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米騒動なう?

令和の米騒動、まだまだおさまりそうにないけど、さもありなんだなぁと思います。

ぼくは自分が食べるにちょっと足りないくらいの米をいたずらで作っているのだけど、田んぼの借り賃としていくらかお払いしているので、損か得かだけでいえば、買ってきた方が安い。借りてる田んぼはほんとに猫の額なので、肥料や薬の類いも、いっしょにわけてもらっている。なんなら機械も借りているし稲もいただいている。自分でゼロからやれといわれたら、なにから手をつけていいのかさっぱりわからない。だから、ぼくが「買った方が安い」と思う以上に、お金がかかるもんだと思われる。なんせ、高級コンバインなんて高級乗用車より高いんだもの。

農家の皆さんも「こんな米作りやってるより、買ってきた方が安い」とぶつぶつ不平を言っていたけど、不思議とやめる人はいなかった。減反政策だの、その減反がなくなって(実質はなんにも変わっていなかったけど)、飼料米(動物に食べさせるお米)作りを奨励されると、飼料米を作り始めた。なんとすなおなみなさんだろうと思う。もっとお国にたてついたっていいだろうに、もしかしたら、先祖代々、お国にケンカを売ってもどうにもならないってことを知ってるのかもしれない。それでも飼料米は、激安で買い叩かれていた人間の食べるお米より高く買ってもらっていたから、不思議だった。

昔々、日本には食管法ってものがあったとな。あの頃は、米は自分で作ったものであっても自分のものではなくお国のものだという感覚だったんじゃないだろうか。時代によっていろいろあっても、基本はお国が買ってくれるから安定産業だったのだと思う。食管法は1995年に廃止されたらしいけど、国がめんどくさくなったのかもしれないし、自由に米を売り買いしたいとの要望があったのかもしれない。うっすら覚えていたのは後者のほうだけど、そこから、ヤミ米が正規品となって、米穀通帳なんかも存在すら伝説になった。

お米が自由経済のまな板に乗って、さて未来のお米市場が切り開けたかというと、そんなふうには思えないなぁ。一部、新しい米作りをする若者も出てきているから、そういう人たちが米農家の趨勢になればまたちがうんだろうけど、少なくともうちの村を見る限り、お米を作っている人の大半は(どんぶりでは少なくても8割、多ければ9割以上)高齢者、それも後期高齢者だ。後継者はほとんどいない。20年前、30年前だったら、息子は家を継ぐもんだ、シノゴの言わずに米を作れ、と家長が言えばそれは絶対だったんだろうけど、そういう時代じゃない。若い頃から家を出ていた息子たちは、たとえ家に戻ったとしても、お米づくりは素人だ。50歳、60歳からの米作りはたぶんとてもむずかしいと思う。

ちょっと前、このあたりの人は、作ったお米は全部農協に買ってもらって、自分で食べるお米はおいしいのを買ってきていた。標高が高くて日照時間が短いうちのあたりでは、おいしいお米はできないと昔から言われている。新米の季節になって、自分ちのお米の納品が終わると、会津や新潟に米の買い出しに行って、1年分玄米で買ってくる。一人60kg、大きめのスーツケースくらいだ。二人家族なら2俵、このあたりの家なら、楽勝で置ける。

ここへ来るまで、都会人のぼくは、お米はお米屋さんで「生産」されるものだと思っていた。プラッシーも売ってるお米屋さんは、毎日お米が機械にかけられて店の中をジャージャー音を立てて流れていた。なにやってるんだか不思議にも思わなかったけど、あれは精米をしてたんだね。農家は逆に、作るだけでお米を売る習慣がない。保存しておく習慣もない。一家で食べる分を保存するのと、売るだけとっておくのとでは、ぜんぜん話がちがう。お米農家から保管倉庫(JAとか)、お米屋さん(今ではスーパーがふつうかもしれないけど)を経てみんなの口まで届く。精米、保管など、流通経費はけっこうかかるけど、これが市場経済ってやつだね。

だったらみんながこうやって買えばいいじゃん、ということになるけど、お米を保管する業者とかが失業するし、夏過ぎくらいに米びつが底をついても、新米が出るまで米は手に入らないってことになる。安定して1年中お米が手に入るのは、倉庫屋さん含めてお米屋さんがあるからだ。農家と倉庫屋さん、お米屋さんに食べる人たち。みんながいないと、お米はうまく回らないんだと思う。

高くなったり安くなっても、米がなくなることはない、と長老は言う。彼が米作りをしてきた約60年、米作りはずっと続いてきた(震災後2年間は米作りを禁じられた。これは異常事態だった)。だから今後も続くもんだと思うんだろうけど、ぼくはちょっと半信半疑だ。日本人は米を食うようにできているけど、米が高けりゃパンを食うという人は多い。女王様は誰にでもなれるものではないけど、300年近く時間が流れると、誰でもマリー・アントワネット気分が味わえるようになっているのかもしれない。少なくとも、昔の日本人ほど、ご飯がなければ生きていけない人は、多くないはず。

小泉進次郎が備蓄米を放出したのは英断だと思ったけど、備蓄米は米がなくて困るときに放出するもので、米が高いから価格安定のために放出するもんじゃなかったのではないか。そしてきちんと保管されたお米は、何年経ってもそんなに味は変わらないということもわかってしまった。ほんとは味は明らかに落ちてるんだけど、ぼく自身、この村に来てお米も水も野菜も、すべておいしいのを知った。都会暮らしをしてるときには、なかなかほんとのおいしさには出会えないですね。都会暮らしをしていると、それなりに食べられれば、おいしいと思って食べられる寛容性を身につけている。おいしくてちょっと高いお米より、安いお米が望まれるのは、これも市場原理だと思う。

しかしでも、備蓄米は採算度外視で備蓄している。もともと商売としてお米を売る目的じゃないんだから。お米の値段は次の新米ができるまでの安定供給経費を含めて決まっていくけど、備蓄米はそこから何年も何年も保存している。経費はうんとかかっている。それが新米の半分くらいの価格で放出されるのだから、市場経済的には破綻している。でも一度出ちゃったから、うちはあれでいいや、と思う人は多かったんじゃないかな?

今年、農家は一時の倍の値段でお米を買ってもらえた。大喜びかと思いきや、意外に困惑している人は多かった。高すぎだ。一番安いときで、1俵15,000円くらいのこともあったらしい。今年は聞いた限り一番高いのは33,000円ほど。これでほんとに買ってくれるのかと心配にさえなってくる。実際、米離れが進むのではないか、という危惧は、ワイドショーとかでもけっこう出ていたっけ。

そしたら今ごろ、やっぱり売れない、ということになった。だから言わんこっちゃない、ということでしょう。25,000円くらいで安定して買ってもらえればいいんだけど、今年33,000円、売れ残ったから来年は18,000円にしよう、なんてことをやられては農家は困ってしまう。こういう困惑から、食管法があったほうがよかった、みたいな意見も出てくるんだと思う。

売る方も3万円は高すぎるという。買う方だって安い方がいい。だけど3万円出さないとお米が集まらないから、集配業者はみんな3万円を提示する。こんな高くていいのかなと思いつつ、農家は今まで買い叩かれていたから、たまにはよかろうと3万円いただいて米を渡す。誰も特にいけないことやまちがったことはしていないけど、その結果が今だ。

こういう経費をあらかじめ上乗せして価格設定をするから、農家に直接お米を売ってもらうと、おおざっぱに半額くらいになる。さっき、米は作るより買う方が安いという農家の声をお伝えしたけど、こういう買い方をしてるわけだから、ふつうの人が買うより安く買ってるわけだ。

ぼくらの地域ではおいしい米はできないとも書いたけど、日本中が猛暑猛暑でとんでもないことになっている。当地もずいぶん暑くなったけど、それでも世間一般よりはだいぶ熱くない。となると、今まで通りのおいしい米作りは、当地でしかできない、なんてことになるかもしれない。日本中の米どころの田んぼがおいしいお米を作れなくなる未来も、なかなか恐怖だ(たぶん暑さに負けないおいしい米の開発は進むんでしょうけど)。

田んぼが大丈夫でも、お米を作る人がいない。若い人が米作りを継ぐ気になれないのは、米作りがたいへんという以上に、それに値する報酬がないからだ。毎年3万円で買ってくれるなら、米作りをしようという人はもっと現れるにちがいない。でも3万円の米は、どうやら1年限りの夢と消えそう。1万円台に逆戻りしたら、それを機に米農家を廃業する人はこのへんでは少なくないと思われる。

新聞報道などで、価格維持に一生懸命になってるJA関係者や古い農水族のコメントを見るにつけ、どこか一ヶ所でお米の算段をおいしてはいけないと思うんだけど、実際にはむずかしそうだ。米問題は政治問題だと思うんだけど、新しい農水相は米の価格は市場にゆだねるとか言った。ある意味それは、今お米にかかわっている高齢の人たちはもういないものとして、次世代の新しい感覚の人にゆだねたい、ということなんじゃないかと勘ぐったりする。天下一品のおいしい米を作っていた日本の未来は、どこへいっちゃうのかなぁ。

ちなみに、いたずらで作っているといううちのお米は、今年はなかなかいいできでした。おいしい!