雪は降ったって春は春。シーズンは開幕してます。えいえいおー

井戸掘狂想曲

1410井戸掘り1201
1410井戸鉛救出劇

 先日、うちの水が丸一日出なくなった。生きていくのに水は大事だから、水が出ないのは死活問題だ。生きるか死ぬかの局面にたたされたのは、うちと、うちの大家さんの二世帯だった。
 そのたった1日の報告をしたいと思ったのだけど、話の発端はやっぱり原発事故と、それ以前の村の暮らしからつながっていた。だから長い話になってしまいそうだぞなもし。

 川内は、自治体まるごと、上水道のない、全国でも3自治体しかない珍しい町村のひとつだ。引っ越してきて家を建てると、電気屋さんと水道屋さんとガス屋さんと電話局に連絡すると、ひととおりの生活はできる。ところが川内村では、水道局がない。自分でなんとかして、自分で水を確保してね、というわけだ。
 だもんで、たいていの人は井戸を掘る。幸いにして、5mか10mも掘ると、おいしい水が出てくるのがこのあたりのいいところで、村の住民はそれぞれ、同じようでいて別々の水源の水を飲んでいることになる。
 もう一方、井戸ではなくて湧き水を飲んでいる人もいる。裏山から湧き出た水をタンクにためて使っている。どちらもおいしいけど、湧き水の方がミネラル豊富という感じで(不純物たっぷりということかもしれない)、おいしい感じがする。このへんの人は湧き水と言わず引き水といっている。水がめからタンクまで、パイプを引いて水を引いてきているからだろう。ぼくんちも、水がめの水を飲んでいた。
 震災があって、少し地殻変動があったのか、水は出が悪くなった。それでも水がでないわけじゃないから、震災後もおんなじ水を飲んでいた。
 郡山あたりに避難した人は、このおいしい水がなつかしくて、すぐに帰ってくるんじゃないかと思ったんだけど、これは大はずれだった。日頃自分ちの水自慢をしている人も、売ってるペットボトルの水に慣れるのには、たいして時間はかからないらしい。
 そのうち、引き水は放射能がこわい、という話になった。村は全家庭の飲料水の放射能検査をして、安全を確認した。でも心配な人はなかなか納得しない。雨が降ると引き水には放射能が出る、という話もあったし、実際に計ってもらったという話もあった。雨が降って水が濁るようなときには、濁り成分の中に放射能混じりの泥もあるだろうな、という想像はつく。でもこれは、公的に測ってもらったものじゃないから、真偽のほどはわからない。
 村役場が帰ってくると、村の要所要所に、ウォーターサーバーが設置された。どこかの企業さんのありがたきご提供なんだと思うけど、今までなかったこんなのが置かれるのが、放射能汚染の証しになっちゃってる気がしないでもない。まぁ外から来る人は、ウォーターサーバーがあるのは今さら珍しくなくて、気がつかないかもしれないけど。

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 そうこうするうち、うちの大家さんは定年になって仕事をやめた。仕事をやめて、最初に手をつけたのが、井戸掘りだった。放射能がこわかったのか、そうでなくても水の出は細くなっていたから、井戸を掘る大義はいろいろあった。ただし井戸屋さんにお願いするんじゃない、自分で掘るという。
 まず知り合いの井戸掘り屋さんに修行にいってやり方を覚え、古い機械を譲ってもらってきた。これにコレクションのトラクターやコンバインの中から元気のいいやつをみつくろってきて、動力としてつないで動かす。だから水を汲み出すポンプにヘッドライトがついていたりする。
 その頃世間では、引き水や浅井戸は不安だから、村や国が金を出して井戸を掘らせろ、という要望が出始めていた。でもうちの大家さんときたらそんなのを悠長に待っていられず、井戸を掘り始めてしまったのだ。
 井戸掘り修行は、なかなかたいへんだったみたいだった。掘り進んでいって、岩盤にあたって先端がもげてしまって回収できなくなって、最初からやりなおしたりしていることもあった。井戸掘り業商売もたいへんだなぁと思ったものだったけど、それでもうちの大家さんときたら、その後何軒かの井戸掘りを請け負ってやっていたから、1回の実戦井戸掘りでいろんなことを身につけてしまったようだった。すごい。

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 井戸掘りは、簡単に言えばドリルみたいなので地面を掘っていくんだけど、ドリルの刃をまっすぐ固定するために、けっこうな高さで三角のやぐらが組んである。やぐらは長い鉄パイプだ。ある日、今日は井戸を掘っている音がしないなと思って外に出てみると、井戸掘り職人は脚立に上って鉄パイプの中を覗きこんでいた。鳥が鉄パイプの中に入っちゃって、出てこれなくなっちゃったというのだ。降りるときには羽をたたんで急降下できるけど、羽を広げられないから出てこれない。
 そんなの、やぐらをばらして救出するしかないんじゃないかなぁとしばらく観察していたけど、針金の先に木の枝を結びつけて、うまく枝に乗ってくれれば、なんてやっている。気が長い話だなぁ、ちょっとつきあっていられないやと家にこもっちゃったけど、あとで聞いたら、鳥はちゃんと木の枝につかまって救出されたそうだ。井戸掘りとは関係ないけど、感心しました。脱帽。

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 そんなことをやっているうちにすっかり冬になり、作業は中断を余儀なくされた。なんたって寒いし、地面が凍りついてしまうから機械もしんどい。お急ぎでないなら、冬の間はこたつでみかんを食べているに限る。しかしともあれ、春になって井戸は掘れた。井戸掘りは早ければ1週間くらいで完了するから、ちょっとばかり気が長い作業になったけど、結果はオーライだ。ぼくたちは引き水でなく、井戸水を飲むようになった。正直なところ、おいしい引き水はご自慢だったのだけど、井戸になったからといって、味のちがいはわからなかった。冬は少しあったかくて、夏は少し冷たい、というくらいだ。とにかく、よかったよかった。
 そうして1年がすぎた頃、村が井戸掘りに助成金を出すことになったという報せが入った。全家庭の水の安全を確認したのに、井戸掘りに助成を出すとはどういうことなんだろうと少し首をかしげたりもしたけど、お隣の村がそういう施策を打ち出したりしていたので、右にならえになったんだと思う。井戸掘りの費用は、東電が事故補償として出して、算定を村が代行するんだそうだ。
 助成金がもらえるのは、これまで引き水を飲んでいた人が井戸を掘った場合だった。該当する。井戸掘りの領収書を添付して請求すれば、100万円を上限に助成金が出るという。井戸掘りはだいたいメートル2万円と言われている。40メートルほど掘って、ポンプなどの設備をつけたら、それでほぼ100万円。だいたいみんな、100万円以上の井戸掘りになったらしい。100万円は出るから、自分で出すのは10万円くらい。みんな幸せ、というわけだ。幸せでないのは、震災前に井戸を掘った、という何軒かの人たちくらいだった。
 説明会で「自分でもう掘っちまったんだけんど」と手をあげたのが、大家さんだった。村長が困った顔をして、メートルいくらの算出基準があるから、それで助成額を計算するしかないだろうね、と返答した。大家さん、助成金がもらえそうな感じになってきた。

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 それからしばらくして、助成金算出のための調査が入った。役場職員が井戸の深さを調べるという。といっても、道具を持ってきているわけじゃない。書類とペンを持っているだけだ。大家さんは、糸を垂らして、井戸の深さを測ることにした。それがだいたい40メートルだというのは、掘った当人はわかっているけど、その証拠を提示してもらうのが役場のお仕事になる。
 井戸のパイプは直径10cmくらいで、その中にエア抜きの3cm径くらいのパイプが入っている。すべてがぴったり垂直に入っていれば、糸はするする落ちていくはずなのだけど……。
20mくらいで糸が止まってしまう。たぶんパイプが微妙に曲がっていて、糸の行く手をふさいでいるんだと思われる。糸の先の重りをもうちょっと重くして、糸を引いたり離したりゆすったりしながら落ちていってくれるのをお祈りする。
 しかし事件は起こった。糸が途中で引っかかって、抜けてこなくなった。抜けなければ深さもわかんないし、そのまま水を飲んでいるのも気持ちが悪い。引っ張ったら、今度は糸だけ抜けてきた。重りが、ない。
 さーて困った。この重りというのは、大家さんの趣味である海釣り用の重りで、鉛でできているのだった。鉛の重りが沈んでいる井戸の水を飲むのは、ちょっといやだ(海に沈めるのだって、考えてみたらぜんぜんよくないという点には、今気がついた。この問題はとりあえずここでは棚上げにしておく)。

1410井戸に落ちた鉛

 もう役場の調査どころではない。役場職員さん、お気の毒にちゃっと行って、資料を受け取ってちゃっと帰ってくるはずが、とんだ騒動に巻き込まれてしまった。このままでは下手をすると帰れない勢いとなった職員さんは、井戸の深さは仰せの通りにしておきます、と言って冷や汗をかいて帰っていった。最初からそうしておけば簡単だったのにね。
 さてさて、それからがたいへんだ。なんとかして、鉛の重りを救出しないと、安心して水が飲めない。放射能どころの話ではないわけだ。ラッキーなことに、同じ重りはもう一つ持っていた。その重りをじっとにらんで、大家さんは対策を考える。とりあえず、エア抜きをしていたパイプは抜き取られた。40メートルものパイプだから(こんなことになるなら、最初からこのパイプを抜き出しておけば、井戸の深さも正確に測ることができた)抜き出すのもたいへんだ。ユニックを積んだトラックを横付けして、2メートルほど真上に引き上げて、そこからゆるやかに弧をかくようにパイプを曲げてひき出していく。
 パイプが抜けたら、40メートル先の鉛を釣り上げる算段だ。見本の鉛で実験すると、ちょうどエア抜きのパイプの径が、鉛の重りの外周とほぼ等しい。パイプを降ろして、手探りで重りをパイプでつかんでそのまま引き上げられれば回収できる。でも、そんなすっきり作業ができるものか。敵は40メートル先の暗闇、しかも水の中だ。
 重りをつかまえるのは手探り。いざ引き上げようとすると40メートルものパイプをずるずる引き上げなければいけない。1回やって失敗して、もう1回やってという、その1サイクルがとても大仰な作業になる。
 それでも、少しずつ救出作戦は進化していった。素のパイプでは、さすがに引っかかるものも引っかからないから、爪をつけることにした。重りが爪に引っかかってくれたら最高だ。

1410井戸(鉛救出)

 それはなかなかいいアイデアだった。というのも、なんだかうまくいったような気がしたと思ったら、ポチャンとなにかが落ちる音を聞いたりもしたから、まんざら望みがゼロってわけでもないから、がんばる。しかし。
 役場職員が調査にやってきたのはお昼ごろ。そしてその日は、結局日没につき、作業は中断となった。少しずつ確実に作業すれば先が見えるというものではないから、その晩は暗澹たる夜になった。うちと大家さんの家と、悲しい家は2軒だった。
 翌朝。とにかく2軒の直近の命題は、水を出すことで、重りを救出することにあった。いまや、頼みの綱の爪はいくつか追加されて、できる限りの仕様は完成していた。あとは運よく40メートル下の重りが、この爪に引っかかってくれるのを祈るばかりだ。
 押したり、ちょっとあげてみたり、位置をずらしてみたり、また押しつけてみたり。手応えがあるといえばあるし、ないといえばない。ライト付きの水中カメラがあるからおろしてみようかと提案してみたけど、そんなものが出てこなくなった日にはいよいよ打つ手がなくなるからと却下された。
 ためしにパイプを抜いてみようかと思っても、なんせ40メートルだから、抜いて、あーだめだったとまた入れるのに、20分くらいかかる。できたら、よし、入った!という確証を持ってパイプを引き上げたい。でもそんな確証が持てれば苦労はないのだった。
 作業員は4人。最初から作業に従事していた親方は残りの3人に作業を預けて、次なる手をうちにいったやら鳥かごの鳥の世話にいったやら。作業は、初めてパイプを持つ素人に委ねられた。それをまた、さらに素人が横で見ていて、もう引き上げてみようよと無責任な提案をし、作業開始10分にして、パイプを引き上げてみることになった。
 するするズルズル、パイプを引き抜く。注意点としては、よもやかかっているかもしれない重りを落っことさないように、作業を慎重に行うことだった。
 そして15分後、おばちゃんたちの歓声が上がった。パイプの先には、きっちり重りがおさまっていたのだった。その夜は、さっそく焼き肉で乾杯とあいなった。
 今は井戸と言えば業者が簡単に掘っていく。けれど、昔々、井戸のひとつひとつには、きっとこんなドラマが溶けこんでいたにちがいない。

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