雪は降ったって春は春。シーズンは開幕してます。えいえいおー

2016年の川内村高田島から

2016年もすっかり暮れようとしています(といって書き始めたけど、書き終わる頃には年明けになってしまうかもしれません)。2011年の原発事故からもうすぐ7年になる年の瀬です。

この1年のことをご報告、というか、年に1度くらいはこの手のことを書いておかないといけないかなと思って、書いてみます。

1701ある日の宴会ときどき連れてくる東京人たち。村の元気で酔っぱらうのを見て楽しんでいる。

この地で原発事故のあおりをくったぼくらとしては、ぼくらの生きている様をきちんと伝えて、みんなに原発事故について考えてもらう糧にしてもらうのが正しい姿なのだと思っていました。そういうふうに努めたこともあったし、そういう活動を続けている人もいます。避難しているみんなを支援している人もいるし、復興に尽力している人もいる。人生破綻しかけている人もいる。知り合いもいれば、ぜんぜん知らない人もいるけど、少なくとも原発事故のあおりを受けた人たちに対しては、ひとごととは思えない思いがありました。

でも、人が10人いれば10通り、100人いれば100通りの考えがあり、人生があり、立場があるのだということに気がついてくると、ぼくがぼくの立場でものを言うことで、そうじゃない考えや人生や立場の人は悲しい思いをするかもしれない。いや、ここに書いたからって、誰かの人生が大きく傷つくことなんかないんだろうけれど、そういうふうに考えてしまうと、ついつい書き渋ってしまうというのが、ここ1年2年のニシマキです。

ここんところ、ふだんあんまり接点のない方から、読んでます、と言われたりなんかして、見てくれてる人がいるんだったら書かなきゃいけないかなぁと思ったのがひとつと、箇条書きでもいいから今の時点での自分の気持ちを書き留めておかないと、最近忘れっぽいから、あと5年もしたらなんにも覚えてないかもしれないなぁという、そんなわけで、書くことにしました。

1701ますさんと牛牛は商売の糧だけれど、大事な家族でもある。寒い夜、幼い牛に毛布を掛ける。

思えば2011年、放射能が降ったという事実に対して、ぼくらはどうすればいいのか。悩むべきは、この地に住んでいて、生きていられるのかどうか、ということだ。今でも、双葉郡、あるいはもっと広く福島県、関東一円に住んでいると病気になると信じている人がいる。なにを信じるのかはご勝手だが、当時のぼくらは、まともな情報がなくて、右往左往していた。直ちに健康に影響がない、ということだから、しばらくは元気に暮らしていられるのだろうけど、10年後に発病してデロデロになって死んでいくのではないかという不安もあった。

でも年寄りは元気だった。ぼくらの周囲は全村避難とはなったが、住んではいけない地域にはなっていなかったし、それ以上に代々の土地を離れるわけにはいかない農民の本能も大きかったと思うけど、土地を離れる気はないようだった。年寄りだから放射能の影響がないと信じていたから安心できたというのもある。その代わり、小さい子どものいる若い親は、みんな村を出ていった。うんと遠くへ引っ越していった人もいれば、ごく近隣に住んでる人たちもいる。放射能の不安があるのなら、もっと遠くへ行ったほうがいいと思うのだが、話はそんなに簡単ではない。

ということで、以下、箇条書き

1701ある日のイノシシ増え続けるイノシシは、食べられないほど線量があるというのに、みんな元気だ。

・こと我が村に限っては、放射能被害はごく少なかった。空気線量は、おそらくせいぜい事故前の倍くらいだ。
・倍と聞くとびっくりするかもしれないが、放射能の数値は単位が変わったら注意したほうがいいのが現実だ。
・単位が変わるというのは、μSv/hがmμSv/hになり、Sv/hになったときだ。
・情報化を気取る人の中には、累計線量を時間あたりの線量と比べたりする算数の得意な人もいるから要注意だ。
・この地域の米や野菜からは、まず放射能は検出されない。
・世の中にはそういう検査に懐疑的な人もいるから始末に負えない。
・最低限の検査も信じてもらえないなんて、日本国家の信用失墜も驚くべきところまできたのではないかと心配になる。
・そうはいっても、ある種のキノコやイノシシなど、野のものは出荷制限、摂取制限が続いている。
・野生のキノコは、それを生業にしている人はいないから、東電も保障しないつもりらしい。
・キノコ採りなどを楽しみに移住してきた人がこの地を去っていくのもしかたない。
・イノシシは食べられないとなると、どんどん増える。しかもどんどんあつかましくなる。
・イノシシ捕獲などは、旧来の法律で守られていて、どうも現状に合っていないと思われるが法律は絶対。
・イノシシの線量は基準値(100Bq/kg)の数倍から数十倍(うちのあたりで獲れたものについては)。
・食べたらどうなるのか保障はないが、当のイノシシは元気に山(や人の家の庭を)走り回っている。
・輸出入の放射線基準値は500Bq/kgほどなので、それを思えばやつらは食える個体も少なくない。
・キノコの類いは尋常でない線量を記録するものもあるが、それでも数万Bq/kgほど。
・年に何度も食べられない珍しいキノコは、おいしく食べたほうが健康によいと思われる。
・そういう点で、山下俊一(長崎大学副学長)が笑う門に放射能は来ないと言ったのは正しいと思う。
・でも被曝を恐れる被災者的には、なんだかバカにされたと思ってしまった気持ちはわかる。
・周囲では、震災後にガンになった人もいるし亡くなった人もいっぱいいる。
・鼻血だって、出る時には出る。血液さらさらの薬飲んでる人とかは、鼻血も出やすい傾向がある。
・高齢化社会だから、人が死ぬのは自然の摂理なのだが、放射脳のせいにしたい人も多い。
・放射能ゼロならガンで死ぬ人がゼロになるわけではないから困ったものだ。人は死ぬ時に死ぬもんだ。
・放射能被災地を飛び出していった人は、こういうめんどくさいことを考えるのがいやだったのではないだろうか。
・原発建屋が3基も爆発して炉も3基ぶっこわれてるんだから、これくらいのめんどくさいことにはなるだろう。
・50年前にさかのぼって、原子力政策はやるべきではなかったのかもしれない。でも高度成長はむずかしかったろうね。
・始めちまった原発をどう静めるかは、日本を上げての大問題で、原発反対と声を上げてりゃいいものではないと思う。
・少なくとも壊れた福島原発は40年20兆円でおさまるわけがないのはみんな承知しているはずだ。
・今の混乱は、危険も安全もちゃんと教えてこなかった、50年前からにさかのぼっての原子力政策にあると思う。
・あぶないことはあぶない、あぶなくないものはあぶなくないと認識できない人がたくさんいるんじゃないだろうか。
・日本人全員の甲状腺検査でもしてみればいいと思うんだが、そんなことしたらどえらいことになるだろうな。
・甲状腺の病気うんぬんではなく、検査を受けたことで複雑な環境に置かれた子どもたちはみんなかわいそう。
・放射能の被害なんかしれたものだけど、保障のあるなしやその格差や行政のやり方で気の毒になった人は少なくない。
・そういう被害については、ほとんど金銭的補償はないから、福島県もバカにされたものだと思う。
・そういうのを棚に上げて、福島県に人を呼ぶことにはお金がじゃぶじゃぶつぎ込める。
・だからまた、不信感のある人には大きな不信感となってしまうんだろうなぁと思ってしまう。
・なんでもいいけど、ぼくはもう老後の人生だから、地域の老後のみなさんと楽しい老後を送ろうと思う。
・原発事故がなかったらどういう人生だったのかわからないけど、これもぼくの人生だ。

ということで、今年もよろしくお願いします。

1701ある日のカラオケ村で老後を送る人々は、元気だ。その元気には圧倒されている。