新年早々の訃報でした。プロヴィーニは、プラモデルメーカーのプロターの創業者で、日本GPを走ったこともあるグランプリライダーです。マン島で三途の川を渡りかける大クラッシュをして、レースから引退。プロターを創業したというわけです。
亡くなったのは1月6日早朝。心筋梗塞だったようです。71歳。
プロター・ジャパンの岡部和生さんによると、クリスマスの日には電話で会話して冗談を言いあったそうで、亡くなる前日も元気だったということです。プロヴィーニらしい大往生だったといいましょうか。
岡部さんは、田宮にお務めだった若かりし頃、思うところあって会社を辞めてプロターの門をたたき、強引に入社した経験の持ち主。プロモデル屋としてのプロヴィーニの、最大の仲間であり理解者でありけんか相手だったと思います。
岡部さんによると、イタリアのプロターを取材した日本人は4人いるそうで、いわたげんさん(モーターサイクルジャーナリストの草分け的存在、海外在住が長い)、三重宗久さん(元カーグラフィック)、「ヤマハ55マイル」の取材でやってきた電通依頼の外注ライターさん、そしてニシマキだそうで。
岡部さんのWebサイトには、当時のぼくの書いたものが紹介されたりしているから、探してみてください。昔書いたものなので「なに言ってるんだろう」の部分もあって恥ずかしいけど。
ともあれ、アゴスチーニみたいなかっこいいイタリア人でもないし、サーティーズみたいな紳士でもない、縁側で枝豆むきながらビールを飲んでいるのが似合いそうな(イタリア人だからそんな文化はないと思うけど)バイク好きのおっちゃんという感じだったプロヴィーニおじさん、ありがとうございました。合掌。