雪は降ったって春は春。シーズンは開幕してます。えいえいおー

トライアルと携帯電話

ポーランド航空のプロペラ
例によってなんの関係もなく、ポーランドで乗ったプロペラ機

 日本の携帯電話って、へんだよなぁという日記を、何回か書いてきた。それを読んでくれたひとから「一生懸命読んでみたけど、理解できなかった」という感想もいただきました。もうしわけない。自分の筆力のなさを痛感するところなのだけど、つい先日、その原因たるものが、なんとなくわかった気がした。


 日本の携帯電話をざくっとガラパゴス携帯なんて呼ぶことがある。ガラパゴスって、なんでも南太平洋の島で、まわりと隔絶されているがために、独特の生態系が育った孤立した諸島らしい。で、日本独自の発達をしている携帯を、こう呼ぶようになったのでありました。
 しかしところが、シャープが電子書籍を端末を出したと思ったら、その名前がガラパゴスと命名されていたり、当初は揶揄的な呼称だったものが、ガラパゴスでなにが悪いと、ちょっと開き直り気味なのが、最近の日本列島なのだった。
 お友だちの大学教授(知り合った頃は確かプーだった)によると、日本は確かに孤島的に独特の製品や習慣が発達していくけど、それはそれで充分商売になるだけの市場を持っていたからなんだそうだ。あー、なーるほど。
 ぼくはずっと不思議だったんだ。携帯電話もだけど、その昔のコンピューターも、どうして日本の製品は、世界の標準とちがっているんだろうって。当時は、日本は漢字の文化をもつ国だから、アルファベットの国の機械とは仲良くなれないんだと思ってた。でも日本よりもっと漢字社会の中国では、日本よりひと足先に標準の(格安の、そしてときどき粗悪の)商品を作り始めていた。中国人は華僑として世界中に出向いていく野心を持ってる人種だから、世界標準の(安物の)製品を作れば、商売になるってことを知っていたんだと思う。
 日本のひとは、世界でも買いものが大好きな人種だ。だもんで、日本人が海外旅行に出かけはじめた頃には、ショッピング通りでの日本人の群がりがおもしろおかしく報道されたし、今はなきアンカレッジの免税店をはじめ(アンカレッジの免税店、今もあるのかな?)日本語が使えるお店がいっぱい現れた。日本語が使えると、日本人はいっぱいお買い物をしたんでしょうね。
 もうひとつ、日本のひとは、1番が大好きだ。1番以外はうんこだと断言するメンタリティも持っている(レースの世界には、こういう人がとっても多い。当然だけど)。同じような製品が並んでいると、だいたい最高級品を買う。うな重食いにいって松竹梅あると、ほんとは梅を頼みたいのに見栄をはって竹を注文しちゃうってのに、ずっと手元に残るものだと、あとで後悔したくないから1番いいやつを買っておくわけだ。
 外国のひとたちは、安物というか、身の丈にあった製品を使っているひとが少なくない。日本のひとが1番が好きなのは、日本人らしい見栄ってのもあるんじゃないのかなぁ。

クラクフの路面電車
こちら、ポーランドの旧都クラクフを走る古そうな路面電車

 ところで、トライアルの場合、1番いいやつって概念がない場合が多い。モンテッサはともかく、トライアルでは世界選手権を市販車をベースにして戦うことが多い。ふつうに売ってるものが、ほとんど1番いいやつで、見栄のはりようがない。トライアルの市場がいまひとつ活況にならないのは、もちろん、人口が多くないってのもあるんだろうけど、こういう理由もあるんじゃないのかなって、秋の空を見上げながら思ったのだった。
 ぼくらは今、とってもいいマシンに乗ってトライアルができている。これが20年以上前だと、国産にもトライアルマシンがあって、多くのひとは国産マシンでトライアルをやっていた。でも国産トライアルマシン(競技用でないやつ)はタンクは重たいスチール製だったしタイヤはトライアル用とは名ばかりのカチカチのロード用がついていて、ちゃんとトライアルをするにはいくらか追加投資が必要なものだったけど、こういうマシンがあるから、世界のトップクラスのマシンに乗っているひとたちのステイタスも発揮できたってことじゃないかしらん。そういえば、あの当時、イーハトーブトライアルに行くと、ファンティックに乗ったハイソ(今で言えばセレブ? どっちにしても死語か)なグループがいらっしゃって、うらやましく思ったものだった。思えば、トライアル界では、あの頃にガラパゴスな文化は淘汰されていったのかもしれない。
 そうして今、日本に残るトライアル産業といったら、トライアルにぞっこんの、小さなショップや工場ががんばっているばかりで、大きなところはすっかり撤退傾向だ。素手でトライするのがふつうだったトライアルに(驚くなかれ、アクセルワークの感覚がにぶるからと、真冬でもグローブをしないでライディングしていたライダーは多かった)グローブをする文化を与えたのは、感覚をスポイルすることない優秀な日本製グローブの存在だった。なのに今、日本でトライアルを楽しむ人は、ごく一部をのぞいて、圧倒的に外国製品を使っている。
 携帯電話とトライアル業界では、市場規模がうんとちがうし、ぼくの経済寸評なんてあてにならないことこのうえないけど、なんとなーく、日本の産業界はトライアル産業界の流れを追っかけてきている気がするなぁ。
 ここ数日、日本人がノーベル賞とったってマスコミは大喜びしているけど、それは藤波貴久が世界チャンピオンをとったみたいなもんで、日本ががんばったんじゃなくて、藤波ががんばったんじゃないのかな。
 これから先、日本が天下を取るには、日本に市場のない土俵で、背水の陣でがんばる人たちが出てこないといかんのじゃないか。ガラパゴスという適切なのか不適切なのかわかんない言葉で表現された携帯電話文化は、機能の善し悪しとかじゃなくて、そういうことを語ってくれているような気がしてならない。
 ということで、ぼくの電話は、スマートフォンだのなんだのと浮気したあげくに、やっぱり電話ができればそれでいいじゃんのNOKIAに落ち着きました。NOKIAは日本市場はもうからないからと日本撤退しちゃったけど、それはそれで別にかまわない。この前久しぶりに海外へ行って、飛行機が着陸してしばらく、機内のあちこちからNOKIAの起動音が聞こえてきて、ここは日本ではないのだなぁと思ったという日記でありました。