COVID-19ワクチンを受け終わりました。ファイザー製。打ち終わったと思ったけど、効果は一生続くわけじゃないのね。半年後とか1年後とか、いつなのかはわかんないけど、また打たなきゃいけないのかも。でもまぁ、まわりの人並みに接種済になったので、ぼちぼち一安心。
我が川内村では、4月ごろに65歳以上の高齢者に予約券みたいなのが届いて、5月ごろから1回目の接種が始まった。村には第一区から第八区までの行政区があって、うちは第一区。村の行事は第一区から順番ってことが多いので、ご近所のじじばばは村で最初に接種を受けることになる。最初に接種の意思を確認されて、希望すると次には問答無用で何月何日に打ちに来てね、なんて案内が届く。みんな、いそいそとでかけていった。
福島県内の別の市町村だと、夫婦で別々の接種日程を組んだりしていたらしい。副反応出たとき、介護しあいなさいという配慮みたいだけど、村ではそんなことなく、ご夫婦はいっしょに接種に出かけた。幸い、二人そろって副反応がたいへんだった話は聞いてないし、夫婦別の日程はめんどくさいという意見もあったんだろう。まぁ結果オーライだ。
しばらく、人に会うと「ワクチン打ったか?」がご挨拶になった。高齢者は65歳からだけど、今年65歳になる64歳は高齢者の仲間にはいるらしい。ぼくは今年64なので、若者の部類にはいる。ワクチン打ったかの挨拶をしていて、期せずしてお互いの年齢を確認することになったりした。意外に若いんだな、意外に老けてるんですね、というしょうもない話をしたけど、それにしたって年齢差せいぜい3歳くらいの、みみっちいレベルの老若のお話。
村の人口は2,500人弱だから、0歳から(若い人はごく少ない)全員に接種したとしても、5,000回分のワクチンがあれば村人全員の2回分がまかなえる。行政におまかせして待っていればいいというのは、いまどきめずらしく安心。
ご近所のご老体先輩たちの副反応具合は、1回目は痛いだけ、2回目は何人かが熱を出して、なかでもMさんは2日寝込んだということだった。そんなに繊細には見えないけどなぁ、とはもっぱらの感想だけど、繊細だろうが大胆だろうが、出る人は出るし、出ない人は出ないという結論になった。お隣のHさんはワクチン打ってからひざが痛いという。さすがにそんな因果関係はなかろうと思うのだけど、本人はワクチンを打ってからなんだと力説する。整形外科へも行ったけど、ワクチンのせいでひざが痛いと訴えたら笑われたそうだ。Hさんの膝痛は半ば持病だし、お年もお年でいろいろぎりぎりコンディションを維持しているから、外敵がほんのちょっと注入されただけで、からだのバランスが崩れてしまうこともあるのかもしれない。そんな素人診断を申し上げたら、ご本人も納得してくれた。これを副反応と言うのかどうかは、微妙。
これまで、週に2回は酒飲みに来いと電話がかかってくるもうひとりのMさんは、去年からこっち、とんとお誘いがなくなった。感染がこわいから人と会わないことにしてるんだろう。カラオケもやってないらしい。ひとりカラオケはなんの問題もないと思うけど、そのへんが通じないのは、ちょっとおもしろいです。でも本人は必死だ。で、ご本人が2回接種を終えた頃、久々に飲みに来いと電話があった。気持ちが大きくなっちゃったんだろう。残念ながら都合が悪くて2度ばかりお断りしたんだけど、そんなことしてるうちに、村の人が感染した。ご近所でもなく、接点もない方なのだけど、そうなったら、またMさんからは電話がかかってこなくなっちゃった。Mさんからお誘いがじゃんじゃん来るようになったら、この地域がコロナに打ち勝った証、なのかもしれない。
ということで、ご近所は聞いた限りではみんなワクチンを打ってるんだけど、SNSのタイムラインを見ると、ワクチン打ちたくない、打ってはならぬ、打つと死ぬ、みたいな意見がけっこうあるんで、びっくりする。薬害はおっかないし、なるべくなら薬はなしですませたい。だけど今回のは、痛いのはがまんして打つことにした。
ワクチン打つなという人に言わせると、ワクチン打って将来的にどうなるのか、まったくわからないではないか、信用ならない、きっと死んでしまうにちがいない、ということになる。こういうの、どこかで聞いた気がする。そうだよ、放射能だ。いくら線量が低いといったって、将来的にどうなるのかはわからないじゃないか、東電や国が言ってることは信用ならない、きっと将来死んでしまうにちがいない、という放射能こわい人たちの熱弁はやまほど聞いた。将来死んでしまう、はまちがっていないから、ほら、やっぱり死んだでしょ、と勝ち誇るのが、こういう人たちの特徴だから、困ってしまう。ワクチンを打った人は、将来必ず死にます。ワクチンを打たない人も必ず死ぬんだけどね。ごくごく微量の放射能を浴びた人も、将来必ず死にます。ただし放射能は、この世の人は等しくみんな、ごくごく微量を浴び続けて、食べ続けて、生きているから、放射能を浴びなかった人も必ず死ぬかどうかは、わからない。そんな人はひとりもいないから。要は、国家や科学が信じられなくなっちゃった人には、なにを言っても通じないことみたいです。
オカミの信用がどんどん失墜しているのはまちがいないから、オカミのやることには反発しておけばまちがいない、という気持ちもわからんではない。加えて、放射能やワクチンの健康被害を説く人って、実に上手に人を説得する。でたらめとほんとをうまく組み合わせて、ちょっと不安な人たちをうんと不安に仕上げていくんだ。そんなことしてなんの得があるのかと思うけど、YouTubeとかのヒット数を稼ぐのって、おいしいのかなぁ。
ワクチンも放射能も、それぞれの考え方はあっていいと思うし、それぞれの意思は尊重したい。だけど人格や人の生活を傷つけたり、他人になにかを強制したり、それで友好が途絶えたりするのはつまらん。なんだかそんな空気になりつつあるのが、ちょっと心配です。
ちなみに、ご近所では、ワクチン接種をしたあとに3件のお葬式が出ました。みなさん、90歳くらいのご高齢ばかりで、ワクチンとの関連はひとつも疑われていません。ご遺族がこぼすには「死んじゃうんだったらワクチン打つのめんどくさいだけだったなぁ」だそうです。