雪は降ったって春は春。シーズンは開幕してます。えいえいおー

木田と本田美奈子。

 モトクロスに、木田くんというジャーナリストがいます。「○-○」←こう書くと似顔絵になるという便利な人。彼の息子は、確か元くんというんだけど、アメリカにいくと「Gen Kida」となり、読みが「元気だ」になるというのがお父さんの自慢だった。ちがったかな?
 木田くんは、ニシマキに負けず劣らず大人になれないやつで、なかなかのトラブルメーカーでもある。トラブルは、なんの弁解もなく木田のお手つきの場合が多いのだけど、その正義感ゆえに巻き起こすトラブルも多い。つまりいっしょに仕事をしたりするとめんどうが起きる可能性大なのだが(あー、自分のことを書いているようだ)、まちがいなく愛すべきモトクロスバカのひとりである。


 そんな木田(いつのまにか敬称がとれちゃったけど、ぼくにとってそのほうが言いなれちゃってるので、ごめん、許せ)の日記サイトがこちら。『木田○-○淑のモトクロスな日々』。彼は全日本の会場で、MXingというフリーペーパーを配っている。木田というのは、今や年に一回、MFJのランキング表彰式の会場でくらいとなってしまったけど(今年はSUGOの世界選手権でも会ったけど、あちらは仕事の真っ最中だから、こういうときにはあんまりお話できない)、表彰式で会えば、一応景気を聞くことにしている。モトクロスの会場で新聞を配るという涙ぐましい活動は、どう考えても景気とは関係ない。そして事実、彼はモトクロスにいき続けることをいつも人生の目標としている。
 そんな木田の日記を見ていたら「できること」という書き込みを見つけた。木田が本田美奈子。を取材した当時(その頃は名前に「。」はなかった)、ぼくはまだロードレースの周辺にいたから、木田が彼女を取材したこと、そして本田美奈子。が鈴鹿のピットロードで8耐に出場するヤマハのチームを応援していたことも思い出した。そのことを表彰式で木田に話すと、たった一度しか会ったことがないアイドルのことなのに、やつはなんとなく涙ぐみそうだった。
 でも、木田がすごいのは、ここから先だ。みんなに「なにかできることをやろうぜ」と呼びかけると同時に、自分から行動に出てしまった。骨髄バンクに登録したのだという。このへんも彼の日記に詳しいけど、骨髄バンクに登録したら、あっという間に提供の依頼があったらしい。そして、来年早々、骨髄を提供するために彼は入院するんだそうだ。
 もちろん善意の行動だから「登録はしたけどやっぱりいやです」というのはありだし、事実木田はタイに取材にでてしまうから、早急な対応はできなかった。それに対して、なにか責められることはいっさいない。
 そんな話をしてくれて木田はぽつんと言うのだった。「タイにいくから入院が来年に延びたんですけど、その間に相手が死ななきゃいいなぁ、死なないでくれよって、なんだか気になっちゃって」。誰が木田をドナーとして求めているかは、わからないお約束だ。その誰かが、木田がタイにいっている間に不孝にしてなくなっても、木田のせいではない。でも、すでに木田は、最後の命の炎をともしながら、木田の救いを待っている人がいるのを知ってしまっている。ドナー登録するということは、きれいごとではなく、こういう重荷まで背負い込むってことなんだなぁと、あらためて思ったのだった。
 で、木田とは表彰式のあと、赤坂で軽く飲んだ。永田町に焼き鳥屋なんかないので、赤坂まで歩いて、クリスマスイブの赤坂で、男二人が焼き鳥をつつくのもなかなか寒い光景だったけど、モトクロスのデ・ナシオンで起こったこと(たいしたことじゃない)とか、なかなか貴重な意見交換をしたのだったけど、こどもの国線の最終電車に乗り遅れて30分歩く羽目になったのはよけいだったなぁ。