雪は降ったって春は春。シーズンは開幕してます。えいえいおー

原発事故の思い出[3月16日]

避難前の記憶は、この日が最後になる。3月16日。ぼくらは村を出ることになった。

3月12日から、村の通信網は遮断されていて、外部との連絡は取れなくなっていた。仕事にもならないし、第一、自分たちの安否を親しい人に伝えることすらできない。前の晩の村長の避難宣言のような放送を聞いて、ひとまず村を出て考えようという気になった。

2011年3月16日の朝

朝、最後まで残っていた何人かに挨拶をして、必ずの再会を約束して、村を出た。途中、脇道をのぞくと、もうすっかり日が高いのに、クルマが走った形跡がまったくない、白い雪が積もったままの道。この道が、この時間に、ここまで往来がないことなんて、人類がこの地に住み着いてから一度もなかったんじゃないだろうか。

この時初めて、村のそこここのおうちが空っぽになっていることを知る。大滝根の峠を越え、阿武隈山系から中通へ抜けるも、火が消えたように人がいなくなっていた。そして、道がふにゃふにゃに歪んでいて、家が崩れているのを見て、あらためて地震の大きさを思い知った。それは同時に、ぼくらの住むところは、地震の被害はほとんどなかったのだという発見でもあった。