雪は降ったって春は春。シーズンは開幕してます。えいえいおー

プロターとの思い出、プロヴィーニさんとの思い出

ちょっと探し物をしていた時に(なぜか娘の家で)発掘されたなにやらの賞状らしきもの。なんだろうね、これ?? とすっかり記憶が失せていたのだけど、じっくり見つめていたり翻訳してみたりすると(娘がやってくれた)思い出した。

プロター25周年

イタリアにプロターってプラモデルメーカーがあった。元GPライダーで、初期の日本GPを走ったこともあるタルキニオ・プロヴィーニが、マン島で大クラッシュしてレースを引退したあとに始めた事業だった。

まともに組めない、そのラインナップが独特、とにかくマニアック、などという評判で、日本には熱心なファンがいて、そういう人にとって、プロヴィーニは神様(ただし全能の神ではなかったと思う)だったんだと思う。

https://www.shizenyama.com/nishimaki/thinkingnow/7423

プロヴィーニさんが亡くなった時に自然山WEBに書いたのによると、ボローニャのプロターをたずねた日本人取材者は4人だったということで、そのうちの一人がぼくだ。しかもぼくは、二度も行っちゃったんだ。元プロタージャパンの岡部和生さんとは、ライディングスポーツにプラモデル特集をやった頃から、懇意にしてもらっていた。

ライディングスポーツの記事がどんなのかといえば、長くなるけど記憶をたどってみると、タミヤ模型さんからCB400だかのプラモデルをいくつかプレゼント用にいただいた。今でもそうだけど、こういうのをもらうと、ただであげるのが惜しくなる。それで、当時宮城光とかが出てきて人気を博していたTT-F3仕様に改造して写真を送ること、という難題を押っつけたら、続々とエントリーがあって、こんなに人気があるなら、プロモデルはプレゼントするけど、プレゼントに外れた人も自分でプロモデルを買って参加できるようにしたらどうだ、ということにした。

それで結局、確か4ページだか6ページにわたって力作を紹介するページができあがった。どうせならちゃんとスタジオで写真を撮ろうということで、全作品、送ってもらったんだよね。当時の編集部もそうとうヘンタイだったけど、送ってくる読者の皆さんもそうとうなもんだ。

写真を撮っている間、ぼくはねちねちと改造マシンを観察して、これでは旋回性が悪そうだとか、CVキャブが上下さかさまについてるとか、およそ、プロモデル作品の出来とは関係ない評価をした。中には仮面ライダーマシンに換装されているものもあって、そういうのは速そうとか遅そうとかじゃなくて、いかに悪者をやっつけられそうか、という評価になったと思われる。そのページが、岡部さんにはいたく気に入ってもらって、それからいろいろ話を持ってきてくれるようになった(あのページ、もう一度見てみたいなぁ。こう書いたら、誰か見せてくれないかなぁ)。

それで声をかけられたのが、浅草のホテルで開催された、プロター社長を囲む会だった。プロター社長は、すでに息子に代替わりしていて、プロター愛の強い日本人モデラーのみなさまは、新社長は先代の築いたプロターの独特かつ高貴な味わいをどう維持していくのか、なんてことを聞きたかったみたいだけど、若いビジネスマンの彼は、プロターは今も昔も、精密で正確なプロモデルをつくっていて、それは今後も変わらない、みたいなことを答えていたと思う。えー? プロターは精密でも正確でもないじゃん、だからおもしろいじゃん、とみんな思っていたと思う。で、イタリアと日本の友情の出会いは、なんとなくかみ合わないで進んでいった覚えがある。

でもこういうの、よくあるんだ。ライカとかカール・ツァイスとか、数値的には日本製レンズにかなわないけど、ドイツ製レンズには独特の味があるという人たちがいる。ぼくも、少しそう思っている。でも当のドイツ人技術者にいわせると、我々は日本製に勝る精度の高いレンズを作っている。ボケ味って、そりゃなんじゃい? ということになる。そうそう、ボケ味って、日本人が言い出したことで、なので最近は、外国人にもBOKEが通じるという話です。

レンズの話になっちゃった。そんなわけで、プロター社長とプロターファンの集いはすれちがいっぽかったんだけど、プロターの製品そのものにそんなに思い入れがない(というか、プラモデルにそんなに思い入れがない)ぼくは、そもそもそこにお呼ばれする資格なんかないんだけど、プロター本社に2回もいっちゃったジャーナリストということで岡部さんが特別に仲間に入れてくれたので、若い社長と熱心なプロターファンのやり取りを、ちょっと遠い目で見ていたのを思い出した。

そのミーティングのおみやげに渡されたのが、このイタリアと日本の友情の証です。

プロターにおじゃましたときは、プロヴィーニさん(先代)はマン島でひっくり返った時のギブスを見せてくれたり(事務所の片隅に、さっきまで使ってました、みたいにごろんと転がっていた)、ベネリ4気筒のエンジンをかけて音を聞かせてくれたりしたもんだった。40年近く前のお話です。

岡部さん、プロタージャパンもなくなったので、連絡が取れなくなってるんだけど、どなたか連絡先をご存知ないかしら?