雪は降ったって春は春。シーズンは開幕してます。えいえいおー

一筆書き日本半周

 今回は日記らしい日記です。19日夕方から21日未明にかけてのお話。
 20日は熊本でインドアトライアルイベントの取材。
 21日は岐阜県板取でバイクトライアル世界選手権の取材だ。
 帰ってきてみたら、同じルートを通らず、横浜から熊本までを往復してきたことになるので、書いておきたくなった。


 19日午後、荷物をまとめて電車に乗る。いつも海外取材に出かける旅行バッグに、ブーツとヘルメットまで詰め込んで、少し重たい。
 こどもの国線から横浜線で新横浜へ。ここで新幹線に乗って名古屋まで。禁煙車の4号車に指定をとったつもりが、4号車は煙がもうもう。切符をよく見たら、14号車だった。はるばる車両10両移動して14号車へ。席に着いたら、小田原を通過するところだった。
 名古屋から夜行バスで熊本へ。夜行バスのチケットは名古屋でお金を払ってねということだったので、少し早めに名古屋入り。21時発のチケットを買って、ついでに博多から岐阜羽島までの新幹線の切符も買う。土曜日の熊本のスケジュールが終わったら、最終電車で岐阜羽島まで出て、土曜日から現地入りしている杉谷に拾ってもらって、日曜日に板取のバイクトライアル世界選手権を観戦しようというスケジュールだ。博多を19時半前に出て、新大阪乗り換え、岐阜羽島到着は23時ちょっと前。帰りは大牟田からだから、乗車券は大牟田から買いたかったのだけど、名古屋の自動販売機では博多からの乗車券しか替えなかった。新幹線の特急券と指定席券だけ買っておく。
 チケットを買って、時間が余ったから駅前のビックカメラへ。G’z oneの携帯電話が安かったら機種変更してしまおうと思ったのだけど、なんと、東京の相場より5000円ほど、東京の最安値より1万円ほど高いではないか。とんでもないので素通りしてビールを飲みながら飯を食う。名鉄のバス乗り場は、エスカレーターが完備してなくて、重たいかばんで階段を上がるのはしんどかった。
 バスは独立席で快適。21時名古屋発、途中、養老サービスエリアで休憩したけど、ぼくはすでにぐうぐう寝ていた。博多到着は朝7時。博多から大牟田までは特急で30分ほど。ぼくはJR九州の列車たちが好きだ。最近の列車は、流線型の女性的な造形が多いけれど、JR九州の列車はごつごつして男性的なものが多い。特急列車にイスには、金属製のテーブルが備え付けられている。鉄道というのは、こういう男らしいエッセンスを持っていたものだよ、昔は。
 関係ないけど、最近、東京の地下鉄で、ドアが何秒間か開いたという運転事故が、大騒ぎになっていた。ドアに寄り掛かったりしていることも少なくないから、確かに大事故につながる問題だけど、30年ほど前、ぼくが列車であちこち旅行していた時代、機関車に引かれている客車のドアは手動で開け閉めするもので、走行中でも自由に開けることができた。暑い夏の日、席がいっぱいだったときは、ドアを開けてデッキに腰掛けて、流れる景色を見ながら旅をしたものだけど、つい居眠りしていたことも少なくないから、ごろんとおっこっていても不思議じゃなかった。逆に、個人の安全管理を個人が任されていた時代だった。今みたいに、ドアは開かない、窓も開かない乗り物に乗っていたら、危険だと思ったときにはたいてい取り返しがつかない。危機意識は、日ごろからちょっとずつ訓練していなければ身につかないのではないかと、ぼくは思うのであります。
 当時、危機意識なんてことばは知らずにデッキに腰掛けていたけど、もちろん落っこちるのはいやだったから、最低限の危機管理はしていたのだと思う。「飛び降りはあぶないからやめろ」というアナウンスを無視してまだ動いている客車から飛び降りて、ホームで転んで駅員さんに怒られたこともあった。そうやって、子どもは危険を学習していくんだと思うけどな。
 そうそう、あの頃、まったく考えていなかったけど、デッキに腰掛けて風に吹かれているということは、前のほうの客車でご用を足された物体は、そのまま風にのって飛んできていたということだ。今みたいに、トイレにタンクがついたのなんて、新幹線の開業以来のことだったんじゃないかな。なんともババッチイ状況だけど、それも旅の風物詩だったわけですね。衛生に対しての危機管理は、今は病的に進んでいると思う。
 えーと、ともあれ大牟田に着いた。大牟田からは、三井グリーンランドまで、バスに乗る。190円。運賃の払い方がわからず「お金はどこから入れるんですか?」なんて聞いて、田舎者みたいだった。バスの乗り方って、地域によってちがうから、まぁそれも旅の楽しみのひとつではある。
 三井グリーンランドでのイベントが終わったのが午後4時過ぎ。福岡の村上夫妻に誘われて、乗せてってもらうことになった。博多駅まで連れてってもらって、一緒に晩飯。そういえば、乗車券を買ってないのを思い出した。名古屋で、大牟田から岐阜羽島までの乗車券が買えなくて結果オーライだった。村上さんと別れて、博多から岐阜羽島までの乗車券を買って、のぞみに乗る。
 新明石で降りた兄ちゃんが、アサヒ芸能を置いていったので、いただいて読む。袋とじのグラビアが3つあったのだけど、にいちゃん、ひとつしか破いていなかった。「杉本彩全裸妖宴」は破かれていなかった。兄ちゃん、年上には興味ないと見える。
 岐阜羽島は、なんにもないと思っていたけど、少しはホテルなんかがある駅なんですね。田んぼの真ん中に唐突にできた政治駅だったけど、もう40年前のことだもんね。駅前で5分ほど待つと、杉谷が迎えにきてくれた。杉谷は少し離れた名鉄の路線の駅前に宿を取っていたけど、駅前にはなーんにもなく、杉谷は夕食をとるのに一苦労したらしい。ご苦労さまでした。
 日曜日は板取のバイクトライアル。ものすごい雨で、全身びしょびしょになった。でもオブザーバーや選手は、濁流に流されかけたり流された人もいたのだから、雨に濡れるくらいはなんてことはない。夏の暑い用意しか持っていなかったから、最後は震えながら観戦することになった。
 ざっと着替えて、そのまま帰途に。なんだか頭が痛い。これから締め切りだから、寝てていいから死んでも風邪をひくなと杉谷に命令されて、寝かせてもらう。美濃ICからから北陸自動車道に乗って、新しくできた東海環状道に入る。これで、豊田に出る。一宮の万年渋滞区間をパスできるから、これはなかなかいい道路だ。
 でもこの道は、海上の森のあたりの、見事なオフロード天国を粉みじんにした道でもある。こんな道作りやがって。楽しい遊び場がなくなったじゃないかと思いながら、でききてしまうと便利だなぁと思ってしまうのはくやしい。
 豊田からは東名高速に合流して、そのまま横浜インターへ。東名高速には、行きは名古屋インターから乗ったから、ここでも行きと帰りは同じルートを通らなかった。一筆書きの旅行をしたからといって、なんの自慢にもならないけど、ちょっとばっかりハードな一泊4日でありました。