雪は降ったって春は春。シーズンは開幕してます。えいえいおー

秋のお祭り

2011例大祭

 短い夏がすぎて、稲穂が頭を垂れる頃に、秋の例大祭がある。豊作祈願のお祈りなんだと思う。
 今年はお願いしようにも、お米を作っていないのだからどうにもならないんだけど、お祭りはお祭り。予定通りにおこなわれた。ぼくはいなかったけど、春にもちゃんとやった。いつもの年とはちがうお祭りだけど、お祭りをやる、お祭りができるというのは、小さな地域の大きな力だ。


 いつものお祭りは、三匹獅子が舞いを踊る。三匹の獅子を演じるのは子どもたちだ。獅子はは6年間同じ子どもが演じるのだけれど、おととし着任した新しい獅子たちは、なかなか踊り上手だった。
 その獅子たちは、今年はいない。みんな、どこぞへ避難してしまっている。いつもなら、お祭りが近づくと踊りの練習で夕方には笛や太鼓の音が聞こえてくるものなんだけど、今年は静かなままお祭りを迎えた。子どもがいると練習するけど、大人だけだとぶっつけ本番。でももしかすると、大人の方が忘れっぽいから、大人の方が練習しなきゃいけないのかもしれないけどね。
 獅子舞もないし、神官さんも来ない。逃げている人に来いとは言わず、いる人だけでとりおこなう。この日のために、避難先から帰ってきた人もいた。お餅を作ったりお昼のけんちん汁をつくったり、おっかあたちも忙しい。都会的にはめんどくさい行事かもしれないけど、こういうことのひとつひとつが、村の暮らしを形作っている。
 関係ないけど、最近じゃ原子力ムラなんて言い方が世間で流通している。死の町って言って大臣やめなきゃいけないんだったら、あれも村に対して失礼な言い方だと思うぞ。まぁいいや。漢字の村とカタカナのムラはいっしょにしないでいただければ幸いです。村をつくっているのは、昔ながらの思い切り古い伝統の数々で、ときどき違和感を感じることもあるけれど、少なくともあっちのムラの違和感の数々とは月とスッポン以上の開きがあるもんだ。
 村の、ことにこの高田島の祭は、酒が主役だ。昔は酒を飲むたんびにけんかになったらしいけど、今はみんなも大人になった。個人的には、少しはけんかもしたほうがいいんじゃないかと思うんだけど、長いつきあいだから、けんかもし尽くしたのかもしれない。
 酒は、はっきり申し上げて安酒でござる。東京で遊んでいたときには、まず飲もうと思わない。醸造用アルコールがたっぷり入った酒だけど、みんなこれが好きだ。ここへ来た当初は、おいしいお酒を知らないのだと思って、純米とか吟醸酒を持っていったりしたんだけど、水っぽいと飲んでくれない。このへんでお酒といえば、ちょっと舌にヒリヒリするような、刺激のあるやつじゃないといけないのである。
 安酒がいけないのは、二日酔いと悪酔いだ。ところがここへきて安酒で酔っぱらううちに気がついてみれば、たいして二日酔いにもならず、悪酔いもしない。郷に入れば郷に従え。ここでは酒はこれに限る(安酒安酒と連呼したから、お酒の名前はないしょ)。
 ちなみにこの安酒信仰は、川内村でも高田島でだけのものらしく、しかも若い人には通じない。そして高田島が楽しいのは、安酒が好きなオヤヂたちのパワーゆえのものだと、ぼくは信じている。

2011秋の例大祭

 東京で育ったぼくにとって、お祭りというのは縁日だった。お祭りは綿菓子を買い食いするイベントで、そもそもなんのためにやってるんだかは、子どもにはさっぱりわかんなかった。村のお祭でも、かつては縁日が出たこともあったらしいのだけど、今は出店はなんにもない。そんな人出じゃないですからね。しかしだからこそ、お祭りがなんのためにあるのか、よりはっきりと伝わってくる気がする。
 復興イベントでもなし、なにかをアピールするわけでもなし、いつもとおんなじで、いつもより子どもたちがいないだけというお祭だったけど、これこそ、この地域が復興に向けた大事な姿勢だったんじゃないだろうか。
 で、気がついたらぼくは、広間でひっくり返ってぐっすり寝入ってしまっていましたとさ。最近、あんまり飲んでないもんだから、練習不足だったのだと思う。反省。
*写真、Facebookのアルバムに載せてみました。こちらをどうぞ<http://on.fb.me/rmcmUQ>