雪は降ったって春は春。シーズンは開幕してます。えいえいおー

原発事故の思い出[吹雪]

2011年3月11日。あの日、地球最後の日かなと思ったのが、この吹雪だった。その数日後に降った雪は、大気に吹き上げられた放射性物質を含んでいたけど、この雪はまだそんなことにはなっていない、きれいな雪だったはずだけど、一番不気味だったのは、このときの雪だった。

2011年3月11日の吹雪

最初の大きな揺れがおさまって、家は無事かな、なんかこわれてないかな、みんなはどうしてるかなと外へ出た。自動販売機の中で缶が倒れていたり、屋根瓦が落ちていたり、それなりにひどいことにはなっていたけど、家が丸ごと崩れて誰かが下敷きになっているとか、そういうことはないみたいだった。

そっちこっち歩いていると、通りに面したTさんが、脚立を出してきて崩れた瓦の修復をしようとしている。まだ余震が来てあぶないから、そんなのやめとけ、とみんなでその作業をやめさせた。台風の最中に田んぼを見回りに出かけて流される人とかいるけれど、働き者でまじめな人は、本能としてそういうふうに動くのかもしれない。

しばし後、やめろやめろといっしょに声をかけていたYさんに、こっちへきてテレビを見てみろ、と呼ばれた。なんだかんだと、大きな揺れが来てから30分が経っていたんだと思う。テレビという情報伝達機械は、たいていおおげさな表現が好きで、そういう作り物の世界にはなれてしまっているから、なにを見せられてもたいてい驚かない。それでもこのとき見た津波映像にはびっくりした。神戸の高架橋がぽっきり折れているところ、貿易センタービルに旅客機がつっこんだところと、サリンがまかれてパニックになった東京の町、そしてこの津波と、生きていると心底びっくりすることが何度かあるものだとあらためて思った。

Yさんちは酒屋さんだったから、さぞ酒瓶が割れてたいへんだったんじゃないかと思ったけど、なんでもその日はたまたまたまたま棚卸しをしていて、高いところに酒はなかったのだという。なのでまったくといっていいほど地震の被害のないところで、津波に飲まれていく街の様子を、ただぼう然と眺めていた。近所の人が何人かいっしょに見ていたけど、みんな、なんにも話さなかった気がする。

しばらくして、テレビを見ているなら家でも見られる。片づけに帰ろうと立ち上がると、外は吹雪だった。それも横殴りの大吹雪。あの日はそんなにいいお天気ではなかったけれど、雨や雪が降るような感じではなかったから、天候の急変にびっくりした。

びっくりしたというより、なんだか背筋がぞくぞくするような恐怖があった。ぐらぐら揺れているときには、地震なんかに負けるかという強い意思が生まれるが(実際にはなにもできずに丸くなっていただけだった)ひたすら降る横殴りの雪には、どうやって向かっていっていいものやら、わからない。

このまま世界が終演を迎えるのではないか、地震は、単なるその前兆だったのではないかと、おっかなかった。もしかして、今思えば、それはあたらずとも遠からず、だった、のかもしれない。