当、川内村高田島地区では、今年二度目の雪が降ったらしい。らしいというのは、ぼくは見てないの。日曜日の夕方、これから寒くなるぞ、水が凍るぞと脅かされたんだけど、締め切りがあったのと横浜から届いたコンピュータを組み立てていたのと、もう2ヶ月ほど行方不明のオーディオのリモコンを探していたのとで(こいつは、すべての操作をリモコンで行うから、今は音も出ません)、きのうの夜から今朝にかけて、お外を見ることもなくコンピュータの画面をにらみ続けていた。
集落の山のてっぺんにお住まいのKさんの日記に雪が降ったとあったのであわてて外を見てみたけど、下界のこっちは降ってないのか、それとももう溶けてしまったのか、雪が降った形跡はもうなかった。
やっぱり朝起きたら、用がなくても外に出て、山に向かって(ちょうど糠馬喰山というてごろなのがある)おはよう!と叫ぶべきなんだな、反省。
と、そんな二度目の雪が降る数日前に、しめ縄教室があった。先生のじっちゃんに教えてもらって、お正月用のお飾りを作ろうという催し。ぼくが参加するのは2度目だけど、初めて参加したのが2年前で、こよりのできそこないみたいなのを何本か作っただけで終わった。こういうのは、もともと苦手なんだ。とほほ。
で、それからまるまる2年経ってしまって、ちっとは覚えたやり方を、まるっきり忘れてしまっていたから、参加2度目のど素人になっていた。今の世の中、しめ縄ができなくて困ることなんかほとんどないのだけれど、そうやって不要なものをどんどん省いていったのが20世紀後半のニッポンの姿だった(大きく出たなぁ)。不要に見えて必要なものも、ほんとにいらないものも、必要だけどめんどくさいものも、全部まとめて省いてしまったんじゃないかって気もしないでもない。
ネット通販を検索してみれば、しめ縄も安いのは1000円くらいから買える。1000円で済むものなら、ネットで注文して寝て待っていたほうがいいってもんだ。
そんな時代だから、めんどくさい思いをして藁と格闘しなくてもいいのだけど、日本人類何百年何千年やってきたことには、なにか意味があるはずだから、いまさらながらこんなことしてみるのも悪くはなかろうというもんだ。
なーんて、かっこいいことを言っていたって、へたくそはどうしようもない。初めて参加したといっても、村の人は自分ちでしめ縄作りをやっていたりするから、てんで素人ではない。町の方からやってきた人が何人かいらして、同じくらい藁と格闘している人がいると、同志がいると思って安心する。いや、ここで安心してはいけないのだ。来年さぼって再来年にしめ縄作りに出かけたりすると、今回素人だった人がみんなプロになっていて、素人はぼく一人という悲しいことになっていたりするにちがいないのだ、きっと。
教えてくださる先生は、先生といっても職人だから、習わせるより慣れさせるほうが得意。
「藁は何本くらいつかめばいいんですか?」「藁のどのへんから始めればいいんでしょう?」
なんて初心者らしい質問には
「そうさなぁ、好きなだけつかんで、好きなところから始めればいいさ」
そんなぁ、先生。それじゃさっぱりわからない。
でもこのあたりでものを教わるというのは、たいていこんな感じだ。農作業ひとつ、間伐もチェーンソーの刃を研ぐのも、全部こんな感じ。こういう教わり方にたじろいでしまう自分を見ると、なんだかんだいっても、自分は現代風の教育を受けたんだなぁと(いい年してるくせに)思い知るのであった。
若い頃は、手取り足取り、安全第一で教えてくれる先生たちの教え方が、じれったくて仕方がなかった。でもそういう教え方に反発していたということは、つまりはそういう教育体制の中にいたってことなんだなぁ。
職人の世界は、むずかしい。
というわけで、今年はいくつかしめ飾りを作った。なんだかんだいっても2回目だから、2年前にやったときよりは、だいぶ上達したような気がしていました。
で、後日、用があって現れた代理区長さんに「どんなのつくったの?」と言われてえへんと見せたら、笑われちゃいました。いやはや、とても人に見せられるものではなかったということですね。というわけで、一番最後の写真は、職人のじっちゃんが作ったホンモノです。
一番上は、その材料たる藁。これも、お米を採った残りをそのまま持ってくればいいんじゃなくて、きちんと保存して、いい緑色が残るように管理したいいものなんだそうだ。いい藁しかさわったことがないから、なにがいいのか悪いのかも、まだわからない。残りの人生でちがいがわかるように慣れるかどうかはわかんないんで、これをお読みのみなさんは、今からでもぜひ藁と格闘する時間を、ほんの少しでも持ってみたらどうかなぁと、自分のことは棚に上げて思うのでありました。