雪は降ったって春は春。シーズンは開幕してます。えいえいおー

年始の放射能冷却

あいからわず、当地は寒いです。世間は雪が降ってたいへん、ということなのだけど、こちら、ほとんど雪は降ってません。一応白いんだけど、積雪量1cmに届かず。雪が止むと、ちょっとずつ地面が見えてきたりするから、昼間は0度以上になっているみたい。これは当地では、まぁあったかい、という評価になります。

凍てついた窓ガラス

震災と原発事故10年がすぎて、いろんなことが風化してきているいっぽう、ちっとも解決していないこともまだまだあります。各地の報道ではどういうのが流れているのかわかんないけど、福島県界隈の報道で幅を利かせているのは、冷却排水(汚染水と呼ばれたり処理水と呼びなさいといわれたりするけど、どっちでもいい)の海洋投棄をどうするかとか、10年も帰れないままだった地域の帰還をどうするか、なんて話題になっています。こういうニュースが出ることが風化をくいとめることにつながるのかもしれないけど、逆に、こういうニュースを見ての世間の反応は、まだ原発事故は収束していないのだ、なんにも変わっていないのだ、福島はおっかないのだ、という三段論法になってしまうことが多い。なのでそれもどうかなと思います。ぼく的には福島県に住むのはおっかなくもなんともないんだけど、問題がないわけでもない。正しく問題を問題として考てほしいなぁと思っています。

福島県双葉郡の被災者は、潤沢な補償をもらってウハウハという話はよく出ます。ぼくももらっていないわけじゃないし、でももっともらっている人もいます。反対に、行政の都合でもらっていない人もいます。なけなしの貯金でクルマを買い替えたら補償成金と呼ばれたりもするし、ほんとうに補償成金の人もいます。

あんまり大きな声では言いたくないけど、隠してるわけでもありません。ぼくたちは、高速道路無料処置と、健康保険の自己負担無料処置というのを受けています。どうしてこういうカタチの扱いを受けるのか、よくわかっていないのだけど、損することじゃないので、ありがたく受け取ってます。

冬の日差し

高速道路の無料処置は、福島県内の出入り口を利用して高速道路を利用した場合に、高速料金が無料になります。名目としては、避難先との往復のため、ということになっていて、福島から仙台まで行くのは無料、仙台から青森まで行くのは有料、ただし福島から青森まで行くのは無料です。首都高速は管轄がちがうので、首都高速に乗ったら、無料区間はそこで終了です。

医療費無料は、健康保険を通じての処置だから、健康保険に加入していないと、たぶん恩恵にはあずかれません。健康保険の種類、運用している会社によって、この処置が適用されないこともあるみたいです。

これを受けられるのは、2011年3月、震災当時に双葉郡に籍があった人たちで、それから籍を動かしても大丈夫だけど、そのあとに住み着いた人は適用外。震災後に生まれた人も適用外。なのでだんだん数は減ってきています。うわさでは、この処置も今年限りということになっています。毎年そういわれながら、毎年継続されていたんだけど、ついに今年こそ終わるみたいだぞ、という話です。

いまさらこんな話をしたのは、お国からこんなカタチでもらったお金は、ぼくらにとって理にかなっているのか、いただきすぎなのか、足りないのか、ということを考えたからです。

震災事故直後、ぼくらはひとり100万円くらい東電から仮払いをいただいて、その後精算をしたのですけど、おおむねその額はいただきました。人によっては、もっともっといただいた人もいたと思いますけど、それはまぁいいや。書類を書くのがうまい人、そういうことに慣れている人と不慣れな人の差が、いただく補償額の差になるわけです。

では補償をいただいたから、高速代や医療費がタダだから、それで失ったものとのトレードオフになっているのかというと、それ、どうなのかなぁと思うわけです。

震災事故後、まったく補償されずに放置されているのは、震災前にあった喜びの数々です。みんなが集まって笑う喜び、キノコの類いをとって貴重だ、うまい、と喜び、どこでとれたんだ、おしえねーといじわるする喜び。イノシシをとってきて、ときには刺し身で食べる喜び(NHKのあさイチでイノシシの刺し身が紹介されて炎上したことがあるらしいです。食べる時にはこっそり食べてました)。いろんな喜びがありました。今でも野生のキノコはとれるけど、流通させてはだめだったり食べてはダメだったり、いろいろと制約があります。放射線値を計ってもらって安全なら食べるという方法もあるけれど、もともとはそんなこと気にしないで食べていたのだから、そこにはやっぱり不自由はつきまとう。

中には、採れたキノコで小金を稼いでいた人もいました。ある種のキノコでは一つかみ1万円くらいになったから、なかなかいいアルバイトです。それが無収入になったのだから補償してくれよと思うのだけど、これは補償してもらえません。なぜなら、そういうアルバイトに精を出していた人は、たいてい申告してなかったから。東電や国を相手に補償を勝ち取るか、脱税であげられるか、どっちにするか、という問題です。でもおもいきり稼いだとしても、年に10万円いくかどうかの話だと思うから、税額にしても補償にしても、たいしたことにはならないと思います。失ったのは収入ではなく、その楽しみです。

山の中の家

こういう山奥に住み、山のものをとって楽しみ、みんなと仲よく暮らす、そういうお楽しみについては、これっぽっちの補償もありません。そんなの、査定しようがないのだから、補償しようがないというのはわかります。でも、そこが一番補償してほしかったところなんじゃないかと思うんだなぁ。

自分の家に住めない、避難をせざるを得ない点については、補償が出ました。勘ぐれば、だからいつまでも自分の家(地域)は危険だと主張して、避難を続ける人もいたんじゃないかと思います。でも本当の苦労は、帰ってから、もとの家に住み始めてから始まるのだけど、そこについては(あんまり)補償がありません。空き家にしていた家を補修するなんてのには補助が出るんだけど、そこに住み続けるについては、元通りになったんだからご満足でしょう? くらいの勢いです。

いまだ、双葉郡はあぶないと主張する人もいるけど、ぼくはそんなふうには思いません。少なくとも命の危険はない。原発の排水を海に流すのだって(適正に処理をすれば)問題ないと思ってる。たぶん、海洋投棄に反対している漁連の人だって、そこはわかってるんじゃないかと思います。今までだって、おんなじくらいの排水は流してたし、どこでもやってることだから。彼らの心配は、お魚市場です。売れれば危険なものだってかまわないとは思っていないだろうけど、安全なものでも売れなければ困る。安全であっても、みんなに「あそこはあぶない」「あそこの魚は食べられない」と言われるかもしれない心配がつきまとうのは、ぼくにも理解できます。そんなことを心配しているから、いつまでたっても次に進まないんじゃないの? という気はしますけども。

今、双葉郡に住んでいる人のうち、元から住んでいる人はどんどん減りつつあります。震災時に生まれた赤ん坊が、いまや小学校5年生です。彼らに出身はどこ? と聞けば、双葉郡の被災地ではなく、避難先を答えるでしょう。だって、ほんとうはそこで生まれるはずだった被災地には、住んだことがないんだもの。

そしてこの地には、震災後に住み始めた人が少しずつ増えています。ぼくもよそから来た移住者だけど、移住者の中にも震災前と震災後、2種類の移住者が存在することになってしまいました。どっちがいい悪いの問題じゃないけど、なにかにつけて分断が好きな人たちにとっては、これはかっこうの題材です。なんせ震災後に住み始めた新規移住者たちは、ぼくらのようにちょっと古い移住者が受けている恩恵がないわけです。

その一方、新規事業をひっさげてこの地にやって来る事業者に対しては、けっこうな補助金が供出されます。復興のために、必要な国費投入だと思います。でも同じ八百屋さんでも、外の人が開業したら補助が出て、その土地でずっと続けている人にはなにもなし、という実情もあります。いろんなところに、分断のタネはひそんでいる。分断は、みんな、国策から生まれています。

紅葉

国でも町でも村でも、行政がやることは、公平公正が第一といわれています。だからあなたにだけ特別なことはできない、となるのですけど、それは公平公正のモノサシが正しい場合に納得できることであって、そこがほんとに確かなのか、心配し始めるとなにを信じていいのかわからなくなります。原発廃炉についても、政府や東電のやることが全て信じられないという人は、こんな葛藤の末に、思考停止に陥りかけてるんじゃないかしら?

楽しい時間が、震災事故前で奪われた。楽しさの査定はむずかしいから、そんなのの補償を始めたらキリがないでしょうし、だからいろんなモノサシをつくって補償の制度が積み上げられるのだと思います。補償のモノサシはもっぱら経済活動だから、ぼくのこんなもやもやは、きっといつまでも解消することはないんだろうなぁという気がします。

まぁ、もう10年経っちゃったから、震災事故がなくたって、いろんな意味で10年前と同じ楽しみはできなくなってるのかもしれないですけどね。

写真は、朝の車内から外を見てみましたの図/レンズが曇った古いトプコール135mmで撮った森の太陽/ぽつんと一軒家かと思ったけど、山の向こうのもう一軒が見えてしまって、ぽつんと一軒家を見つけるのもたいへんだろうなと思ったTさんち/お気に入りのゾナー90mmで撮った秋の太陽、でした。