雪は降ったって春は春。シーズンは開幕してます。えいえいおー

避難生活入門。仮設住宅と借り上げ住宅

避難所だった頃のビッグパレット

まだ仮設住宅がなかった頃のビッグパレット。自衛隊設営のお風呂がある

 ぼくの住む川内村は、3月15日に全村避難となって、それきり、村民の大半は村に戻ってきていません。実は村の2/3以上のエリアは緊急時避難準備区域の指定も解けて、ごくふつうに生活できる(はずの)地域になったのですか、それでもみんな帰ってこない。
 帰ってこない理由はいろいろあるのだけど、まずはみんながどんな暮らしをしているのかというと、こんな感じです。
 みんな知ってることだと思ってたけど、先日、郡山の人に話をして驚かれたので、知らない人はまだまだいると思って、書いてみることにしました。


 当時の菅総理大臣は、お盆までにすべての仮設住宅の建設を完了すると明言しちゃって、それに合わせるべく突貫工事で東北各所に仮設住宅ができあがった。請け負い業者の手腕のちがいなのか、建て付けのいいところ悪いところ、そもそも立地がいいところ、とんでもなくへんぴなところ、条件はいろいろなんだけど、仮設なんだからある程度はしょうがない。
 仮設住宅は、まず土地がいる。川内村の場合、役場がビッグパレットふくしま(展示や大規模会議などを行うコンベンション施設)にあるので、まずそこの隣の空き地(なにかにしようとしてたんだろうけど)に建設が始まった。ここには川内村と富岡町の人たちが入ることになった。でもこれだけじゃ足りない。一応お役所仕事だから、川内村の人はいわき市の仮設住宅に入るわけにはいかないらしいし、どうせそっちも入居希望者でいっぱい。いまのところ川内村には、郡山市にもう1ヶ所、いわき市に1ヶ所の仮設住宅がある。
 仮設住宅への入居は、役場に申し込みをする。申し込み殺到の場合は順番待ちとなる。空きなんか出るのかと思うけど、けっこう空きが出たりもするようだ。新しい仮設住宅を作っていたりもするので、いろいろ不都合があって引っ越す人もいる。
 1戸あたりは、そんなに広くない。大人二人か三人でいっぱい。なので大家族の場合は仮設住宅一軒では入りきらない。なので数軒の仮設住宅を借りることになる。今まで一緒に生活してきた大家族が離れ離れになる不幸という見方もできる。しかし一方では、これまでひそかに別居を望みながらかなわなかった若い夫婦の望みがかなったりする一面もある。だいたい仮設住宅の一軒は二人暮らしのようだ。
 仮設住宅の他に、借り上げ住宅という制度もある。仮設の建設が間に合わない、数も足りそうにないということになって、福島県が(宮城県とか岩手県もやってるのかもしれないけど)空き家を片っ端から借り上げて、被災者に提供しようという制度だ。制度ができた瞬間から家賃は県が払うので、被災者は役場に紹介してもらって不動産屋さんに「住まわせてね」というだけでいい。仮設とちがって前からアパートなりとしてあるものだから、古いの狭いの広いのといろいろだけど、たいてい住むには申し分ない。仮設とちがって、アパートにはエアコンがないところがあったりする。カーテンも、ふつうはついてない。そしたらそれも、県がお金を出してくれるって言うんだね。至れり尽くせり。
 仮設でも借り上げでもなく、自分で一軒家を借りるという手段もある。県が出してくれるのは家賃6万円までだから、その条件に合えばOK。空き家を見つけて貸してくれよとお願いして、いいよとなったら不動産屋さんを通じて県に申請すればいいらしい。自分で探すんだからそれなりたいへんだけど、中にはこういう苦労をいとわない人もいる。実際、何ヶ月も住むことになるんだから、ちゃんと選んだほうがいいよね。
 とりあえず家はこんな感じ。あとはその中身だ。被災者というのは、中には津波で家を流された人もいる(というか、本来はこっちの人の手当てが優先課題だ)。なので家財道具はなんにもないと思って迎え入れないといけない。
 その点仮設住宅は、鍵を渡したらすぐに生活できるような設備が整っている。電気も来ている。プロパンガスもつながっている。エアコンもカーテンもついている。
 さらに今回は、赤十字の支援もあった。すべての仮設住宅に、冷蔵庫と洗濯機と炊飯器と電気ポッドと電子レンジとテレビがついている。赤十字への義援金でさしのべられた温かい気持ちが、この6種類の家電になった。家電6点セットというやつだ。

日本赤十字のお手紙
家電と一緒に届けられた、日本赤十字からのお手紙

 さっき、大家族では数軒の仮設住宅に入ることがあると書いた。家電6点セットはすべての仮設住宅にもれなくついている。もれなく! なのでたとえば3軒の仮設住宅に入った家族には、3セットの家電が支給されていることになる。爺さま婆さまの仮設にも300リットルの冷蔵庫と35インチのテレビ、若夫婦の仮設にも300リットルと35インチ。主に子どもたちが遊んでる仮設も300リットルと35インチ。原発の事故で避難してるというのに、仮設住宅は電気の申し子みたいになっている。さすがにそういうたくらみだったわけじゃないと思うけども。
 で、もともと広くない仮設住宅、広く使おうと思ったら、一家にいくつもある冷蔵庫や洗濯機はかなりじゃまっけだ。仮設住宅に被災者が入居してから、周囲のリサイクルショップではどこかで見たような家電がずらりと並ぶようになったという。恩をあだで返して、と思われちゃってると思うけど(そして恩知らずだっていないわけじゃないと思うけど)被災者の個別の意思を無視しての公平なる支援は、こういう結果だって生んでしまうという必然なのだと思う。
 で、赤十字さんや行政にとっては、すべての人に公平にというのが重要みたいで、仮設住宅の人に家電を渡したら、借り上げの人にも家電を渡さないといけないってことになる。仮設住宅が優先になるので、借り上げ住宅に家電が届いたのは少し時間がかかったけど、それでもある日あるとき、役場から電話があって、今度の何曜日にテレビや冷蔵庫が届くよと吉報がもたらされる。この件についてインターネットで検索してみると、必要なものだけ請求して届けている、ということだったけど、どれが必要か?なんて尋ねられたことはなくて、住宅を借りるともれなく家電はついてくるシステムだった。あれはいらない、なんて言う人がいないんで、めんどくさいから聞くのもめやちゃったのかもしれないけど。
 配達をしてくるのは、福島の配送業者だった。大手の配達屋さん。配送屋さんなら箱に入った新品を置いていけば仕事完了のはずだけど、この仕事は特別で、箱から出して備え付けて、地デジのチャンネル合わせなどして、最後に赤十字のステッカーを貼り付けていくという任務になっているらしい。箱ごともらったら、そのまま新品として売れちゃうから、一応予防線を張ってるのかもしれない。配送屋さんが地デジの設定なんて、不慣れじゃないのかと聞いてみた。あったりまえじゃないの、最初はなんだかさっぱりわかんなかったけど、一日に10件もやってたら、慣れたくなくたって慣れちゃいますよ、なんて感じのお返事だった。その配送屋さん、女房子どもは福島市から避難してるんだそうだ。彼らも立派な被災者だと思うけど、彼らには仮設住宅は割り当てられない。
 こんなに至れり尽くせりなのに、当初、仮設住宅に入るのをきらって、避難所から出ない人がいっぱいいたという。避難所は屋根も壁もなくて、段ボールで壁を作ったりしている。プライバシーもなにもない、最低限以下の生活環境だ。それでも、仮設より避難所のほうがいいという人がいる。なぜか。
 仮設住宅は、家賃はタダ、家電はもらえる。でも水道光熱費は自分で払ってね、というきまりだ。もちろん三度の食費も自分でまかなう。ところが避難所だったら、こういう費用が全部タダ。段ボールのベッドで起きたらおもむろに列の後ろに並べば、とりあえずの食事は授けられる。こうやって三食食べていれば、死にはしない(でも実は、死んだ人もいる。ストレスはこわい)。当初は東電がどういう形でどれだけ補償をくれるかもわかんなかったし、先がまったく見えない毎日、お金は少しでも節約したいと思う人がいたって、それはそれで当然だったんじゃないかと思う。全面的に応援したいという気にもなれないけど。
 しかしそのうち、避難所は廃止になった。最後はほんの数人が避難所暮らしをしているという状態だったから、でっかいホールを使って避難所を開設している意味はない。避難所にい続けたかった人にはお気の毒だけど、潮時だったのではないかと思う。今はみんな、仮設住宅だの借り上げ住宅だのに入っている。
 しかし今度は、借り上げ住宅の立地が問題になってくる。海に面した地域と、原発事故の被災地とで、たくさんの避難者がいる。何万人もいる市町村の全員が避難しているところもあるんだから、仮設住宅を建てる場所だって、早々簡単には見つからない。仮設住宅ができたと鍵を渡されていって見たら、とんでもない山奥だったということもある。家があるだけいいじゃないか、我慢しろよと思うでしょ。ぼくも最初はそう思った。でも我慢ではすまないこともある。津波でクルマも流されちゃった人は多いし、クルマの運転できないお年寄りもいる。そんな人が、クルマでなければ買い物に行けない山奥の仮設住宅に入っちゃったら、どうしようもない。あったかい海の街から、雪の降る山奥へやってきちゃったら、クルマが運転できても雪道に慣れてなくて事故起こしちゃうかもしれないし。
 実際のところ、今回の原発事故は3月に起こったんで、まだよかったという意見がある。1月2月の雪のある頃だったら、避難中に事故を起こして交通マヒって可能性だってあった。そしたら大パニックだった。雪があるところに住んでいるとあんまり感じないけど、ついクルマで30分先の海の街では、スタッドレスタイヤなんか用意しなくたって冬を乗り切れる。そういうところの人が雪国に避難してきちゃったら、避難どころではない。こういうのは、避難住宅を用意する行政とかのせいじゃなくって、行政とかなんとかのキャパシティを越えちゃってるということなんだと思う。地震津波の被害だけだったら、なんとかやったような気もするけど、これぱっかりはわかんない。
 仮設も、人気仮設と不人気仮設がある。人気なのは、町に近くて、自分ちの村役場に近いところの。そして、ご近所の仲間がいっぱい住んでるところがいい。うちのあたりだけの現象かもしれないけど、村人はみんな仲がいい。それがひとところに集まって、以前の暮らしとおんなじように玄関をのぞいてくっちゃべっていくということができれば、地域のつながりもそれなりに維持できる。ひとりでぽつんと住んでたら、仮設は悲しくなるでしょうね。仮設ってところは世間からも注目を集めるので、いまだに支援物資とかがあとからあとから届くみたい。仮設に住んでる人からは、ときどきおみやげだといってお菓子とかなんかをいただきます。借り上げ住宅に住んでいる人のところまでは、こういうのは回ってこない。まして、村にいて一歩も避難してなかった人には、ほとんどなんにもまわってこない。
 仮設住宅には、そのうち集会所もできた。こうなると、立派な地域です。東京の方から演劇がやってきたりエステのサービスがやってきたり、毎日楽しいらしい。仮設暮らしは楽しい。避難というより、地域ぐるみで旅行に出かけてるみたいな感じ。1泊2日の楽しい旅行が、何ヶ月も延々と続いているんだから、楽しくないわけがない。
(もちろんね、避難のたいへんさはあるので、そこをすっ飛ばして読んでもらっちゃ困ります。ついこの前も、仮設住宅から道向かいのコンビニまで買い物に行ったばさまが、トラックにはねられて亡くなりました。お母さんたちは子どもたちの進学について悩んでいます。たいへんなことばっかりだからこそ、お楽しみが重要なわけで)
 でもここでまた温度差が生まれる。我が川内村は、緊急時避難準備区域が解除されて、一応建て前は以前と同じ暮らしをしてもいい(とはいえ、来年のお米の作付けについては、作るなとも作れともなんにも決まっていない。もう時間がないし、作っても売れないから、来年もだめにしてもらって、補償をたっぷりもらおうという意見は、ある意味正論だと思う。悲しいけど)ことになっている。津波被害に遭った地域とちがって、ほとんどの家庭は家がちゃんとしている。仮設住宅から自分の家に通っていた人もいる。週末には、村の人口が増えていた。みんな、自分の家に帰ってくる。
 でもなんで週末なのかなぁ。仮設住宅に住んでいる人たちは、もちろん仮設からお仕事に通っている人も少なからずいるけれども、失業している人もいる。失業している人、かわいそうだなぁと思うでしょ。でも今回は、失業手当てをもらうまでの手続きがうんと簡単になっている。だから会社は従業員を全部解雇して、とりあえずすぐ失業手当てで生活ができるようにしたところが多い。とりあえず、仕事をしないでも生活費は最低限困らない。
 そんな人が、なぜ週末だけに返ってくるのか。月曜日だって水曜日だって、いつだって帰ってくればいいじゃないかと思うんだけど、なんとなく今までの生活習慣ってのがあるのかな。
 ついでに話を進めると、失業保険をもらって暮らしているうちに、東電の(悪名高い、分厚い)補償請求が届いた。これにせっせと記入して請求すると、休業補償というのもつく。今までもらっていた給料分は、あらかた補償される。これも、もらっている人は多い。あれ? 失業保険をもらって、休業補償ももらえるの? そうなのだ。被災者たちは、毎月の収入が倍になっちまった。まぁたいへんな思いをさせられたのだからそれもありかなと思うんだけど、働かないで倍の収入を得るようになった人たちが、この先自力で生活する環境にどうやって戻っていくのか、それが心配。
 仮設住宅。さらにはペットがいる家とペットが嫌いな家との確執があったりして(マンションなんかではよくある話だけど、こと村人的には、これまで隣の家のペットが迷惑だなんて感情はなかったもんね。隣の家、遠いから)いろんな事件がある。もともとは東電原発事故という事件が発端だけど、事件が事件を呼び、また新たな事件を呼んでいる。そのうち、最初の事件のことなんかみんな忘れるんじゃないかというシナリオじゃないかと、それが一番おっかない。