雪は降ったって春は春。シーズンは開幕してます。えいえいおー

新旧に通じるわくわく

1411バルナックライカとα7
1411もてぎサンクスデイ

 十何年ぶりかで、サーキットのコース脇に出てみた。動くものが撮れるわけがないソニーα7で、いったいどれくらい撮れるものか、撮れないものかを試してみようという気もあったのだけど、それ以前に、人間の動体視力も(たぶん)落ちてるだろうし訓練はできてないしで、そっちのほうが問題だったかもしれない。
 でも結論としては、動いてるものなんか、そうそう撮れるもんじゃないという当たり前の結論と、でもこのカメラはおもしろい、ということだった。
 おりしもソニーα7は4機種目となるα7IIが発表になって、小さなボディに手ブレ補正装置はつくわ、不評だった操作系も改善されるわで、世間の評価も高いのだけど、ぼくとしては買えないひがみもあって、不評だった初期型のカタチがいいのだと思いこんでいる。

 液晶ファインダーで飛んでくるレーシングマシンを追うのはたいへんだった。一眼レフはシャッターを切った瞬間、見ている画像が消えるけど、このカメラは高速連写をすると、シャッターを切ったときには画像の保存で忙しいらしく、ファインダーに情報を送るのをやめてしまう。で、しばらくたってから画像を表示するんで、いったい自分がどこを見ているのかわかんなくなる。タイムラグのある眼鏡をかけてこんな感じになったら、あぶなっかしくて歩いてもいられない。
 それでも、こんなふうになにが写るんだか結果が読めない撮影をしていた時代もあるんだなと思い出したのが、ピントを合わせる覗き穴と構図を決める窓が別々のところにあった古き時代のカメラたちだ。

1411バルナックライカとα7

 2台並べてみたのは、1937年型のライカIII型と2013年型ソニーα7。かたっぽはフィルムを入れるカメラだし、かたっぽはデジタルカメラで電気仕掛け。なにからなにまでまるっきりちがうのだけど、なぜかサイズだけはよく似ている。
 カメラはライカの頃から50年も60年も、ひたすら進化を続けてきたけど、進化のかわりにどんどん大きくなってきた。ニコンにしろキヤノンにしろ、プロ用の最高級機種は漬物石ほどの重さと大きさがある。昔はそんなのに大砲みたいなレンズをつないで、右肩と左肩にぶらさげて歩いてたもんだけど、いまや、そんな重たいものは持ちたくない。
 プラスティックを多用して軽くしたりしたカメラもあるけれど、そういうのは軽くすることが目的で、本気のカメラに比べるといろいろ見劣りするところも多い。その点、ライカの時代のカメラはこれが世界最高峰で、ブレッソンが”決定的瞬間”を切り取ってきたのもこの時代のこんなカメラだ(正しくは、これより数年古いカメラみたいだ)。
 α7は、握りが細いとかシャッターボタンの位置が悪くて写真がぶれるとか、いろんなことを言われていて、どれも一利はあると思う。ぼくのα7には下半身だけケースに入っているけど、これは握りが細くて頼りなかったからだ。
 だけどそんな使いにくさも、なんとなくバルナック型時代のライカに通じるものがあるような気がする。使いやすくなった改良型のα7IIは使ってみたいところだけど、本当に使いやすくて、シャッターを押せば確実に写る、という性能を求めるなら、今でもキヤノンの右に出るものはないと思っている。
 でも写真を撮るのは多分にメンタル部分が大きく仕事する分野なので、道具がいいからいいものが撮れるということでもないような気がする。少なくともぼくの場合には。お仕事を始めさせてくれたのはキヤノンで、キヤノン(フィルムカメラの時代)にはたいへんお世話になったけれども、とにかく手をかけずによく写る。それがつまんなくなっちゃって、キヤノンは使わなくなっちゃった。
 サーキットでお仕事してるみんなのカメラはたいていキヤノンで、いかにもお仕事道具の風情でいかつい。あんなでっかいカメラを持って決定的瞬間を狙うのはたいへんだ。でも昔々、サーキットに通い始めた頃には、モータードライブがついたカメラを持ってればえらそうな気分になれたし、レンズも大きいのほどえらいような空気があった。
 ぼくはすっかり、右肩上がりの未来に期待しなくなっちゃったので、カメラも身の丈にあった、撮ってて気持ちがいいカメラを使いたいと思うのだった。このカメラは、欠点を並べれば山ほどあるけど、持ってて楽しい、さわってていい気持ちになる、ぼくにとって、久しぶりに写真を撮る気にさせてくれるカメラだったのでした。ぼくにとっては、初期型のキヤノンF1、バルナック型のライカに続いて、3台目のそんなカメラです。

1411バルナックライカとα7