雪は降ったって春は春。シーズンは開幕してます。えいえいおー

さよなら! 澤口正人さん

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珍しいネクタイ姿さんの澤口さん
ダートトラックの競技長さん執務中

 2月7日のお昼ごろ、ぼくたちの大切な友人である澤口正人さんか亡くなられました。
 大きな手術をして「おれはもうすぐ死ぬんだ」と笑いながら病状を説明してくれていたけど、ほんとに死んじゃった。
 この10年、澤口さんにはいろいろお世話になりました。追悼と感謝をこめて、故人を思い出してみたい。


 澤口さんは、元本田技研の人だった。鈴鹿から栃木の研究所に転勤になって、栃木県もてぎのあたりに引っ越してきた。そしてやりたいことをやりたいと会社を辞めて澤口屋という商売を始めたのが、ツインリンクもてぎが創業した頃だったという。
 できたばかりのツインリンクから仕事をもらって、澤口屋さんはわりと忙しそうだった。ツインリンクの乗り物の整備とかが、澤口さんのお仕事になった。
 もてぎで初めてトライアル日本グランプリが開催されたのは2000年のことだった。澤口さんは第1回龍泉洞トライアルに参加したことのあるトライアル愛好者だったから(ひどい目にあったらしいけど)地元での世界選手権開催にはうんと張り切った。
 トライアルはショップからインポーターまで、小さな企業ががんばっていることが多い。一方ツインリンクは大きな企業だから、そのまんまだと、なかなか話が通じない。澤口さんはその両方のことばがわかる。会場設営やセクション作りなど、澤口さんが大企業たるツインリンクとトライアル専門職との間の通訳をした現場はたくさんあった。
 2000年のときには、古いトライアルマシンを並べて臨時博物館を作った。日本全国のオーナーの方からマシンをお借りしてくるのに、自然山通信も一枚かませていただいたが、そんな現場にも、澤口さんはいてくれた。澤口さんがひとりいるだけで、作業はうんとスムーズになった。突貫工事中は、トンカチがない、釘がないだけでも大きな支障になるし、あんなものがないかなぁ、こんなものがないかなぁというヒラメキにも、いつも「あるよ」と返事が返ってきて、希望通りのものをどこからともなく持ってくるのが、澤口さんのパワーだった。
 その頃、世界選手権だけじゃなくて、ふつうの人のトライアルももてぎでやりたいと考えた人がいた。ど・ビギナートライアルの萩原さんだ。一方自然山通信も、世界選手権だけじゃ片手落ちだから、ぜひ素人の部もやりましょうよとツインリンクにご提案申し上げてきた。そして、ツインリンクで調整に立ち待ったのが、澤口さんだ。

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最初にもてぎでど・ビギナートライアルをやったとき。

 はじめてツインリンクでど・ビギナートライアルを開催したとき、澤口さんは萩原さんの軽トラックの荷台でなにやら語っている。おそらくツインリンクで遊ぶ上でのご注意を語っているんだと思う。ツインリンクもてぎでやってるど・ビギナートライアルは、萩原さんの熱意によって実現したものだが、萩原さんは自然山通信なしでは実現はなかったと言ってくれている。でも澤口さんの影の力がなかったら、開催できたどうかだろうかあやしいと思う。澤口さん、ありがとう。

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澤口さんの協力で実現したトライアル体験試乗会

 他に、2回か3回、一般のライダーを相手に、トライアル体験会もやった。セクションを作るといっても、本当の素人を走らせるのだから、危ないものは作れない。澤口さんが見つけてきたのは、廃材となって放置されていた部材だった。それはなにかというと、世界選手権の最終セクションの一部だった。「こんなのがここに捨ててあるのは、たぶん、おれしか知らないよ」とニコニコしていた澤口さんを思い出す。
 マシンはXR100改(写真)やAPE100だった。大排気量ツーリングバイクを走らせるライダーが、小さなマシンのコントロールに苦労しているのが楽しかった。

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世界選手権のセクションの廃材を使って体験コースを作る澤口さん(真ん中)。右は杉谷だ

 これが最初のトライアル体験で、トライアルを始めたという人がいる。萩原さんの跡を継いで、今、ど・ビギナートライアルのまとめ役をやっている山内克敏くんだ。山内くんもホンダにお勤めだけど、萩原さんとの接点はなくて、本当にたまたまの一般客として、ぼくらのイベントでトライアルごっこを体験したのだという。
 澤口さんがいたからおもしろかった。お疲れさまでした。ありがとう。