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ソニーαはニコンZとキヤノンRを迎え撃てるのか

このところ、ニコンとキヤノンが相次いでミラーレスの本気カメラを発表して、ぼくのご愛用のソニーαもあやうしになってきた。10年後、カメラはどんなふうになっているのかな?

会津駒ヶ岳てっぺん

ぼくの場合、ソニーα7を買ったのは、まずは死蔵している古いレンズを使うのが最初の目的だったから、35mm(24mmx36mm)のいわゆるフルサイズじゃないといけなかった。M4/3やAPS-Cカメラは選択肢の外で、ソニーα7一択だった(M4/3は使ってみたけど、広角レンズがきちんと使えないのはおもしろくなかった)。

世の中のプロカメラマンは、カメラといえばキヤノンかニコン以外はうんこで、特にスポーツ系とか報道系とかではその傾向は著しい。ぼくだって、そう思ってた。プロサービスが充実しているとか、それ以外のカメラでははったりが利かず仕事にならないとか、理由はいろいろだけど、なにより重要なのは信頼性の高さだ。

APS-CのフジXはずいぶんと耐久性があるらしいけど、ぼくらの現場で見たことはないから、なにかの性能が欠けているのか、それじゃ仕事にならないという偏見が強いのか、どうなんだろう?

ソニーαを使い始めたとき、我ながらおかしなカメラを使ってるもんだと思ったし、文句も山ほどあったけど、それでもそこそこよく写ったので、以来愛用カメラになった。世の中にはそんな変わり者もけっこういるもんで、いまやソニーユーザーもそれなりの数になった。トライアルの仕事仲間でも、ソニーを使ってるのはぼくだけじゃない。キヤノンもニコンも、このまんまじゃヤバイと思ったから、今回の相次ぐミラーレス発表になったんだろうな。

実は新しいカメラにはあんまり興味がないのだけど(じじいになって好奇心が薄れてきている)巷で盛り上がっているので気分転換がてら、山を越え1時間走ってニコンZを触ってきて(田舎だからキヤノンRは近所にはない。ザンネン)カタログももらってきた。

ソニーα7IIIとニコンZ(前から)

キヤノンR、ニコンZを扱った雑誌とか見ると(立ち読みのちら見。すいません)、ソニーαとの比較で、持ちやすいというのが第一に上がっている。もともとソニーαは小指が余ると、悪評たらたらだったから、ボディが大きいキヤノンRとニコンZに雑誌の評価はあたたかい。ニコンZは、確かに小指は余らない。でもでっかくて、小さくて軽いαが気に入っているぼくとしては持ち歩きたくない。

で、カタログを見ていて気がついた(現物をさわってて気がつけよ)。小指が余るかどうかはボディの大小にもよるけれど、シャッターボタンの高さの関係もあるんではないか。αのシャッターボタンはボディの肩より低い。キヤノンRもニコンZも肩より高い位置にシャッターボタンがついている。シャッターボタンを高くすれば、その分グリップが上下に長くなる。

ソニーα7IIIとニコンZ(上から)

それで初代αもさわってみた。これはシャッターボタンがグリップではなくてボディ上面についている。なので手のひらが少し撮影者側に寄って、小指が少しグリップの上を握らされる。初代はボディ上面のシャッターボタンが悪評たらたらで(ぼくはそこが気に入っていて、α7Sか大のお気に入り)、II型でグリップにシャッターを置いたのだけど、その配置がイマイチだったということかしら。シャッターボタンをあと5mm高くしても、諸元上の大きさは変わらないのにね。

初代αは確かにボディが小さすぎて持ちにくかったけど、カメラのシャッターはボディの上面についているものだとすりこまれて育ったので、ぼくは基本的にはそれで不自由はないと思ってる。文句を言っている人は、キヤノンEOSあたりで写真を撮り始めた人なんじゃないかしらん。

ウルトラワイド15mm

いまどき、ボディ上面にシャッターボタンついてるカメラなんて存在しなくて、ソニーαが異端児になったんだろうなと思っていたら、フジXシリーズなんて、みんなボディ上面にシャッターがついている。なんだ、それでもいいんじゃないか。フジの我が道を進んでいるけど、ソニーαはニコンやキヤノンの牙城に切り込んでしまったので、必要以上に反発を受けたのかもしれないな。

ともあれ、ニコンZ(6と7、どっちだったんだろう?)をさわって思ったのは、AFがあんまりきびきびしてなくて、これならαの新しいの(9か7RIIIか7III)のほうがいいなと思ったくらいだった。使い勝手は、しばらく使わないとわかんない。

ただ、さすがにニコンだから、ソニーみたいな信頼性の不安はだいぶないんだろうなという気はする。でもカタログを見比べてびっくり。シャッターの耐久性って、ソニーは50万回で、ニコンとキヤノンは20万回だ。

36枚撮りだと13,000本以上撮ってようやく50万回になる。レースを撮っていても、1日30本撮ったら撮りすぎといわれるくらいだったから、1日10本とすると、650レース撮るということになる。仕事はレースだけじゃないし、カメラも1台だけじゃないから、シャッターの耐久限界を使い切るなんて、フィルム時代には考えたことがなかった。

でも今、下手すると1日に4,000枚とか撮る。いくら撮ってもタダだからだけど、1日2,000枚としても、250レースで50万枚を使い切る。20万回だと、100レースでおしまいになる(これまた、カメラ1台で4,000枚撮るわけじゃないけど)。

キヤノンのカタログではよくわかんなかったんだけど、この手のカメラは、シャッター開いている→シャッター閉じる→記録回路動く→シャッター開く→画像を記録する→シャッター閉じる→記録回路終了→シャッター開く、なんて動作をするから、1枚につき2回シャッターが切れる。シャッターの耐久性は何枚じゃなくて何回と書いてあるから、20万回で1000枚撮ったら100レースで寿命ということかしら? 実際には、シャッター開いている→電気的に記録を始める→画像を記録する→シャッター閉じる→記録回路終了→シャッター開く、という電子先幕シャッターなるメカを使うことが多いので、シャッターは1枚に1回しか動かないんだけど。

カメラの寿命がつきちゃうと思うと悲しいので、ケチクソのぼくはα7S、α7III、α9ともに電子シャッター(サイレントシャッターと呼ぶらしい)で撮っていて、機械シャッターは使わないことにした。最初は音がしないのが気持ち悪かったけど、慣れてしまった。動くものが歪んだり、露光にムラが出たりという仕様上の問題もあるんだけど、それでも音がしないカメラに慣れつつある。記者会見の映像とか見ると、ガシャガシャバシャバシャ、カメラの音がうるさいけど、みんながサイレントシャッターを使うようになったら、記者会見も静かになる、そうなるといいなぁ。静かがいいのは、記者会見だけじゃないけどもね。

ただ、カタログがほんとのことを書いてあるかどうかは別問題。ソニーのカメラには、まだまだ信頼性が欠けているので、ソニーは50万回を謳いつつ40万回で壊れるかもしれないし、キヤノンは20万回といいつつ50万回くらい平気で動くかもしれない。このへんはただの妄想だけど、そう思っちゃう実績というのが、ニコンやキヤノンにはあるってもんだ。

それにしても、ニコンもキヤノンも、ミラーがなくなって短いフランジバックを採用したのがさも画期的だとカタログに書いてある。ミラーないんだから、新しいマウント規格を作るなら自然とフランジバックは短くなる。カタログでの物言いはキヤノンもニコンもどっこいで、光学設計にこだわったからフランジバックが短くなったと書いてある。ほんまかいな。ニコンは60年にも及ぶニコンFマウントの呪縛から解き放たれて浮かれてるんじゃないだろうか。ソニーのカタログには短いフランジバックで光学系がよりすぐれたものになるなんて書いてない。ソニーがつつましいのか、αを世に出した当時には口実を思いつかなかったのか、真相やいかに。

雑誌の立ち読み情報では、新しいレンズの光学性能は驚異的らしい。だけどそんなにレンズの性能を上げてどうするのかしら? 現行のニコンFマウントのレンズでもとてもよく写るし、なんなら100年前のレンズだってよく写る。写真は機械的な光学測定機じゃないから、値段と大きさ・重さと性能のバランスのとれたレンズを作ってくれたらいいんだけど、最近は高くてでっかい高性能レンズが旬みたいで、雨後の筍みたいに登場してくる。貧乏人には困ったもんだ。

レンズ交換式カメラはレンズ交換がお楽しみだけど、キヤノンRは、電源を切るとシャッターが閉じる構造になっている。キヤノンR以外のすべてのミラーレスカメラは、レンズを外すとセンサーがぺろんと見える。ホコリとかが飛び込み放題だ。ぼくの場合、レンズ交換がこわくなって、レンズの数だけボディを持ち歩く羽目になった。どのミラーレスカメラもそうだから、シャッターを閉じられないわけがあるんだと思ってたんだけど、キヤノンRはできた。なんだ、できるんじゃないか、とだまされた気分。できたら、電源落とさずにシャッターの開け閉めができるといいと思うんだけど、今後はどのメーカーも右にならえしそうな気がする。

キヤノンRのフィルターが入れられるマウントアダプターとかもおもしろい。キヤノンは使ってる人が多くて要望のサンプルも幅が広いから、実務で写真を撮っている立場に近いところで設計がされているんじゃないかという安心感がある。ソニーはプロの意見を聞く機会を設けているけど、ちょうちん持ちのよいしょのご意見か、ニコンやキヤノンを見習えという抽象的なご意見が多そうな気はする。

よく言われることだけど、メモリが2枚入る機種では、上の段が「2」で下が「1」になっている。でもメニュー画面では上が1、下が2と出てくる。どう考えても使い勝手的におかしい。しかも、新型カメラではまた別の使い勝手になっていたりして、わざと意地悪してるんじゃないかとさえ思ったりする。メニュー画面が全機種微妙にちがうのも、計画性がないことこのうえない。新しいレンズが出るたびに、新型レンズにあわせてカメラのファームウェアが新しくなるのも、そもそもレンズまわりの仕様が定まってないってことじゃないかしらん。技術の進歩といえば聞こえはいいけど、設計が気まぐれで新しい仕様に手を出しているようだったら、使う側には迷惑な話だ。

ニコンはマウントの仕様をサードパーティに公開しないというんでちょっとひんしゅくを買ったみたい。ソニーはマウント規格を公開してるみたいだけど、自分ちのカメラも新しいレンズが出るとファームを入れ替えなきゃいけないってのに、仕様なんて公開できるのかしらと、よけいな心配もしなくちゃいけなくなる。

電気屋さんの作ったカメラなんて信用できない、と思っていたのはほんの10年くらい前のことだった。いまやカメラは完全な電気製品だ。道具が信用できるかどうかは、その会社の過去がコピー屋さんか電気屋さんか潜望鏡屋さんかということではなく、今現在のお仕事が信用に足るかかどうか、なんじゃないかしらん。

川に飛び込む若者

ところで、ぼくはミラーレスという単語がきらいだけど、キヤノンもニコンももうこの単語に抵抗はないらしいから、ここでもミラーレスって呼ばせてもらいました。でも、こんな一眼レフありきのこんな名前、一眼レフが姿を消した後には、チコちゃんに「なんで?」って聞かれちゃいそうだ。

冒頭の写真は、スナップショットスコパーをぶっこわした会津駒ヶ岳の木道です。もうちょっと歩くのがむずかしいところで転んだんですけどね。最後の写真は、もうあたりが暗くなった頃、川に身を投げ出して気持ちいいと叫ぶ都会の若者。昔だったらストロボを焚くか写真を撮るのをあきらめるシーンで平気で写真が撮れてしまい今日この頃、ぼくはますますストロボを使わなくなってしまった。ISO10000とか平気なんだから、こわい世の中になりました。