雪は降ったって春は春。シーズンは開幕してます。えいえいおー

新盆

新盆の高灯篭

 去年ほどではなかったけど、きぜわしい8月が終わろうとしている。8月が忙しいのは、お盆があるからだ。盆と正月がいっぺんにきたような、というのは、冬休みと夏休みがいっぺんにきたようなもんだといううきうきのたとえだと思っていたんだけど、大人の世界では、盆と正月は忙しくて、それがいっぺんにきちゃったらえらい騒ぎだよね、というわけでしたね。
 ところでご当地では、今年初めてお盆を迎える仏様がいらっしゃるおうちでは、こんな高灯篭を用意する。初めて里帰りしてくる仏様が、迷わずに自分の家に帰ってこれるようにという案内表示だ。


 川内村でも、上川内(住所的には、ご当地高田島界隈は上川内にはいるのだけど、風習的には上川内とは別文化圏といえる。地域文化はむずかしいです)のほうでは、家の前で迎え火送り火を焚く。迎え火送り火は毎年のことだけど、この1年に亡くなった人がいる場合は、お盆もただのお盆ではなく、新盆となって、ちょっと特別な夏になる。
 去年までいたひとがそこにいない。いなくなったひとを偲んで、みんなが集まる。家族も、親戚も、ご近所も、みんな集まる。
 もちろん、いなくなったご本人も、仏様となって帰ってくる。80歳になってお亡くなりになった人も、90歳で亡くなった方も、仏様としては初心者だから、高灯籠の目印は絶対必要なんだろう。
 でもね、このところ、ご高齢の方が次々に亡くなっていく。順番だから、亡くなるのはまぁしかたない。みなさん、だいたいそれぞれ、天寿を全うしているといえる。でも高齢者人口が多いから、1年に何人もの高齢者が亡くなっていく。
 だもんで、高灯籠はそっちの家にもこっちの家にも立っている。えーと、目印の高灯籠があっちにもこっちにもあって、仏様はちゃんと自分の家に帰ってこれるんだろうか。村人初心者は心配になってしまう。亡くなった方は人間としては80年も90年もこの地にお住まいになっていたベテランだったけど、仏様としてはまだまだ初心者なのだからゆえ。
 冥土から自分の家に帰るなんて、やったことないはずだから、自分の家の位置も、もしかしたらまちがえちゃうかもしれない。つい、隣の高灯籠の目印に、帰っちゃうかもしれない。
「おやー、お隣の○○さん、よく帰ったねー」
「おや? ここはおれんちじゃないね。おれが死んだんで、家の模様替えしたのかと思ったけど、まちがえたのか」
「ま、いいから。今日はうちも新盆だから、休んでけ」
 休んでけ、という呼びかけは、ここに住み始めたときは、とっても新鮮だった。そんならちょっと腰を降ろそうという気にさせられてしまう。腰を降ろすと、休んでけ、は実は、飲んでけ、だったりする。「高田島の休んでけ、はたいへんです」と、高校を卒業したばっかりの女の子に教えてもらったことがある。娘ごころに、たいへんだったらしい。
 ○○さんも、そういわれると、つい休んじゃうんじゃないだろうか。休めば、酒が出てくるにちがいない。あー、○○さん、新盆だというのに、おうちに帰る頃にはすっかりできあがっている。
「あー、おっかあか? □□さんちに寄らせてもらってるんだが、ちょっとばっかり酒ごちそうになったんで、迎えにきてもらえっかな」
 生前は、きっとよくそんな電話をかけていたにちがいないお願い電話を、またかけなければいけなくなっちゃったりするわけだ。あれ? 仏様は、酔っ払い運転しても大丈夫かな? クルマに乗って移動するわけじゃないから、関係ないか。
 いやはや、ともあれ、心配のお盆の季節は終わろうとしている。