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三宅島はどこへいく?

両神のお隣

 石原慎太郎都知事が、三宅島を舞台にマン島TT(ツーリストトロフィー)みたいなことをやろうとしているのはすでに世の中の常識的ニュースだけど、これを三宅島が断念しかけているというニュースが、ちょっと前にあった。石原さん、三宅島、レース界、メーカー、いろんなところの思惑がからみあっていて、外野から見たらおもしろい。
 三宅島でモータースポーツ、という動きについては、ざっと1年前に書いたことがある。そのニシマキ日記はこちら
 でも、案の定というか、今は話が大きくしまって、出て行くにくい状況ではある。


 三宅島1周レース断念のニュースは、朝日新聞などに出ていた。今検索してみたら、件の記事は消えていたので、キャッシュサービスのリンクを紹介しておきます。
三宅島1周レース断念 都、滑走路の利用など検討
2007年04月27日03時23分

 要約すると、11月に石原慎太郎の肝いりでぶち上げた三宅島1周30kmをつかったオートバイのレースは、二輪メーカー各社の安全面での懸念が強く、代替案を検討することになったというものだ。1周3km程度の短いコース、閉鎖中の三宅島空港の滑走路を使う、島の斜面でのオフロード競技、ツーリングイベント、などがまな板に登っているという。都としては、レースの開催に二輪メーカーの協力は不可欠として検討を重ねていたが、メーカーの協力が得られないため、代替案の検討にはいったという。
 反応はふたつある。「ロードレースなんてあぶないもんをやるなんて、無理に決まってるじゃないの。断念は賢明だよ」という大人の意見と「せっかく石原さんが英断を下したのだから、二輪界は総出でこのイベントを盛り上げるべきだ、なんで協力できないのだ」というもの。どっちもごもっともだと思う。
 この件について、畑がちがうからあんまり聞き回ることもしなかったんだけど、この前ふととあるメーカーでモータースポーツの普及に従事している方とお話ができた。三宅島の件については、やっばりそうだよなぁ、というお話が聞けたから、かいつまんでご紹介しておきます。
 まず、今回のニュースは三宅島公道レース断念ではなくて、当初案について修正動議がかかったというとらえ方だ。三宅島でのオートバイイベント自体は歓迎すべきことであり、メーカーも応援をしていくという姿勢らしい。
 ただし、応援するといっても無条件というわけにはいかない。まずはやっぱり安全性だ。石原さんがマン島に視察にいったときに、不幸にも前田淳選手が事故に遭って、のちに亡くなった。ふつうなら「こりゃあぶないからやっぱりやめよう」ということになりそうなんだが、石原さんはモータースポーツはけっして安全なものではないということをよく理解しておられる。前田選手の事故死も、石原さんの信念を変えることはなかった。前田選手の遺志を考えても、よかったと思う。
 でも、世の中の声はどうなのか。前田選手の事故の報道は比較的ひっそりしていて、三宅島でのイベントと直接関連づけているものはなかった。いざ三宅島でレースをやって事故が起こったときに「こんなあぶないことをやりやがって」と叩かれるのがオチではないかというのが、メーカーのたいへんもっともな心配だ。
 三宅島にはフェリーがつけられない。人とオートバイ、レース機材をどうやって運ぶのかについても解決ができていない。スタッフだっていない。都はマン島の例を出して、コースオフィシャルは島民に、と提案してきたことがあるらしいけど、マン島の島民は、生まれたときからコースオフィシャルをやっている。今日本でコースオフィシャルをやっているどんなベテランよりも、経験豊富な人たちだということを忘れてはいけない。
 そもそもマン島自体が、世界のレース界から一線を引かれているイベントだ。かつてイギリスGPといえばマン島だったけど、今はモトGPが開催されるなんて話はついぞない。だからといって、マン島の魅力は絶大なものがあるんだけど、それはやっぱり100年の歴史(1907年に始まっているけど戦争で中断があるから100回はやっていないはず)の賜で、今からマン島をコピーするのは不可能なんじゃないかと思う。
 と、こんなふうに懸念はいっぱいあって、だから懸念を解消していって、地元のためになるようなモーターサイクルイベントを構築しましょうというのがメーカー側の提案らしい。これに対して、都や三宅島は、どうやら石原慎太郎さんの提案が大事なようで、島一周のロードレースにこだわっちゃっていたみたいなのだ。
 レースの開催には二輪メーカーの協力が不可欠という考え方も、日本独特だ。もちろんマン島だってスポンサーはいろいろ受けているけど、日本で開催されるレースのように、日本のメーカーが全面的にバックアップをしているということはない。100年の歴史を誇るマン島を手本にするといいながら、お金の出所だけは日本のレースの常識を踏襲するのは、ずるいと思っちゃったりする。マン島TT、SSDT、伝統的イベントは、メーカーにお金の無心なんかせず(多少はしてると思うけど)開催している。だってメーカーよりも、ずっと息長く続けているイベントなのだ。イベントが、高性能なオートバイを作ったという自負だってあるだろう。メーカーがなければ開催できないなんて思うわけがない。マン島とSSDTがなければ今の二輪メーカーはなかったと思っているイギリス人は少なくないはずだ。
 100年のマン島の向こうを張ろうと思わず、その歴史30年のイーハトーブトライアルあたりからノウハウを学んでいったら、もう少し軟着陸ができたんじゃないかと思うんだけど、石原慎太郎御大の鶴の一声で始まっちゃったから、トライアルなどというわけのわかんないモータースポーツでお茶を濁すことはできないのかもしれない。「村の財政は脆弱なので、メーカーの協力がないと開催できない」と愚痴る平野村長の発言は、なさけないのと同時に、同情に値するものでもある。これについて、件のメーカー氏は「協力するったって、メーカーはそんなにお金を出す気は最初からないですよ」とのこと。当然だよなと思う人、冷たいなと思う人、いろいろいるだろうと思うけど、そういうことらしい。
 文化というものは、よその国から突然輸入してきたり権力あの人の鶴の一声で決まるものではなくて、長い歴史と土地の人々の努力から生まれるものだと思う。
 そういった意味で、日本のトライアルはたかだか40年弱の歴史しかないけれども、40年分の文化を育んでこれたかどうか、三宅島がどんな決着を見せるかはわかんないけれども、他人のフリ見て我が身を正していきたいとは思います。いえ、けっして三宅島がだめって言ってるわけじゃないんだけどね。
*写真は例によって本文とはまったくなんの関係もなくて、今住まわせてもらっている両神の家のお隣。おじいさんみたいだけど、意味もなくこのへんをふらふら散歩するのが、すっかりお気に入りの日課になりました。