないわけなんで、40年で廃炉にする原発より、もっと厳格な基準が適用されるのは当然かもしれない。

確かな地殻というのはなんだいというと、これが水が出ないということなんだそうだ。いま、うちの村では井戸を掘る人が多いけど、だいたい50mほど掘っている。50m掘れば、水が出る。いや出るだけなら、出るとこなら3mでも出る。日本中、水の出ないところなんて、まずない。こりゃ、最終処分場は日本には作れない、保管料がいくらになるのかしらないけど、フィンランドのオンカロにお願いするしかないんじゃないか。

そういえば、最終処分場は福島県外に作るとは言ってるけど、福島県ってのは宮城県かもしれないけどフィンランドかもしれないしウガタラ共和国かもしれないわけだ。誰も国内で、なんて言ってないんじゃないのかなあ?

1409廃炉と関係ないうさぎ果報は寝て待て……

原発廃炉も、なんか似たような話があるみたい。原発をやめられないのは、原発やめたら製造業は壊滅的打撃をくうとか、心底信じてる人は山ほどいる。ほんとにそうなのかもしれないけどね、

でも2011年以降、燃料代は高くなっているのかもしれないけど、原発抜きで日本の電気がなんとかなっていることも事実なのに、原発がなければ日本は死に絶えるという説が幅を利かせているのはどうしてなんだろう?

もしかして、そんな理由ではなくて、原発をやめられない理由が、別にあるんじゃないだろうか。

たとえば、すでに存在してしまっている使用済み核燃料とプルトニウム。プルトニウムってのは核爆弾の燃料になるからといって、持ってるだけで諸外国からチェックが入る。持ってる側の自分のことを棚に上げてる感もすごいけど、それが今の世の中のふつうなんだからしょうがない。

これで一気に原発をやめちゃうと、平和利用しないプルトニウムをただ保管しているだけになってしまう。だって使い道がないんだもん。そこまで考えてなかったんだもん。どうしたらいいのか教えてほしいんだもん。と諸外国に泣きつけばいいのだろうけど、外交とはも相手に弱みを見せたら負けだから、日本はプルトニウムの平和利用に尽力し続けます、と言い続けなきゃいけないんじゃないだろうか。

でもプルトニウムの使い方なんて、プルサーマルか核爆弾くらいにしかないんじゃないの? 知らないけど。だからプルトニウムの平和利用をするというには、原発はなくなってもらっちゃ困る。

最終処分の方法が決まってないんだから、使用済み核燃料の保管にも困っている我がニッポン。第一原発の事故でも、使用済み核燃料が次なる脅威として話題になったけれど(今でも脅威は変わらない)、処理方法が決まってないから、原子炉建屋に保管しておくしかない。原子炉建屋がいっぱいになっちゃったらどうするのかというと、新しい原発を作って、保管場所を確保するしかないんじゃないのかしら。

知恵も技術もない人類が手を染めちゃった原子力発電だから、まともに収束しようというのは無理なんだと思う(少なくとも現代の人類には)。未来の賢くなった人類に解決策を考えてもらうとして、いまどき、諸外国の顔色なんか窺っている場合じゃないと思うのだけど、もし顔色を窺う必要があるのなら、北朝鮮みたいに原発やんなきゃ経済が立ち行かないから原発作ります。だからプルトニウム持ってます。それでいいでしょ、と言い続けて、原発もじゃんじゃん再稼働するしかないんだと思う。ただし、定期点検とかいろんな事情があるから、原発の稼働率なんて限りなくゼロにしておけば、めんどくさい使用済み燃料もこれ以上増えなくて済むんじゃないかな。

と、国のえらい人が考えていてくれたとしたら、ちょっとは救えるだけどね。