雪は降ったって春は春。シーズンは開幕してます。えいえいおー

原発事故の思い出[3月18日]

3月16日、川内村を出て途中、わけあって西郷村の大きな釣り堀に寄り道をして、白河市役所に出向き、放射線値のスクリーニングを受け、各方面から届いた連絡に返信をして夜を迎えた。原発はぜんぜん落ち着いていなかったから、緊張しつつ、テレビを見ているしかやることがなくていいのかともんもんとしていた。そんな時間は、17日もそのまま続いたのだけど、川内村のみんなに会わなければと、18日は郡山へ出かけてみた。

2011年3月18日の郡山の飲み屋

川内村と富岡町のみんなが避難しているビックパレットは、なかなかなカオスだった。人だらけの中で、知り合いを見つけるのも一苦労で、ほんの何人かに出会えただけだったけど、臨時役場が置かれた事務所に顔を出せば、村長にも会えて、ついカップラーメンなどごちそうになってしまった。

いくつか必要な書類などを作ってもらって、自分の連絡先を申告して、その晩は郡山の知り合いのところに泊まることにした。そのマンションもそうだったけど、郡山はどこもかしこも地震のダメージが大きくて、ここは被災地なのだなぁと痛感した。

夜、電気の消えた街をあるいていると、赤ちょうちんを発見。入ってみると、おばちゃんが今まさに店を開けたところだった。

「ぐちゃぐちゃになった店を片づけて、それで帰ろうかと思ったんだけど、気持ちがふさぎ込んじゃうばっかりだから、店やってみようかと思って、開けてみたの」

ぼくらもその店は初めての一見さんで、その後、常連さんが「やってるんだね」と驚きつつのれんをくぐってきた。震災から立ち上がるというのはこういうことなんだなと思ったけれど、ぼくらが立ち上がるのはいつになるのか、そのときにはまだまだ想像もつかなかったなぁ。