雪は降ったって春は春。シーズンは開幕してます。えいえいおー

あーでもない、こーでもない

2011年川内村の秋の空

 原発が爆発してからというもの、世の中にはありとあらゆる矛盾が噴出している。矛盾というか不条理というか不誠実というか、そういう、よくないことが全部だ。放射能がまき散らされて子どもを育てる環境ではないと声高に叫ぶ人は多いが、こういう社会の実態こそ、教育上よろしくない。日本は、原発が爆発したからではなく、もうとっくの昔から、崩壊の道を歩んでいたんじゃないのかなぁ……。


 村の人とお話しすると、それぞれいろんな感じ方、温度差があって、おもしろい。おもしろいといってはいけませんね。興味深いし、それぞれ深い。いっしょにお茶をしたり酒を飲んだりする仲間だから、その外側には、もっとちがう考えの人もいるのかもしれない。少なくとも、村を出て、避難所のあたりへ行くと、また考えがちがいます。人は、環境がちがうと、思考の方向も変わってしまうのかなぁと思うところです。
 わかりやすい温度差は、帰るか帰らないかと、安全か安全でないか、というあたり。今、うちの村を大きな声で安全だという言い張れる人はほとんどいないと思う。福島市に雇われている山下俊一という大学の先生なら安全だといってくれるかもしれないけど(山下先生を見ると、猪八戒を思い出します。ずいぶんやさしい顔をした猪八戒ですが)、それで安心だと思ってしまえるいいご身分の人も少ない。
 村は除染してからみんなで帰ろうという。除染に先駆けて、村中の空中線量を測り始めた。前進は歓迎だけど、これまで半年放っておかれたのはなんだろう。法案に反対の議員が、まともにやったら勝ち目がないんで、せめて牛歩でもしてやれって、そんな感じにさえ思えてしまう。とにかく仕事が遅い。
 仕事が遅い、なんて書いたら、役場の人は怒るでしょうね。彼らがてんてこ舞いなのは、よく知ってる。自分らも避難民だし、仕事場が急増だし、前例に基づいての仕事が十八番の役場なのに、舞い込んでくる仕事は前例のないものばっかり。お気の毒だと思います。だから責めないけど、遅いです。村役場だけじゃなくて、誰も彼もが遅いんだけどね。いや、ぼくだってなにもかもが遅いんだけどね。

能天気なうさぎ

話の脈略には、なんの関係もない、うちの能天気なウサギ。なにか食べている

 役場についてもうちょっといえば、役場のおかれた状況がいかに過酷か、あるいは役場がいかにダメかはともかくとして、事実として村に村役場がないのは明らかだ。国会議事堂も議員会館もみんなまとめて中国にでも引っ越してしまったような感じで、そこから村の未来をどうしようなんて考えているわけだ。原住民としては非常に不安です。外からやいのやいのと言われたくないから、いっそ残ってる村民だけで独立しちゃおうか、なんて冗談を言ったりもしている。いまなら、村役場には毎日ふたりずつが郡山から通勤しているだけなので、革命戦士は10人ばかり必要なだけで、役場の占拠はできそうだ。
 冗談はともかく(気持ちはまんざら冗談じゃないのよ)、復旧や復興は地元の人の力が第一だと、識者の先生も言うし村役場自身も言っている。だったら帰っておいでよ。今、原発敷地内で防護マスクで毎日顔を真っ赤にしながら戦っている仲間もいる(ときどきお風呂で、今日も顔がこんなに真っ赤になっちゃったと報告してくれる遠藤さんは、すぐご近所に住んでいる。3号機が爆発した日に発電所に向かっていたけど、間一髪で引き返したそうな)
。村のそこここは、それに比べたらうんと線量は低いから、マスクくらいちゃんとすれば、不安に思わずに作業できるところだって少なくない。あとで除染費用だけ東電にたっぷり請求できるように、道筋つくっていけばいい。どうもね、東電には値切られ、国には除染はこっちの知り合いの業者に頼むからといわれ、手も足も出ないとほほな印象があるわけです。
 それに。ほんとに除染は意味があるのか、っていう思いもある。村が、まず手をつけるといっている公共施設は、0.2μSv/hくらいのところが多い。まぁ、裏山とか雨どいとか、除染する意味もあるところもあると思うけど、山の葉っぱにたっぷり積もったやつをなんとかしない限り、全体的な数値はたいして下がんない気がするんだよね。こういうのは、草刈りしたり枝はらいをしたりしながら、こまめに線量を測って実測していくしかない。郡山からの遠隔操作じゃ、なかなかうまくいかないんじゃないかなぁ。
 村に住んでたりちょこちょこ帰ったりしている人は、自分たちの土地がどれくらい汚れていて、どれくらい心配なのか(逆に言えば、どれくらい安全なのか)をなんとなく知っている。中には、おっかないからとほとんど帰ってこない人だっている。安全危険のものさしは、人それぞれちがうから、それはそれでいい。
 でも、なにも自分ちより線量が高いところに逃げていかなくてもいいだろうと思う。中通の市街地(郡山市とか福島市とか二本松市とか)のどこもかしこもがうちの村より線量が高いとは言わないし、村に帰ってしまえば今まで通りに土仕事をしてよけいな被曝をしてしまう人が出てくるから、オカミは村人を返したがらないのかもしれない。だとしたら、ずいぶんバカにした話だなぁ。子どもは危ないから、子ども部屋から出さずに一生育てようという感覚でしょうか。
 中通の街に出かけると、人々がごくふつうの暮らしをしているのにびっくりする。だいたいそういうところで、0.4μSv/h〜0.8μSv/hくらいある。この数字は、避難した村民が帰ってこない、うちらの村の数字とほぼおんなじだ。村はおっかなくて帰ってこれず、市街地なら安心してすめるというのは、もはや放射能がこわいかどうかの問題じゃないんじゃないかなぁ。
 東京あたりの皆さんと原発被害についてお話しすると、最近どうなんですか? 原発の話も、最近あんまりでてこなくなっちゃたし、と投げかけられる。テレビとか週刊誌とか、原発の話題は少なくなっちゃったんですね。マスコミが飽きたのか、一般大衆が飽きたのかわかんないけど、日本や人類の将来を左右する大問題のはずの原発事故を飽きちゃえるという感覚もすごいです。
 いやいや、原発の記事はのってるし、テレビにも取り上げられてもいるでしょう。でもそんなのは忙しい社会生活を送ってる人には、目に留まらず過ぎさってくんだろうと思う。結局みんな、じぶんちの隣で原発が爆発しないと気がつかないのかもしれない。
 事故も復興も現場から。現場にいない取材陣には取材はできないし、現場にいない役場には復興はできないはず。みんな、机上の空論の評論家さまばっかりだ。
 かくゆうぼくも、本日はつらつら思ってることを書いてみました。こういうことを語ってると酒の席で「みんな評論家になっちゃったなぁ」とからかわれてしまうのです。すいません。語ってないで、草刈りから始めます。