雪は降ったって春は春。シーズンは開幕してます。えいえいおー

初詣で

2010花札

2010年が明けた。今年は、表の参道ではなくて裏側に自動車で上れる道ができたので、初参りに来る人が増えるのではないかということになった。

毎年ちゃんと初参りしている人はきちんといらっしゃる。でもなんせ、低いけど山の上の神社だし、寒いし、ころんころんと鐘を鳴らしてお金をほうりこんでそそくさと帰るというのが毎年のことで、神様を前にお神酒を酌み交わして和むなんてことはほとんどなかったのだった。

12月31日、神社のお掃除をして、ストーブを運び込み甘酒をつくる。表の参道は、急な階段。昔の人の手作りらしくて、いろんな角度に石が積まれている。下に向かって傾いている階段は、特に下りるときにはたいへんこわい。今回は裏に道があるから、階段を上る人はごく少ないだろうけど、やっぱり表の参道は大事なので、落ち葉などはらってきれいにしてあげる。

境内には、水をためる石の瓶がある。もともとは雨水を溜めていたのだけど、秋に引き水を300mばかり引いてきて、いつでも水が出るようにした。山から出る、とてもおいしい引き水だ。水を通すパイプの敷設は、ぼくもお手伝いしたのだ。あんまり上り下りしないように、目的地に向かってどこを通したら効率がいいか、ない知恵を絞りながらパイプを巡らせていくのは楽しかった。

でもね、この水が凍っちゃった。出るほうはいいのだが、排水のほうがだめだった。排水が凍ってるのに出るだけ出てしまうと洪水になっちゃうから、残念、今回は境内の水はなし。春になったら、排水用のパイプを土中に埋めようということになっている(手抜き工事して、地面に置いてあるだけだった)。

さて、準備を終えておのおのいったん引き上げ、その間にぼくは自然山サイトの改造に取り組み(なぜか、サイトに手を入れるのはお正月と決まっている)、役場の課長さんが持ってきてくれたうちたての蕎麦などをいただき(役場をやめたら蕎麦屋をやるんだといっているから、みんなにも食べてもらえる日は近い)、夜の11時になってあらためて神社に出かけてた。

うっすらと雪化粧した境内から見ると、扉の中に人の気配あり。怪しいバーの扉を開けるような感じで勇気がいりそうだが、こういうところに「おばんです」と入っていけるようになっただけ、住み心地はよくなった気がする。ぼくは小心者だから、知らない人の中にはいっていくのはずいぶん勇気がいる。

とまれ、中にはいってお神酒などいただき、そのうちもはやお神酒ではなく、健全な酒盛りになった。持ってきたストーブは大きなものだったけど、すきま風はいり放題だし、寒いのだ。酒でも飲まなきゃ、凍死してしまう。

2010花札

そうしているうちにも、初参りのみなさんが次々にやってくる。例年だと、誰もいないところにやってきて、こっそりお参りして帰っていた皆さんは、扉を開けた瞬間にびっくり。まぁちょっと飲めと勧められて、そのまま居座る人もいるし、固い意思でお帰りになる方もいる。Kちゃんはいっぱいだけやったあと「姫始めがあるから帰ります」と帰っていった。もうすぐおじいちゃんの年になると、こういう言い訳もちゃんと通用する。がんばってください。

牛を飼っているHさん親子は、はだしでやってきた。おりしもストーブの横では花札が始まっていて、お父さんはすぐにそれに混ざってしまった。はだしで寒くないのかなぁと心配になるも、これはなにかの修業なのだろうかと聞いてみた。宗教上の理由などはなにもない、そうだ。安心した。

花札は、しばらく観察していたけど、さっぱりわからなかった。なんでも高田島には高田島独特の花札があるんだそうで、猪鹿蝶が役にならないルールらしい。といっても、みんな花札をやるのが中学の時以来だとか言っているから、記憶をたどりながらおたおたやっている。

こういうのも文化だから、やってないと消えうせちゃう。だから正月くらいは花札をやろう、と初参り花札の発案者のTさん。伝統を残すのは、たいへんなのである。

誰が数えしていたのかはわかんないけど、70人くらいお参りにきた人がいたということだけど、夜中の1時をすぎたあたりでお開きになった。近所のMくんがよいよいの酔っ払いだったので、HくんとEちゃんとで送っていって、ついでにMくんのこたつの上に残っていた鍋を勝手に暖め、冷蔵庫のチューハイなどを勝手に開けて、お正月の未明の時間が過ぎていった。Mくんはとうにダウンして初夢を見ている。どんな夢を見ているやら。

今年もよろしくのお正月物語でした。