雪は降ったって春は春。シーズンは開幕してます。えいえいおー

トライアル・デ・ナシオン

08TDNの表彰台国旗

 トライアル・デ・ナシオン(TDN)。世界選手権の個人競技が終わって、だいたい例年1週間後に開催される、国ごとにまとまって世界一を決めるトライアル大会。FIMの格付けを見ると、TDNは世界選手権と扱われていて、これに勝利するのは個人の世界選手権でタイトルを獲得するのと同等の名誉があるとなっている。
 このTDNに、日本は2009年の不参加を決めた。 今年のデ・ナシオンは日本チームの派遣が中止になった。2001年にニューヨークのテロ騒ぎ以来の日本チーム不参加になる(あのときは、日本はテロに屈するのかとヨーロッパからおしかりを受けた)。おりしも、モトクロスも日本チームの派遣が中止になった。うーむ、残念。
 トライアルはトライアル・デ・ナシオン、モトクロスはモトクロス・ネイションズというんだけど、トライアルがフランス語でモトクロスが英語なのはなんでだろうというのは、ここではこの際、まったく関係がない。
 日本のいないTDNでは、スペインチームが優勝、2位に大差でイギリス、3位に大差でイタリア、4位にやはり大差でフランスという結果になった。日本がいたらどうなったかについてはご想像にお任せするが、日本のいないTDNは、タコの入っていないたこ焼きのようなもんだ。


 世界選手権をランキング3位で終えた藤波貴久のつぶやき。
「最終戦フランス大会で2位になってランキング3位をとって、パドックを離れるときにみんなにバイバイをすると、みんなじゃ、また来週ねって言う。ぼくが来週は行かないよと言うと、みんなきょとんとして、なんで?って聞くんだ。出場しないのにいってもしょうがないし、TDN不参加が決まったら、あっという間に予定を入れられてしまって、TDN当日はぜんぜん別のイベントに出かけていた」
 ヨーロッパのトライアル・ワールドでは、シーズンの最後はTDNでチームプレイにしのぎを削るというのがふつうのことになっている。藤波がTDNに参加しないなんてのは、ヨーロッパ的感覚で言うと、藤波がもてぎの日本GPに参加しないというくらいに不思議なことなのだった。
 TDNと日本チームの関わりについては、自然山通信WEBサイトのTDN応援ページに解説をしてあるけど、FIMからの強いプッシュで最初に参戦をしたのが1987年。日本で走っているワークスマシンを走らせるためにメーカーのメカニックがまるごと渡欧しなければいけなかったり、参戦費用も莫大だった。世界選手権に参戦している成田匠が日本代表に選ばれないという矛盾もあった。その後予算の縮小でTDN参戦は中断され、黒山健一、小川友幸が世界選手権参戦をした1995年に、成田匠を加えた3人により、いたってプライベート的チーム形態で日本チームが復活した。このときは、急遽の参戦に日本のファンがバックアップ、参戦費用の多くを募金が支えた。その期待に応えて、新生日本チームは堂々3位に入ってみせたのだった。

 しかし翌年のTDNは、スウェーデンで開催と、スペインやイタリアを拠点とする彼らにとって、遠隔地だった。地理的問題で96年のTDN参加はなくなり、その後はまた日本のいないTDNが続く。
 1999年。当時世界選手権を参戦していた藤波貴久、黒山健一、田中太一に加えて日本からの小川友幸を加えた4名が日本チームを結成。この年以降、スペイン、イギリスと激しいトップ争いをする世界のトップチームとしての地位を確立していくことになる。
 ただしその実情としては、2001年の同時多発テロのあおりをくって参戦中止(ライダーの総意ということになっている。海外からは、日本はテロに屈するのか、意味がわからん、腰抜けだなぁという感想が届いた。チケットをとってしまっていた藤波は、TDNに参戦しない週末は、スペインまで練習に出かけた)。2001年には再びMFJの支援で参戦が復活、このときは女子チームも結成されたのだが、なんとふたたびMFJが参戦支援を中止。日本チームはまたも国際舞台への架け橋を失うという局面にたった。
 ここで、ファンが動いた。トライアル愛好者がTDN参戦に対しての募金活動を行い、選手会がこの募金を集めて選手に引き渡すという形式だった。
 しかし、時代はだんだんTDNに本チームにとって逆風となっていった。3人の日本人ライダーがヨーロッパに滞在していたのに対し(とはいえ、これもライダー個人が滞在費を負担してヨーロッパに居続けていることなのだが)田中太一が日本に帰り、代わって参戦を開始した野崎史高も2005年を最後に日本に帰り、同時に黒山健一も世界選手権(全戦)参戦から撤退した。今、ヨーロッパで戦っているのは藤波貴久ただ一人。15年を経て、再び世界選手権の舞台が遠い世界に戻っている。
 日本チームを結成するとなると、男子チームだけでも最低ふたり(ふたりでは勝負のできる体制ではないが)を日本から遠征させる必要がある。ひとりの渡航費は、だいたい50万円。ライダー、メカニックはマシンや工具、パーツの輸送にそれらを運べるレンタカーの手配と、個人の旅行(取材旅行はしょせん個人旅行の範囲だから、1回の取材は30万円以下でおさまっている、はず)とは桁がちがってくる。TDN募金は2002年にMFJが支援中止を決めてからずっと継続しておこなわれているが、ひとり200万円、少なくとも100万円は確実にかかるというライダーの遠征費用を全額負担できるまでにはいたっていない。ライダーは、日本代表の名誉を得る代わりに、大きな出費を強いられている。
 その評価についても、微妙なところがある。日本は誰がどう見ても、世界のトップチームである。藤波、野崎、そして小川毅士と、圧倒的に戦力の劣る体制で参加した2006年でも、日本は3位を獲得している。それはとても苦しい戦いではあったが、それが日本の底力をよく証明して戦いだったとも思えたものだ。
 この年の3位は、優勝にも匹敵する価値があったと思う。さらに2000年と2007年、2008年と、日本は2位にはいっている。2007年、2008年はイギリスに大差をつけての2位だった。2007年と2008年の勝者はスペイン。今、スペインはボウ(2009年チャンピオン)、ラガ(同ランキング2位)、ファハルド(同ランキング4位)、カベスタニー(同ランキング5位)の4人をそろえている。顔ぶれだけを見れば、ランキング3位の藤波が筆頭の日本、ランキング6位のランプキンが筆頭のイギリスには、スペインにはとうてい勝ち目がない。そんな中で、勝利チームに肉薄して2位を得るというのは、大仕事だった。
 ところが日本に帰ってくると、日本2位の結果は偉業ではなく、優勝できなかった、という事実として伝えられる。日本GPが日本で開催されて以来、藤波が毎回のように獲得する2位表彰台が、好成績でなく勝てなかったという評価を受け続けたのと同じことかもしれない。
 勝てなかったのだから勝てないという評価を受けるのは、ある意味では当然かもしれない。しかしヨーロッパの現場では、イギリスもスペインも日本も、まちがいなくスターの集合体である。TDNには、南アフリカの小さな国からもチームがやってくる。彼らは自分たちの戦いと同時に、スペインを、イギリスを、そして日本人ライダーの走りを見るのを楽しみにきている。各国の代表選手にもあこがれの存在、それが日本チームの面々だ。世界中のあこがれの存在である日本チームのメンバーの活躍が、日本国内ではあこがれになっていないという事実が、どうにも残念なことだ。
「日本のファンのみんなにも、TDNの現場をぜひ見てほしい」
 と訴えるのは、藤波だ。ヨーロッパに拠点がある藤波は、選手としてももちろんだが、日本が不参加となったときに、ヨーロッパのみんながどんな反応を示したかも、痛いほどわかっている。「どうして?」「理解できない」「あんなにすばらしいライダーがいる国なのに」。

08TDNのガテマラ
08TDNのラトビア
08TDNの日本

2008年の、左からガテマラ、ラトビア、日本チーム。
ガテマラは中米、ラトビアは北東ヨーロッパの国

 一度、日本でTDNをやれば、日本のみんなにもTDNがどんなものだかわかってもらえるのではないかと藤波は続ける。何年か前、日本でのTDNが話題に登ったことがあった。しかしトップライダーを招聘すればかたちができる世界選手権とちがい、世界何十カ国のチームに日本に来てもらわなければならないTDNでは、事情はもう少し複雑だ。
 今、ヨーロッパで開催されているTDNには、ラトビアやグアテマラなど、けっして裕福とは思えない小さな国々もやってくる。ほんとうに見てほしいのは、リザルトにものらないこういった国々の活動だ。こんな国だって、海を越えてやってくる。どうして(実情はどうあれ、よその国から見ると、お金持ちの国だと思われている)日本がTDNにやってこれないのか。
 日本でTDNをやるのはもちろんすばらしいことだけど、ぜひ日本のファンのみなさんには、トライアルの本場であるヨーロッパのTDNをぜひ見てもらいたいものであります。
 ところで、2009年に日本チームが派遣を断念したのには、ひとつには未曾有の不景気でどこも金回りが悪くなったというのが大きいのだけど、毎年遠征しているライダーたちの負担も限界になっているというのがある。たとえば50万円の赤字だとしても、1回だけなら日本のために、ファンのためにがまんができる金額かもしれない(ほんとはきついけど)。でもそれが何年も続いては、かなり厳しい出費になる。しかもそれは、ライダー個人の名誉ではなく、チームとして、国としての名誉になるものだ。
 同時に、今のトップライダーが引退したあと、はたして日本はどうなるのかという素朴な心配もある。小川友幸、黒山健一は30歳を超えた。藤波ももう間もなく。野崎や小川毅士、渋谷勲やあるいは田中太一はまだ現役世代だが、みな同じ世代の彼らの次の世代はというと、かなり心細い。
 では、今から次の世代の育成をかけて、TDN派遣を考えてみてはどうかという意見がある。今、勝利が見えているのだから勝つべき体制でいくべきだと言う意見ももっともだが、勝つべき体制が疲弊している現状も無視できない。
 20歳以下の、世界にはばたきたい国際A級ライダーを集めて、これにチームリーダーとして現地にいる(いつまで現地にいるのかも微妙だが)藤波についてもらう。若手ライダーとすれば、藤波と一緒に、しかも同じチームとしては知れるめったにないチャンス。しかも周囲にはライバルとしてのイギリス、スペインなどもいることになる。
 藤波や黒山の時代には、勝てる体制で渡欧するのが絶対の条件だった。しかし今、それだけの体制を整えられるライダーがいない中、まずはヨーロッパのトライアルを実体験してもらう場としてTDNを活用してはいけないものだろうか。
 TDN不参加が決まって、すぐに別の予定を入れられてTDNの現場にはいかないことになった藤波にこういう話をしてみたら「それならそれで、ぼくは喜んで若いライダーのリードを引き受ける」と話していた。
 でも、それにしてもなににしても、日本のみんなにTDNの現場をもっともっと知ってもらわないといけない。
 こういうことになると、結局雑誌屋であるぼくらがいけないということになるんだけど、自分たちの非力を痛感させられている今日この頃です。